岩倉城(いわくらじょう)

岩倉城の基本情報

通称・別名

小鴨城

所在地

鳥取県倉吉市岩倉

旧国名

伯耆国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

小鴨元兼

築城年

寿永元年(1182)

主な改修者

主な城主

小鴨氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

打吹城(鳥取県倉吉市)[4.8km]
草幾山城(鳥取県倉吉市)[9.5km]
羽衣石城(鳥取県東伯郡)[9.9km]
堤城(鳥取県東伯郡)[10.1km]
槻下豪族館(鳥取県東伯郡)[14.4km]

岩倉城の解説文

岩倉城(いわくらじょう)は、鳥取県倉吉市岩倉にある中世の山城跡。標高247mの岩倉山に所在し、岩倉山城とも記される。

鎌倉時代に小鴨氏により築城され、小鴨氏歴代の居城と伝わる。小鴨氏は少なくとも平安時代末期にまでさかのぼる一族であり、古代は伯耆国衙の在庁官人を務め、「介」を名乗る家柄であった。鎌倉・室町と代々守護代を務め、室町時代には守護・山名氏の下で重用されたが、山名氏衰退と同時に勢力も衰えていった。

大永4年(1524年)、尼子氏の伯耆国侵攻(大永の五月崩れ)により落城。(但し、五月崩れの存在は現在では否定されている)永禄5年(1562年)、毛利氏を頼った小鴨氏は旧領を回復し、南条氏の家臣団に組み込まれた。その前後に南条宗勝の二男・南条元清が家督を継承したとみられる。

しかし天正7年(1579年)小鴨元清は実兄の南条元続らと共に毛利氏を離反し織田氏に帰属。毛利氏は吉川元長を派遣し、圧倒的な軍勢をもって岩倉城に攻撃をしかけたが、南条氏らの協力を得てこれを退けた。しかし、毛利氏の包囲は狭められ、攻撃も一段と激しくなり、天正10年(1582年)9月〜10月にかけて落城した。城主・小鴨元清は南条元続らと京都もしくは播州に逃れたとされる。

天正12年(1584年)頃にかけて所謂京芸和睦により、城を回復したと見られるが、その後の詳細は不明である。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで主家の南条氏が西軍に属し、改易されたことにより廃城となった。

『伯耆民諺記』によると永禄12年(1569年)尼子勝久ら尼子再興軍に、天正8年(1580年)吉川元春に、同10年(1582年)吉川元長に攻められる、激戦地となった。

中村一忠の米子城時代に廃城となり、城下の人たちが米子に移住したところが岩倉町である。

岩倉城の口コミ情報

INO-C-C左近衛少将様[2015年09月16日]
案内看板は、城山の南側「永昌寺」の道路交差点にあります

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore