船上山城(せんじょうさんじょう)

船上山城の基本情報

通称・別名

船上山行宮(せんじょうさんあんぐう)

所在地

鳥取県東伯郡琴浦町山川

旧国名

伯耆国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

名和長年

築城年

正慶2年〔北朝〕/元弘3年〔南朝〕(1333)

主な改修者

主な城主

後醍醐天皇

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(船上山行宮碑)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

八橋城(鳥取県東伯郡)[11.2km]
槻下豪族館(鳥取県東伯郡)[13.2km]
富長城(鳥取県西伯郡)[13.2km]
草幾山城(鳥取県倉吉市)[13.4km]
淀江城(鳥取県米子市)[15.1km]

船上山城の解説文

船上山城(せんじょうさんじょう)は鳥取県東伯郡琴浦町にあった城。船上山の険しい断崖を利用した典型的な山城である。

歴史
船上山城のある船上山は大山の北東に伸びる稜線上にあり、古くは平安仏教の山岳霊場で智積寺という寺院があった。この智積寺がのちに寺院城郭と化したらしい。

南北朝時代初めの1333年(正慶2、元弘3)、伯耆の豪族・名和長年が隠岐を脱出した後醍醐天皇をこの地に迎えて行宮を築き、来攻してきた鎌倉幕府軍を撃退した。天皇方の勝利は全国各地の反鎌倉幕府勢力を決起させ、鎌倉幕府崩壊に至る。

建武の新政崩壊後も寺院城郭は存続していたらしく、1524年(大永4)の尼子氏による伯耆攻略戦「大永の五月崩れ」の際に一山焼失したと伝えられている。また、智積寺は文禄年間に解散したという言い伝えもある。

遺構
かつての諸坊の跡に空堀と土塁、削平地があり、石積みの堀切木戸跡が現存している。
現存する遺構がいつ頃造られたものであるかは定かでない。

船上山城の口コミ情報

口コミがまだ投稿されていません。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore