大崎城(おおさきじょう)
大崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 鳥取県鳥取市気高町奥沢見
旧国名
- 因幡国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- なし
築城主
- 山名氏?
築城年
- 不明
主な改修者
- 不明
主な城主
- 樋土佐右衛門、田公高清、木下民部大輔
廃城年
- 天正10年(1582)以降
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
富吉城(鳥取県鳥取市)[2.4km]
防己尾城(鳥取県鳥取市)[3.7km]
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会下城(鳥取県鳥取市)[6.9km]
布勢天神山城(鳥取県鳥取市)[7.1km]
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大崎城の解説文
[引用元:Wikipedia「大崎城」の項目]大崎城(おおさきじょう)は、鳥取県鳥取市気高町奥沢見に存在した城郭。
【概要・遺構】
大崎城は標高94m(比高88m)の日本海に突き出た尾根の頂部に位置している。現在は鳥取市になっているが合併前においては気高郡気高町と鳥取市の境に位置し、城の大手は鳥取市、南西部の郭は気高町と分断されていた。(城が築かれた当時においても気多郡と高草郡の境を跨いでいた。)
・現存している遺構は曲輪、土塁、石垣、堀切がある。頂部に存在する主郭は東西35m、南北19mの広さを持ち、主郭から東の大手にかけては階段状に曲輪が連なっている。
・主郭南西方向にも曲輪群が存在し、城域は広範囲に及ぶ。
・このように多くの遺構を良好に保存するが、史跡としての整備はされておらず、周辺の耕作地の放棄もあり、登城道は草木に覆われて登城は困難となっている。
【歴史】
・文献上の初見は天文13年(1544年)までさかのぼる。『陰徳太平記』によれば同年4月の尼子晴久の因幡侵攻の際、大崎城は反尼子の拠点であったというが3万の大軍に恐れをなし、攻略されたという。ただし、この時の城主が誰であるかは不明である。
・『因幡志』によると天正9年(1581年)の羽柴秀吉の鳥取城攻めの際、大崎城には樋土佐右衛門が城主としてこもっていたと言うが、他に傍証となる史料がないため定かではない。
・一方、『陰徳太平記』には鳥取城攻めの際の城主として田公備前守高次が記されている。加えて近隣の気多郡内にある勝山城も高次が、宮吉城は田公高家がこれを管掌しており、大崎城も田公一族が守っていたと考えることもできる。
・鳥取城攻めの際には毛利方の城として泊、勝山城とともに攻撃目標に挙げられていた。同年9月には松井康之の水軍によって城の山下が焼き払われているが、この時は落城までには至らなかった。ただし、同年中には秀吉によって開城させられている。
・天正10年2月14日未明、吉川経家の孝養に報いるとして因幡国へ侵攻した吉川元春は、杉原氏率いる1500の軍勢を大崎城へ差し向けた。当時、大崎城は木下民部大輔ら因幡国人衆800余名が守っていたが、不意を突かれた木下氏ら混成軍は総崩れとなり、460余名が討ち取られ瞬く間に落城した。以降、大崎城に関する記述は見えずまもなく廃城したと考えられている。
【参考文献】
・高橋正弘『因伯の戦国城郭 通史編』自費出版、1986年
・新人物往来社『日本城郭体系 第14巻 鳥取・島根・山口』1980年[続きを見る]
大崎城の口コミ情報
2019年04月11日 内大臣織田晃司
大崎城
国道9号線から小沢見地区の海岸に行くと駐車場とトイレがあります。
案内板どうり進むと鳴き砂のある海岸に出ます(砂の湿度や純度によって鳴かない時もあります)
8曲輪には鳥取コナン空港発着の時刻表がありその時間を目安にすると頭上を通る飛行機を見ることができます。
小沢見地区の有志の方のご尽力で登山道も整備され案内板や説明板も設置されてます。
ありがたい限りです。
2018年11月07日 汗入伯耆守かずん
大崎城
小沢見(こぞみ)地区の海岸に出ると、海に向かって左手に無料駐車場があります。
駐車場から、小沢見地区の北西にある北野天満宮を目指し、境内入口から左手の入江(海岸)に降りてください。
(綺麗な砂浜を摺り足で歩くと、キュキュと鳴り砂を体験できます。)
海岸の中央部から山側の道に入り、右手に進むと登城口があり、整備された七曲り調の道を上り切ったところが8曲輪です。
主郭まで直線的に続く南側の長い土塁の通路を進むと、4曲輪の切岸だけに石積みを見ることができます。石積みの海側は腰曲輪が段状になっており、梯子とロープで九段降りると井戸を見ることができます。
主郭は広く周囲に土塁が良好に残っています。
南西隅の石積みが残る櫓台からは、60km離れた秀峰大山が見え、北西方向には遠く隠岐島が見えることもあるそうです。
大崎城は三方が海に面しており、山陰には少ない海城とも分類できるかも?
山城登城の経験は少ないですが、遺構がきれいに残る城は初めてでした。
2016年06月25日 カーネル
大崎城
山陰本線 宝木駅から
駅を背に北上して国道9号で右(東)へ
トンネルを2つ越え(トンネル内歩道あります)その先のパーキングの先に2本の太い石柱があり左折して集落を進むと車止めがある、藪に覆われた舗装路を進みます。すぐに道が右に曲がるのでそこで左折して尾根に取りつきひたすら登ります
最初は笹に行く手を阻みますが、すぐに最初の曲輪がでて、ここからは少しだけ歩きやすくなます
段丘の曲輪に沿って登り、最後に3mほどの切り岸を登れば本丸。辛かった道中を忘れさせてくれるくらいの土累と虎口が迎えてくれます。反対方向に降りると整備された風の段丘の曲輪・切岸がかっこいいです
荒れ放題で道はありませんが、遺構ははっきりのこっており、傾斜もきつくないのでオススメです
山道まで片道30分。山中に50分くらいいました
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです