後醍醐天皇行宮跡
後醍醐天皇行宮跡([船上山城 碑・説明板])
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後醍醐天皇行宮跡の口コミ情報
2020年11月03日 KAZ左大臣正勝
船上神社本殿を正面に見て、右側道の奥になり、奥宮の手前右側にあります。辺りは金石寺(こんじゃくじ)の領域になる様で、土塁の防衛陣地は元々は複数の寺院の境界としていた様です(^-^)後醍醐天皇は合戦の後、この場所を行在所と定め約80日間、鎌倉幕府打倒の計画を立案したとの事です。
話が変わりますが…僕が、どーしても気になってしまう事は幕府軍は3方向から攻め上がったと言う事!東坂方面軍と西坂方面軍(攻め上がる前に崩壊した様ですが)と、後一つは搦手方面軍!搦手とは、何処の事なのでしょうか(・・?)僕の単純な頭脳だと(//∇//)南側から攻め下ったのかなー?と言う事で南側、今の縦走路付近を探索して見ました。現在は熊笹だらけですが、なるほど広い場所が沢山ある!搦手方面軍は約800との事なのでこの広さがあれば、機動を確保出来そうだと思いました。941mの三角点まで行って見ましたが、『天皇屋敷』の方向を示す看板がありましたなんでしょう(・・?)予習不足でした。しかし、なんで搦手方面軍は降参したのでしょうか?あらかじめ内通者が居たのか?説得されたのか?搦手方面軍が機能して挟撃すれば歴史は変わっていたのでは?と、勝手に妄想しちゃいます(=゚ω゚)ノ