会下城(えげじょう)

会下城の基本情報

通称・別名

大坂の城

所在地

鳥取県鳥取市気高町会下

旧国名

因幡国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

逢坂与十郎

築城年

元亀・天正年間(1570〜1592)

主な改修者

主な城主

逢坂与十郎

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、土橋

指定文化財

再建造物

説明板(会下城)

周辺の城

富吉城(鳥取県鳥取市)[4.6km]
鹿野城(鳥取県鳥取市)[5.6km]
大崎城(鳥取県鳥取市)[6.9km]
河口城(鳥取県東伯郡)[8.4km]
防己尾城(鳥取県鳥取市)[9.2km]

会下城の解説文

※この城郭は2017年4月6日に名称と位置が変更となりました。

会下城(えげじょう)は鳥取県鳥取市気高町会下にあった城である。

遺構
日本海の海岸線から南へ約2km、逢坂谷の西側に南北に伸びる山の山頂に位置する。

文政年間(1818~1831)に作成された『因伯古城跡図志』には、山頂部に四間(約7m)×二間(約4m)の平地、南の尾根に4ヶ所の平地、北の尾根に2ヶ所の帯曲輪が描かれている(『大系』)。尾根筋には曲輪・堀切・土橋の遺構が残る(『現板』)。

山頂からは大手側とされる東の逢坂谷、北の日本海、南は鷲峰山までを一望することができ、交通の要衝を押さえる立地であったことがわかる。

また、城の北東約300mの段丘先端には、南と西を堀で守られた城主の館があったという(『大系』)。

歴史
城主は逢坂谷3千石を領する国人の逢坂与十郎と伝わる。

『気史』によると、元亀年間(1570~1573)のある日、突如敵が海上から現れ鬨の声を上げて城へ押し寄せてきた。与十郎は城を出て防戦するも衆寡敵せず自害しようとしたが、村人に諫止され落ち延びることとなった。

これを見た敵勢は与十郎を取り囲んだが、与十郎が弓術の達人であったために虎口を脱し、青屋(青屋町)に落ち延びたという。

会下城もまもなく落城した。

交通
JR西日本山陰本線浜村駅から車で約15分

参考文献
『気史』:『気高郡史考』楢柴竹造、1923年。
『大系』:『日本城郭大系 第2巻』新人物往来社、1980年。
『現板』:会下城跡現地説明板、旧気高町教育委員会。

会下城の口コミ情報

伯耆守眠々丸・鬼母衣衆様[2017年04月09日]
道路分岐点に城郭説明板と城跡先を示す案内板がありますが、その先には一切の案内はありません。
案内の先200メートルくらいに「研修ロッヂ緑の郷」が左手にあり、更に100メートル先の三叉路を右折し、下ってすぐの右側の山道を入っていきます。最初は道らしき跡がありますが、すぐに獣道のような踏みあとに変わります。基本的には右側の尾根を辿ることになります。入山後10分くらいで尾根のピークとなり、その辺りの平坦部が主郭と思われます。その先には堀切、更に下ると井戸の跡とか曲輪が残っているそうですが、立木に阻まれて進めませんでした。酷い藪こぎはありませんが、踏み跡が薄いので注意が必要です。

車は案内板の100メートル先の広くなった場所に停めることができます。研修ロッヂにも停められそうですが、登城者に解放しているのかどうかわかりません。

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