建部山城(たけべやまじょう)

建部山城の基本情報

通称・別名

八田城、田辺城

所在地

京都府舞鶴市下東宮ノ谷他

旧国名

丹後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

一色範光

築城年

建武3年〔北朝〕/延元元年〔南朝〕(1336)

主な改修者

細川氏

主な城主

一色氏、細川氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

中山城(京都府舞鶴市)[1.7km]
田辺城(京都府舞鶴市)[3.2km]
行永城(京都府舞鶴市)[9.3km]
泉源寺城(京都府舞鶴市)[10.6km]
八田城(京都府綾部市)[10.9km]

建部山城の解説文

建部山城(たけべやまじょう)は丹後国加佐郡(現在の京都府舞鶴市下福井)にあった室町時代から戦国時代にあった城。室町時代に栄えた守護大名・一色氏の根拠地。

歴史
南北朝時代の1336年(建武3)に南朝に味方した豪族によって築城されたと伝えられる。観応騒動の時に足利軍によって攻撃され、北朝側の拠点になった。まもなく丹後国の守護として足利氏の側近であった一色範光が入ると、建部山城を居城とした。

その後は代々一色氏の居城としてつづいたが、1579年(天正7)に織田信長の命を受けた細川藤孝が丹後を攻撃、各地で敗れた一色軍は建部山城に篭城するが細川軍の猛攻の前に崩壊する。

『一色軍記』によれば、細川軍に敗れた丹後守護一色義道は、近くの中山城(舞鶴市)に逃亡したが、同城主 中山幸兵衛の裏切りにより自害した。その後、信長より丹後統治を任された細川藤孝は、本拠を良港を抱える宮津城とする一方、加佐郡における拠点として、平地部に田辺城を築城したために、建部山城は廃城となった。

現在の建部山城
一部遺構が残る。建部山自体が標高315メートルと周囲の山よりもやや高く、同時に「田辺富士」「丹後富士」と呼ばれる優美な形をした山であり、加えて山頂から眺める舞鶴湾などの景色が絶景であるため、地元民のハイキングスポットとなっている。また、山頂には旧陸軍舞鶴要塞の砲台跡なども残っており、近代史の探訪も兼ねることができる。なお、現在山の名を訓む際には「たけべさん」が一般的になっている。

建部山城の口コミ情報

中務少輔きたろう三世様[2014年10月28日]
登城路は、山の東側の団地内にあり、山肌を40分程度ジグザグに登ると、山頂に着く。

山頂は、明治に陸軍による築城が行われ、戦国時代の遺構は失われた様子。

現在残っている砲台跡は、日露戦争直前に、ロシア軍の舞鶴制圧からの日本列島分断計画を阻止するために築かれた。建部山堡塁は、付近に上陸し、舞鶴港に進軍しようとするロシア軍を撃滅するためのもので、周辺には、当堡塁以外にも、舞鶴港防御のための要塞が複数残っている。

第二次大戦期には高射砲が設置されたが、すでに本来の役目を終えていたこともあり、戦果は上げられなかった様子。

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