竹田城(たけだじょう)

竹田城の基本情報

通称・別名

虎臥城、安井ノ城

所在地

兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169

旧国名

但馬国

分類・構造

梯郭式山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

山名宗全?

築城年

永享3年(1431)

主な改修者

羽柴秀長、赤松広秀

主な城主

太田垣氏、羽柴秀長、赤松広秀

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、竪堀、堀切、井戸

指定文化財

国史跡(竹田城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

糸井陣屋(兵庫県朝来市)[7.1km]
建屋ウスギ城(兵庫県養父市)[8.0km]
朝倉城(兵庫県養父市)[11.7km]
生野城(兵庫県朝来市)[14.5km]
八木城(兵庫県養父市)[14.6km]
鳴岩城(京都府福知山市)[14.9km]
出石城(兵庫県豊岡市)[18.3km]
楽々前城(兵庫県豊岡市)[18.8km]
白岩城(兵庫県養父市)[19.0km]
山名氏城館(兵庫県豊岡市)[21.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

56 竹田城

設置場所

JR竹田駅[地図
山城の郷[地図
観覧料収受棟[地図
情報館天空の城[地図

竹田城の解説文



竹田城(たけだじょう)は、現在の兵庫県朝来市和田山町竹田にあった日本の城(山城)。

縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)。国の史跡に指定されている。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」[1]や「日本のマチュピチュ」[2]とも呼ばれる。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。

東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。

朝来市は2012年4月に竹田城の管理・宣伝をする「竹田城課」を新設した[3][4]。(2017年4月に観光交流課と文化財課に業務を移管され、現在は竹田城課は存在しない。)

沿革 

室町時代

築城に関しては不明な点が多い。江戸時代末期に成立した『和田上道氏日記』によると嘉吉年間(1441年 - 1443年)に丹波国、播磨の出入口である竹田の地に「安井ノ城」が築かれたことを記している。「安井ノ城」とは「竹田城」そのものをさす。『和田上道氏日記』は古い伝承をまとめたもので、竹田城の築城に関しては他に史料がなく『史跡・竹田城』によると「嘉吉三年、山名持豊によって築かれ、太田垣光景が初代城主に任じられたとする口碑を残すのみである」とし、嘉吉3年(1443年)に但馬守護山名宗全(持豊)によって築城され、太田垣光景が初代城主と言われる伝承を紹介している。

この時期、但馬守護山名氏と播磨守護赤松氏の間で度々軍事的衝突が起こる。嘉吉元年(1441年)6月、室町幕府6代将軍足利義教が重臣で播磨・備前・美作守護赤松満祐に暗殺され、幕府による追討軍に宗全が志願したからである(嘉吉の乱)。8月に幕府より追討令を受けた宗全は一族を動員して3方から播磨を攻め、宗全軍は但馬より生野から播磨に入国し、9月に城山城にいる満祐を滅ぼした。10月に宗全は恩賞として任命された播磨守護として入国し、太田垣氏を守護代とし赤松氏の掃討戦を実施している。

その後嘉吉3年(1443年)に赤松教政が、文安元年(1444年)に赤松満政が、康正元年(1455年)赤松則尚が山名軍に反抗するがことごとく敗れ、自刃・逃亡している。当時の竹田城は播磨と但馬の国境を守る拠点で、播磨を平定するための出撃の拠点ともなっていた。

戦国時代

応仁元年(1467年)、細川勝元と山名宗全の争いが一因で応仁の乱が起こると但馬は細川氏と山名氏の争いの場となった。翌応仁2年(1468年)3月、細川軍の内藤軍が夜久野から但馬に侵攻しようとしていた時、竹田城で留守を預かっていた太田垣軍は、竹田城から出軍し夜久野で合戦となり小勢ながらよく戦い、内藤軍の大将2名を討ち取った。夜久野高原には現在も「内藤塚」と言われている供養碑が残っている。

その後も細川氏や赤松氏の脅威は去らず、応仁の乱が終わると宗全の孫山名政豊と赤松政則が播磨などを巡って抗争を続け、一時山名軍が播磨を占領したりしたが、長享2年(1488年)頃には敗戦となり政豊の権威も低下、内紛も発生してしまうようになった。大永2年(1522年)に政豊の子山名誠豊が播磨へ攻め込んだが、この時になると太田垣氏は出軍要請にも従わないようになり、赤松氏は結束を取り戻し山名軍を追放することになった。

安土桃山時代

出雲の戦国大名・尼子氏は永禄9年(1566年)の月山富田城の戦いで毛利元就に一旦滅ぼされた。しかし、永禄12年(1569年)5月に元就が九州で大友氏と交戦(多々良浜の戦い)している隙をついて、同年6月に出雲奪還を目指す尼子氏残党が挙兵し、以前尼子氏と同盟していた山名祐豊(誠豊の甥)がこれを支援した。これに対して毛利元就は織田信長に祐豊の背後を脅かすよう但馬出兵を依頼、これに応じた信長は8月1日に木下秀吉軍2万兵を派兵し、わずか10日間で18城を落城させ、8月13日には京都に引き上げた。此隅山城にいた山名祐豊は堺に亡命したが、同年末には一千貫を礼銭として信長に献納して但馬への復帰を許された。この時竹田城も攻略されたと考えられているが、山名祐豊の重臣太田垣輝延は引き続き城主として留まったようである。

天正元年(1573年)、吉川元春ら毛利軍は出雲、伯耆、因幡に進軍し尼子軍を撃破しながら但馬に迫ってきた。太田垣輝延は毛利軍に降伏し、次いで天正3年(1575年)5月に山名祐豊は吉川元春に誓紙を送って芸但同盟が成立する。一旦危機が去ったように思えたが、今度は丹波の赤鬼と言われた荻野直正が同年10月に竹田城を占領すると、山名祐豊は一転して信長に救援を求め、信長も応じる形で明智光秀を派遣して第一次丹波制圧(第一次黒井城の戦い)を開始し、荻野直正は黒井城に撤退した。

竹田城の戦い

やがて信長と毛利氏の間が次第に悪化すると、信長は播磨に羽柴秀吉を派遣した。天正5年(1577年)10月、秀吉は黒田孝高に迎えられ姫路城に入城、それから1ヶ月で播磨の諸将から人質をとり帰服させることに成功した。その後羽柴軍は二手に分かれ、秀吉率いる本隊は上月城を攻城、別の一隊は秀吉の弟羽柴秀長が3000兵を率いて但馬に進軍した。

秀長隊の狙いは2つあったのではないかと『史跡・竹田城跡』では解説していて、一つは毛利軍に帰服している但馬諸将の制圧、もう一つは生野銀山の確保が目標であったようである。竹田城は生野銀山を管轄しており秀長隊の第一目標になり、11月に秀長隊は真弓峠から但馬に侵攻、まずは岩洲城を攻城し、次いで竹田城を攻城した。

と、竹田城では3日間の戦闘が繰り広げられた。しかし『戦国合戦大辞典』によると「(武功夜話)同書の史料的価値はすこぶる疑問とすべきで、実際にここでこのような戦闘があった真実性が乏しい」としている。また『信長公記』によると、

とあり、秀長が竹田城の城代となったとしている。 天正7年(1579年)5月、秀長は信長の命令で明智光秀支援のため竹田城から丹波へ攻め入ったが、秀長は竹田城に戻らず播磨に引き上げたと考えられ、毛利方の太田垣輝延が間もなく竹田城に入城した。翌天正8年(1580年)4月、再び信長の命により秀長が6400兵を引き連れ但馬攻めを開始すると、竹田城、有子山城はさしたる抵抗もせず降伏した。山名祐豊、太田垣輝延はその座を奪われ、山名氏と四天王と呼ばれた太田垣氏による支配は完全に終焉をむかえ滅亡した。

秀吉は秀長を有子山城主に、秀長配下の武将である桑山重晴を竹田城主にそれぞれ命じた。桑山重晴は後に和歌山城に転封となり、替わって但馬出石城に前野長康、付将として豊岡城に明石則実、八木城に別所重棟、そして秀吉に投降した龍野城主斎村政広が竹田城の城主となる。この斎村政広によって現在の竹田城が完成される。

関ヶ原の戦い

最後の城主である斎村政広は関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍方は敗戦した。このため東軍の亀井茲矩の誘いに乗る形で鳥取城攻めに加わり落城させる。しかし城下の大火の責任を問われ、東軍の盟主であった徳川家康の命によって、慶長5年10月28日(1600年12月3日)鳥取の真教寺にて切腹。

政広の居城であった竹田城は家康の命により 山名豊国が受取りを務め、入城した。

その後江戸幕府の方針により、竹田城は廃城となった。

昭和以降

  • 1932年(昭和7年)、出口王仁三郎により大本の布教を兼ねた登城のために南登山道が教団の財力と影響力を使って整備され、10月18日に登城している。
  • 1943年(昭和18年)9月8日、「史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づき、国の史跡に指定される。
  • 1989年(平成元年)11月、文化庁の許可を得て、角川映画『天と地と』のロケーションが行われた。城跡には製作費3億円を投じて、天守閣、大手門、塀等のセットが建設された[5][6]。また2003年に映画『魔界転生』でも城をセットに原城を再現した上、ロケ地として使われた。
  • 1994年(平成6年)、第1回全国山城サミットが和田山町で開催される。(主催:全国山城サミット推進連絡協議会)
  • 1999年(平成11年)8月7–9日、第16回全国城郭研究者セミナーが和田山町で開催される。8日のテーマは「桝形虎口の再検討」で、「但馬竹田城における虎口形態の検討」という報告も行われた。9日には竹田城跡などの現地見学会が行われた。(主催:和田山町教育委員会・中世城郭研究会)
  • 2006年(平成18年)日本城郭協会が創立40周年を迎える記念事業として日本100名城を選定。竹田城跡(56番)も選定され、歴史好きの間で知名度が上がった。
  • 2007年(平成19年)日本城郭協会が発行した「日本100名城公式ガイドブック」で、「天空の城 竹田城跡」ブームの火付け役でもあるアマチュア写真家の吉田利栄(よしだとしひさ)氏 撮影による雲海に浮かぶ竹田城跡の写真が見開きで紹介された。また、同年11月に朝日新聞社の依頼により吉田氏が撮影した雲海に浮かぶ竹田城跡の写真が同社新聞の全国版の一面を飾る。
  • 2012年(平成24年)に高倉健主演映画『あなたへ』でもロケ地として使われた。妻となる田中裕子がここの「天空の音楽祭」で宮沢賢治の「星めぐりの歌」を歌う。最後には「天空の城」の情景が映し出される。2012年度の来客数は238,000人に達し、翌2013年度は4月から9月の上半期の来客だけで22万人に達した。
  • 2013年(平成25年)3月27日、朝来市議会で入城料を徴収する条例が可決した。数年で訪問者が急増した事により整備・管理の負担が増えたことによるもの。徴収開始は2013年10月からの予定で高校生以上は300円、中学生以下は無料となる。冬場の閑散期の12月11日から翌年3月19日までは対象外となる[7][8]。また観光客増加に伴い、石垣の一部が崩落する危険性も高まっている[9]。登城者が増加したことに伴い迷惑駐車なども増加したため通行規制を行っている[10][11][12]
  • 2013年(平成25年)11月、第20回全国山城サミットが再び朝来市で開催される。前回は第1回の幹事町として平成6年に開催。(全国お城ふぇすたin朝来も同時開催)
  • 2013年(平成25年)12月、GoogleのCMで竹田城跡が取り上げられることにより、観光客が約60万人に激増する[13]
  • 2014年(平成26年)から安全性・史跡保護を考慮して冬季は全面入城禁止になった[14][15]。同年11月、朝来市が国に無許可で国史跡である竹田城跡の登山道の拡幅や付け替え工事を進めていたことが発覚し、文化財保護法に違反しているとして県教委が工事の中止を指示した[16]。観光客の増加により見学区域の制限なども行ったが土砂の流出で地面の浸食、石垣の崩解などの問題が発生している[17]
  • 2015年(平成27年)8月28日現在、応急的に地面保護のマットを敷設[18]、木杭とロープで区切った観光ルートが整備され、本丸・天守台・花屋敷への入場が禁止されている[19]
  • 2016年(平成28年)3月、2013年から修復のため立ち入り禁止になっていた天守台周辺整備が終了し、全面公開が再開された[20][21]

歴代城主 

  • 太田垣光景(1443年(嘉吉3年) - 1465年(寛正6年))
  • 太田垣景近(1465年(寛正6年) - 1479年(文明11年))
  • 太田垣宗朝(1479年(文明11年) - 1521年(大永元年))
  • 太田垣宗寿(1521年(大永元年) - 1538年(天文7年))
  • 太田垣朝延(1538年(天文7年) - 1570年(元亀元年))
  • 太田垣輝延(1570年(元亀元年) - 1577年(天正5年)?)
  • 城代・羽柴小一郎長秀(秀長)(1578年(天正6年) - 1580年(天正8年))
  • 桑山重晴(1580年(天正8年) - 1585年(天正13年))
  • 赤松広秀(斎村政広)(1585年(天正13年) - 1600年(慶長5年))

城郭 

竹田城は、険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭である。山頂に築かれた城郭としては最後の近世城郭にあたる。縄張りなどから類推して近世初期と考えられる。竹田城は山名宗全がこの地に城を築くよう命じ、羽柴秀長が新しく縄張りを行い、その後の赤松広秀が文禄のころより豊臣秀吉の支援を受けながら、壮大な城へ仕上げたものと考えられている。

安土城のような大規模な石垣構造をもち、虎口は枡形を有する。尾根の最高所に本丸を置き、その正面に天守台がある。本丸から三方向にのびて、北千畳曲輪、南千畳曲輪、花屋敷曲輪という大きな曲輪群を有している。面積は18,473m2にも及ぶ。石垣は穴太流石積み技法で、豊臣時代の山城に代表される遺構である。『ひょうごの城紀行』によると「竹田城は赤松広秀が三十代後半の働き盛りに築いた城ということになろう」としている。竹田城の特徴のひとつとして、北千畳曲輪、南千畳曲輪、花屋敷曲輪の3つの曲輪群の標高が331mとほぼ同じ高さに作られている。本丸の標高は351mになるので標高差は20mとなる。このことより、平面構成だけではなく立面構成にも高度な計算がなされ3つの曲輪群が計画的に配置されている。櫓の総数は天守を含め20基前後が推定されている。

天守

天守の構造など、詳しいことは分かっていない。天守台は10.7m×12.7mの少しいびつな形をしており、いくつかの礎石跡が確認でき、柱間は6尺5寸の京間で建てられたことを示している。また、登り口、石段や穴蔵がなく、天守脇にある付櫓か、もしくは本丸にあった建物と連結しており、その内部から階段等で登ったと思われている。この天守台は城の中央に位置し、天守は山麓にある城下から正面にあたり、権威の象徴、見せるシンボルであったと考えられている。また、天守台下の高見殿曲輪(本丸)には本丸御殿があったと推定されている。

石垣

竹田城の石垣の集積は8,649m2。全体的に穴太積み技法による石積みとなっているが、穴太積みの中でも各方別に異なった部分もある。これは各方面別に頭領によって区分けられ、その一角を頭領を任せていたのではないかと推察されている。竹田城の石組は安土城の技法と酷似している。

竹田城の本丸石垣は天守台南側の石垣で、高さは10.6m。他の但馬国の城郭では、

本丸石垣の高さ比較図
城名 有子山城 八木城 竹田城 出石城
石垣高 4.4m 9.3m 10.6m 12.8m
石垣の推定年代 天正8-13年 文禄前半 慶長初期 慶長9-14年

となっている。古い時期には基本的には石垣が低く、時代が新しくなるに従って高く積まれるようになり、江戸時代には10m超えの石垣が一般化してくる。織田時代の有子山城、豊臣時代末期の竹田城を比較すると、石垣の高さと城郭技術の進歩を考える上で、多くの示唆があると考えられている。また竹田城の石垣の石は、山頂付近の4か所を含め、合計6か所の採石跡が確認されている。

この石垣は1971年(昭和46年)から1980年(昭和55年)の間、6,400万円の事業費で崩壊を防ぐ修繕が行われた。この時の修繕は東側を中心に行われ、約1,000m2に相当する石垣を修復した。石垣面積が8,649m2であるため8分の1も満たない修復であり、石垣を破壊する大規模な城割が行われなかったようで、石垣部分は当時の良好な遺構が残っている。

竹田城には多くの瓦が出土している。但馬国では瓦が出土する城郭は少なく、八木城豊岡城では出土されておらず、有子山城では少量出土している。竹田城は但馬国では群を抜いた瓦の出土量で、軒丸瓦・軒平瓦・菊文差瓦・鳥衾瓦・鯱瓦・鬼瓦等の多様な瓦が収集されている。その中にあって2つ重要な瓦がある。一つは、丸瓦の高麗瓦が1点確認されている。高麗瓦は文禄・慶長の役で朝鮮半島侵略後、日本に導入される特殊な瓦になる。もう一つは、竹田城で出土した軒平瓦と、同文瓦が姫路城の三の丸でも出土している。これにより竹田城の瓦は、姫路系瓦工集団が作ったという指摘があり、当時の姫路城主の援助によって築かれたと思われる。

室町・戦国期遺構

現在の竹田城は赤松広秀に総石垣に作り替えられた城郭であるが、太田垣氏時代の遺構も一部残っている。1990年(平成2年)-1991年(平成3年)に実施された縄張り調査によると、南千畳曲輪下には大小10本の竪堀群がある。竪掘とは、敵が攻城した時に、敵兵士が横移動出来ないようにする遺構で、連続した竪掘によって表面が凸凹する形状から、畑の畝に例えて「畝状竪堀」と呼ばれている。但馬国では天正8年から13年頃に盛んに「畝状竪堀」が出現する防御施設である。これらの遺構群は戦国期の竹田城の一部であろうと見られている。また北千畳曲輪から北東に延びる尾根沿いに200mの地点に、標高313mの観音寺山城と呼ばれる遺構がある。城郭は南北100m、東西70mの小規模な城郭で曲輪は2つしかない。またこの城の横堀から4本の畝状空堀群がある。この畝状空堀は太田垣氏時代と推定され、この観音寺山城は太田垣氏時代に竹田城まで一体化した城で、城域は観音寺山城と竹田城を併せて南北750m東西300mにわたって広がった大規模な城郭であったことが判明している。

竹田城の二の丸と三の丸周辺に堀切と竪掘があったと思われ、現在の竹田城には確認できないが、観音寺山城と同様、横堀と畝状空堀が本丸西斜面にはあったと推定されている。竹田城の石垣の下には、戦国期の遺構が残っている可能性も指摘されている。

また戦国期の城郭の特徴として土塁がある。土塁は観音寺山城では確認できていない。また竹田城の支城にも部分的にしか土塁が使われていない。このことから『史跡・竹田城跡』によると竹田城では「土塁は多用されていなかったと思われる」としている。

支城

竹田城には数多くの支城があったのではないかと言われ、周辺地域には山城跡が多く残っている。

開城時間・観覧料 

毎年1月4日 - 2月末日を除き、ほぼ通年で見学が可能である。ただし、時期により開城時間が異なる。また、悪天候時には入城規制が行われることがあるほか、冬季は開城時間及び閉山期間を変更する場合もあるため注意を要する。観覧料は、高校生以上は有料だが、中学生以下と身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳のいずれかを保持する人とその介助者は無料。また、年間パスポートや団体割引(高校生以上の大人20人以上で1人50円割引)がある。

開城時間(2016年9月時点)[22]

季節 期間 入城時間
(春)スプリングシーズン 3月1日 - 5月31日 8:00 - 18:00(最終登城17:30)
(夏)サマーシーズン 6月1日 - 8月31日 6:00 - 18:00(最終登城17:30)
(秋)雲海シーズン 9月1日 - 11月30日 4:00 - 17:00(最終登城16:30)
(冬)ウィンターシーズン 12月1日 - 翌年1月3日 10:00 - 14:00(最終登城13:00)

観覧料(2016年9月時点)[23]

区分 単位 金額 備考
大人(高校生以上) 1人1回 500円
中学生以下 - 無料
年間パスポート 1人1年 1,000円 毎年4月1日 - 翌年3月31日有効

雲海 

  • 時期は、秋から冬にかけての日の出前から午前8時頃の間。特に9月から11月の間には発生しやすい。
  • 城跡からの眺めの他、立雲峡(城の南東)や藤和峠(城の北西)から雲海に浮かぶ城跡を眺める事も出来る。
  • 発生の目安となる条件
    • 日本海に高気圧の中心があり、よく晴れている。
    • 朝方と日中の気温の差が大きい。
    • 風が無い、または弱い。
    • 但馬南部地方の濃霧注意報が参考になる。

逸話 

  • かつての宿敵だった山名氏と赤松氏とのそれぞれの子孫が和睦を結び、1988年に駐車場脇の谷の一角に「山名赤松両軍慰霊塔」を建立した。これは、「全国山名氏一族会」の理事長太田垣泰明および山名氏の菩提寺である法雲寺住職吉川廣昭の発案だった。

ロケーションに使用した映像作品 

前述のようにいくつかの映像作品でロケ地として使用されている。

  • 影武者(1980年)
  • 天と地と (1989年、春日山城として使用)
  • 暴れん坊将軍III (1989年、第71話「大暴れ! 但馬のヤッサ神輿」で使用)
  • 魔界転生 (2003年、原城として使用)
  • あなたへ(2012年)
  • 天地明察 (2012年、小田原城として使用)
  • 忍たま乱太郎 夏休み宿題大作戦!の段(2013年)
  • 軍師官兵衛 (2014年、石垣山城として使用)

交通アクセス 

鉄道
  • JR西日本播但線「竹田駅」下車、同駅より徒歩・バス・タクシーのいずれか
    • 竹田駅には特急「はまかぜ」のうち1・4号が通年停車、3・6号が臨時停車[24]
  • 竹田駅より
    • 徒歩/車道ルート約50分、駅裏の山道ルート約25分または俵米神社の山道ルート約20分(但しこれらの山道ルートは足場が悪い上に階段が長く続くため注意)、南登山ルート約30分(こちらは全面舗装してあるので比較的歩きやすい)
    • バス/全但バス「天空バス」20分(毎年3月 - 11月のみ運行。多客期は増発)[25]
    • タクシー/竹田城跡の中腹駐車場まで10分程度
  • JR西日本山陰本線・播但線「和田山駅」よりタクシーで竹田城跡の中腹駐車場まで20分程度
  • 播但連絡道路 北近畿豊岡自動車道 和田山IC → 国道312号
  • 周辺に城跡見学者用の無料駐車場有り
竹田城跡公式ホームページ(http://www.city.asago.hyogo.jp/takeda/0000001858.html)にも詳細な案内がある。

周辺 

  • 立雲峡
  • あさご芸術の森
  • ヨーデルの森
  • 多々良木ダム
  • 藤和峠

参考文献 

  • 【書籍】「郷土の城ものがたり 」
  • 【書籍】「日本城郭大系 」
  • 【書籍】「戦国合戦大辞典 」
  • 【書籍】「 史跡・竹田城跡」
  • 【書籍】「秀吉の城 」
  • 【書籍】「 ひょうごの城紀行」
  • 【書籍】「 第十六回全国城郭研究者セミナー(https://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/chujoken/seminar.html)の報告 」
  • 【書籍】「国史跡 竹田城 」
  • 【書籍】「 但馬竹田城跡採集瓦について 」  ※初出1991年

竹田城の口コミ情報

2022年06月07日 RED副将軍【新宮党】
竹田城



竹田城の登り石垣(竪石垣)の投稿です。

今回、備前の城友さんにお願いをしてガイドしてもらい、他に備前のYouTuberさま、竪堀特攻隊長さまと4名で行って来ました!

あまり知られていませんが、竹田城にも登り石垣があります。石積みではなく、裏込石がある登り石垣は、彦根城、松山城、洲本城、米子城、鳥取城が他にありますが全国的にも数少ない遺構です。

文禄期(1592年〜1596年)に豊臣秀吉の支援を受けて赤松広秀が総石垣の城に改修をしたとされ、約430年前の石垣遺構です。険しい斜面に野面積みが往時のまま残っています。風化や樹木の侵食で崩落箇所も多いですが、隅石がしっかりと残る部分もあり素晴らしい石垣でした。近くの井戸曲輪も今回確認でき、念願が達成✨梅雨入り前に間に合い良かったです。

場所は北千畳の北西尾根下にあり、観音寺山城の麓から登城開始。観音寺山城から尾根伝いに竹田城へ向かいますが、当然に登り石垣のある尾根は未整備です。尾根筋は間違い易いのと滑落の危険性もあるので知っている人と複数名で行った方が良いと思います。

2022年05月02日 延暦寺覚恕
竹田城



駅裏登山道から登りましたが、山城の中でもわりと急勾配な方ですので、それなりの格好で行かれることをお勧めします。登山をされないかたは、バスで最寄り城入口まで行かれて、舗装された道を数百メートル行くと城に着きます。景色も良く、春秋のトレッキングにも適していると思います。

2022年04月09日 数珠丸恒次左近衛大将ヒロティー
竹田城

久々に駅裏登山道から竹田城に登城。石垣最高です。桜は今週で終わりかな

2022年03月29日 契丹
竹田城



登城日は荒天のため、雨合羽を着ながら城攻めしました。整地されていないところも多いので、傘をさしながらの城攻めはやめた方がいいと思います。

2021年10月26日 matsu
竹田城



10月24日登山は汗をかくほどのものでしたが、女性1人でも頑張って登っている方も多かったです。登りきった先には素晴らしい景色が待っていました。時間帯にもよりますが、上は涼しいので服装にも気をつけたいものです。

2021年10月08日 美海(ミミ)安房守
竹田城



①地元の方の話だと、立雲峡の第一展望台の更に上に、新しい8段、300人収容可能な展望台ができたとのこと。そこからだと木が邪魔にならないらしい😊
②竹田城の後側から観れる展望ポイントの行き方は写真参照。
加都交差点を竹田城方面へ→山城の郷(左手)とは逆の右側(ほぼ真っ直ぐ)に進む→「希望の郷」の標識で右手の『藤和』方面に山を登る→左手に駐車場、右手に入口→入口を入り、土手を歩いて行くと直ぐに展望スペースが見えます。
日出直後はめちゃ逆光です。

2021年08月13日 絹畑右近衛少将慎之介
竹田城

石垣が作られる前に廃城となった、出口付近の山肌も堪能下さい。

2021年04月11日 ランスロット
竹田城



駅裏登山道を登りました
休憩なしで、入口から17分で登れました
小生は51歳
階段を一段飛ばしで登るようなイメージ
残り100メートルくらいはきつかったが、
駅を使う人はこのルートだとバスの時間とかに縛られないし、おすすめです
飲み物を駅近くの自販機で買うと良いです

2021年04月04日 坂の上の蜘蛛
竹田城

桜のが見頃を迎えてました。コロナ禍でもなんのそのたくさんの人たちが竹田城を訪れてました。城下にある竹田駅の駅舎も風情があっていいですね。

2020年12月03日 m
竹田城



ホテルenと言う、竹田駅そばのお宿に宿泊したら非常に便利でした。御城印も、お宿のお土産売り場で購入できます。
宿のすぐ近くに山道の入口がありますが、雲海を見るために6:00出発だったので40-50分の真っ暗な山道歩行は断念。1番近い駐車場から入口まで歩いて45分ほどとの事で、車もお宿に残しタクシーで入口まで行くことに。
お城を下りるのも山道ですので、体力のない方はタクシーがオススメです。

2020年11月11日 airz
竹田城



日の出とともに徒歩で山頂まで登りました。駅近くの駐車場は7時かららしいですが既に空いており車は10台くらい6時には停車していました。

2020年10月01日 恭任非参議侍従
竹田城



鉄道とバスでの登城について
毎年、観光客が増加にあり、登城ルールも毎年変わる傾向ですので、今年版。バスは冬場は休止します。
竹田駅前からの「天空バス」ですが、乗ったらまず、運転士から(一日券)を購入しましょう。駅⇔城、往復で520円ですが、一日券は500円です。このバス、ICカードが使えないので、乗客は降りる際、小銭を出すことになり、時間がかかるので、一日券を持ち、バスの降り口(前)に立てば、すぐ城に向かえます。当然、城入場口での券と城朱印の購入もスムーズになります。
そのスピードがあれば、次のバスまでの1時間で十分見学できるかと。
竹田駅での鉄道の接続が悪いときは、駅から徒歩3分の情報館で時間潰せます。竹田駅裏手の4ヵ寺では、今のところ御朱印はありませんが、情報館では御朱印頂ける寺院の情報(徒歩圏内)も得られるかも。城朱印と書籍も、ここで販売しています。
蛇足ですが、竹田駅に来る鉄道は、正確には(電車)ではなく(気動車)です。

2020年09月22日 かんちゃん紀伊守
竹田城



立雲峡の第一展望台から見る竹田城跡の雲海は最高でした🎶
四連休のため午前3時30分に駐車場に行ったのですが、既に満車で坂道の途中に路上駐車することに…早めに行き、車で仮眠とる方法にした方が良いかもです。

夜明けまで立雲峡で雲海を楽しんだ後、竹田城跡に移動し、竹田城跡からの雲海も良かったです。まさに日本のマチュピチュに雲海という奇跡のコラボが体験でき、大変満足しました。

両方の景色を見るために、かなり歩きますので足腰を鍛えてから行くことをオススメします(笑)


2020年09月20日 直江山城守優介
竹田城



駅裏登山道から登城しました。時間は早めのペースで25分くらいでした。雲海は見えませんでしたが、頑張って登った後の景色は絶景でした!

2020年09月13日 もっちー
竹田城

しっかり整備されてました。タクシー乗り場及びバス停留所から徒歩20分ぐらい。

2020年08月17日 宮地近江守一成
料金収受棟[竹田城  関連施設]

御城印、御城印帳は「竹田城跡料金収受棟」で購入できます。
最寄りの駐車場がある「山城の郷」では購入出来ないので注意。登城の際は軽装ながらもお財布を忘れずに。
御城印のみ購入される方も御城印帳持参の方が良いです。せっかくの御城印を大切に持ち運ぶための準備は大事ですね。
また、山嶺城下町の「情報館 天空の城」にも販売しています。

2020年08月16日 kingdom武蔵守
竹田城



先ず立雲峡に行く事をオススメします。次に本丸の方が良いと思います。(竹田城を歩いた後に立雲峡を登るのは体力的に厳しいかと)歩くのが苦手な方は、山城の郷まで車で行き10時以降に本丸付近までバスが出ており、バス専用道も徒歩で歩けますが約2.2kmです。両山頂は登っただけの綺麗な景色が一望出来ます。が、夏の9時頃に行軍し降りてくる時は汗だくでした。

2019年06月01日 左兵衛督 ▲▲▲誠
竹田城



十数年ぶりに竹田城跡を訪れました。
整備されるのは良いけれど一方通行の見学路が出来てたのには少し寂しさを感じました。 でもやっぱりこのロケーションは最高でした。

2019年05月02日 富安兵庫頭大竜
立雲峡駐車場[竹田城  駐車場]

雲海が見られる展望台
🅿︎有料@300円

2019年05月01日 dr.taka遠江守
竹田城



竹田城三の丸北端 竹田城の郭に数カ所ある矢印型の出張りが気になった。デザインとしてかっこいいが、やはり戦略的な意味が?または方角?うーむ、どう調べようか。

2019年05月01日 dr.taka遠江守
竹田城



意外となかった縄張図を含む案内表示。他の被写体が凄すぎだからかな。

2019年05月01日 dr.taka遠江守
竹田城



大手門から写す三の丸櫓跡の石垣
ガイドさん曰く、手前の巨石が竹田城最重量の石なんだとか。話は聞いてみるもんです。

2019年04月07日 GAGA大納言百万石
竹田城

まずは、竹田城跡へ登られる方へ!

竹田城には、山城の郷から登る登山道、駅裏登山道、表米神社登山道の3つの登山道があります。

駐車場があるのは山城の郷ですので、車で来られる方は山城の郷からの登山道をオススメいたします。
ちなみに、竹田駅から一番近いのは駅裏登山道です。

いずれの登山道も登山口から料金所まで約40~50分ほど坂道を上っていくことになりますので、体力に自信のない方は料金所の手前まで行くタクシーをご利用になることをおすすめいたします。

登山道の途中には、山城特有の竪堀が残っています。

山頂付近には算木積みの石垣が良好に残っており、石垣ファンの方にはオススメです!

ちなみに雲海の撮影地として有名なのは竹田城跡付近にある立雲峡です。

2018年10月07日 マンボウ
竹田城

駅前にタクシーがいないからと、徒歩でチャレンジはおススメできません
タクシーは駅を出て右に曲がりメインストリートを少し歩いたまちなか駐車場に待機しています
体力を残してお城を満喫しましょう
駅の時刻表に挟まった虫はいつまで残ってるかな?

2018年09月27日 安那備後守はるか
竹田城

11月までは山城の郷~中腹までは
通行止めの為、3ルートの内
2ルートを通ってきました。

徒歩で登城される方になれば。
まちなか駐車場より徒歩にて竹田駅から
駅裏登山道から登城しました。
約40分ぐらいです。土の階段と山道なので
トレッキングシューズ、登山靴が
おすすめです。岩肌も見られます。
途中に休憩所はありますがトイレ等は
ありません。
帰りは表米神社登山道から下山しました。
土階段の急登が続きます。
蹴上の高さもあるので、こちらから
登城となれば相当きつそうです。
こちらも約40分ぐらい。
表米神社には珍しい興行場の六段の
石積みの腰掛けが見事です。
城下町の側溝に泳いでいる鯉や寺町
を見歩きながら駐車場へ戻ります。
所要時間は約3時間弱ほどです。
季節も良いので徒歩もおすすめです。

2018年09月27日 安那備後守はるか
竹田城

フォトギャラリーにも掲載してます
竹田城近くの茶すり山古墳ですが
分布調査で竹田城の支城として
確認され後の調査から城跡と
重複した古墳であることが
判明されたようです。
南千畳からも茶すり山古墳が
確認出来るので登城した時には
ぜひ東北側を見てみてください!
古墳からも見てみてください!

2018年09月27日 シン右兵衛佐作州牛
竹田城

料金所の方のお話では、ごくごく稀にブロッケン現象が見られるとのことでした。

2018年09月21日 徳g図書頭“もっと!”^3
竹田城

↓投稿日時点で織田様の口コミ通り。

電車にしろ車にしろ「竹田まちなか観光駐車場」を訪問・利用しタクシーで途中まで登られた方がいいと思います(運転手さんとの会話も楽しいですよ)
駐車場側も城側も基本的には常にタクシーが待機しているようです(城側でタクシーがいなければ、駐車場にチラシがありますので呼ぶことも可能です)

また、雲海がなくても立雲峡も是非お立ち寄りください。現在は支障なく(案内に従い)上の駐車場まで行けます。車なら5分とかかりません。

2018年07月28日 織田上総介晃司
竹田城

西日本豪雨災害により山城の郷から竹田城に向かう道が崩落。天空バス(シャトルバス)が利用できません。

車の方は竹田まちなか観光駐車場か竹田城下町駐車場に駐車。
タクシーでスタッフ駐車場まで行くか(約1,000円)登山道を利用して行くしかありません。
(2018/07/27現在)

2017年12月01日 日向夏隠岐守
竹田城

鑑賞ポイントの立雲峡ですが現在道路工事中でかなり路面が悪いので注意が必要です。
あと第三展望台から第二展望台は直ぐですが、第一展望台はその距離の3、4倍はあります笑
個人的には第二展望台か、その途中の岩場の方が綺麗に見えました。


2017年05月08日 あまそう摂津守
竹田城

山城の郷の駐車場や中腹駐車場がイッパイで停めれない場合はイオン和田山に案内されそこから無料のシャトルバスが山城の郷まで行きます❗そこから中腹駐車場までは天空バス150円、タクシーが出ています❗約1.4キロそこからは竹田城まで0.8キロ徒歩20分ですよ❗ちなみに自分達は10時頃に着きました。山城の郷から竹田城まで徒歩40分2.2キロ整備されていて登りやすいです❗

2017年03月19日 蒲生飛騨守郷信
竹田城

3月~5月、入城は8時からですが、登山道もゲートがあり8時まで登れません。徒歩で登城の方はご注意を。

2017年01月29日 織田上総介晃司
竹田城

まだ無料の頃の晩秋、早朝に登城。
霧が無く、往時の姿を想像しつつ散策してると…
南千畳に霧が流れて…シャッターをきる
霧は少ないが、霧の下に竹田の町が見えて、まさに天空の城を堪能できたかと…

現在、晩秋の頃は早朝より登城が可(当然、有料)

2016年08月19日 astolixer雅楽頭
竹田城

朝霧について
霧は意外なほど早く形、高さを変えます。
同じ日でも、10分も経てば違う表情に!

逆に言えば、せっかく霧が出ていても、滞在時間が短いとちょうどいい姿が見られないかもしれません。
でも霧に出会える確率を考えると、それはとてももったいなく思います。

霧が出る時期の早朝はとても寒いですし、立雲峡なり竹田城なり山登りをするので、対策をしないと汗冷えしてしまいます。
長い時間粘るにはしっかり防寒し、温かい飲み物の用意を。

それだけの価値のある、本当に感動する姿です☆

2016年05月21日 シバヤン近江守雲外蒼天
竹田城

最後に雲海の見れる立雲峡についてです。
竹田まちなか駐車場から右折し312号線の竹田の交差点を過ぎて最初の交差点を左折して道なりに進みます。しばらく行くとカブトムシのマークがついた倉庫が右側に出てきます。そこを過ぎたら右側に立雲峡に入る道順の立て看板があります。ゆっくり進んで下さい(笑)、入り口が狭いです。
始めは山道、しばらく進むとアスファルト道路になり道なりに上がったら立雲峡に上がる駐車場です。
駐車スペースは50台まで。ここにトイレ、飲料用自販機あります。
石段を上がって手前から第4、3、2と続き頂上付近が第1展望台です。
竹田城を真横から見るなら第3、少し上から俯瞰して城を見たいなら第1か第2展望台ですね。この日はバードウォッチングの方がいらっしゃり雲海見るなら真横から見る第3展望台が好きですとおっしゃってました(笑)。
11月初から末までが雲海の見れる時期だそうです。
雨上がりに気温差があれば町中がすっぽりと雲海に隠れた竹田城の写真をたくさん見れますと先ほどのカメラマンから貴重な写真をたくさん見せていただきました。
今度は晩秋に狙って行きたいですね。


2016年05月21日 シバヤン近江守雲外蒼天
竹田城

(続)山名氏と赤松氏の抗争から播磨地方の侵攻を目論む山名宗全がこの地に目を付け築城。当時も雲海が現れることを知って築城したのなら彼はかなりロマンチストな人物なのかもと思います。
赤松氏、山名氏も抗争で疲弊混乱し没落し、その後羽柴秀吉が生野銀山や山陰道と山陽道の衢地になるこの城の拡大に着手した•••。しかしこの城、天守台に上がる階段が何故かないのです。私の想像ですが、竹田城は生野銀山で採掘した銀の貯蔵庫として利用されていたのではないかなと思います。銀を盗み出しの為に本丸までの石垣を登ってくる輩を射落とす多数の石垣群の横矢の設置、天守台に上がる階段が設置されなかったのは、盗み出し防止だと•••、必要な時だけ梯子などを掛けて持ち出したのではと思いましたが•••如何でしょうか?
勿論、戦時にもこの城はかなり有効であり、蔚山城の戦いから九死に一生を得て帰還した加藤清正さんの縄張り築城指示があったのではと思う共通点が見られます。応仁の乱から関ヶ原の戦いまで拡大発展したというのが私の想像ですがどうでしょうか?
以上、登城時に蔚山倭城とかぶって見えた私の想像です(笑)
H28.5.15訪城。

2016年05月19日 シバヤン近江守雲外蒼天
竹田城

JR竹田駅より南に行くと写真館がありそこを左折したら竹田まちなか駐車場があります。ここの無料駐車場を借りて登城。途中に情報館天空の城で資料を収集して下さい。駅前にもありますが、館内に竹田城のジオラマや展示品があり頭に叩き込んで行く事をお勧めします。そんだけ見所満載です。
情報館の敷地内に土産物屋もあるので「たけじぃ」グッズもお忘れなく(笑)
今回駅前からシャトルバスで行きました。
山頂にはトイレはないので済まして水分用意して望んで下さい。夏場は熱中症で倒れる方がいるそうです。
入館料500円。バス停からここまで歩いて20分、約800m。
料金所手前の南千畳から続く山側斜面に大堅堀がありますのでお見逃しなく!
入館したら大手口、立派な虎口が現れて先制パンチを食らいます(笑)。素晴らしい石垣に息が止まる場面続きます。上がると北千畳です。ここ一番奥まで行き左を見たら本丸跡、石垣群に感動です。野面積み、算木積みの連続です。どの場所からも驚くような景観に散策時間も膨らむばかりです。
何故ここまで大規模な築城が必要だったのでしょうか?(続)


2015年11月20日 雪之丞
竹田城

竹田城最寄りの竹田駅の近くには、コンビニなどはないようです。お土産屋はあり、お酒は置いてますが肴になるようなものはほとんどありませんでした。電車で飲むのが好きな方はご注意下さい。

2015年11月07日 ООトマシ
竹田城

11月3日 14時30分頃 竹田まちなか観光駐車場に到着。歩いて登城される場合はここでトイレを済ませ、飲み物も買うことをお勧めします。
ここはバス停ですが、降車のみですので、シャトルバスを利用する場合は駅まで行く必要があります。
駅裏登山道から登る場合は、駐車場から城に向かってまっすぐ歩き、線路沿いに駅と反対方向に少し行くとある踏切を渡って再度駅方向へ向かう必要があります。
縄張りも大きく、時間も遅かったせいか、比較的ゆとりをもって見て回れました。
帰りは表米神社側へ下りたのですが、もう少しというところで、若い外国人の女性が「シタ、カギカカッテマス〰。キツイ。」と言いながら登り返して来ました。まだ17時頃だったのでナゼ?と思いながら、信じないのも悪いので、登り返してシャトルバスで下りました。勘違いならいいのですが、早くに閉めてあったのなら、その表示がほしいものです。

2015年11月04日 伊予守しずぽん
竹田城

天空の城(雲海に浮かぶ城)の写真を撮りに、立雲峡に来たが、時すでに遅く、霧は晴れてしまってました〜(^_^;)あと1時間早く来たら、今日はベストだったのに〜、残念ー❗️

2015年04月22日 城井宇都宮智房
竹田城

開門は7時20分です…

2014年10月12日 はるるん
竹田城

10月12日は終日、全面入山禁止です(地元の秋祭り開催の為)。

しかし このことを知らずに訪れてしまった人の為におわび文章と記念絵はがき、観光パンフレットが用意されているようです。

9月からは、午後6時〜午前4時の入山が禁止


終日入山禁止は、10月12日と12月11日〜来年3月19日となっています。



2014年09月17日 天地夢之助
竹田城

竹田城行って ほんま良かった!まだ登城が無料の時なんで 現在は規制も有り 駐車場も週末近くになると たぶん?混んでると思います それと 角川映画の天と地で竹田城は春日山城として使われ 撮影期間だけ 立派な お城があったんですよ!天と地を見ていただけば わかります❗

2013年10月15日 クノール尾張守
竹田城

私は10月13日にツアーで行きました。午前10時でしたがすでに一般車駐車場は満車で麓周辺は路駐一杯、周辺道路は渋滞の始末。私はツアーでしたので助かりましたが、城跡は混雑しており、人が入らない城跡写真の撮影は到底不可能でした。次の観光地は出石城下町の散策です。

2013年05月23日 晴生
竹田城

私は平日の昼間に城に行きましたが、かなり見学の方が多かったです。
山頂にはハチが結構飛んでました。苦手な方ご注意下さい。

2013年04月14日 婆裟羅褫顕近江守推参
竹田城

本日4月14日、バスツアーにて登城しました。
今年の桜は早かった為散っていましたが、
このシーズンだけなのか自分が到着した午前9時頃で一般車両は駐車場に入れず45分待ちの渋滞でした。
(自分はバスのため待つことなく入れました)
帰りの12時頃は更に渋滞は延びていました。

もうすぐ有料化されるようですし気候もよくなるので混雑が予想されますので早い時間帯をオススメします。
また女性の方はくれぐれもヒールではこないように…


2012年10月18日 伊勢守三下
竹田城

車利用の方々は中腹の駐車場を利用すると思いますが、駐車場までの山道は一方通行となっているのでご注意願います。
登りは山城の里?とかいう施設の方向からになります。

2012年10月02日 ポリタンク大和守
竹田城

北千畳の西斜面に登り石垣があります。場所は大手門付近の看板に掲載の縄張図でも確認できますが、道はないので、見学の際は事前調べと十分な装備で臨みましょう。

北方の尾根続きにある観音寺山城に足を運びますと、北側で竪堀と横堀のセットを拝むことがてきます。

2012年05月13日 荼枳尼天ユータ
竹田城

去年、雲海が見たさに高校生3人で行きました。

ただ雲海がみられる時間が朝…という訳で竹田駅の待合室で一晩過ごしました!!
楽しかったぁ♪(^^)/

2011年11月13日 春風十勝守世遊
竹田城

雲海の竹田城を写真に撮りたい方は、かなり早い時間から場所取りが必要です。
目安は日の出の3時間前、この時期なら日の出は6時位なので3時には天守台へ。中腹駐車場で泊まりの人もいるらしい
タクシーで上がる場合はあらかじめ予約を。どんな時間帯でも基本的に竹田駅に常駐タクシーはいないので注意
懐中電灯と防寒着は必須

最後に、水筒にお湯入れて持っていって寒い山頂でコーヒーにして飲む、これオススメです

2011年08月17日 にっこう
竹田城

竹田駅に観光案内所があり、パンフレット、スタンプ等があります。電動式自転車もレンタサイクルしている。また、登山に不要な大きな荷物もここ案内所で預かってくれる(しかも無料!!!)。

2011年07月13日 太政大臣M三郎
竹田城

播但道を南から北へ車を走らせると、終点近く正面遥か上方に、竹田城は、突然姿を表します。城は、山頂の本丸を中心に北、西、南東に伸びた尾根上に城域を展開します。各尾根は階段状に区画され、各郭は、石垣と虎口で厳重に防御されています。石垣は、周辺で調達された茶褐色の割石が用いられており、荒っぽく古風な印象の野面積ですが、確かな技術力で堅牢に積まれています。尾根と本丸には高低差があり、城が三方に拡がるため、どの尾根から見ても、上へ横へ見事な石垣が展開して雄大さを強調しています。すばらしい城です


2011年01月09日 tomm加賀守
竹田城

100名城スタンプ&パンフレットはJR竹田駅のわだくら観光案内所にありますが、定休日にはスタンプだけは駅にあるそうです。

次回は雲海の竹田城を見に来たいですね〜

竹田城の周辺スポット情報

 大手門跡(遺構・復元物)

 武の門跡(遺構・復元物)

 北千畳(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 天守台(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 南二の丸(遺構・復元物)

 正門(遺構・復元物)

 南千畳(遺構・復元物)

 史蹟竹田城跡説明板(碑・説明板)

 竹田城跡石碑(碑・説明板)

 観音寺山城(周辺城郭)

 JR竹田駅観光案内所(スタンプ)

 情報館天空の城(スタンプ)

 山城の郷(スタンプ)

 竹田城観覧料収受棟(スタンプ)

 料金収受棟(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 立雲峡駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 料金収受棟(関連施設)

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