河口城(かわぐちじょう)

河口城の基本情報

通称・別名

泊城、泊の要害

所在地

鳥取県東伯郡湯梨浜町泊

旧国名

伯耆国

分類・構造

山城

天守構造

建造されず

築城主

山名氏

築城年

室町時代

主な改修者

不明

主な城主

山名(川口)氏、尼子氏、南条氏

廃城年

慶長5年(1600)以降

遺構

曲輪、土塁、堀切、石垣

指定文化財

町史跡(河口城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

会下城(鳥取県鳥取市)[8.4km]
羽衣石城(鳥取県東伯郡)[9.0km]
堤城(鳥取県東伯郡)[12.0km]
鹿野城(鳥取県鳥取市)[12.7km]
富吉城(鳥取県鳥取市)[12.8km]

河口城の解説文

河口城(かわぐちじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町泊に存在した城。JR山陰本線・泊駅のすぐそばの小山がそれである。

歴史
伯耆国と因幡国の国境に位置する要所で室町時代頃に山名氏が築城した。城には守護家に近い山名一族が入り、城を守っていたが尼子氏の侵入で追放され、城には尼子誠久が入った。天文15年(1546年)には武田国信・南条宗勝らの攻撃で落城、元城主の山名久氏が入城するが尼子氏の攻勢で再び退去を余儀なくされた。永禄5年(1562年)に毛利氏によって解放された後には再び山名久氏が入った。天正7年(1579年)に南条氏が毛利氏より離反すると川口(山名)久氏は毛利方に属し、城は毛利方の拠点となった。そのため、織田氏の攻撃目標となり、天正9年(1581年)9月には松井康之率いる水軍によって城下もろとも焼き払われ、泊浦の警固船65艘も焼かれている。天正12年(1584年)に南条領と確定した後は南条方となり、慶長5年(1600年)の南条氏没落によって廃城となった。

構造
日本海に面した丘陵の頂部(標高80m、比高20m)に位置しており、城の目の前には泊浦(現・泊漁港)が存在し、国境警備だけでなく日本海の水上交通を監視する役割も有していたと推察される。主郭は幅が15m〜26m、横が60mと細長く、南東部に土塁、堀切が存在し、石積遺構も確認される。南東部は崖となっており、自然を利用して防御性を高めている。周辺の曲輪は近世〜現代にかけて畑地として利用されており、改変の痕跡がある。

参考文献
岡村吉彦「中世史料にみる伯耆の城・要害」(『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』鳥取県教育委員会、2004年)
吉田浅雄「伯耆山名一族の城館遺跡」(『山名第四号』山名史料調査会、1998年)

河口城の口コミ情報

カーネル様[2016年06月25日]
山陰本線 泊駅から
駅の目の前の国道9号を右に進み、大きな右カーブを抜けると高架が見えます。これに乗るため高架をくぐり、先の恐竜がいる交差点を左折して坂を登り高架を渡ります

泊小学校を通過して舗装路を登り、T字で右折。小さい登り下りを繰り返して城の案内板です。ここまで40分

草刈りされた山道を下ると休憩小屋があり、その右手に本丸に続く階段があります。本丸は井戸・石垣天守台(かな?)がよく残り良かったです
また、天守台と休憩小屋の間が空堀はかなりの規模です

城までの道は、かなり遠回りです。休憩小屋に戻り、そこの看板にある歩道だとショートカットできそうなので泊駅に行こうとしたら、道が藪で閉ざされており、ひきかえす。もうひとつの西側に抜ける道も、藪で行き止まり

結局来た道を引き返しました。余計な行動時間も含めて往復2時間

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

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