鳴岩城(なるいわじょう)
鳴岩城の基本情報
通称・別名
- 額田城、月輪城
所在地
- 京都府福知山市夜久野町額田中岶、鳴岩
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 夜久氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
福知山城(京都府福知山市)[12.9km]
猪崎城(京都府福知山市)[13.0km]
鬼ケ城(京都府福知山市)[13.9km]
糸井陣屋(兵庫県朝来市)[14.1km]
竹田城(兵庫県朝来市)[14.9km]
河守城(京都府福知山市)[15.6km]
石原城(京都府福知山市)[17.2km]
小畑城(京都府綾部市)[18.6km]
出石城(兵庫県豊岡市)[18.6km]
黒井城(兵庫県丹波市)[19.0km]
鳴岩城の口コミ情報
2024年03月31日 tracer_azu
遠阪城[鳴岩城 周辺城郭]
山垣城主の足立氏の支城とされています。丹波と但馬の国境の城で街道へと抜ける脇街道の押さえであったとされています。羽柴秀長の但馬侵攻の際に足立氏はこの付近で切腹したようです(伝)
朝6時から城にある竪堀(推定)と三重堀切目当てで直登開始。城内へは15分ほどで到達できました。コンパクトな城ですが妄想が掻き立てられる城で目の覚める堀切でした。
2023年11月20日 RED副将軍
鳴岩城
但馬と丹波の境目である夜久野を支配した夜久氏一族の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代や築城主は不詳。夜久氏の居城と伝わります。
室町幕府13代将軍の足利義輝の時代である1546年から1565年頃には夜久相模守の居城であったとされます。周辺には夜久氏のものと思われる同規模の城跡が点在しており本城、支城の関係性もはっきりとはしていません。
夜久氏は、桓武平氏の系譜である秩父氏の庶流と云われており、承久の乱の戦功により西遷した関東御家人と思われます。
但馬と丹波の境目に位置する夜久野の在地土豪として勢力を築きました。
南北朝時代には守護職である細川氏の被官として守護代の内藤氏に従い、山名氏と戦っていた様で細川勝元や細川勝家の感状が伝わっています。
その後、細川氏が内紛により弱体化し内藤氏が勢力を拡大すると内藤氏に属し、内藤氏が赤井直正により敗北すると赤井直正に従属しました。
1579年の織田信長の命による明智光秀の丹波攻めにおいては、夜久氏は但馬磯部谷に逃れたされ、波多野氏や赤井氏などの有力国衆は滅亡。
1582年、明智光秀による本能寺の変において織田信長が没すると、出石城の羽柴秀長は山崎の戦いに向けて、播磨・但馬・丹波から京への連絡通路を確保するために高内城の夜久主計頭に協力依頼をした書状が知られます。
1600年の関ケ原の戦いに際しては、福知山城の小野木重勝に従い西軍に付いたため滅亡したとも云われます。
見所
東光寺背後の標高約160mの裏山に築かれており、比高は約90mほどです。
山頂の主郭は高さ約6mの鋭い切岸に北側に虎口が開口し、周囲に帯郭が配されています。
主郭背後の西側は土塁が盛られ、その下は土橋が架かる堀切で遮断されています。
登り始めて最初に見える東側の寶楼閣がある平地は改変を受けているものの出郭であったと思われます。
行き方は東光寺を目標に設定。比高は約90mで裏の墓地から15分ほど登ると辿り着きます。
2020年09月14日 ko+
鳴岩城
下夜久野駅から徒歩5分強、東光寺の西に鳴岩城は位置します。
建物の南から整備された山道を10分弱進むと、宝楼閣と呼ばれる白い塔と秋葉神社の社が建てられた平坦地に。
そして、その平坦地から西へ、鞍部を経由し登ること10分弱、主郭部に到着します。
主郭の南東に小郭と竪堀、主郭の北西に帯郭を配置。
尾根が高所へと続くため、尾根からの侵入を警戒したのか、主郭の西側に土塁、その外側に堀切、更にその先の尾根に堀切を置く。
散策の参考にした京都府中世城館調査報告書記載の縄張図は主郭部だけですが、先人様が書かれているように宝楼閣の置かれた平坦地も、出郭或いは居館として使われていたのかもしれません。
牧川と現在の国道9号線を南に見下ろし、但馬国との国境に築かれた鳴岩城。
お城の規模は小さいものの、綺麗な切岸や土塁等見応えのある遺構が残っています。
2019年06月18日 あきおこ
鳴岩城
主郭北側の切岸と腰曲輪。主郭周辺はコンパクトな縄張りで小規模城郭の様です。主郭から離れた塔のある削平地は改変されているので何とも言えませんが出丸の様です。鳴岩城周辺には同じ様な小規模城郭が複数ある模様
2019年06月17日 あきおこ
鳴岩城
西の土橋と堀切を主郭から見る。塔から長い土橋を渡り竪堀状尾根を登ると数分で主郭に着く。主郭は綺麗に削平され土塁状地形も残る。主郭西の土橋のかかる堀切は埋没している様で鋭さを欠く
2019年06月14日 あきおこ
鳴岩城
主郭に通じる土橋。塔のある削平地と主郭のある山に通じる鞍部にある。片側を削り取り土橋としている。
麓の東光寺で草狩りをしてみえた住職さん(何故か東京消防庁の消防服を着ていた!)に聞いた所、削平地の塔は福知山最古のコンクリ建築だそうです。城の登城路を訪ねたら塔までは行けます!との事。先の主郭は行っては行けない雰囲気だったが・・・。主郭は塔より奥の山頂にありました
2017年06月19日 まるき〜陸中守
鳴岩城
先に寄った福知山城事務所にて学芸員さんに調べていただきました
日本城郭大系にも記載がない城のようで色々とその筋の所に問い合わせをしていただき何とか縄張り図を手に入れました…。
場所は夜久野の月輪山東光寺の敷地内に城の縄張りがあり、寺の若い住職さんに話を聞いてみましたが城の事は全く知らない…との事
アプリには曲輪、土塁、空堀とありましたので縄張り図と照らし合わせて現地を探索してみました。主郭部はかなり破却されているか改変されているようで素人目で見てわかる遺構らしきものはみつけにくいです。
怪しいコンクリートの塔の下には尾根伝いに上がって行く土塁が連なって見応えありました。
いただいた縄張り図が主郭部のみだったのでそれ以上の探索はしていませんが奥にはまだ縄張りが続いてるのかも…
お墓が立ち並ぶ段々は家臣、武家屋敷に最適のような気もしますし…。
そもそもネットや現地でもあまり知られていない鳴岩城がなぜ城めぐりアプリに登録されているのか?ちょっと不思議に思っています。
2015年08月18日 INO【兒】左京大夫
鳴岩城
東光寺の裏山で、同お寺に駐車場あり
2011年10月24日 三河守コーキしゃん
鳴岩城
目印は国道9号を走っていると左手に変な文字が書かれた塔が見えてきますが、その塔が立っている場所が城郭です。土塁や空掘らしき遺構はありますが崩れていて縄張りは把握できませんでした。