槻下豪族館(つきのしたごうぞくやかた)
槻下豪族館の基本情報
通称・別名
- 月下城
所在地
- 鳥取県東伯郡琴浦町槻下
旧国名
- 伯耆国
分類・構造
- 平城
天守構造
- なし
築城主
- 岩野氏?
築城年
- 鎌倉時代?
主な改修者
- 不明
主な城主
- 岩野氏?
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、横堀、虎口、土橋
指定文化財
- 町史跡(槻下豪族館跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
八橋城(鳥取県東伯郡)[4.2km]
堤城(鳥取県東伯郡)[9.1km]
打吹城(鳥取県倉吉市)[11.8km]
船上山城(鳥取県東伯郡)[13.2km]
岩倉城(鳥取県倉吉市)[14.4km]
草幾山城(鳥取県倉吉市)[14.6km]
羽衣石城(鳥取県東伯郡)[17.5km]
河口城(鳥取県東伯郡)[20.4km]
富長城(鳥取県西伯郡)[21.8km]
粟住山城(岡山県真庭市)[25.4km]
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槻下豪族館の解説文
[引用元:Wikipedia「槻下豪族館」の項目]
槻下豪族館(つきのしたごうぞくかん)は、鳥取県東伯郡琴浦町槻下にあった城館。琴浦町指定史跡。
概要
『伯耆民談記』によれば鎌倉時代、岩野弾正なる地侍の屋敷であったというが詳しくは不明である。付近には今のところ他に関連付ける城館はないため、謎に包まれていると言っても過言ではない。1974年(昭和49年)に東伯町(当時)の町指定史跡に指定された。
遺構
現在では竹藪に覆われているが、保存状態は非常に良好であり、土塁や曲輪といった遺構を明瞭に確認することができる。曲輪は2つ存在しており、東側の曲輪は南北40m、東西30m、西側は40m四方の方形になっている。周囲は高さ3mほどの土塁があり、付近には堀も見られる。鎌倉時代頃の典型的な武士の居館としての構造をよく伝えており、地名として「陣屋野」、「垣の内」、「門田」などが付近に残っている。この後も伯耆国では戦国時代に入るまでこのような形の城館が引き続き造られる傾向にあった。
参考文献
- 錦織勤「鳥取県中世城館の特質」(『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』、鳥取県教育委員会、2004年)
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