竹田城(たけだじょう)

竹田城の基本情報

通称・別名

虎臥城、安井ノ城

所在地

兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169

旧国名

但馬国

分類・構造

梯郭式山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

山名宗全(伝承)

築城年

永享3年(伝承)

主な改修者

羽柴秀長、赤松広秀

主な城主

太田垣氏、羽柴秀長、赤松広秀

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

石垣、竪堀、堀切、井戸

指定文化財

国史跡(竹田城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

糸井陣屋(兵庫県朝来市)[7.1km]
建屋ウスギ城(兵庫県養父市)[8.0km]
朝倉城(兵庫県養父市)[11.7km]
生野城(兵庫県朝来市)[14.5km]
八木城(兵庫県養父市)[14.5km]

竹田城の解説文

竹田城(たけだじょう)は、兵庫県朝来市和田山町竹田にあった山城。

概要
縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、天空の城の異名をもつ。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。国の史跡に指定されている。

東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは、南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。

沿革
室町時代
築城に関しては、不明な点が多い。江戸末期に成立した『和田上道氏日記』によると嘉吉年間(1441年-1443年)に丹波国、播磨国の出入口である竹田の地に「安井ノ城」が築かれたことを記している。「安井ノ城」とは「竹田城」そのもののをさす。『和田上道氏日記』は古い伝承をまとめたもので、竹田城の築城に関しては他に史料がなく『史跡・竹田城』によると「嘉吉三年、山名持豊によって築かれ、太田垣光景が初代城主に任じられたとする口碑を残すのみである」とし1431年但馬国守護山名宗全によって築城され、太田垣光景が初代城主と言われる伝承を紹介している。

この時期、但馬国守護山名氏と播磨国守護赤松氏の間で度々軍事的衝突が起こる。嘉吉元年(1441年)6月、征夷大将軍足利義教が重臣赤松満祐によって暗殺される。嘉吉の乱である。同年8月室町幕府より追討令を受けた山名宗全軍は、丹波国より生野から播磨国に入国し、同年9月城山城にいる赤松満祐を滅ぼした。同年10月には山名宗全は播磨国守護として入国し、太田垣氏を守護代とし赤松氏の掃討戦を実施している。その後1443年赤松教政が、1444年赤松満政が、1455年赤松則尚が山名軍に反抗するがことごとく敗れ、自刀、逃亡している。当時の竹田城は播磨国と但馬国の国境を守る拠点で、播磨国を平定するための出撃の拠点ともなっていた。
戦国時代
応仁の乱が起こると細川氏と山名氏で争いとなった。応仁2年(1468年)3月、細川軍であった内藤軍が夜久野から但馬国に侵攻しようとしていた。竹田城で留守を預かっていた太田軍は、竹田城から出軍し夜久野で合戦となり小勢ながらよく戦い、内藤軍の大将2名を討ち取った。夜久野高原には現在も「内藤塚」と言われている供養碑が残っている。その後も細川氏や赤松氏の脅威は去ることは無かった。山名軍は赤松氏の播磨国を占領したりしたが、1488年頃には敗戦を続け山名誠豊の権威も低下、内紛も発生してしまうようになった。1522年に山名誠豊が、赤松氏がいる播磨国へ攻め込んだがこの時になると太田垣氏は出軍要請にも従わないようになり、赤松氏は結束を取り戻し山名軍を追放することになった。

安土桃山時代
尼子氏と山名氏は同盟関係であった。毛利氏は、大友氏との交戦状態あり、その間隙をついて出雲国奪還を目指す尼子氏に背後を突かれた。これに対して毛利氏は織田信長に尼子氏の後援となっていた山名氏の背後を脅かすよう但馬国に出兵を依頼した。これに応じた織田信長は永禄12年(1569年)8月1日木下秀吉(豊臣秀吉)軍2万兵を派兵し、わずか10日間で18城を落城させ、同年8月13日には京に引き上げた。この時、此隅山城にいた山名祐豊は堺に亡命したが、同年末には一千貫を礼銭として織田信長に献納して但馬国への復帰を許された。この時竹田城も攻略されたと考えられているが、太田垣輝延は引き続き城主として留まったようである。

吉川元春ら毛利軍は、1573年出雲国、伯耆国、因幡国に進軍し尼子軍を撃破しながら但馬国に迫ってきた。太田垣輝延は毛利軍に降伏し、次いで天正3年(1575年)5月山名祐豊は吉川元春に誓紙を送って芸但同盟が成立する。一旦危機が去ったように思えたが、今度は丹波の赤鬼と言われた荻野直正が同年10月竹田城を占領すると、山名祐豊は織田信長に救援を求め明智光秀を派遣して第一次丹波制圧(第一次黒井城の戦い)を開始し、荻野直正は黒井城に撤退した。

-竹田城の戦い-...

竹田城の口コミ情報

右兵衛尉ダンゾウ様[2017年07月26日]
リア城攻めしました!!
下の姫を抱っこし上の姫の手を引き何とか登頂舗装されてて登りやすかったですが疲れました

あまそう和泉守関ヶ原観賞❗様[2017年05月08日]
山城の郷の駐車場や中腹駐車場がイッパイで停めれない場合はイオン和田山に案内されそこから無料のシャトルバスが山城の郷まで行きます❗そこから中腹駐車場までは天空バス150円、タクシーが出ています❗約1.4キロそこからは竹田城まで0.8キロ徒歩20分ですよ❗ちなみに自分達は10時頃に着きました。山城の郷から竹田城まで徒歩40分2.2キロ整備されていて登りやすいです❗

蒲生大宰大弐郷信様[2017年03月19日]
3月~5月、入城は8時からですが、登山道もゲートがあり8時まで登れません。徒歩で登城の方はご注意を。

織田修理大夫糀【関ヶ原鑑賞】様[2017年01月29日]
まだ無料の頃の晩秋、早朝に登城。
霧が無く、往時の姿を想像しつつ散策してると…
南千畳に霧が流れて…シャッターをきる
霧は少ないが、霧の下に竹田の町が見えて、まさに天空の城を堪能できたかと…

現在、晩秋の頃は早朝より登城が可(当然、有料)

astolixer雅楽頭様[2016年08月19日]
朝霧について
霧は意外なほど早く形、高さを変えます。
同じ日でも、10分も経てば違う表情に!

逆に言えば、せっかく霧が出ていても、滞在時間が短いとちょうどいい姿が見られないかもしれません。
でも霧に出会える確率を考えると、それはとてももったいなく思います。

霧が出る時期の早朝はとても寒いですし、立雲峡なり竹田城なり山登りをするので、対策をしないと汗冷えしてしまいます。
長い時間粘るにはしっかり防寒し、温かい飲み物の用意を。

それだけの価値のある、本当に感動する姿です☆

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年05月21日]
最後に雲海の見れる立雲峡についてです。
竹田まちなか駐車場から右折し312号線の竹田の交差点を過ぎて最初の交差点を左折して道なりに進みます。しばらく行くとカブトムシのマークがついた倉庫が右側に出てきます。そこを過ぎたら右側に立雲峡に入る道順の立て看板があります。ゆっくり進んで下さい(笑)、入り口が狭いです。
始めは山道、しばらく進むとアスファルト道路になり道なりに上がったら立雲峡に上がる駐車場です。
駐車スペースは50台まで。ここにトイレ、飲料用自販機あります。
石段を上がって手前から第4、3、2と続き頂上付近が第1展望台です。
竹田城を真横から見るなら第3、少し上から俯瞰して城を見たいなら第1か第2展望台ですね。この日はバードウォッチングの方がいらっしゃり雲海見るなら真横から見る第3展望台が好きですとおっしゃってました(笑)。
11月初から末までが雲海の見れる時期だそうです。
雨上がりに気温差があれば町中がすっぽりと雲海に隠れた竹田城の写真をたくさん見れますと先ほどのカメラマンから貴重な写真をたくさん見せていただきました。
今度は晩秋に狙って行きたいですね。

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年05月21日]
(続)山名氏と赤松氏の抗争から播磨地方の侵攻を目論む山名宗全がこの地に目を付け築城。当時も雲海が現れることを知って築城したのなら彼はかなりロマンチストな人物なのかもと思います。
赤松氏、山名氏も抗争で疲弊混乱し没落し、その後羽柴秀吉が生野銀山や山陰道と山陽道の衢地になるこの城の拡大に着手した•••。しかしこの城、天守台に上がる階段が何故かないのです。私の想像ですが、竹田城は生野銀山で採掘した銀の貯蔵庫として利用されていたのではないかなと思います。銀を盗み出しの為に本丸までの石垣を登ってくる輩を射落とす多数の石垣群の横矢の設置、天守台に上がる階段が設置されなかったのは、盗み出し防止だと•••、必要な時だけ梯子などを掛けて持ち出したのではと思いましたが•••如何でしょうか?
勿論、戦時にもこの城はかなり有効であり、蔚山城の戦いから九死に一生を得て帰還した加藤清正さんの縄張り築城指示があったのではと思う共通点が見られます。応仁の乱から関ヶ原の戦いまで拡大発展したというのが私の想像ですがどうでしょうか?
以上、登城時に蔚山倭城とかぶって見えた私の想像です(笑)
H28.5.15訪城。

シバヤン大和守交友莫爭様[2016年05月19日]
JR竹田駅より南に行くと写真館がありそこを左折したら竹田まちなか駐車場があります。ここの無料駐車場を借りて登城。途中に情報館天空の城で資料を収集して下さい。駅前にもありますが、館内に竹田城のジオラマや展示品があり頭に叩き込んで行く事をお勧めします。そんだけ見所満載です。
情報館の敷地内に土産物屋もあるので「たけじぃ」グッズもお忘れなく(笑)
今回駅前からシャトルバスで行きました。
山頂にはトイレはないので済まして水分用意して望んで下さい。夏場は熱中症で倒れる方がいるそうです。
入館料500円。バス停からここまで歩いて20分、約800m。
料金所手前の南千畳から続く山側斜面に大堅堀がありますのでお見逃しなく!
入館したら大手口、立派な虎口が現れて先制パンチを食らいます(笑)。素晴らしい石垣に息が止まる場面続きます。上がると北千畳です。ここ一番奥まで行き左を見たら本丸跡、石垣群に感動です。野面積み、算木積みの連続です。どの場所からも驚くような景観に散策時間も膨らむばかりです。
何故ここまで大規模な築城が必要だったのでしょうか?(続)

雪之丞様[2015年11月20日]
竹田城最寄りの竹田駅の近くには、コンビニなどはないようです。お土産屋はあり、お酒は置いてますが肴になるようなものはほとんどありませんでした。電車で飲むのが好きな方はご注意下さい。

ООトマシ様[2015年11月07日]
11月3日 14時30分頃 竹田まちなか観光駐車場に到着。歩いて登城される場合はここでトイレを済ませ、飲み物も買うことをお勧めします。
ここはバス停ですが、降車のみですので、シャトルバスを利用する場合は駅まで行く必要があります。
駅裏登山道から登る場合は、駐車場から城に向かってまっすぐ歩き、線路沿いに駅と反対方向に少し行くとある踏切を渡って再度駅方向へ向かう必要があります。
縄張りも大きく、時間も遅かったせいか、比較的ゆとりをもって見て回れました。
帰りは表米神社側へ下りたのですが、もう少しというところで、若い外国人の女性が「シタ、カギカカッテマス〰。キツイ。」と言いながら登り返して来ました。まだ17時頃だったのでナゼ?と思いながら、信じないのも悪いので、登り返してシャトルバスで下りました。勘違いならいいのですが、早くに閉めてあったのなら、その表示がほしいものです。

伊予守しずぽん様[2015年11月04日]
天空の城(雲海に浮かぶ城)の写真を撮りに、立雲峡に来たが、時すでに遅く、霧は晴れてしまってました〜(^_^;)あと1時間早く来たら、今日はベストだったのに〜、残念ー❗️

城井宇都宮智房様[2015年04月22日]
開門は7時20分です…

はるるん様[2014年10月12日]
10月12日は終日、全面入山禁止です(地元の秋祭り開催の為)。

しかし このことを知らずに訪れてしまった人の為におわび文章と記念絵はがき、観光パンフレットが用意されているようです。

9月からは、午後6時〜午前4時の入山が禁止


終日入山禁止は、10月12日と12月11日〜来年3月19日となっています。

本日因州牛勘解由次官しんちゃん様[2014年10月03日]
10/12(日)は地元の秋祭りのため、竹田城・立雲峡ともに入山禁止になるとのことです。
ご注意を…

天地夢之助様[2014年09月17日]
竹田城行って ほんま良かった!まだ登城が無料の時なんで 現在は規制も有り 駐車場も週末近くになると たぶん?混んでると思います それと 角川映画の天と地で竹田城は春日山城として使われ 撮影期間だけ 立派な お城があったんですよ!天と地を見ていただけば わかります❗

ひさの尾張守様[2013年10月15日]
私は10月13日にツアーで行きました。午前10時でしたがすでに一般車駐車場は満車で麓周辺は路駐一杯、周辺道路は渋滞の始末。私はツアーでしたので助かりましたが、城跡は混雑しており、人が入らない城跡写真の撮影は到底不可能でした。次の観光地は出石城下町の散策です。

晴生様[2013年05月23日]
私は平日の昼間に城に行きましたが、かなり見学の方が多かったです。
山頂にはハチが結構飛んでました。苦手な方ご注意下さい。

婆裟羅褫顕近江守推参様[2013年04月14日]
本日4月14日、バスツアーにて登城しました。
今年の桜は早かった為散っていましたが、
このシーズンだけなのか自分が到着した午前9時頃で一般車両は駐車場に入れず45分待ちの渋滞でした。
(自分はバスのため待つことなく入れました)
帰りの12時頃は更に渋滞は延びていました。

もうすぐ有料化されるようですし気候もよくなるので混雑が予想されますので早い時間帯をオススメします。
また女性の方はくれぐれもヒールではこないように…

伊勢守三下様[2012年10月18日]
車利用の方々は中腹の駐車場を利用すると思いますが、駐車場までの山道は一方通行となっているのでご注意願います。
登りは山城の里?とかいう施設の方向からになります。

ポリタンク大和守様[2012年10月02日]
北千畳の西斜面に登り石垣があります。場所は大手門付近の看板に掲載の縄張図でも確認できますが、道はないので、見学の際は事前調べと十分な装備で臨みましょう。

北方の尾根続きにある観音寺山城に足を運びますと、北側で竪堀と横堀のセットを拝むことがてきます。

荼枳尼天ユータ様[2012年05月13日]
去年、雲海が見たさに高校生3人で行きました。

ただ雲海がみられる時間が朝…という訳で竹田駅の待合室で一晩過ごしました!!
楽しかったぁ♪(^^)/

春風十勝守世遊様[2011年11月13日]
雲海の竹田城を写真に撮りたい方は、かなり早い時間から場所取りが必要です。
目安は日の出の3時間前、この時期なら日の出は6時位なので3時には天守台へ。中腹駐車場で泊まりの人もいるらしい
タクシーで上がる場合はあらかじめ予約を。どんな時間帯でも基本的に竹田駅に常駐タクシーはいないので注意
懐中電灯と防寒着は必須

最後に、水筒にお湯入れて持っていって寒い山頂でコーヒーにして飲む、これオススメです

にっこう様[2011年08月17日]
竹田駅に観光案内所があり、パンフレット、スタンプ等があります。電動式自転車もレンタサイクルしている。また、登山に不要な大きな荷物もここ案内所で預かってくれる(しかも無料!!!)。

左近衛大将M三郎様[2011年07月13日]
播但道を南から北へ車を走らせると、終点近く正面遥か上方に、竹田城は、突然姿を表します。城は、山頂の本丸を中心に北、西、南東に伸びた尾根上に城域を展開します。各尾根は階段状に区画され、各郭は、石垣と虎口で厳重に防御されています。石垣は、周辺で調達された茶褐色の割石が用いられており、荒っぽく古風な印象の野面積ですが、確かな技術力で堅牢に積まれています。尾根と本丸には高低差があり、城が三方に拡がるため、どの尾根から見ても、上へ横へ見事な石垣が展開して雄大さを強調しています。すばらしい城です

tomm加賀守様[2011年01月09日]
100名城スタンプ&パンフレットはJR竹田駅のわだくら観光案内所にありますが、定休日にはスタンプだけは駅にあるそうです。

次回は雲海の竹田城を見に来たいですね〜

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore