村岡陣屋(むらおかじんや)
村岡陣屋の基本情報
通称・別名
- 村岡藩陣屋、御殿山
所在地
- 兵庫県美方郡香美町(御殿山公園)
旧国名
- 但馬国
分類・構造
- 陣屋
天守構造
- なし
築城主
- 山名矩豊
築城年
- 寛永19年(1642)
主な改修者
- -
主な城主
- 山名氏
廃城年
- -
遺構
- 石垣、奥方部屋
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
白岩城(兵庫県養父市)[12.2km]
温泉城(兵庫県美方郡)[12.5km]
楽々前城(兵庫県豊岡市)[13.3km]
八木城(兵庫県養父市)[13.8km]
大野城(兵庫県美方郡)[14.4km]
朝倉城(兵庫県養父市)[17.3km]
轟城(兵庫県豊岡市)[21.1km]
豊岡城(兵庫県豊岡市)[21.5km]
若桜鬼ヶ城(鳥取県八頭郡)[23.6km]
山崎城(鳥取県鳥取市)[23.7km]
村岡陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「村岡陣屋」の項目]
村岡陣屋(むらおかじんや)は、兵庫県美方郡香美町(但馬国七美郡)にあった交代寄合旗本の山名氏の陣屋。
== 概要==慶長6年(1601年)山名豊国(禅高)が但馬国七美郡6千700石を与えられた。 当初は兎束村に陣屋を仮設し、元和元年(1615年)福岡と改称した。その後3代山名矩豊は寛永19年(1642年)陣屋を黒野村に移し村岡と改称した。
8代山名義方は、文化3年(1806年)陣屋を尾白山に移し、中腹に陣屋を築き、大手門、中門、長屋、鎮守社,煙硝蔵、練兵場を設けた。
11代山名義済は慶応4年(1868年)太政官から新田4千300石の加増を認められ、1万1千石で村岡藩を立藩し、12代山名義路の代に廃藩となった。
== 遺構 ==陣屋跡は、昭和33年(1958年)から同57年(1982年)までの間兵庫県立村岡高等学校として利用されたが、現在は移転して、御殿山公園として整備されている。
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村岡陣屋の口コミ情報
2025年09月18日 曲輪中務大輔削平
村岡陣屋
山名イベでやって来ました。
下の駐車場に車を停めて模擬門や模擬塀のある駐車場に歩いて登りました。
御殿山公園は平成3年に山名氏の七美郡入部350周年を記念して整備されました。奥方部屋の移築や城下町の模擬門設置が平成2年とあり、当時の熱気が感じられます。
それ以前は昭和57年まで村岡高校がありました。現在の地形は昭和30〜40年代に高校の校舎建築に伴って開発された名残です。駐車場のところに校舎が建っていました。また、グラウンドは現在ゲートボール場になっています。
高校が建設される以前は昭和22年の航空写真を見るに、一帯が段々畑の農地だったようです。ただ現地看板に跡地の一部は御殿山公園になっておりましたとあるので、細かい事は良く分かりません(忠魂碑や御廟のある辺りか?)。
さて、駐車場から一段降りると忠魂碑があり、その下に閉鎖された旧村岡藩資料館があります。
こちらが馬場(練兵場)跡。
さらに一段降りた一番下の広場が陣屋跡です。昭和43年高校の体育館を建設する際に遺構は破壊されたそうです。高校の移転は昭和57年……う~ん、残念としか言葉がない。
北側一段上がったところに復元修理された奥方部屋があります。
帰路は陣屋跡の南側から旧大手道跡らしき所を通って行きました。石垣は農地だった頃のもののように見えましたが、わずかに雰囲気はありました。
このあと、道の駅の観光案内所でもらったパンフレットで検討し、藩主の御廟を見て回りました。
①稲荷神社。縄張図では最上部に位置してます。
②馬場(練兵場)跡。桜山御廟側から旧村岡藩資料館方向。
③陣屋跡から旧村岡藩資料館方向。
④北側から陣屋跡。
⑤奥方部屋
⑥陣屋表門付近。石段でなくスロープ。農地跡の名残か?。
⑦登城路跡。石積は農地跡の名残?、よく分からず。
⑧広小路跡。陣屋への登城路入口ですが、なぜか床屋が道を塞いでいます。
2025.8.13
2025年09月15日 一日天下
村岡陣屋
車だと、9号線から1〜2分程度で、駐車場に到着。
2025年08月24日 ばらく~だ
村岡陣屋
城下町、法雲寺さんの中にある「山名蔵」の見学には予約が必要なようです。村岡交差点の角にある資料館「まほろば」(旧郡役所)は、周辺の古墳からの出土品が展示されていますが、小規模ながらレベル高めです。一番メインの「金銅装頭椎大刀」は現在島根に出張中で見れず…残念、機会があれば是非見てみたいです。
2025年08月23日 シゲ越後守豊右衛門
村岡陣屋
陣屋こそありませんが、その広さに陣屋の規模が感じられます クルマで登って、リア攻めできますが、国道9号から上がる御殿山公園の入り口が狭いし、登る道も狭いので、初めての方は戸惑うかもしれませんが、理髪店の前を通り、登り切ってください
2024年11月13日 ᴿᴱᴰ 副将軍
村岡陣屋
但馬山名氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1642年に山名矩豊により築造。
山名矩豊は鳥取城主であった山名豊国の孫にあたります。
豊臣秀吉の御伽衆であった山名豊国は、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、1601年にその戦功で但馬国の一部6,700石を拝領しました。
本拠地は備前国福岡に置き代官を派遣していましたが、三代当主の山名矩豊が本拠地を移しこの地を村岡と改称しました。
1806年、八代当主の山名義方は現在の尾白山の中腹に陣屋を移し、山名氏は交代寄合の旗本として代々続き、十一代当主の山名義済は四千三百石の加増により村岡藩を立藩し大名に列しましたが、1871年の十二代当主の山名義路の代に廃藩置県を迎えました。
見所
現在は御殿山公園として整備されており、陣屋跡の中腹まで車で登ることができ、駐車場もあります。
しかし公園化により遺構は消失し、郭を思わせる削平地が西に向かって連なる程度です。
コンクリート造の塀や門などの構造物が後世に建造されています。
西側の麓近くに「奥方部屋」と呼ばれる山名義済の奥方の御殿が復元されています。1863年の武家諸法度の「妻子の帰国は勝手とする」のお触れにより、江戸住まいの山名義済の奥方が帰国するために陣屋に増築されたものです。
2024年08月27日 シゲ越後守豊右衛門
村岡陣屋
陣屋は、ありませんが、その敷地から広さは感じられます。車で上がれます
2024年06月02日 八咫烏紀伊守鉄龍
村岡陣屋
車で上まで上がっていけるけれど、道が細いので少し緊張する。
2024年05月20日 tracer_azu
板仕野城[村岡陣屋 周辺城郭]
一ニ峠の抑えの城として使われていたようです
とにかく美しい曲線美の城で堀底から見上げる段曲輪の切岸が美しく状態良く残っていておすすめのお城です。 墓地の裏より軽めの直登で城につきます
2024年04月25日 tracer_azu
稲葉城[村岡陣屋 周辺城郭]
いなんば城と読みます
日高の神鍋高原エリアの山城はレベルが高くこの日も何城か訪れましたが個人的にここと山田城は見応えありました^ ^
こちらは途中まで林道があり切り通し風の場所まではスムーズに行くことができます。直登もそこまでしんどくなく行けて個人的にはタイパも良かったです。
動画ばかり撮ってしまい💦写真をあまり撮らなかったことを後悔してます、、、手付かずな遺構が残り、薮なくとても綺麗な状態で見れるのでおすすめしたいお城の一城です^ ^(4月現在)
2024年04月22日 tracer_azu
山田城[村岡陣屋 周辺城郭]
奥神鍋スキー場リフト乗場から少し奥まった場所にあります、スキーシーズンは外して行かれる方が良さそうです。秘境&切り立った尾根に築かれた城で遺構がよく残っていました。この神鍋高原エリアにあるお城どの城も今のところ見どころ満載で名城が多いですがこちらも登城道などはないのでGPSは必ず持って行かれた方が良いです。垣屋氏一族関連の城と思われます。
2022年07月30日
村岡陣屋
国道9号線の出入口から、車一台分のコンクリートで固められた登城ルートが延びています。
ヘアピンカーブを折り返して登って行くと、復元土塀と車で通れる復元門があり、その先に駐車場と公園があります。
公園のさらに上にはゲートボール場があり、車で登って行けます。
公園には村岡陣屋の歴史を記した石碑と説明板があります。
また公園の下には「奥方部屋」の建物と村岡陣屋歴史資料館だった建物がありますが、どちらも閉鎖されて久しい様子でした。
2017年07月07日 中納言みきを
村岡陣屋
村岡商店街には山名氏所縁のお宝が所蔵されている山名蔵がある法雲寺があります。
あまり訪問する人がいないからか、蔵は閉まっていましたが、お寺の方に声をかけると開けてもらえます。
2015年09月12日 ソバッソ80.0
村岡陣屋
麓の散髪屋手前にどーんと駐車スペースがあり、そこから歩いて登ろうかと思ったんですが、何かの工事中のにーちゃんが「車で上まで行けるよ」と教えてくれました。
上に上がると、ちょっとした石垣と説明板と御神木があり、地域の集い場のような感じで整備された公園になっていました。
木が生い茂っていて、残念ながら麓の景色は楽しめませんが、山と空が近いので、遠近の抜けは良かったです。
そこから歩いて斜面を登って散策すると、グラウンド出現。ゲートボールのコースが作ってありました。
「オイオイこんな所までゲートボールしに登って来るご年配の方って、どんだけ足腰強いねん」と考えてたら、足元にタイヤ痕発見。どーやら車で上がれるみたいです。
そのグラウンドの山側に、登山口と書いた場所を見つけたんですが、柵がしてあり入れませんでした。
城郭の遺構としては、現存かわからんけど石垣と土塁があります。
村岡商店街っていう雰囲気のいい所があって、城下町の名残りかなんかかなーと思っていますが、時間無かったんで探索してません。
情報お持ちの方おられましたら、是非下さい。