福知山城(ふくちやまじょう)

福知山城の基本情報

通称・別名

横山城、臥龍城、八幡城、福智山城、掻上城

所在地

京都府福知山市字内記

旧国名

丹波国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

複合連結式望楼型[3重4階/1699年築/破却]、複合連結式望楼型[3重4階/1985年再/RC造外観復元]

築城主

明智光秀

築城年

天正7年(1579)

主な改修者

有馬豊氏

主な城主

明智氏、朽木氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

曲輪、石垣、井戸、移築番所、門

指定文化財

市史跡(福知山城跡)

再建造物

復元大、小天守、釣鐘門

周辺の城

猪崎城(京都府福知山市)[1.3km]
石原城(京都府福知山市)[4.4km]
鬼ケ城(京都府福知山市)[5.1km]
河守城(京都府福知山市)[10.6km]
綾部城(京都府綾部市)[11.6km]

福知山城の解説文

福知山城(ふくちやまじょう)は、京都府福知山市字内記内記一丁目周辺にある日本の城(平山城)跡。江戸時代には福知山藩の居城であった。

概要
現在のような縄張りは明智光秀がおこなった。畿内を押さえた織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた。豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った。丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした。

現在は、福知山城公園として整備され、天守は三重三階の大天守と二重二階の小天守が1986年(昭和61年)に復元された。福知山市郷土資料館の施設となっている。公園入口には隅櫓風城郭建築様式の福知山市佐藤太清記念美術館がある。

市街地を一望する福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍城の別名を持つ。

東から西に流れる由良川が天然の堀となっており、北側には土師川と合流する標高40mの台地に築かれ展望のよくきく地である。東、北、西は断崖で要害の地でもあった。国道9号走行中やJR福知山線の列車内からうかがえ、夜間はライトアップもされシンボリックである。また多数の桜が城周辺に植林されており、春には満開となる。

中世(室町時代)
小笠原長清の末裔とされる福知山地方の国人塩見頼勝が、八幡山の脇に掻上城を築城したのが始まりと言われている。塩見頼勝は後に姓を横山に改め、さらに城主はその息子である塩見信房へと代替わりし、城名も横山城となる。

中世後期(横山城の戦い)
明智光秀は、織田信長の命をうけ丹波国征討戦を開始、これに敵対したのは赤井直正・波多野秀治連合軍で、塩見信房は赤井・波多野連合軍に加担していた。当初は赤井・波多野連合軍は「赤井の呼び込み軍法」と呼ばれる戦術で明智光秀軍を撃退したが、赤井直正が天正6年(1578年)3月9日に病死、波多野秀治の居城八上城が翌天正7年(1579年)6月1日に落城、赤井直正の居城であった黒井城も同年8月9日に落城した。

これより前に明智光秀は丹波国征討戦に際して金山城を築き、矢島刑部、朽木久兵衛、加上弥右衛門らが城代となっていたが、丹波国の掃討戦が開始された。同年8月20日より四王天政春、林半四郎らが加わり横山城を攻めた。塩見信房とその弟塩見信勝と共同で防戦したが、衆寡敵せず結局自刃して果てた。また山家城の城主和久利明も火を放たれ、攻められて敗れた。猪ノ崎城の城主塩見利勝は自ら火を放ち、落ち延びている途中に林半四郎らに川北周辺で討死した。これを期に福山地方に属していた国人衆は皆、明智光秀に降伏し福知山平定が成った。

明智光秀は丹波国を平定すると、これを福智山城と改名、近世城郭へと大修築し、城代には藤木権兵衛と明智秀満を置いた。
...

福知山城の口コミ情報

まるき〜遠江守様[2017年06月18日]
この城の特徴〜!野面積みの中に転用石が多い!
なぜか天守台南側に多く使われている

理由、この地域の豪族等に武力や地位の優位性を見せつけるため、わざわざ近隣から奪ってきて城の石垣にした…とか
風水的な魔除けであったのでは無いかと…学芸員さんの意見。

天守内は資料館!ガラスケース内の資料は撮影禁止!
なぜか伊達政宗、真田幸村の鎧が展示
これは訪問者に喜んでもらう為〜
座敷には兜の試着コーナーがありまーす。子供は喜ぶかも〜

銅(あかがね)門番所は唯一の建物遺構〜(移築)残念ながら福知山城に残ってる"建物"の遺構はこれだけー!

パッと見た目もかっこいい福知山城
続百名城にも選ばれました、是非!

天守入城 320円
駐車場は無料です。

織田修理大夫晃司様[2017年02月24日]
福知山城東側の駐車場に停めて昇龍橋と呼ばれる太鼓橋を通り登城。

福知山城の遠望は現代チックな昇龍橋や電柱があって私はあまり撮影しようと思わない。

石垣には自然石の他に多くの転用石が使われ、見つけるのも福知山城の散策の楽しみ方です。
大天守と小天守の二層が下層より張り出してるように見えるのは気のせい?

明智光秀築城。だが、光秀の治世はわずか3年。他領主の治世のほうがはるかに長く、天守も松平時代の絵図を元に復元されたが、やはり福知山城は光秀の城である。

虎姫豊前守様[2016年07月17日]
特急はしだてでは、福知山駅到着前、福知山城が見えるところで解説のアナウンスが入ります。お陰で位置関係と距離が分かりました。

ソバッソ店長様[2015年12月20日]
土師(はぜ)川と由良川の合流地点に、明智のみっちゃんが作った城郭っす。

丹波丹後攻略の足掛かりに作ったそうですが、当時はその二本が雨ごとに氾濫する湿地帯やったらしく、そこに城そして街を作る為に河川整備から始めたそうっす。
竹を植えた堤防を長距離に作って水をブロック、そして税金を免除して街に人を集めたらしいっす。ちなみにその堤防地元で明智藪って呼ばれて、遺構としてまだ残ってます。(京都市にも同じ通称の場所あり)

さて明智側の城郭なのに、山崎の戦い後に破却されずに残ったみたいっす。
転用石の有名な石垣の上に昭和61年(やったと思う)に再建した天守が、資料館として乗ってます。
ここの受付のお姉さんがスゲェべっぴんさん‼︎あの方に会う為だけにもっかい行きたいっす!写真アップしてぇ〜!

そしても一人の受付のおっちゃん、「明智に関する資料閲覧可能」との張り紙があるので、拝見したい旨を伝えると快く会議室へ回してくれました。(ちなみに小天守が会議室)
色んな質問にお答えして下さる親切なお方で、福知山城の成り立ちを理解する事が出来ました。

お二方、ありがとー。

ぺんた様[2014年10月16日]
数日前から始まった企画らしいのですが1000名程度限定(用紙がなくなり次第)に天守入り口でアンケート用紙をもらい後で提出することを約束すると天守と隣接の美術館の入場料それとバスが無料で利用することができます。

アンケート用紙は最終福知山駅よこにある交流プラザふくちやま1Fにあるカフェで用紙を提出すると、なんと310円のカップアイスまでもが無料でもらえちゃいます。

なんとも太っ腹な企画を実施中ですのでこの機会に皆さんも是非福知山城に行ってみてはいかがでしょうか。

タダで良いからまずは来てくださいという福知山市の姿勢にグッと来ました。

左近衛大将M三郎様[2011年10月22日]
福知山城は、由良川近くの独立峰に本丸を置く平山城であり、模擬天守や楼門等が再建されています。本丸は、後に拡張を受け幾つかの様式の石垣が混在しますが、南面と天守石垣は、明智光秀の創建当時のもののようです。南面は隅角部が曖昧な穴太積であり、天守石垣には隅角部等に多くの仏塔等の矩形の礎石の転用が見られ、天下統一途上にあって築城に期間を掛けられなかった当時の事情と苦労が垣間見えます。また、天守は南北に細長く、西から大きく複雑に見える平面形であり、攻略目標の山陰を意識したのでしょうか

田中丹波様[2011年07月17日]
福知山城を見ていつも思う事!素晴らしい観光資源だったはずだか、古い町並みは破壊し福知山城も変な手入れをし、せっかくの観光資源も台なしになってしまった。もはや手遅れなのだが残念でならない。ちなみにすぐ近くに猪崎城と言う中世城郭が有ります。そちらは一見の価値有りです。

福知山城の周辺観光情報

御霊神社

市街地の中心に位置する御霊神社は、もとは稲荷社で商売とのかかわりも強く、町の鎮守、庶民の神社として親しまれている。現在は、明智光秀の霊が合祀してあり、光秀ゆかりの神社としてもよく知られている。

詳細はこちら

佐藤太清記念美術館

福知山城の下にある、城の外観をした櫓風建物で福知山市出身で文化勲章を受章した現代日本画家・佐藤太清画伯の見ごたえのある花鳥画を中心に、日本画を展示している。

詳細はこちら

情報提供:福知山市観光振興課
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