八橋城(やばせじょう)

八橋城の基本情報

通称・別名

大江城

所在地

鳥取県東伯郡琴浦町八橋

旧国名

伯耆国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

行松正盛

築城年

大永4年(1524)以前

主な改修者

主な城主

行松氏、吉田氏(尼子氏家臣)、杉原氏(毛利氏家臣)、南条氏、中村一栄、池田氏、津田氏

廃城年

遺構

石垣、曲輪

指定文化財

町史跡(八橋城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

槻下豪族館(鳥取県東伯郡)[4.2km]
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八橋城の解説文

八橋城(やばせじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町に所在した城郭。城跡はJR八橋駅のすぐ横にあり、線路によって二分される。大江城とも呼ばれる。

概要
戦国時代、東伯耆の要衝である。行松氏歴代の城であったが、尼子氏と毛利氏の争乱の舞台となった。

城跡には飛行機を形どった「酒井片桐飛行殉難碑」がある。1932年(昭和7年)、朝日新聞社機が日満協議書調印のニュースを積んで、満州からの帰途、不幸にも八橋沖に墜落した殉難の碑である。

また南麓にある「泰玄寺」は城主代々の菩提寺と伝え、『伯耆志』には杉原盛重の実の墓が所在すると記される。

構造
「大手は東向き、本丸の高さ麓より26間、境地南北32間、東西23間、巡り87間あり云々」と記録に残る。

歴史
大永4年(1524年)、大永の五月崩れによって落城。尼子領となり、吉田左京亮が居城し、伯耆西3郡を支配した。(ただし、現在ではこの説は否定されている。東伯耆地方への尼子氏の進出は天文年間以降と推定されている。)
のち、吉田左京亮は播磨国で毛利方の三村家親と戦って討死し、その子源四郎が城主となる。
永禄7年(1564年)、吉田勢は法勝寺(南部町)に進出してきた三村家親を討とうと進軍する。
永禄8年(1565年)、毛利方は香川光景の加勢を得て、八橋城を攻める。城主源四郎は城兵200人と強行突破で包囲を破り、尼子方の拠点月山富田城へ落ち延びる。
のち、毛利方の武将杉原盛重が居城。
天正8年(1580年)4月24日、南条元続・元清兄弟、二波にわたって八橋城を攻撃する。
天正9年(1581年)、杉原盛重病死し、二男杉原景盛が在城する。
天正11年(1583年)、杉原景盛、兄元盛を謀殺する。...

八橋城の口コミ情報

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