豊岡城(とよおかじょう)
豊岡城の基本情報
通称・別名
- 亀城、木崎城、城崎城
所在地
- 兵庫県豊岡市京町(神武山公園)
旧国名
- 但馬国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 山名持豊
築城年
- 室町時代
主な改修者
- 宮部継潤
主な城主
- 山名氏、宮部氏、木下氏、尾藤氏、福原氏、杉原氏、京極氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
山名氏城館(兵庫県豊岡市)[7.5km]
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豊岡城の解説文
[引用元:Wikipedia「豊岡城」の項目]豊岡城(とよおかじょう)は、兵庫県豊岡市にあった城。別名・亀城。
【沿革】
但馬国守護大名山名持豊(宗全)により、此隅山城の出城として、標高48mの神武山に木崎城(城崎城)が建築された。山名氏のもとでは、山名四天王の垣屋氏が配された。
1580年(天正8)の羽柴秀吉による第二次但馬征伐で但馬国山名氏が滅ぶと、宮部継潤の支配となった。宮部氏は、城崎を豊岡と改め、豊岡城を改築した。このとき、城下町も整備され、豊岡の町の基礎となった。
江戸時代に入ると、豊岡藩として杉原氏が城主となっていたが、三代・重玄に嫡子なく、無子改易となったため、豊岡城は廃城となった。後に京極氏が入封し、再度豊岡藩が置かれるが、神武山の麓に陣屋が建築されている。
現在、豊岡城跡一帯は神武山公園として整備されている。[続きを見る]
豊岡城の口コミ情報
2016年09月14日 柳生兵庫助如雲斎
豊岡城
城自体は1653年に破却されており遺構は見られませんが、本丸跡からは豊岡市街が一望出来ます。