山崎城(やまさきじょう)
山崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 鳥取県鳥取市国府町山崎
旧国名
- 因幡国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- なし
築城主
- 因幡毛利氏
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- 不明
主な城主
- 山崎毛利氏、私都毛利氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
市場城(鳥取県八頭郡)[4.2km]
妙見山城(鳥取県鳥取市)[8.1km]
太閤ヶ平陣(鳥取県鳥取市)[10.5km]
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鵯尾城(鳥取県鳥取市)[14.2km]
山崎城の解説文
[引用元:Wikipedia「山崎城」の項目]
山崎城(やまさきじょう)は、鳥取県鳥取市国府町山崎にあった日本の城。
歴史
室町時代頃に因幡毛利氏が築城したと言われ、一族の山崎毛利氏が居城した。天文年間に城の立地する大萱(おおかや)郷が但馬と通じる要所であることに目をつけた本家に攻撃され(山崎城の戦い)落城、山崎毛利氏滅亡後は私部本家のものとなった。
遺構
- 扇ノ山系末端の標高242メートル(比高110メートル)の山頂部に位置する。周囲の山が城山より高いため見晴らしはあまり良くなく、城から南西方面にある「吉野村城」[1]をその望楼としていたと考えられている。
- 主郭は縦35メートル、横10メートルで周囲に帯曲輪を配し、一部に簡単な石垣が見られる。
- 主郭南西部の尾根には4つの小さい曲輪が見られるほか、南東部尾根には縦53メートル、横6-8メートル程の細長い曲輪とそれを区切る堀切、主郭部側には三角形状の縦17メートル、横15メートルの曲輪等が存在している。
- 城の東方には通称・家老屋敷と言われる地域があり、長さ60メートル、高さ3メートル程の大土塁や平坦地が存在するが文献等には記載されていないため詳細は不明である。
参考文献
- 鳥取県教育委員会 『鳥取県中世城館分布調査報告書 第1集(因幡編)』2002年
- 財団法人国府町教育文化事業団 編集・発行『山崎城史料調査報告書』2003年
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山崎城の口コミ情報
2024年03月25日 装鉄城大膳大夫乱怒
山崎城
登山口過ぎたダム付近駐車場から登り口へ移動。登山口はかなり酷い藪で覆われていましたが、数分ほどすると整備された道になっていました。大体徒歩10分ほどで到着。入口付近を除けば比較的歩きやすかったです。堀切、曲輪、一部石垣が残っていました。
2021年11月06日 伯耆守眠々丸
最寄りの駐車場[山崎城 駐車場]
登城入り口にも1~2台停めれますが、草が刈ってないと駐車横を通るのに難儀します。こちらに停めるのが無難でしょう。
2018年06月23日 フー甲斐守
山崎城
国道9号を北上し岩美駅を目指すと県道31号と分岐しナビだと行けると表示されますが、県道31号の途中からは「えっここ車で登るの?」て言うような道になります。私は引き返しました。侵入される場合はくれぐれも注意して慎重に判断して下さい。
2018年05月08日
山崎城
ロックフィル形式の殿ダムを車で横断して向岸に渡り、右側に下った最初の左カーブの先に登城口があります。入り口には1~2台分しか駐車できないので、先人がいれば来た道を50mも引き返すと左側(ダム側が)に広い駐車スペースがあります。
さて、コンクリートの登城道を登り2回折り返した先には細長い砂利道が南西方向に続きます。そして、少し下ったかな~と感じたら両側を見渡してください。右(北)側には籔化して明瞭ではないものの2本の連続竪堀が見てとれます。一方の左(南東)側、ここには4本の畝城連続竪堀がはっきりと残っています。更に登城道を行くと「山崎城跡」の看板が並ぶ郭に出ますが、この郭を北に引き返すと斜面には石塁が並んでいます。主郭に歩を進めると、一段高くなった先には両側が落ち込んだ竪堀と、石積みで築かれた土橋。その先の郭の左(南東)側にももう1本竪堀があります。更に進むと、切岸を右に回り込んだ先に広い主郭が待っています。
2013年07月23日 北川幸人
山崎城
県道154号を山崎集落をすぎ、しばらくして左折。殿ダム直前のカーブのたもとに「山崎城址まで465m ←登り口」の看板と雑草に隠れた石碑があります。足元は白くコンクリート舗装されているが、周りの雑草が伸び放題なので、いずれ見えなくなるのでは? 山頂部に石碑と大きな看板があります。県道31号からは城山全体が見えます。