鳥取城(とっとりじょう)

鳥取城の基本情報

通称・別名

久松城、久松山城

所在地

鳥取県鳥取市東町2

旧国名

因幡国

分類・構造

梯郭式平山城、山城

天守構造

独立式望楼型[3重/1573年頃築/改築]、複合式層塔型[2重2階地下1階/1605年改/焼失(落雷)]

築城主

山名氏

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

吉川経家、池田長吉

主な城主

山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、堀、井戸

指定文化財

国史跡(鳥取城跡附太閤ヶ平)

再建造物

門、石碑、説明板

周辺の城

太閤ヶ平陣(鳥取県鳥取市)[1.4km]
丸山城(鳥取県鳥取市)[2.1km]
新山城(鳥取県鳥取市)[3.9km]
妙見山城(鳥取県鳥取市)[5.1km]
布勢天神山城(鳥取県鳥取市)[5.8km]

鳥取城の解説文

鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(旧・因幡国邑美郡)にある山城跡。中世城郭として成立、戦国時代には織田信長の家臣であった羽柴秀吉と毛利軍との戦いの舞台(鳥取城の兵糧攻め)となる。江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、近世城郭に整備された。現在は天守台、復元城門、石垣、堀、井戸等を残す。

歴史・沿革
戦国・安土桃山時代・江戸時代
-山名氏の内紛と毛利氏の侵攻-
戦国時代中頃の天文年間に因幡の守護である山名誠通が久松山の自然地形を利用した山城として築城したとされてきたが、近年の研究では誠通の因幡山名氏と対立する但馬山名氏(山名祐豊)の付城として成立した可能性が支持されている。正式に城主が確認されるのは、元亀年間の武田高信からである。高信は誠通の滅亡後、但馬山名氏の分家として再興された因幡山名氏の家臣であったが、しだいに力をつけ、永禄年間には鳥取城を拠点とした。湯所口の戦い以降、守護家に対して優勢になった高信は天神山城を攻撃し、因幡守護の山名豊数を鹿野城に逃亡させ、名目上の守護・山名豊弘を擁立し、下剋上を果たした。高信はその後も主筋の山名豊国(豊数の弟)としばしば対立し、安芸の毛利氏と誼を通じるようになる。

1573年、高信を討つために山中幸盛ら尼子残党と結んだ山名豊国の攻撃を受け、劣勢の高信は和議を結び城を明け渡すも、まもなく豊国により謀殺される。因幡山名氏の本拠も鳥取城にうつされるが、同年に後巻に進出した吉川元春に攻められ豊国は降伏、市場城主・毛利豊元が城主となる。しかし、1574年再度尼子残党に攻められ降伏、1575年、芸但和睦で毛利の力が鳥取に直接及ぶようになるとその手から逃れるため尼子残党が鳥取城を退き山名豊国が城主に落ち着く。

-秀吉の鳥取城攻略戦-

1580年に織田方秀吉の第一次鳥取城攻めで3か月の籠城戦(この時の籠城費用は全て豊国が負担)の末、和議により降伏し9月豊国が織田信長に臣従した。

が、同月毛利の来訪で再度の降伏、鳥取城は牛尾春重が城将として入った。この時点で豊国は因幡守護であるが鳥取城主ではなくなった。牛尾は織田方の桐山城を攻めたとき深手を負い死亡したとも帰還したとも伝えられる。(近年の研究では重傷を負ったものの、その後も生存していたことが明らかになっている)何人かの城将の入れ替えの末、1581年3月毛利氏重臣吉川経家を城主に迎える。

4月、因幡守護山名豊国は織田へ密使を送るが、市場城主・毛利豊元の家臣達に斬られたことで織田氏への内通が発覚、豊国は秀吉の下へ出奔する。残存する山名旧臣は毛利氏への従属を継続したため、信長の部将で中国地方の攻略を担当していた羽柴秀吉は二度目の鳥取城攻撃をすることとなる。秀吉は播磨・三木城攻め(三木合戦)で行った兵糧攻めをここでも実施した。陰徳太平記によると、秀吉は若狭から商船を因幡へと送り込み米を高値で買い占めさせる一方で、河川や海からの毛利勢の兵糧搬入を阻止した。このとき、城には20日分の兵糧しか用意されておらず、この作戦によりまたたくまに兵糧は尽き飢餓に陥った。何週間か経つと城内の家畜、植物などは食い尽くされ、4か月も経つと餓死者が続出し、人肉を食らう者まで現れた。信長公記にはこう記されている。「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。」、吉川経家はこの凄惨たる状況に、自決と引き換えに開城、自害した。

-豊臣時代から江戸時代へ-
経家や山名旧臣に代わり、浅井氏の旧臣で、秀吉の与力となっていた宮部継潤が城代として鳥取城に入り、織田勢の山陰攻略の拠点とした。その後継潤は豊臣政権に代わった1585年の九州征伐で功績を挙げ、正式に因幡・但馬のうち5万石を与えられ、鳥取城を本拠として城主となった。その後も継潤は、九州平定後五奉行として連署するなど(宮部法印 前田玄以 富田知信 増下長盛 石田三成)秀吉与力として重要な役割を果たし、隠居後は御伽衆として秀吉のそばに仕え、子の宮部長房が所領を受け継ぐが、1600年の関ヶ原の戦いで西軍に所属したため改易。

代わって関ヶ原の戦いの功により近江甲賀郡水口から池田長吉(池田氏)が6万石で入り、彼によって近世城郭に改修された。1617年、池田光政が32万5千石で入府、彼によって城下町の整備が行われた。その後備前岡山藩に入っていた池田氏(長吉とは別系)と所領の交換が行われて池田光仲が入封、そのまま12代続いて明治維新を迎えた。...

鳥取城の口コミ情報

織田大膳大夫晃司様[2017年06月19日]
鳥取城前に縦列駐車風の駐車場があります。

御三階櫓(実質天守)の復元計画があるそうで、復元を心待ちにしています。

鳥取砂丘のラクダにツバをかけられないよう気をつけてください。

時間があれば浦富海岸(岩美町)も行ってみては…

【単騎駆】右衛門督かげちゃん様[2016年09月03日]
大手門が復元工事中で通る事が出来無いです。再来年に完成予定みたいです。

国士無双河内守様[2016年08月10日]
JR鳥取駅からでしたら、循環バス「くる梨(くるり)」の緑コース「仁風閣」で下車。
¥100
100名城スタンプのある仁風閣は入場料¥150です。鳥取城のパンフもここでもらえます。天球丸の巻石垣が有名ですが、是非、久松山の山上ノ丸まで登ってください。先人の方も書き込みされてますが、
山頂からの砂丘と日本海の展望は、絶景です。山上ノ丸までは、約30分程ですが、ちょっと険しいので必ず登山靴か履きなれたスニーカーで登ってください。
私が登った時は、地元登山者が裸足で駆け抜けて行きましたが…

駅前には、温泉もあり日帰り入浴ができます。ホテルモナークが¥1000と少し高めですが、バスタオル等もありおすすめです。
城攻め後の温泉もいいものですよ。

越前守るーみん様[2016年05月01日]
駐車場ですが…
鳥取城前の道路に自家用車駐車スペースが21台分あります。
城内の県立博物館にも21台分の駐車スペースがあります。

両方とも満車であれば、近くの県庁構内と県庁北側駐車場、鳥取市役所に土・日・祝のみ駐車しても良いそうです。

GW初日に行き駐車場が空いてなくて、ちょっと焦ったので書かせてもらいました(*^_^*)

銀英5ロイエンタール左近衛少将様[2016年03月31日]
山頂までの道のりは、最低限履き慣れたスニーカー、又は登山靴をお奨めします、スカート、ヒールの女性は早々に諦め引き返していました、山頂からの景色は絶景!鳥取砂丘を眼下に眺め日本海に目を移すと地球は丸い!を実感できます♪

久松様[2016年01月26日]
鳥取城を攻めた折は、城に向かって右側の山沿いに通る「山の手通り」散策をおすすめします。昔ながらの路地に、鳥取藩に関わる社寺や山陰ならではの飴色や黒に光る釉薬瓦を葺いた民家等が散見し、立川大橋辺りまで楽しめます。所要片道一時間程度。山の手通りに平行、または直交する路地もかなり良いです。

太閤勘解由長官傾奇紋次郎様[2016年01月01日]
現在天球丸腰石垣解体修復工事の為、天球丸展望へは二の丸中央の鳥居横の階段より見学可能。工期:H28.3.11まで

天草和泉守四郎時貞様[2015年10月30日]
鳥取城★★★★
鳥取城では現在、二ノ丸横の天球丸・風呂屋御門付近の石垣を復元中である。現場は足場を組み中型クレーン車にて石垣を吊り、10人程の職人さんで作業を行い石垣の微調整・削る作業を行っている!!
石垣には、あらかじめ番号があり大間かな石垣の加工が施してある。
一連の作業は、城内の天球丸の巻石垣や八幡宮より確認が出来る。

北ノ御門手前鳥取城ガイド詰所★★★
鳥取城、鳥取城附太閤ヶ平、鳥取城攻防戦を巡る、鳥取藩主池田家墓所、鳥取剣豪列伝、鳥取城下巡り絵図等のパンフレットを頂け、鳥取市内~鹿野~倉吉の抜け道や鳥取グルメ、温泉等を教えて頂いた。
余談であるが三朝温泉は良いお湯でまた、女子会でしょうか?温泉街を5人組の浴衣姿にはトキメキました!!

コロ助様[2015年03月12日]
バス停西町から徒歩5分で到着。大手橋は整備工事に伴い通行止めの為、博物館側の宝珠橋から入ります。

100名城スタンプの置いてある仁風閣は、建物も勿論素敵なのですが、カーテンも壁紙もタイルもとても格調高く、おまけにクラシックまで流れていて、とても優雅な気分になれました。るろうに剣心のロケ地にもなったそうです。

登山口から山上ノ丸へは徒歩25分程。本丸石垣が一番よく見えるのが出丸だと思いますが、残念ながら、出丸は落石の恐れがある為、立入禁止です。登山口に「本日の登山者」という掲示板があるだけあって、登っている方は多かったです。

鳥取駅周辺には温泉が湧いていて、銭湯が4つもあります。登城後は銭湯でゆったりがオススメです。

作州牛勘解由次官しんちゃん様[2014年03月25日]
100名城スタンプは城内の仁風閣にありますが、月曜休館です。
その際には鳥取市役所・総合案内で押印することができます。

ポリタンク大和守様[2012年07月22日]
天球丸の巻石垣が復元されています。「城郭における全国唯一の球面石垣」だそうです。
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1336361942196/files/tottorijyoumakiisigaki.pdf

治部少輔蓋と城様[2012年04月17日]
アップした写真は、山上ノ丸から見た雁金城と丸山城です。

左近衛大将M三郎様[2011年10月22日]
鳥取城は、山上に詰城を持つ、山上山下機能分離の城です。山下の城は、最高位の天球丸から三の丸を巡る水堀まで、城域がよく残されています。多くの城が中から外へ順次拡張されているのに対し、この城では石垣の様子から、内側の二の丸等の方が後の整備のように見えます。この部分は、御殿のあった領域で規模も大きく、石垣も精緻で重厚に積まれています。通常、中仕切門経由で登城しますが、城好きには、重厚さを味わえる大手登城路経由をお勧めします。山上の城までは厳しい山道が続きますが石垣造の近世山城です。眺望も楽しめます

徳川内大臣源朝臣康武様[2011年01月26日]
少し離れた鳥取市歴史博物館『やまびこ館』に、鳥取城と城下町の展示コーナーがある。
映像や模型、CG復元された二ノ丸御殿を探索するコーナーなど、解説は充実しているが、歴史資料はあまりない
大人500円、学生以下無料

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