淀江城(よどえじょう)
淀江城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 鳥取県米子市淀江町淀江
旧国名
- 伯耆国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 山名氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 山名氏、尼子氏、毛利氏
廃城年
- 天正4年(1576)頃
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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淀江城の解説文
[引用元:Wikipedia「淀江城」の項目]
淀江城(よどえじょう)は、鳥取県米子市淀江町淀江にあった日本の城。JR淀江駅前付近が城跡である。
概要
大永4年(1524年)、大永の五月崩れにより山名守行のいた当城も落城し、尼子氏領となる。その後毛利氏領となったが、永禄12年(1569年)、山中幸盛らが尼子氏再興の旗揚げをすると稲吉城、末吉城とともに、その拠点となった。しかし、天正4年(1576年)、尼子氏残党は伯耆・因幡国から一掃され、淀江城も廃城となった。
城跡は小高い丘であったが、淀江駅建設のために削平された。わずかに堀、御屋敷、などの字名にその名残を残す。
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