鹿野城(しかのじょう)
鹿野城の基本情報
通称・別名
- 王舎城、志加奴城、鹿奴城
所在地
- 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野1829
旧国名
- 因幡国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- 不明(天守台あり)
築城主
- 志加奴氏(鹿野氏)
築城年
- 不明
主な改修者
- 亀井茲矩
主な城主
- 志加奴氏、山名氏、亀井氏、池田氏
廃城年
- 明治4年(1871)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀、土塁
指定文化財
- 市史跡(鹿野城跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
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鹿野城の解説文
[引用元:Wikipedia「鹿野城」の項目]鹿野城(しかのじょう)は鳥取県鳥取市鹿野町鹿野(旧・因幡国気多郡)にある平山城跡。
【歴史】
〜戦国時代まで〜
城の創建年代は不明だが、因幡の国人領主・志加奴氏(鹿野氏)が居住していたと言われる。
『陰徳太平記』によれば、1544年(天文13年)初夏、因幡に侵攻してきた尼子晴久によって攻撃され、城主の鹿野入道以下300余名が討ち死にしたという。
1563年(永禄6年)には武田高信の攻撃を受けた因幡守護・山名豊数が守護所である布勢天神山城を捨てて鹿野城に退いている。
〜亀井氏の入城〜
1580年(天正8年)羽柴秀吉による第1次鳥取城攻撃の際に織田方の城となり、尼子家の旧臣亀井茲矩が守将となった。茲矩は本能寺の変後に秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍に属して加増され、都合3万8,000石の領主として近世大名となった(鹿野藩)。この過程で、鹿野城は近世城郭へと改築された。
亀井茲矩は朱印船貿易を行っていたため、天守以下の櫓や門に仏教に由来する名称を付けていたと言われる。さらに自らの居城(鹿野城)を王舎城(おうしゃじょう)、城下町を鹿野苑(ろくやおん)、城の背後にそびえる山を鷲峰山(じゅぶせん)、城下を流れる川を抜堤川(ばったいがわ)と名付けている。
1617年(元和3年)、茲矩の嫡子政矩は津和野藩へ転封される。
〜鳥取藩池田氏の治政〜
1617年(元和3年)、池田光政の鳥取入府に伴い、家老・日置忠俊が城主となる。1628年(寛永5年)には鹿野城下の火災によって城の一部が焼ける被害に遭った。このとき、亀井茲矩が朱印船貿易で入手した香木で作らせた「唐木の小座敷」と呼ばれる一室が焼失したという。1640年(寛永17年)〜1662年(寛文2年)にかけては播磨国宍粟騒動で改易された山崎城主・池田輝澄が堪忍料一万石で鹿野城下の光輪寺に居住した(当時の庭が残っている)。その後、1632年(寛永9年)に入部した池田光仲によって代官・佐藤知之が派遣されたが長くは続かず、『鹿野筆縋』によれば1644年(正保元年)2月に城の破却が行われたという。
1868年(明治元年)、鳥取池田家の支藩(新田藩)である東館新田藩3万石の藩庁が鹿奴(鹿野)陣屋に置かれ、同藩は鹿奴藩の名称で呼ばれることになる。しかし鹿奴藩は鳥取藩に付随する形式上の藩という性格が強く、鹿野に鹿奴藩主が来ることも、鳥取藩から独立した政庁が置かれることもなかった。翌1869年(明治2年)には鹿奴藩はみずから廃藩を行って鳥取藩に吸収された。...[続きを見る]
鹿野城の口コミ情報
2020年09月08日 圧切播磨守とらのすけ
鹿野城
21号線から城跡に向かって行く道は、大型車では少し辛い道幅でした。
2018年08月06日 源筑後守@ポンコ2㉕〜
鹿野城
鳥取駅から21号線を道なりに西に走らせ、鹿野に入ってから歯医者さんを左折し、直進して鹿野中学が見え、そこを右折し光輪寺前の路地を通って、鹿野苑の駐車場まで車で約25分でした。
ここの駐車場は5~6台停めれます。
麓に鹿野中学がある二ノ丸、中学グランドがある本丸、各々を囲う水濠があり、本丸裏の山に天守台があります。
麓が近世城郭、山が中世城郭と近世に改修した城郭のようです。
水濠は下部に石垣があり、二ノ丸は横矢掛が入り、幅も広いとこで20mほどありそうです。
二ノ丸の水濠沿を1周して二ノ丸に進み入ると、二ノ丸の東西隅は少し高台の土塁があり、櫓台のようです。
二ノ丸から橋を渡ると本丸虎口の表示があり、草の下に石垣がありました。
鹿野苑に戻り、神社鳥居を潜って階段や石段を上っていきましたが、夏場でも藪漕ぎはないものの革靴で歩くのは少し辛かったです。
途中に西ノ丸、城山神社があり、神社のすぐ上に小さい目で礎石が残る天守台があります。まわり始めてから50分ちょっとでした。
天守台へは、虫対策や水分持参で行かれるほうがいいと思います。静かでよい所でした。
2017年06月20日 内大臣織田晃司
鹿野城
近くに観光者用の無料駐車場がありますがあまり広くないので早い者勝ちチックな駐車場です。
「オランダ櫓」「朝鮮櫓」と変わった名前の櫓があったそうです。
二の丸に鹿野中学校校舎。本丸にグラウンドがあり、薬研堀を赤い欄干の橋で行き来します。
二の丸の鐘を鳴らすと餌を貰えるのを知っているので丸々太った鯉がわんさか集まってきます。