鬼ケ城(おにがじょう)
鬼ケ城の基本情報
通称・別名
- 鬼ヶ城
所在地
- 京都府福知山市大江町南山
旧国名
- 丹後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 赤井氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 赤井氏、内藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
猪崎城(京都府福知山市)[3.8km]
小畑城(京都府綾部市)[4.7km]
福知山城(京都府福知山市)[5.1km]
河守城(京都府福知山市)[5.6km]
石原城(京都府福知山市)[5.8km]
鳴岩城(京都府福知山市)[13.9km]
山家城(京都府綾部市)[16.9km]
細見辻城(京都府福知山市)[17.6km]
谷垣城(京都府与謝郡)[18.1km]
黒井城(兵庫県丹波市)[18.4km]
鬼ケ城の解説文
鬼ケ城の口コミ情報
2024年01月16日 RED副将軍
鬼ケ城
大江山鬼退治伝説の地。酒呑童子の家臣である茨木童子が籠っていたとの伝承地👹
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。戦国時代に赤井氏により築かれたとされ、城主に内藤備前、赤井右衛門、内藤尾張守などの名が伝わります。
1575年に織田信長により丹波攻めを命じられた明智光秀は丹波へ侵攻。
黒井城の赤井直正が鬼ヶ城を築いて安芸の吉川元春の援軍を待ったが、吉川元春は羽柴秀吉と戦っており丹波へ来ることはありませんでした。
亀山城の内藤忠行は降伏し従いましたが、一部の家臣は従わず鬼ヶ城に籠もって抵抗したとされます。
1579年に明智光秀は付城を築いて宇津城の次に攻め落としたとされます。
見所
丹波国と丹後国の境界となる標高544m鬼ヶ城山頂に築かれています。
大手には門跡にも見える石積みが残っており、主郭南東部にも石積みが良好に残っています。
主郭背後の切り立った切岸の下部には更に大規模な箱堀で搦手を堅められています。
2023年03月14日 じんしょ
鬼ケ城
車道の途中に登山口がある。麓から歩くのは大変。
2022年10月29日 左近衛中将まりりん
鬼ケ城
室尾谷山観音寺の駐車場に車を止めさせていただき登城しました。整備された登山道を歩いて約1時間 平坦なところも少しはありますが、ほぼ登りっぱなしです。道に迷うことはないと思いますが、沢のようなところを歩いたり、この道?っていう場所も多々あり、時々現れる道標や木にくくってあるピンクのリボンなどを確認したり、時々振り返って景色をながめたりしながら登りました。
虎口や石積み 本廓からの景色など素晴らしいです。
2022年09月12日 tracer_azu
鬼ケ城
鬼ヶ城
標高540m
酒呑童子の家来の茨木童子が籠もっていたと伝承される山です。
黒井城主赤井直正が鬼ヶ城を築いての吉川元春の援軍を待ったが、羽柴軍との戦いで元春は丹波へ来ることはなかったとされています。
虎口が良く残り、虎口までの登城道への細い折れ道やそこへかかる横矢がとても良かったです。
また主郭背後の最北側の竪堀は薄かったですが現地では確認でき、土橋もついてました。
2021年06月10日 ko+
烏ヶ岳城[鬼ケ城 周辺城郭]
鬼ヶ城から約1㎞南東、標高536.5mの烏ヶ岳山頂を中心に郭群を展開、鬼ヶ城に対する明智光秀方の陣城と考えられます。
陣城としてのみの使用だったのか、元々削平等は甘かったと思われ、また無線中継所建設により、遺構の状態は正直あまりよくわかりません。
「郭っぽい?」「土橋ちゃう?」と妄想力をフルに働かせて散策してください。
ただ、鬼ヶ城から烏ヶ岳を望み、そして烏ヶ岳の木々の間から鬼ヶ城を望むと、その近さがよくわかります。
鬼ヶ城に籠ったとされる反・明智光秀勢力の方達がかなり恐怖を感じただろうな、と想像できる近さです。
室尾谷山観音寺(福知山市には観音寺が3寺あるので要注意)からの鬼ヶ城へ向かう登山道の分岐から約1.2㎞、鬼ヶ城との縦走が可能です。
道幅は狭く駐車場はありませんが、無線中継所の整備道を車で登る事も出来ます。
鬼ヶ城攻城の際、ちょこっと烏ヶ岳城にも足を延ばしてみるのはいかがでしょうか?(*´꒳`*)
写真
①② 鬼ヶ城から烏ヶ岳城を望む
③④ 烏ヶ岳城から鬼ヶ城を望む
⑤⑥ 烏ヶ岳山頂西から北へ延びる尾根最高所
⑦ 郭群と思われる尾根、土橋らしき所
⑧尾根上の郭群と思われる平坦地
2020年04月09日 丹後細川潘
鬼ケ城
福知山市側からも登城は可能です。府道55号線庵我小学校前を右折して コンクリート舗装道路をひたすら車で上れば 途中に鬼ヶ城のハイキングコースの看板の先で車を停車して 徒歩で20分もあれば城址に着きます。一度挑戦して下さい。
2020年03月22日 ko+
鬼ケ城
室尾谷山観音寺仁王門西側の駐車場を利用させて頂きます。
仁王門近くに登山口らしきものがありますが、ここではなく、舗装された道を南西に進み観音寺本堂を目指し、本堂前の林道から登っていきます。
本堂の橋手前の小さな引出しには、写真を使って丁寧に説明された「鬼ヶ城登山案内」を用意して下さっています。
標高約540m、傾斜が急な山ですが、案内に従い、整備された登山道を使えば1時間弱で主郭に到達。
途中、砂防堰堤の手前の沢越えに注意し、景色を覚えておいてください。
帰りに迷う可能性があるポイントとなります。
急峻な山の山頂主郭からは、丹波、丹後両国への眺望がきく。
郭一つ一つの面積は広くはなく、また急斜面のため不要とされたのか、自然地形を利用し、竪堀等の遺構はあまり見られない。
山頂に主郭群を、そこから延びる四方向の尾根上に郭群が築かれる。
案内板が多く、トラロープは新しく、登山道はとても歩き易いです。
明智光秀に反抗する勢力が籠城したとも、見張台に利用されたとも言われる鬼ヶ城山頂からの360度パノラマビュー、是非一度ご覧ください。
2018年01月14日 【しばぴー】iggy摂政
鬼ケ城
《登城口》
鬼ケ城『東麓』にある観音寺の本堂前にトイレのある駐車場があるので、そこから「登山道」の標に従います。
トイレはあまり手入れがされていないような気がしました、参考までに…。
鬼ケ城は登山コースとしても有名であり、9割がた登山道も整備され迷うことはないでしょう。
《遺構》
7合目辺りからの城域南端に虎口が現れ、曲輪が広がります。
曲輪を抜けると次は石垣で守りを固めた虎口が待っています。
この虎口がとてもカッコよく、しばらく見とれてしまいました。
主郭部にはわずかに石垣が残っていますが残念ながら風化?が進んでいます。
主郭北側(下る)には段状に曲輪が続き、北端の曲輪東側には石列を含んだ土塁があります。
北端の曲輪をさらに北へ下ると土橋の付いた堀切(小)を確認することができましたが風化が進んでいました。
《参考》
主郭まで登城口から40~50分、主郭からの眺望は抜群です。
急峻なところもありますが、歩きやすい登山道です。
2016年10月06日 右京大夫リョウ
鬼ケ城
観音寺の駐車場に車を止め、城攻めスタート。
駐車場横に登山用の杖が置いてありますが、そこからの登り坂は登山道ではなく、観音寺の奥まで進むと看板が見えてきます。
鬼ケ城跡まで2キロの看板に心が折れかけ、でかいガマガエルの出現に引き返そうかと思い、苔に滑り、もう一息の看板からの急斜面でギブアップしかけました。
主郭付近の石垣を写真に収めようとすると蜂の羽音。
ただ、頂上の景色は最高です。360度パノラマ、福知山の町が一望できました。
直後に雨が降り始めましたが、、、
観音寺で杖を借りていなければ、下山で何度か転んでいたはず。
2015年06月13日 権中納言みきを
鬼ケ城
京都丹後鉄道(旧KTR)公庄駅から徒歩約1時間で観音寺にある登山口に着きます。
そこから山頂にある主郭まで約1時間で到着します。
登山道はわかりやすく道には迷いませんでした。(足元がぬかるんでいるところがあるのでトレッキングシューズ等を履いていくのをオススメします)
山頂からの景色が良く、秋には雲海が見られるみたいです。
石垣は山頂の主郭とそこに繋がる虎口で確認できました。
鬼ケ城の周辺スポット情報
烏ヶ岳城(周辺城郭)
室尾谷山 観音寺(寺社・史跡)
福知山観光案内所・おみやげ処(御城印)
福知山城 おみやげ処(御城印)
登山口(その他)
登山口(その他)
山頂部から北側の尾根に曲輪を配し、北端に堀切を設けて城域を画している。鬼ヶ城跡の特徴は、ずば抜けて比高差が高い点と石垣をもつ点にあり、これらの特徴から、集落に近い城跡とは異なる目的で築かれた城と評価できる。
城主については、『丹後旧後集』には内藤備前とあり、『丹哥府志』には赤井悪右衛門又内藤尾張守とある。『信長公記』には、天正7年(1579)に明智光秀が鬼ヶ城を攻めて近在に放火し、付城を築いたとの記事がある。