高城城(たかしろじょう)

高城城の基本情報

通称・別名

唯落の城、動士城、立縫動土城

所在地

鳥取県倉吉市福積

旧国名

伯耆国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

室町時代後期

主な改修者

主な城主

国府親俊

廃城年

遺構

曲輪、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

岩倉城(鳥取県倉吉市)[6.9km]
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高城城の解説文

※この城郭は2025年4月6日に名称と位置が変更となりました。



高城城(たかしろじょう)は、鳥取県倉吉市福積 沢谷にあった日本の城。

概要 

高城城は標高214mの高城山に位置しており、『伯耆民談記』によれば国府伯耆守親俊の居城であったという。大永4年(1524年)の尼子経久の伯耆侵攻の際、戦わずして落城したため、地元の人々から「唯落の城」(ただおちのしろ)と呼ばれ嘲笑されたと伝わる。ただ、現在は大永4年の尼子氏の侵攻(「大永の五月崩れ」と呼ばれる)の存在自体が否定されており、国府親俊の伝承が史実を反映したものなのか疑わしいものとなってきている。

遺構 

当城は高城山一帯に広がる大規模な城郭で城主は現在の倉吉市高城地区、北谷地区に勢力を張っていたと考えられている。山頂付近の主郭は腰曲輪を伴い、その北、西南方向の屋根に大小の曲輪が配されている。小さい曲輪が主体であり、比較的大きな曲輪は削平が不十分であることが判明している。北東方向にも堀切や曲輪群が見られ、600m北には高城城の詰めの丸とされる下福田城が存在している。『新編倉吉市史』は高城城の築城を縄張りから見て応仁の乱以降であるとしている。

参考文献 

  • 松岡布政著『伯耆民談記』
  • 鳥取県教育委員会『鳥取県中世城館分布調査報告書 第2集(伯耆編)』
  • 新編倉吉市史編纂委員会『新編倉吉市史 第二巻 中・近世編』

高城城の口コミ情報

2025年05月04日 伯耆守眠々丸
高城城

登城口は市道福谷線(北谷小学校〜白峰寺)の峠辺りになり、周辺の路上スペースに数台駐車できます。登城口から先にも車1台分の通れる道路が敷かれてあり、主郭下のトイレのある空き地まで続いています。しかし未舗装で整備は十分でなく、道路終盤には倒木や浸食により車での通行は困難となります。登城口に車を置いて歩いて登るのが無難です。歩く分なら道幅もありますし、ハイキング気分で攻められます。

登城口から主郭まではおよそ1キロの道のり。広場となっているトイレから木段を上ると主郭になります。少し時間はかかりますが、リア攻め攻略するだけならお手軽城郭と言えましょう。

高城城の周辺スポット情報

 湯関城(周辺城郭)

 今西山城(周辺城郭)

 亀山城(周辺城郭)

 草幾山城(周辺城郭)

 大平山城(周辺城郭)

 下福田城(周辺城郭)

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 トイレ(トイレ)

 草幾山城駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 湯関城登城口(その他)

 今西山城(八幡神社)登城口(その他)

 登城口(その他)

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