会下城(えげじょう)
会下城の基本情報
通称・別名
- 大坂の城
所在地
- 鳥取県鳥取市気高町会下
旧国名
- 因幡国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 逢坂与十郎
築城年
- 元亀・天正年間(1570〜1592)
主な改修者
- -
主な城主
- 逢坂与十郎
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、土橋
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板(会下城)
周辺の城
-
宮吉城(鳥取県鳥取市)[4.6km]
鹿野城(鳥取県鳥取市)[5.7km]
大崎城(鳥取県鳥取市)[6.8km]
河口城(鳥取県東伯郡)[8.4km]
防己尾城(鳥取県鳥取市)[9.2km]
蓑上城(鳥取県鳥取市)[9.8km]
布勢天神山城(鳥取県鳥取市)[13.2km]
羽衣石城(鳥取県東伯郡)[14.0km]
新山城(鳥取県鳥取市)[15.3km]
鵯尾城(鳥取県鳥取市)[15.5km]
会下城の解説文
会下城の口コミ情報
2025年10月29日 SHIN
会下城
2025.10.25リア攻め。主郭までの比高は約90m、所要時間20分ほどですが攻略難度は高めです。城域南側の登城口(リア攻めマップ参照)の所で獣避けの柵が開閉できます。急な山道ですが、途中何箇所かロープも設置されています。
10分くらい登ると配水池に出ます。昔の郭跡地を利用したのかな、とも思います。ここがゴールかと思いましたが、城マークはさらに北西なので先に進みますが、ここからは道がなくなります。
配水池のすぐ隣に高い場所があったので、まずそこを登りましたがそこは削平されていないただの藪でした。(城マークからまだ離れています)
次にその右側斜面を滑落しないよう慎重に進むと、堀切らしき場所に出ます。その先に上ると主郭部に到達できました。配水池から主郭までは距離にして100m位、高低差は10m程度だと思います。アプリの位置通り、主郭は山陰自動車道(トンネル)の北側です。
主郭部分は到達したところからさらに北西にかけて山頂部が削平されています。しかし低木が多く歩きにくいです。メガネを枝に飛ばされて焦りました。蜘蛛の巣も多く、景観もありません。
攻略日は、まず鹿野城リア攻め後に6kmの距離を歩いてから本城を攻略しています。帰りは浜村駅まで2.5km歩き、駅の足湯に浸かって帰りました。道路の行軍距離が長いのでウォーキング用のスニーカーを履いていたのですが、2回滑りました。ロープがなかったらヤバかったです。山靴かトレッキング用が必要だと思います。
会下城の周辺スポット情報
説明板(碑・説明板)
勝山城(周辺城郭)
養郷城(小丸山城)(周辺城郭)
奥﨑丸尾城(丸尾城)(周辺城郭)
小平田蔵谷城(周辺城郭)
善田すけたい城(周辺城郭)
大平田城(南)(周辺城郭)
大平田城(北東)(周辺城郭)
大平田城(北西)(周辺城郭)
姫路城(周辺城郭)
露谷城(北鼻城)(周辺城郭)
亀後城(周辺城郭)
青谷大平城(周辺城郭)
青谷国屋城(周辺城郭)
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早牛城(周辺城郭)
早牛矢島城(早牛砂子城)(周辺城郭)
山根武田城(周辺城郭)
山根武田城南曲輪群(周辺城郭)
河原高座城(周辺城郭)
篠尾柵(周辺城郭)
絹見千龍寺城(周辺城郭)
鳴滝不動山城(周辺城郭)
青谷上寺地遺跡(寺社・史跡)
駐車スペース(駐車場)
公園駐車場(駐車場)
登城口(その他)










遺構
日本海の海岸線から南へ約2km、逢坂谷の西側に南北に伸びる山の山頂に位置する。文政年間(1818~1831)に作成された『因伯古城跡図志』には、山頂部に四間(約7m)×二間(約4m)の平地、南の尾根に4ヶ所の平地、北の尾根に2ヶ所の帯曲輪が描かれている。尾根筋には曲輪・堀切・土橋の遺構が残る。
山頂からは大手側とされる東の逢坂谷、北の日本海、南は鷲峰山までを一望することができ、交通の要衝を押さえる立地であったことがわかる。
また、城の北東約300mの段丘先端には、南と西を堀で守られた城主の館があったという。
歴史
城主は逢坂谷3千石を領する国人の逢坂与十郎と伝わる。『気高郡史考』によると、元亀年間(1570~1573)のある日、突如敵が海上から現れ鬨の声を上げて城へ押し寄せてきた。与十郎は城を出て防戦するも衆寡敵せず自害しようとしたが、村人に諫止され落ち延びることとなった。
これを見た敵勢は与十郎を取り囲んだが、与十郎が弓術の達人であったために虎口を脱し、青屋(青屋町)に落ち延びたという。
会下城もまもなく落城した。
交通
・JR西日本山陰本線浜村駅から車で約15分参考文献
・『気高郡史考』楢柴竹造、1923年。・『日本城郭大系 第14巻』新人物往来社、1980年。
・会下城跡現地説明板、旧気高町教育委員会。