朝倉城(あさくらじょう)

朝倉城の基本情報

通称・別名

所在地

兵庫県養父市八鹿町朝倉大平山

旧国名

但馬国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

朝倉信高

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

朝倉氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、井戸跡、石垣、堀切、竪堀

指定文化財

市史跡

再建造物

碑、説明板

周辺の城

八木城(兵庫県養父市)[4.4km]
楽々前城(兵庫県豊岡市)[7.3km]
糸井陣屋(兵庫県朝来市)[8.1km]
白岩城(兵庫県養父市)[11.4km]
竹田城(兵庫県朝来市)[11.7km]
出石城(兵庫県豊岡市)[13.0km]
山名氏城館(兵庫県豊岡市)[14.9km]
村岡陣屋(兵庫県美方郡)[17.3km]
豊岡城(兵庫県豊岡市)[17.6km]
鳴岩城(京都府福知山市)[22.2km]

朝倉城の解説文



朝倉城(あさくらじょう)は、兵庫県養父市八鹿町にあった日本の城。1968年(昭和43年)7月31日付で養父市指定史跡[1]

概要 

標高152メートルの丘陵上にある山城である。

但馬国朝倉は後に戦国大名として越前国を治めた朝倉氏の発祥の地である。平安時代末期に地名を苗字として朝倉氏が興り、朝倉高清を初代とした。朝倉城は鎌倉時代、朝倉信高の築城と伝えられている。

曲輪や土塁、堀切、櫓台などが残る[2]

朝倉城の口コミ情報

2024年10月16日 織田上総介晃司
朝倉比丘尼城[朝倉城  周辺城郭]

駐車場は朝倉城と同じく天満社の駐車場を利用。天満社を南に進むと朝倉比丘尼城の案内板が有ります。

比丘尼(出家女性いわゆる尼のこと)なので姫の居城とされる。もしくは朝倉城の出城ともされる。

2024年10月16日 織田上総介晃司
朝倉城

天満社の前にある公園が駐車場となります。

駐車場から朝倉城の主郭が見えるので集落に入り進んで行くと登城口があります。整備されており、迷うことなくたどり着けると思います。

主郭にある2本の木ですが…過去の投稿写真と比べて見ると…1本は枯れかけてるみたいです。
頑張れ…木。

2023年07月22日 たまちゃん
朝倉城



天満社に駐車して登りました。越前朝倉氏発祥の地とのことですが、小さな城跡です。

2023年06月12日 RED副将軍
朝倉比丘尼城[朝倉城  周辺城郭]



朝倉城の出城とも姫の館とも伝わる城跡🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代等の詳細不詳。朝倉城の支城であり、出城とも姫の館であったとも伝わります。

見所
朝倉城から東へ約500mにある標高110mの丘陵上に築かれています。ピークの東端を主郭として西へ階段状に小規模な郭群が展開され側面に石積みが認められます。しかし夏期の訪城はややヤブ化しており写真は全く映えません。

行き方は、近くの天満社を目標に設定。天満社前の駐車場を利用し、南に行くと登城口の案内板があります。比高は50mくらいで登城路は整備されています。
朝倉城のついでに訪城するのをオススメです。

2023年06月11日 RED副将軍
朝倉城



越前朝倉氏の発祥の城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。1194年頃に朝倉高清により築城。朝倉氏は、諸説ありますが孝徳天皇の皇子である表米親王の後裔であり、647年の異賊退治の功により但馬国養父郡を拝領したのが始まりと称していた様です。

源頼朝の御家人であった朝倉高清は、源平合戦において戦功を挙げ、1194年に源頼家から正式に但馬国を与えられ築城したのが朝倉城です。但馬国領有権のために上述の表米親王の後裔と称したので定かではないとも云われます。

朝倉高清の長男てある朝倉安高は八木荘を与えられ八木氏を興し、次男の朝倉信高が朝倉氏を継承します。朝倉氏は他にも宿南氏、奈佐氏等の多くの庶流を輩出し栄えましたが、承久の乱において朝倉信高は後鳥羽上皇に付いて敗れたため朝倉氏は衰退します。そのため幕府側に付いて勢力を拡大した八木安高の孫にあたる八木高実が朝倉氏の家督を継承しましたが、但馬において八木氏が実質の本流になります。

その後の八木氏は、応仁の乱において但馬守護の山名氏に属し山名四天王の一角として勢力を確立します。しかし戦国時代になると織田信長に滅ぼされました。

一方で、朝倉高清から8代目とも云われる朝倉広景は足利尊氏の家臣である斯波高経に仕え、藤島の戦いにおいて新田義貞の討伐に戦功を挙げ越前黒丸城を与えられます。その後も越前に残った朝倉広景の子である朝倉高景は勢力を拡大。越前朝倉氏は守護代を与えられ戦国大名となりました。その越前朝倉氏も庶流となります。

見所
大徳山から北へ伸びた尾根の標高152mの先端頂部に築かれています。ピークの主郭は中央に櫓台を配し、西から南に低い土塁が巡り、南側には虎口が開口。北東、北西、南に続く尾根は堀切で遮断。特に主郭南下の大堀切が見所であり、尾根筋に二郭、三郭が堀切で区切られ連なり南端は三重堀切となっています。朝倉氏発祥ではありますが、大勢力となったのは庶流の越前朝倉氏や八木氏であり、この頃は在地土豪に過ぎずプリミティブでコンパクトな城跡です。

行き方は、近くの天満社を目標に設定。伐採され整備されているので遠くからでもどの山かは分かります。天満社前の駐車場を利用し歩きました。比高は90mくらいで登城路は整備されています。近くの支城である朝倉比丘尼城も歩いていけます。

2018年12月12日 カーネル
朝倉城

山陰線 八鹿駅から

バスもあるらしいけど・・歩きました
駅から直線で3.8kmですが、ほぼ城まで直線で歩けます

駅から府道169号を南下してT字で左折し、川を渡ったら八鹿病院前を通り府道6号に出る

200mほどの天子交差点で左折して川沿いを歩くと、正面に朝倉城が見えます

国道9号を超えて川を左手に見て歩くと、最初に橋がでるので左折すると、地図があります

地図に書かれた閻魔堂に向かうと、登山口です
主郭まで尾根を登る。山頂へは左から回り込みます。その南西にはでっかい空堀。全体的に、伐採がされていて散策しやすかったです

山頂の2本の木が、これからどんどん大きくなるのが楽しみです

2時間で戻りたかったので、かなり早歩きしたこともあり、往復で100分でした

2017年03月13日 権中納言みきを
朝倉城

車でアクセスするには、まずはGoogleマップに従い、朝倉集落へ。
橋を渡ったところに「朝倉区史跡マップ」があり、朝倉城やその他史跡の場所の詳しい場所がわかります。
朝倉城登山口には駐車場は無いので、朝倉天満宮を目指して下さい。
(朝倉天満宮の場所はGoogleマップで検索可能)
天満宮入口の前に広場があり、駐車可能です。
そこから朝倉城登山口までは徒歩5分くらいです。
また、天満宮の側の道から朝倉比丘尼城にも行くことができます。
登山口からは整備された道があるので迷わず主郭までたどり着くことができます。
主郭には少し土塁みたいなのが残っており、景色も良いです。
主郭から尾根沿いに歩いて行くと数カ所に堀切がありました。

朝倉城の周辺スポット情報

 堀切(遺構・復元物)

 朝倉城登城口(碑・説明板)

 朝倉比丘尼城(周辺城郭)

 朝倉天満宮駐車場(駐車場)

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