弓木城(ゆみのきじょう)
弓木城の基本情報
通称・別名
- 稲富城、一色城
所在地
- 京都府与謝郡与謝野町弓木城山
旧国名
- 丹後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 稲富氏
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- 稲富氏、一色氏
主な城主
- 稲富氏、一色氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
宮津城(京都府宮津市)[5.6km]
谷垣城(京都府与謝郡)[7.6km]
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下岡城(京都府京丹後市)[16.6km]
伊根城(京都府与謝郡)[17.1km]
亀ヶ城(兵庫県豊岡市)[17.7km]
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河守城(京都府福知山市)[19.2km]
田辺城(京都府舞鶴市)[21.3km]
弓木城の解説文
[引用元:Wikipedia「弓木城」の項目]
弓木城(ゆみのきじょう)は、丹後国(現京都府与謝野町岩滝)にあった日本の城。
概要
鎌倉時代末期に稲富氏が城を築き、代々の当主が居城とした。堅固且つ大規模な山城であり、一時は北丹後国の中心地となった。
戦国時代に、室町幕府四職筆頭格の一色家当主一色義定が細川忠興に攻められ、国内で最も堅牢な城であった弓木城に建部山城から移る。翌年から度々細川氏の攻撃を受けたが、砲術に長けた城主稲富祐直率いる稲富軍鉄砲隊や武勇に優れた一色義定らの活躍により一色軍はこれを撃退し続け、一色義定が細川氏に謀殺されるまで激しい抵抗を続けた。義定の死後、和議で開城したと言われる。
城は山城で、城址には曲輪、空堀、土塁と、石碑が残る。
参考文献
- 『日本城郭大系』11巻(1980年、新人物往来社刊)
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弓木城の口コミ情報
2022年10月30日 ソバッソ80.0
弓木城
信長の野望ファンなら絶対使ったやろう稲富直家の居城。与謝野町最大規模の大城郭、やったらしいけど破壊されて全貌は分からず。
京都府与謝野町にあります。公園&神社&学校化していますので、かなり整備されていて散策しやすいです。土のポコポコがわかりやすく、また切岸、郭、切岸、郭の防御ラインも見やすいので、中世城郭の教科書と言えます。
土塁が数か所に設けられ、広めの堀底兼帯郭に誘導されて迎撃タイプの、わりとコンセプトがわかりやすい縄張りプランです。切岸は圧巻なんですが、、、主郭から南東へ、麓まですこーーーんと竪堀様の地形が切岸&郭を貫いています。コレ、残念なことに、後世に主郭へ祀られたお社から神輿を下ろす折に設けた道だそうです。
※行政に確認済(H28年)
更に北郭群は小学校化する際に大部分整地されたのでほぼないです。でも、大堀切は残っていまして、フェンス越しに覗けます。恐ろしい落ち方でエグれています。
高取城跡の吉野口郭にある20mオーバーの堀切レベル。コレは必見。必見やけど私有地やから、それなりの対応をして下さいね。
良識ある人だけに、この情報が有効活用されますよう。
2018年04月10日 iggy摂政
弓木城
《北曲輪群について》
現在、弓木城は一般的には自然公園化された南曲輪群を指していると思われます。
本来の城域は、道路を挟んで北側に建つ岩滝小学校をも含めた広範囲に及ぶものであり、同地は北曲輪群(跡)とされています。
(なお、南曲輪群の東には出丸が存在していたとのこと。)
北曲輪群は造成で大半が消滅していますが、一部の曲輪と土塁、大堀切を遺しています。
同所は、岩滝小学校もしくは西隣の岩滝あじさい苑からのアクセスとなり、いずれにせよ管理地を通らなければ行けませんので許可を得る必要があります。
ちなみに私は小学校の許可を得て、学校南側の側道を通らせていただきましたが、授業等の兼ね合いを考慮する必要があると思われますので、無理な申し出とならないようにいたしましょう。
2014年12月01日 野呂利左衛門督休三
弓木城
天橋立駅近くの智恩寺に稲富祐直の墓と伝わる宝筐印塔があります。解説板では表題が号の一夢斎、解説文では実名を直家にしています。
京極高知が建てたそうです。
2013年07月29日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
弓木城
駐車場、トイレ完備。駐車場に解説看板有り。整備も良くされている。ただし、夏期は薮蚊が大群で襲撃してくるので、対策必須!!
2012年10月22日 ながしの権兵衛
弓木城
昨日訪問しましたが、四阿すぐ脇の木(クヌギだったかな?)の洞にオオスズメバチが群がっていました。
見学の際にはご注意を
2010年07月19日 まったり丹波守屋
弓木城
スーパーの左手に『一色古城址』の碑があります。しかしここから登ると坂道に落ち葉が沢山落ちているので難儀しますので北側から登ることをお勧めします。