五箇城(ごかじょう)
五箇城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 京都府京丹後市峰山町五箇船岡他
旧国名
- 丹後国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 石川小太郎、山岡民部介
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切、切岸
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
下岡城(京都府京丹後市)[9.6km]
弓木城(京都府与謝郡)[10.4km]
亀ヶ城(兵庫県豊岡市)[11.3km]
谷垣城(京都府与謝郡)[11.8km]
久美浜陣屋(京都府京丹後市)[13.0km]
宮津城(京都府宮津市)[15.9km]
山名氏城館(兵庫県豊岡市)[18.4km]
豊岡城(兵庫県豊岡市)[20.0km]
出石城(兵庫県豊岡市)[20.2km]
河守城(京都府福知山市)[23.7km]
五箇城の口コミ情報
2024年11月10日 ショウちゃん
五箇城
丹後地域で最大規模の城館で、保存状況や縄張り構造からも丹後地域を代表する重要な城館です!慶徳寺の中を通って登城します。住職さんから縄張り図を頂いたので迷わず行けました。
2024年07月08日 RED副将軍
城ノ上城[五箇城 周辺城郭]
丹後国守護である一色氏の三大砦のひとつ🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。丹後国守護職である一色氏により築かれたと云われます。
一色氏の三大砦の一つとされ、吉原山城の支城とも考えられています。
1582年に織田信長の命を受けた明智光秀・細川藤孝による丹後侵攻により落城したとされます。
見所
峰山町長岡集落北側背後の独立丘陵上に築かれています。
最高所に主郭を置き、主郭は直径約50mのかなり広い削平地です。鋭い切岸で固められ西側は空堀が巡り、東側は圧巻の巨大堀切で遮断されています。
主郭の北側と西側には数段の広い削平地が連なり、東側も尾根を削平した広大な郭が広がる大規模な山城です。
下城は居城であり、上城は物見と詰め城として機能した様で、両城は長尾城古道で結ばれており地元の保存会が古道を整備されています。
行き方は長岡小学校を目標に設定。西側の裏山が城域となります。南麓の集落内に案内板があり登城路が整備されています。比高は約30mです。
2024年05月04日 生駒讃岐守江現蔵✿
奥吉原城[五箇城 周辺城郭]
奥吉原城は京丹後市峰山町小西集落の南側の標高175mの山に築かれています。歴史詳細は先人の城友さんの口コミを参照下さい。
GW前半の中日の暑い日、いつもの四国直登クラブメンバーと近江の城友さんアテンドで、武蔵の城友さんとのラストの城です。
なんと本日6城目にして初の案内板が有りました。しかも登山道も整備されています。直登コースとゆっくりコースに分かれていますが、直登コースでも全然直登感無いので、迷わず直登コースを進みます。
比高80m、巨大な二重堀切と畝状竪堀群、堀切と竪堀の合わせ技を堪能。主郭からの景色も良く、但馬・丹後遠征のフィナーレを飾るに相応しい城でした。帰りは連続曲輪を通ってゆっくりコースで下山、1時間の楽しい山歩きでした。
この日訪城した城友さん厳選おすすめマイナー城はどれもハイレベルで感動の遺構でした。アテンドありがとうございました。次回はまた初心に戻り、遺構少ないかも?のマイナー城を訪城して調査をしたいと思います。
2023年12月31日 RED副将軍
奥吉原城[五箇城 周辺城郭]
丹後特有の大規模な竪堀が見事な一色氏のマイナー城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代、築城主等の詳細不詳。
城主として丹後守護である一色氏家臣の遠藤佐治右衛門と、最後の城主の小西石見守の名が伝わります。
1582年、織田信長による丹後攻めにおいて細川藤孝の侵攻により落城。その後は廃城となった様です。
見所
小西集落南側の標高175mの山陵に築かれています。
山頂に主郭を置き、南側の尾根筋を巨大な二重堀切で遮断、南側面に畝状竪堀群が配されており、南側一帯が見所のひとつです。
主郭北側の尾根は堀切を挟んで広い段郭が連なります。端部の堀切が直登ルートに繋がっています。
主郭から東へ伸びた長い尾根筋には堀切で区切られた小郭があり、その先の二条の堀切は北側に巨大な竪堀として谷底まで落ちており、もう一つの見所となっています。その先にも堀切と郭が連続して続き、かなり広い城域です。
丹後の山城遺構は往々にしてレベルが高いですが、その中でもトップレベルと存じます。
行き方は、北側麓の小西集落にある禅定寺を目標に設定。駐車場をお借りし、案内板も設置されているので迷うことはありません。
直登コース15分とゆっくりコース30分がありますが、比高は80mくらいしかないので、過去2回の訪城はいずれも直登コースで登りました。
城域は結構広く、東尾根筋までのルートは分かりにくいのでご注意ください。
2023年06月06日 RED副将軍
新治城[五箇城 周辺城郭]
高く鋭い切岸が見事な新治氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
新治城(にんばりじょう)と読みます。
築城年代、築城主等は不詳。新治氏の居城であったとされます。
新治氏は、丹後守護である一色氏の庶流であり、1187年に新治定照が一ノ谷の戦いの戦功として源頼朝から峰山の新治郷を与えられたのが始まりとされます。
文亀年間(1501年〜1504年)には新治蔵人が城主であったと伝わります。
天正年間(1573年〜1592年)には城主は加納下総守であったとされ、1583年に落城したと云われます。
見所
比高約30mの丘陵上に築かれており、大きく東と西の郭群で構成され、それなりの規模があります。
東の郭群は東西に広い主郭と副郭がならび周囲に帯郭を配する縄張りです。かなりの高さと垂直に近い鋭さの切岸が特徴的で、主郭南下の箱堀、主郭から西尾根を遮断する大堀切、北側下の横堀等、見所は多数です。
西の郭群は畝状竪堀が見所ですが、東にくらべヤブっています。ハイクオリティな丹後の山城のひとつとしてオススメです。
行き方は、十方院を目標に設定。背後の裏山が城跡となります。ちょうど住職がいらっしゃったので城跡見学と、奥の空き地に駐車を許可していただきました。
2023年04月22日 tracer_azu
善王寺小谷城[五箇城 周辺城郭]
オフ会前にワームアップのために訪城しました。車は近くの空きスペースにおかせていただきました。3ナンバー車でも停められました。城域まで全く登らずにいけます^ ^コスパもよくサクッと登ってこれだけの遺構が見れたら素晴らしいと思います。ただし近隣の運動公園ですら熊が出没するとの案内ありソロの方は鈴持って登られたほうが良いかもです。
東側は段曲輪、主郭は土塁が巡り北西背後には連続堀切とクランクする土橋が^ ^比高が低い分守りの土木量も高く良かったです!
2023年03月25日 RED副将軍
五箇城
丹後を代表する巨大山城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。かなり大規模な城郭ですがほとんど記録がありません。丹後国御檀家帳には石川小太郎が城主と記されています。天正年間(1573年〜1592年)には山岡民部が城主であり、1582年に細川氏の侵攻により落城したと云われます。
見所
慶徳院の背後に聳える標高約130mの山陵に築かれており比高は約80mほどです。比高はさほどではありませんが、南北に伸びる尾根上に郭が連なり、距離は700mにおよびます。更に分岐する尾根上にも郭が連なり、どこまでが城域か分からないくらい広大です。
鋭い切岸と尾根上は要所を堀切で区切られており、特に北側の主郭周辺は切岸が非常に高く鋭いのが特徴的で見所です。主郭に登るのも苦労します。南側は出城とも言われ、東西に二重堀切、南尾根に横堀状の空堀、北には連続竪堀と強固な守りとなっています。
広過ぎて最初来た時は回りきれずに翌月に再訪しました。こってり回るのならば十分に時間に余裕があった方が良いです。また、分岐する尾根を進んでいると迷いますのでGPSがあった方が良いです。慶徳院の住職にお話しを伺いましたがクマが出るそうなのでご注意下さい。
2023年01月04日 RED副将軍
峰山陣屋[五箇城 周辺城郭]
峰山京極氏十二代の陣屋跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1639年に京極高通により築かれました。京極高通は、朽木宣綱と京極高吉の娘を親に持ち、京極高知の娘を正室にし養子となった人物。つまり京極高知の甥であり婿養子ということです。
1622年、京極高知が没すると遺命により峰山一万石を分知され、将軍徳川秀忠より拝領していた下総と近江の三千石の所領を合わせ峰山藩を立藩し一万三千石の大名となりました。その後、峰山京極氏は十二代続いて明治に至りました。
見所
現在は、大半が耕作地となり消失。一部に石垣が残り陣屋跡の碑が立つのみです。一色氏、細川氏、京極氏の居城であった吉原山城の南麓にあります。こちらは中世の見事な縄張りの山城ですので併せての訪城をオススメします。
2022年10月31日 RED副将軍
二箇城[五箇城 周辺城郭]
主郭背後の高土塁と二重堀切が見事なお手軽城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
珍しく昨日行った山城の撮って出しです。
某相互フォロー頂いている方から情報を頂き、夕方まで時間が空いたのでサクッと丹後まで行って来ました。高速片道2時間でもコンビニ感覚で行くのは少々距離感がバグってるのかもしれません。
パンや裸エプロンで魚を捌く動画や魚のハラワタに付いたアニサキスの画像等の地上波なら深夜帯でギリギリのステキな投稿をあげておられるパン狂、魚狂のフォロワーさまですが、山城の知識、情報も確かです。マイナーな割に手軽に登れて素晴らしい遺構でした。
築城年代等の詳細は不明。
近隣の五箇城の出城または支城で石川氏や山岡民部の拠点であったとされます。
見所
丹後特有の鋭い切岸に主郭背後は丹後には珍しい高土塁。更にその背後は二重堀切で遮断されています。
この二重堀切が素晴らしく、クッキリと残存しており麓まで竪堀が落ちています。
他地域なら★5かもしれませんが、この周辺はレベルが高すぎるので★4としました。全部★5になってしまいます💦
行き方は、苗代集落の西端にある神社を目指して下さい。不安になるくらい細い道ですが神社前に1台くらいの駐車スペースはあります。
尾根筋を戻る感じで進めば数分で辿り着くお手軽城です。
いと美味しでしたー
あと、当日はこの福知山市、京丹後市の山城を思い切り回ってましたが、まさにこの日の早朝に福知山市大江町で男性がクマに襲われて重傷に遭われたニュースを今朝知りました。朝夕はヤバいので注意しましょう⚠️
写真
①〜④二重堀切
⑤⑥主郭背後の高土塁
⑦切岸
⑧登城口
2022年10月29日 ソバッソ80.0
城ノ上城[五箇城 周辺城郭]
【城ノ上城跡(長尾城)】10メーターオーバーの主郭切岸は圧巻。登って一分で遺構に出逢える京丹後市クオリティの素晴らしい城跡。
京丹後市峰山町
京丹後市立長岡小学校を目標に設定
安隠寺側に旧大手?古道と書いた案内板があります。
まぁ安定の切岸ですよ。
京丹後市といえば切岸がスゴいわけです。
そしてココはしっかり竪堀が残ってくれているので、防御プランが比較的読み取りやすい城郭になっています。
あとね、京都中世城館跡調査報告書には、城ノ上城跡と記載あったので、それに倣ってタイトルは合わせましたが、地元案内板には長尾城跡。
しかも長尾城跡主郭看板には「下城」の表記。
なんとも安定感のない、、、
登り含めて散策時間45分。
朝マックの気分でライトに攻めても、美味しいからお腹満足、僕が大好きな低山やけどハイクオリティ城跡。
Ⅴ郭の居住区的な郭群は、竹藪がそれなりなので散策せずスルーしました。マジメな巡らーさんは情報更新下さい。時間かけたらフツーに歩けたと思います。面倒くさかっただけです。
多分、こっちが「長尾城、上城」なんやないかな。
朝マックのが美味いと思うの僕だけやろか
2022年10月27日 ソバッソ80.0
新治城[五箇城 周辺城郭]
【新治城跡(にんばり)】切岸&切岸with広い堀底帯郭。the京丹後市クオリティ城郭。
京丹後市峰山新治地区にあります。十方院を目印に設定。地元の方にお伺いをたてて、同院北側に広がるグラウンドに駐車させて頂きました。
道はついてなかったけど、すぐ城山に取り付き可能です。
登り3分程度で、そこはもう京丹後市クオリティの城域に入ります。西城と東城(そう呼んでおきます)に分かれているような格好で、東城に取り付く形になりました。
まぁ圧巻の切岸です。上からしこたま迎撃できるよねスタイルの見事な高低差。そして土塁はない、この辺りの特徴的な縄張りプランに感じます。
西城までは、林道に出たらソレ伝いにイケるらしいですが、地元のオッチャンいわく「ガサガサせなアカンと思うで」とのこと。つまり藪漕ぎです。
ウネタテ的なモノは縄張り図に表記ありましたが、めんどくささが上回って未踏です。
マジメなどなたか、ぜひ散策してみて下さい。
2022年10月26日 ソバッソ80.0
二箇城[五箇城 周辺城郭]
丹後半島に珍しい高土塁完備の二重堀切とのコラボが素晴らしい城郭。
峰山町二箇にあります。苗代公民館を目標に設定。名前のわからん神社の鳥居付近から逸れれば、麓から一分で到着します。コスパめちゃくちゃ優秀。京丹後市クオリティ。
高台についた居館の背後を、土塁と二重堀切で固めて堀切は竪堀になって落ちて行きますパターン。主郭よりも堀切のある背後のが高い。あと、街道(集落)側は、京丹後市によく見られる急峻な切岸地形なんで、土塁は設けられていない。コレはこの地域に共通してるね。
2021年04月24日 権中納言みきを
城ノ上城[五箇城 周辺城郭]
城ノ上城は京丹後市峰山町長岡にあります。
長岡公民館近くに登口の案内板がありますので、それに沿って歩いて行くと簡単に城域に入れます。
高低差のある切岸や堀切、主郭には井戸跡のようなものもあり、見所がある城跡でした。
偶然たけのこを堀りに来ていた地元の方から話を聞くと、最近地域で城跡保存会を立ち上げられたそうで、これからも整備を続けていきたいと仰ってました。
ちなみに案内板には長尾城とありますが、京都府中世城館跡調査報告書によると、この城跡は城ノ上城と記載されておりましたので、そちらで投稿させてもらいました。
2016年05月15日 まるき〜陸中守
峰山陣屋[五箇城 周辺城郭]
京都府綾部町府道17号線から少し入った所の権現山保存地域内に陣屋があるが駐車場は無いです。また、この先に車で進むためには役所に連絡が必要で城攻めは困難を要します。取り敢えず役所に電話で一時的に車を停める許可をもらい城探索。限られた時間なので城趾碑(峰山城)のある近辺のみの探索で竪堀、土橋、郭を確認。手前畑のおじさんに色々話を聞いて探索終了。近隣には武家の子孫が住んでおられるそうです。