河守城(こうもりじょう)
河守城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 京都府福知山市大江町河守大谷城山
旧国名
- 丹後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 新治利照
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 新治氏、上原氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、切岸
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
鬼ケ城(京都府福知山市)[5.6km]
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河守城の解説文
河守城の口コミ情報
2024年06月02日 池田紀伊守信輝
浄仙寺[河守城 寺社・史跡]
天輝山と号す浄土宗寺院で、応永十一年(1404)河守城主新治内蔵佐持忠の開基と伝え、新治氏の菩提寺であったという。
本堂は寺蔵の記録から天保三年(1832)建立と伝え、向拝正面の竜の彫物には「中井権次橘正貞」の刻銘が確認できることからも、このころの建立と考えられる。
平面は正面一間通りを広縁とし、外陣を凹型に展開して、その両脇間の後方に奥行半間の脇陣を、中央間に外陣と背面に張り出す形で内陣を配する。内陣正面の柱は丸柱とし、柱上に斗栱を組んで大虹梁を正側面に架け渡す。
内陣正面の丸柱及び宮殿廻り等を彫刻や絵様で飾る本格的な本堂建築で、宮殿上の二重折天井等に大工の技量の高さが伺える。
2023年11月15日 RED副将軍
河守城
防御は基本的に切岸のみのストロングスタイルの城郭🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。新治系譜によると、南北朝時代に新治利照により築かれたとされます。
1391年の山名氏による丹後侵攻にて峰山の新治郷から逃れてきた新治利照が新たに築いたのが河守城とされます。
その後は七代に渡り約200年間、新治氏の居城となりました。
物部城の上原氏に滅ぼされた後は、城主として上原福寿軒の名が残ります。
明智光秀が細川幽斎 、細川忠興とともに、福知山城から天橋立へ向かう際に立ち寄ったと伝わります。
廃城時期など不明な点が多い謎の城です。
見所
新治氏の菩提寺である浄仙寺の裏山に築かれています。
尾根を進むと突如現れる高く鋭い切岸で城郭は隔離されており、二の丸から主郭と東側帯曲輪の切岸は階段状に連続しています。
堀切、土塁はほとんど無く、主郭部は急峻な切岸のみで防御を固める点は特徴的。高く鋭い切岸こそが最大の防御であると感じられます。
登城路は不明瞭で直登案件です。
2022年12月19日 RED副将軍
二箇村城[河守城 周辺城郭]
小規模な山城ですが、深い堀切と鋭い切岸は秀逸です✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不明。一色氏の居城であったと伝わり、城主の一色修理之亮義正の名が入った石碑と祠が主郭に祀られています。
見所
二箇上集落の北側背後の丘陵上に築かれています。
主郭は二段構造で周囲に腰郭を配し、南東の尾根を大堀切で遮断しているシンプルな構造ですが、堀切の深さと切岸の鋭さはやはり丹後の城だけあって秀逸です。
行き方は、集落から城域北東につながる林道があり車で登ることも、麓の集落を抜けて墓地へ向かう山道を利用して行くこともできます。
私は比高が低いので登りました。
注意⚠️
近くの京丹後市には二箇城という山城もありますが別城なのでご注意下さい。
私も当初は二箇城に行くつもりでGoogleマップで検索して向かっていました。途中で違うことに気づきましたが折角の機会ということで登城した次第です。
また、当日の早朝にすぐ近くの民家で男性がクマに襲われたというニュースを翌日の朝のニュースで知りました。クマの棲息域であることもお忘れ無き様ご注意下さい。
2021年02月09日 ぞのっち大宰大弐
河守城
先達の方々がお書きになられてますように、中腹から山頂にかけて、切岸のような段を二つは越えなければなりません。正面突破は厳しく、崖際を回り込んで、木々に掴まりながらの登城になります。苦労して辿り着いたⅠ郭には、静謐な時間が流れてますよ。
2020年09月02日 ko+
河守城
先人様方が書いて下さっているのとは、別のルートで登城しました。
浄仙寺の南側に縄張図があります。その背後の稲荷神社鳥居東側から入山、三十三霊場巡りの小さな石仏が並ぶ九十九折を登っていきます。
5分程で頂上、稲荷神社が置かれる削平地に辿り着きます。
明瞭な道はここまで。
谷を挟んで向かいの尾根に取りつき、ここからは尾根を進み、最後は直登になりました。
少し話が脇道に逸れます。
尾根を進んだり、直登する場合、城攻めマップの右上から「国土地理院」に、等高線を読むのが難しいのなら「赤色立体図」に切り替えながら主郭を目指します。
そして、直登する場合、下山する事を想像しながら進みます。
下山が難しそうな斜面には取り付かない事、取り付けそうな所が無い場合は登城を諦めるのも一つ。
下山して情報収集をしてから、再チャレンジ。
個人的に、安全に楽しく登城する為に気をつけている事です。
話を戻します。
浄仙寺前の公園駐車場に車を停めさせて頂きました。
公共交通機関利用の場合、大江駅から登山口までは徒歩5分強。
尾根上に自然地形を利用し郭群を展開。
写真は①浄仙寺②九十九折の参道③谷と取り付く尾根④城域近くに聳える尾根 です。
防御の中心となるキリリと高く美しい切岸、必見です。
2016年06月28日 権中納言みきを
河守城
登山口となる浄仙寺から登ると秋葉神社があり、ここまでは階段があります。
秋葉神社からは尾根を進んでいけば城跡に到着です。
ただ、道なき道を進むことになるので迷わないように注意が必要です。
2011年10月24日 三河守コーキしゃん
河守城
登城口は浄仙寺の裏側から上がれます。
段状の郭になっていますがどこまでが当時の物かはっきりしませんでした。
墓地を挟んで反対側の山に新治城があります。
河守城の周辺観光情報
京都丹後鉄道(丹鉄)大江駅前に広がる鬼瓦公園は、全国の鬼を愛する人たちの手で作られた。中でも「屋根付き鬼の回廊」は、全国の鬼師(鬼瓦製作者)の集大成ともいえる鬼瓦が鬼伝説のまちを見守っている。
詳細はこちら
城跡は、平面E字形の尾根上に展開し、周囲は高い切岸で城域を画している。河守城の特徴は、切岸が防御の中心で、堀切を用いない点にある。
城主については、『丹後旧後集』では上原徳寿軒、『丹後州宮津府志』・『一色軍記』には新治内蔵助、『丹哥府志』には新治内蔵介、『新治家系譜』には新治蔵之佐利照とある。