防己尾城(つづらおじょう)

防己尾城の基本情報

通称・別名

亀山城、吉岡城

所在地

鳥取県鳥取市福井

旧国名

因幡国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

吉岡定勝

築城年

天正年間(1573〜1592)

主な改修者

主な城主

吉岡氏

廃城年

天正9年(1581)

遺構

曲輪、土塁、竪堀、切岸

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

大崎城(鳥取県鳥取市)[3.7km]
蓑上城(鳥取県鳥取市)[3.7km]
布勢天神山城(鳥取県鳥取市)[4.0km]
宮吉城(鳥取県鳥取市)[4.8km]
新山城(鳥取県鳥取市)[6.2km]
鹿野城(鳥取県鳥取市)[8.3km]
丸山城(鳥取県鳥取市)[8.4km]
鵯尾城(鳥取県鳥取市)[8.9km]
会下城(鳥取県鳥取市)[9.2km]
鳥取城(鳥取県鳥取市)[9.8km]

防己尾城の解説文



防己尾城(つづらおじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市金沢)にあった日本の城(平山城)。

概要 

1579年(天正7年)、因幡国の有力国人・吉岡定勝によって築かれ[1]、1581年(天正9年)の羽柴秀吉による因幡侵攻に伴い落城、廃城となった。なお、防己尾(つづらお)という城名は江戸時代ごろに定着したものであり、天正年間には亀山城、吉岡城と呼ばれた。

歴史 

もともと吉岡氏は六反田の丸山城を本拠としていたが、1573年(天正元年)頃に箕上山城(標高297m)に本拠を移した。しかし箕上山城はあまりに峻険かつ深山だったため、前記1579年(天正7年)に防己尾城を築いて新たな本拠とした。

1581年の羽柴秀吉の鳥取城攻撃に際し、吉岡一族は防己尾城に拠って羽柴秀吉に対抗した。伝承に拠れば、「湖畔の小城一つと見くびった秀吉は3度にわたって手勢を差し向けるが、吉岡は変幻自在の戦法で秀吉の大軍を3度とも撃破した。特に2度目の防己尾城攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの大勝だった。」と伝わるが、そもそも史実の羽柴秀吉は「千成瓢箪の馬印」を使用していないなど、戦闘の経緯を含めて後世の巷談でしかない。

言い伝えによれば、力攻めは不利と悟った秀吉は兵糧攻めに切り替えたため、糧食尽きた吉岡一族は降伏して城を出て、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国に戻って帰農したと伝えられている。

構造 

  • 湖山池に半島状に突き出した高さ38.8メートルの小丘に築城され、それぞれ独立した3つの丘を本丸・二の丸・三の丸とし、その周囲に階段状に数段の削平地=砦が設けられていた。3つの小丘は、堀切、竪堀、切岸で厳重に防御され、小さいながらも攻めるに難い城だったことがうかがえる。
  • 本丸と三の丸に挟まれ湖山池に面した東方平地に、小規模ながら町屋が形成されていたと考えられている。
  • 現在は城地は公園となっているが、土塁、曲輪跡、竪堀跡、切岸が明瞭に残っている。

防己尾城の口コミ情報

2025年11月02日 ふみ
防己尾城



アーチェリー場の横から、登れます。散策路の方は、本丸には、向かいませんでした。そ

2025年09月22日 VTR美濃守シゲ
防己尾城



エリ限30弾山名氏の残像で訪問 駐車場は先達様が書かれた通りです 主郭迄は10分程で、夏は草がかなり有り虫に注意ですね、スプレーして行きましょう 主郭からは湖池が望めます、削平と切岸で作られていて主郭部削平は広いです 写真は主郭に有る石碑

2024年10月17日 織田上総介晃司
防己尾城

湖山池に半島状に突き出た場所にある城で、城域にあるアーチェリー練習場前に駐車場があります。

公園として主郭、三の丸および岬の展望台は改変されてますが、二の丸はほぼ手つかずで、堀切など確認できます。

防己尾城向かいの三津地区には羽柴秀吉が陣を張った三津ヶ崎本陣山城があります。

湖山池では「石がま漁」と呼ばれる変わった漁法があります

湖山池を湖池○と読んでしまうのは私だけでしょうか?

2024年02月24日 ケイタク
防己尾城



天気が悪く少し残念でしたが、鳥取駅からも近く、駐車場から徒歩10分位で添付の写真の所まで着きます。オススメです。

2020年04月30日 因幡守たなひ
防己尾城



割と近くに住んでいるのに、訪れたことがなかったのですが、初めて行ってみました。
山の周りはきれいに整備されている印象でした。しかし一旦山(城内)に入るとほとんど整備されておらず、これはこれで風情があっていい感じでした。城内を散策するとアップダウンが激しくて、なるほど戦国の城だと痛感しました。

2019年01月14日 GAGA関白百万石
防己尾城

防己尾城は1579年に因幡の有力国人、吉岡将監定勝によって築城されました。

また、防己尾という城名は江戸時代ごろに定着したもので、当時は亀山城や吉岡城と呼ばれていたようです。

1581年の因幡攻めで、羽柴秀吉は3度にわたって力攻めを行いましたが、3度とも吉岡将監の変幻自在の戦法に撃破され、力攻めでは落とすことができなかったとのことです。

現在は湖山池公園として整備され、南側には土塁や畝状竪堀群などを確認することができます。

また、東側には腰曲輪を確認することができ、北側には船着き場跡があります。

鳥取にお越しの際は、一度訪れてみられることをオススメします。


2018年11月25日 図書頭かねつら
防己尾城

三方向が湖で非常に攻めにくそう。丘陵も全体に傾斜キツメ。唯一尾根伝いに攻められそうな二の丸の面積が一番広く段々畑状に曲輪(これもけっこう広い)が配置されてより近代的な印象本丸自体は広いものの付属の曲輪が狭い腰曲輪程度でちょっと古めの縄張りの印象。

2015年03月08日 NOB
防己尾城

数十年ぶりに登城しました。周りは公園化していて駐車場、トイレが随所にあります。堀切り跡や郭跡が良好な状能で残っています。ピクニック気分で行ける身近な城跡です。
 
本丸跡より羽柴秀吉の喝え殺しで有名な鳥取城を湖山池ごしに眺めることができました。地元の智将吉岡将監の居城です。

防己尾城の周辺スポット情報

 二ノ丸(遺構・復元物)

 出丸(遺構・復元物)

 土塁と曲輪(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 防己尾城址の碑(碑・説明板)

 防己尾城跡と吉岡将監(碑・説明板)

 つづらお城跡案内図(碑・説明板)

 三津ヶ崎本陣山城(周辺城郭)

 丸山城(周辺城郭)

 伏野城(周辺城郭)

 タダノ尾城(周辺城郭)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 吉岡温泉会館 一ノ湯 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 吉岡温泉会館 一ノ湯(関連施設)

 やすらぎ湯(足湯)(関連施設)

 城跡入口(その他)

 北側登城口(その他)

 南側登城口(その他)

 日ノ丸バス停「つづらを」(その他)

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