弓木城(ゆみのきじょう)

弓木城の基本情報

通称・別名

稲富城、一色城

所在地

京都府与謝郡与謝野町弓木城山

旧国名

丹後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

稲富氏

築城年

室町時代後期

主な改修者

稲富氏、一色氏

主な城主

稲富氏、一色氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宮津城(京都府宮津市)[5.6km]
谷垣城(京都府与謝郡)[7.6km]
五箇城(京都府京丹後市)[10.4km]
中山城(京都府舞鶴市)[16.4km]
下岡城(京都府京丹後市)[16.6km]
伊根城(京都府与謝郡)[17.1km]
亀ヶ城(兵庫県豊岡市)[17.6km]
建部山城(京都府舞鶴市)[18.2km]
河守城(京都府福知山市)[19.2km]
田辺城(京都府舞鶴市)[21.3km]

弓木城の解説文



弓木城(ゆみのきじょう)は、丹後国(現京都府与謝野町岩滝)にあった日本の城。

概要 

鎌倉時代末期に稲富氏が城を築き、代々の当主が居城とした。堅固且つ大規模な山城であり、一時は北丹後国の中心地となった。

戦国時代に、室町幕府四職筆頭格の一色家当主一色義定が細川忠興に攻められ、国内で最も堅牢な城であった弓木城に建部山城から移る。度々細川氏の攻撃を受けたが、砲術に長けた城主稲富祐直率いる稲富軍鉄砲隊や武勇に優れた一色義定らの活躍により一色軍はこれを撃退し続け、一色義定が細川氏に謀殺されるまで激しい抵抗を続けた。義定の死後、開城したと伝わる。

城は山城で、城址には曲輪、空堀、土塁と、石碑が残る。

参考文献 

  • 『日本城郭大系』11巻(1980年、新人物往来社刊)

弓木城の口コミ情報

2025年05月31日 ᴿᴱᴰ 副将軍
延利城[弓木城  周辺城郭]



広大な城域に大規模な堀切、空堀が多用された詳細不明の山城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

延利城(のぶとしじょう)と読みます

築城年代等の城史は不詳。城主の名に吉田吉助が伝わる程度です。
ただ広大な城域にかなりの土木量が施された山城であり、在地土豪が築ける規模ではないため国守クラスの勢力が築いたものと考えられます。
当地は丹後守護一色氏と若狭守護武田氏の抗争が繰り広げられた地域であり、一色氏家臣団の内部分裂もあった経緯もあります。

見所
延利集落南側の比高約80mの山陵に築かれています。
鋭い切岸加工と堀切、空堀が多用された巨大山城であり、郭もかなりの広さがあり多数の兵が駐留できたと思います。
頂部に主郭を置き、南背後の尾根は三重堀切で遮断され端部は長大な竪堀となり谷へと落ちています。
主郭から北へ伸びる尾根と北東に伸びる尾根にそれぞれ郭が連なります。尾根は堀切で区切られ、側面には竪堀が随所に認められ、北東尾根の南側面には大規模な横堀で堅められています。
西に伸びる尾根も二重堀切により遮断され、特に南側はかなり大規模な竪堀として落ちており、主郭背後の竪堀と合流しています。

かなりの土木量のある山城ですが、未整備でありヤブ化が進んでいます。
また広大な城域であるため半日くらいかかると見ておいて下さい。

2023年10月10日 織田上総介晃司
弓木城

城山公園に広い駐車場があり、トイレもあります。

稲富流砲術の稲富直家が城主。と言っても歴史通か信長の野望をプレイしたことのある方でないと知らないと思うが、彼をモデルにした小説「火の縄」をあの松本清張が執筆しています。

弓木城から丹後半島を北上すると伊根町の舟屋の風景があります。
風情があり気になりましたが、日没サドンデスとなり断念。機会があれば行ってみようと思います。

2023年09月13日 ᴿᴱᴰ 副将軍
弓木城



稲富流砲術で有名な稲富氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。室町時代後期に稲富氏によって築かれたと云われます。
稲富氏は、桓武平氏の系譜である平維衡の庶流とされ、はじめは山田氏を称していましたが、丹後国稲富保の弓木城を居城とすると稲富氏を称しました。
その後、二代当主の稲富直時は足利氏庶流の一色氏が丹後守護として入部するとその家臣となりました。

四代当主の稲富祐直は、稲富流砲術を確立したことで有名です。その砲術は豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、直江兼続、黒田長政などが重用しました。
1578年、織田信長による丹後侵攻において明智光秀と細川藤孝が攻め寄せ、翌年に主君の一色義道は自刃、子の一色義定は弓木城に籠もって織田軍に対抗しました。激しい銃撃戦により織田軍は弓木城を落とすことが出来ず和睦となります。和睦により一色義定は織田信長に従い、細川藤孝の娘を娶り、弓木城を居城として二万石の所領は安堵されました。
1582年、織田信長が本能寺の変で没すると一色義定は明智光秀に付き、羽柴秀吉に付いた細川忠興により謀殺。弓木城も攻め落とされ一色氏は滅亡。しかし、豊臣秀吉は稲富流砲術を活かそうとして稲富祐直を助命、本領安堵、弓木城主への復帰を認めました。その代わりに稲富祐直は仇敵である細川氏の家臣となります。
豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いに向けて緊張が高まると、西軍の石田三成の軍勢が細川ガラシャが居る細川屋敷を囲み人質に取ろうとします。稲富祐直らが護衛を任されていましたが、細川ガラシャは自害。稲富祐直は石田三成の軍勢の中には砲術の弟子達がいたため脱出できたとされます。この事が細川忠興の逆鱗に触れるも、徳川家康は稲富流砲術が絶える事を惜しんだため宥め、徳川家の砲術指南役として迎えたとされ、大阪の陣の際には徳川軍の鉄砲隊として活躍しました。

見所
現在は城山公園として整備されています。
元々は大きく南曲輪群と北曲輪群で構成されていましたが、北曲輪群は岩滝小学校の建設によって遺構はほぼ消滅。一部の堀切が残っていますが私有地の様であり見ることが出来ませんでした。
城山公園が南曲輪群であり、山頂に主郭を配し、北西から南東に伸びた尾根に曲輪を展開。高く鋭い切岸によって固められた城跡です。
主郭南側に竪堀状のものがありますが、後世にできた神輿を上げるための通路であり遺構では無いとのことです。(写真⑧)

岩滝小学校の向かいに城山公園の無料駐車場があります。

2022年10月30日 ソバッソ80.0
弓木城

信長の野望ファンなら絶対使ったやろう稲富直家の居城。与謝野町最大規模の大城郭、やったらしいけど破壊されて全貌は分からず。

京都府与謝野町にあります。公園&神社&学校化していますので、かなり整備されていて散策しやすいです。土のポコポコがわかりやすく、また切岸、郭、切岸、郭の防御ラインも見やすいので、中世城郭の教科書と言えます。

土塁が数か所に設けられ、広めの堀底兼帯郭に誘導されて迎撃タイプの、わりとコンセプトがわかりやすい縄張りプランです。切岸は圧巻なんですが、、、主郭から南東へ、麓まですこーーーんと竪堀様の地形が切岸&郭を貫いています。コレ、残念なことに、後世に主郭へ祀られたお社から神輿を下ろす折に設けた道だそうです。
※行政に確認済(H28年)

更に北郭群は小学校化する際に大部分整地されたのでほぼないです。でも、大堀切は残っていまして、フェンス越しに覗けます。恐ろしい落ち方でエグれています。
高取城跡の吉野口郭にある20mオーバーの堀切レベル。コレは必見。必見やけど私有地やから、それなりの対応をして下さいね。

良識ある人だけに、この情報が有効活用されますよう。

2018年04月10日 iggy摂政
弓木城

《北曲輪群について》
現在、弓木城は一般的には自然公園化された南曲輪群を指していると思われます。
本来の城域は、道路を挟んで北側に建つ岩滝小学校をも含めた広範囲に及ぶものであり、同地は北曲輪群(跡)とされています。
(なお、南曲輪群の東には出丸が存在していたとのこと。)

北曲輪群は造成で大半が消滅していますが、一部の曲輪と土塁、大堀切を遺しています。

同所は、岩滝小学校もしくは西隣の岩滝あじさい苑からのアクセスとなり、いずれにせよ管理地を通らなければ行けませんので許可を得る必要があります。

ちなみに私は小学校の許可を得て、学校南側の側道を通らせていただきましたが、授業等の兼ね合いを考慮する必要があると思われますので、無理な申し出とならないようにいたしましょう。

2014年12月01日 野呂利左衛門督休三
弓木城

天橋立駅近くの智恩寺に稲富祐直の墓と伝わる宝筐印塔があります。解説板では表題が号の一夢斎、解説文では実名を直家にしています。
京極高知が建てたそうです。

2013年07月29日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
弓木城

駐車場、トイレ完備。駐車場に解説看板有り。整備も良くされている。ただし、夏期は薮蚊が大群で襲撃してくるので、対策必須!!


2012年10月22日 ながしの権兵衛
弓木城

昨日訪問しましたが、四阿すぐ脇の木(クヌギだったかな?)の洞にオオスズメバチが群がっていました。
見学の際にはご注意を

2010年07月19日 まったり丹波守
弓木城

スーパーの左手に『一色古城址』の碑があります。しかしここから登ると坂道に落ち葉が沢山落ちているので難儀しますので北側から登ることをお勧めします。

弓木城の周辺スポット情報

 城名石碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 入谷城(周辺城郭)

 明田城(周辺城郭)

 今熊野城(周辺城郭)

 阿弥陀ヶ峰城(周辺城郭)

 延利城(周辺城郭)

 久住別城(周辺城郭)

 高森城(周辺城郭)

 倉梯山城(周辺城郭)

 石田城(周辺城郭)

 小森谷城(周辺城郭)

 弓木南城(周辺城郭)

 弓木北城(周辺城郭)

 岩滝城(周辺城郭)

 岩滝北城(周辺城郭)

 男山城(周辺城郭)

 須津城(周辺城郭)

 聖谷城(周辺城郭)

 大城ヶ鼻城(周辺城郭)

 山田城(周辺城郭)

 トビガタ城(周辺城郭)

 大江口城(周辺城郭)

 石川城(周辺城郭)

 高津城(周辺城郭)

 サイ谷城(周辺城郭)

 割谷城(周辺城郭)

 三重支城(周辺城郭)

 三重大内城(周辺城郭)

 星ノ内南城(周辺城郭)

 三坂谷城(周辺城郭)

 星ノ内城A(周辺城郭)

 星ノ内城B(周辺城郭)

 星ノ内城C(周辺城郭)

 森本大谷城(周辺城郭)

 森本城(周辺城郭)

 高森支城(周辺城郭)

 木積山城(周辺城郭)

 菊谷城(周辺城郭)

 五十河城(周辺城郭)

 五十河砦(周辺城郭)

 久住城(周辺城郭)

 久住別城支城(周辺城郭)

 中ノ谷城(周辺城郭)

 河辺小谷城(周辺城郭)

 谷内城(周辺城郭)

 谷内北城(鶴賀城)(周辺城郭)

 谷内大谷城(周辺城郭)

 三坂砦(周辺城郭)

 左坂城(周辺城郭)

 幾坂城(周辺城郭)

 周枳城/主基城/北村城(周辺城郭)

 岡ノ宮城(周辺城郭)

 小杉山城(周辺城郭)

 暠野城/河辺城/河辺別城(周辺城郭)

 河辺本城(周辺城郭)

 松田城(周辺城郭)

 玉田寺(寺社・史跡)

 丹後国分寺跡(寺社・史跡)

 天橋立(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 公園駐車場(駐車場)

 城山公園(関連施設)

 登城口(関連施設)

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