米子城(よなごじょう)

米子城の基本情報

通称・別名

久米城、湊山金城、湊山城

所在地

鳥取県米子市久米町

旧国名

伯耆国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

独立式望楼型[3重4階/1596年築/破却]、独立式望楼型[4重5階/1601年増/破却]

築城主

山名宗之

築城年

応仁・文明年間(1467〜1487)

主な改修者

吉川広家、中村一忠

主な城主

山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、横堀、井戸

指定文化財

国史跡(米子城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

十神山城(島根県安来市)[5.8km]
尾高城(鳥取県米子市)[7.9km]
法勝寺城(鳥取県西伯郡)[10.1km]
淀江城(鳥取県米子市)[10.1km]
新宮党館(島根県安来市)[13.4km]
勝山城(島根県安来市)[14.0km]
月山富田城(島根県安来市)[14.5km]
鳥取藩台場(鳥取県境港市)[15.5km]
富長城(鳥取県西伯郡)[16.0km]
春日城(島根県松江市)[19.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)169 米子城

設置場所

米子市立山陰歴史館[地図
米子城跡天守東屋[地図

米子城の解説文

米子城(よなごじょう)は、鳥取県米子市久米町にあった日本の城。久米城、湊山城ともいう。江戸時代初期は米子藩(伯耆藩)の藩庁であった。城跡は国の史跡に指定されている。
戦国時代の飯山にあった米子城(飯山城)についても併記する。

概要
米子城には、戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に営まれた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に営まれた近世城郭がある。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後鳥取藩の支城となった。

戦国期には飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構え、東と北に野面積みで高さ2メートル前後の石垣を各2段設けていた。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物の痕跡があったという。

江戸期には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に米子城の主郭であった飯山は出丸として利用された。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていた。平成18年(2006年)1月26日、国の史跡に指定された。

ただし、飯山と湊山が別の山と認識されたのは後世の話で、中世には1つの山に付けられた別名が「飯山」「湊山」であったとする考えもある。

江戸期の米子城の構造
標高90mの湊山と峰続きの丸山、湊山と隣接する飯山のそれぞれ山頂部と山麓部に曲輪が設けられた。

;本丸
湊山山頂に位置し、西伯耆から出雲の平野部や日本海、中海、島根半島、中国山地が一望できる。大天守や四重櫓、二重櫓、多聞櫓、鉄御門(くろがねごもん)などが置かれた。なお、本丸までに番所跡や遠見櫓(とおみやぐら)跡などが残る。
;天守
1600年(慶長5)に城主となった中村一忠が吉川広家の四重天守の横に建てた独立式望楼型4重5階の天守で、1878年(明治11)に撮影された古写真が残っている。
初重平面は10間×8間、2重目も同じ規模で、3重目は7間×6間、4重目と5重目は3間×2間半を測る。外観は2重目を大入母屋破風と千鳥破風・軒唐破風、3重目には入母屋破風と千鳥破風、最上重には軒唐破風があった。5階には望楼部の外廻り縁高欄を覆ったと見られている板庇があり、特異な外観となっていた。
高さは21メートルはあったと考えられており、本城である鳥取城の天守(2重2階)や三階櫓をもしのいでいた。...

米子城の口コミ情報

2019月08日16 超甘党左衛門尉一存
米子城

内膳丸が草ぼうぼうで虫大量発生。特に熊蜂が多いので気をつけて下さい。

2019月05日13 なじょすっぺ大膳大夫城弾正
水の手御門[米子城  遺構・復元物]



水の手御門。虎口の向かって左手の石垣は幕末の修築、右手は中村期の石垣である(写真)。

2019月05日13 なじょすっぺ大膳大夫城弾正
遠見郭・遠見櫓[米子城  遺構・復元物]



本丸の北に遠見郭(写真)がある。ここには遠見櫓が建っていた。櫓の規模は、本丸側から見て右手に二重櫓(2間×3間)があり、接続して左手に続多聞櫓(遠見櫓・4間×5間)で平櫓より二重櫓の方が小さいという特異な櫓だったらしい。この曲輪に面する本丸石垣には露呈岩盤の上に石垣が積まれている(写真)。石垣は平成の積み直しである。
岩盤が石垣を載せられてシブい顔をするオッサンの顔に見えてしまうのは自分だけ?(笑)

2019月05日09 風来のノブ兄
スタンプ場所[米子城  スタンプ]



スタンプ野晒しで大丈夫かなと思いました。
下の扉を開けるとパンフレットが大量に入ってます。虫除けスプレーもサービスで入ってます(笑)
写真の左端に竹の棒2本見えますが山城には杖が必須ですね。
城の入口周辺に無造作に置いてあります。

2019月05日09 なじょすっぺ大膳大夫城弾正
鉄門[米子城  遺構・復元物]



番所郭を経て表冠木門の道と合流し、四重櫓台下を通ると鉄門(写真)に至る。鉄門は四重櫓台に接続し西側は多聞櫓に接続する櫓門で「米子城建築物の記」(「米子城建築物の記」は「米子城旧記及図面」に依っている)によると規模は6間である(虎口幅は約12.88m)。虎口には門の礎石が残る(写真)。また、門の内側には露呈した岩盤があり矢穴が残っている(写真)。これは築城の際、岩盤を切り取りながら曲輪を造成し、切り取った石材で石垣を積み上げた。その痕跡であり、四重櫓台の東北隅にも露呈しており本丸が岩盤の上に建っている事がわかる。また、西側石垣にはもともと一つの大石を二つに割って積んだ石が隣合って存在する(写真の石垣の台形の石)。

2019月05日08 なじょすっぺ大膳大夫城弾正
番所郭[米子城  遺構・復元物]



二ノ丸から登り、内膳丸に向かう道と逆に進むと虎口に突き当たる。ここは裏冠木門跡(写真)で幅3間あった。この門を入ると番所郭で、上段(標柱が建つ場所・写真)には番所が存在し、下段には当初、煙硝蔵が建っていた(写真)。この曲輪は吉川時代に整備されたと考えられるが、現在の石垣は平成の積み直しである。

2019月05日08 なじょすっぺ大膳大夫城弾正
四重櫓台石垣・忘れ石[米子城  遺構・復元物]



小天守(四重櫓)は吉川時代の旧天守といわれる。切込み接の石垣は幕末に積み直されたものである。
小天守台(四重櫓台)には有名な忘れ石がある。石垣の角に無造作に置かれており、付近の石垣には欠けた部分は無く石垣の石ではない。この石はいつから置いてあったのか?明治20年頃の絵葉書写真に既に写っている事から、少なくとも100年以上置かれている事になる。この謎の石は、実は礎石であり、小天守台の中央にひとまわり大きな礎石が4つあるが、南側の礎石が欠けており、この礎石が石垣の隅に移動した事が判明する。しかしこの礎石が何故、隅に移動させられたかは未だに謎であり、小天守の解体時に無意識に置いたのか、儀式的なものなのか?謎は深まる。

2019月05日07 なじょすっぺ大膳大夫城弾正
平櫓台・鏡石[米子城  遺構・復元物]



小天守(四重櫓台)下には平櫓台がある。この石垣は吉川時代の古い石垣で中央に鏡石が2つ意識的に積まれている(写真)。もうひとつは上部から望んだもの(写真)。この櫓台の一段下にも平櫓台(江戸期は二重櫓、写真)があり、共に吉川時代の石垣である。中央に礎石が見える。この櫓台に隣接して表冠木門が存在した。

2019月05日07 みずたま
米子城跡天守東屋[米子城  スタンプ]

天守台からの景色は大山や中海が一望でき、半端ないです。

2019月05日04 第681代陸奥守たろす
四重櫓台石垣・忘れ石[米子城  遺構・復元物]



四重櫓台石垣◆幕末に補修された切込接の石垣がそびえる。角には明治時代以後いつの頃からか置かれた「忘れ石」がある

2019月05日04 第681代陸奥守たろす
登り石垣[米子城  遺構・復元物]



登り石垣◆米子城絵図には本丸遠見櫓から内膳丸にかけて登り石垣と思われる石垣が描かれていたものの実態はよくわかっていなかったが、平定28年の発掘調査により登り石垣と確認できた。米子城の築城を開始した吉川広家は朝鮮出兵に参加しており、米子城築城に際して、豊臣秀吉軍が朝鮮半島南岸に築いた倭城に多用された「登り石垣」をとり入れた可能性が考えられる

2019月05日04 第681代陸奥守たろす
築城初期の石垣[米子城  遺構・復元物]



築城初期の石垣◆平成27年度の調査の結果、「八幡台(はちまんたい)」と推定される地区では、石垣を加工した際に割った石の破片や、大型の切石などが散乱した。ともに出土した瓦片に刻まれた年号や古文書の記録から、この場所は江戸時代末期に行なわれた四重櫓補修の作業場であったと考えられる。
また、この盛土の下部からは新たな石垣が発見された。この石垣は、自然石に近い石材を使用していることから、築城初期に築かれたものであると考えられる。(米子市発掘調査結果より)
PS*自分一人だったら観ることはなかった。城友さん、中国オフ会に改めて感謝!

2019月05日03 ピラいち伊豆守
有料駐車場[米子城  駐車場]



米子城の御朱印が300円で販売しております。

2019月05日01 石工集団穴太衆
米子城



米子城がある湊山の山体の大部分は風化の著しい米子流紋岩で形成されており、石材としてはあまり適してないですが、内膳丸を取り囲んでいる石垣は流紋岩が使用されてます、内膳丸北側は露出した流紋岩上に石垣が築かれており近代の鑿岩機で開けられた跡まで見ることが出来る

2019月04日30 りょう宮内卿
米子城跡天守東屋[米子城  スタンプ]



平成最後の日、登ってきました。駐車場から15分程度ですが、登りはキツイです!

2019月04日26 愛甲左京大夫クロイツ群彗星
水の手御門[米子城  遺構・復元物]



本丸と水の手御門との間にある門らしき跡。本丸の外縁にあって水の手側からの侵入を防いでいたか。

2019月04日26 愛甲左京大夫クロイツ群彗星
犬走[米子城  遺構・復元物]



犬走りを支える石垣の高さが実感出来る場所。顔を乗り出すと震え上がりそうな高度感が襲ってきます。無理に体重かけると崩れてしまいそうな怖さも…

2019月04日25 第681代陸奥守たろす
本丸北側石垣[米子城  遺構・復元物]



本丸北側石垣◆番所跡から登り遠見櫓方面を望む。斜面に沿い幾重にも折り重なる石垣、横矢の掛かる石垣が織り成す景観は観る者の心踊らすこと間違いなし!

2019月04日25 愛甲左京大夫クロイツ群彗星
水の手御門[米子城  遺構・復元物]



本丸から南東に進むと現れます。東側の石垣が切込み接ぎ、西側が野面積みと異なっているところが興味を引きます☆春には八重桜が咲き誇って華やぎます。

2019月04日24 第681代陸奥守たろす
犬走[米子城  遺構・復元物]



本丸石垣・犬走◆本丸北西に面し犬走は遠見櫓跡と水手御門のある曲輪を結ぶ

2019月04日24 愛甲左京大夫クロイツ群彗星
米子城



天守台の真下あたりから四重櫓台を見やる。正面から見るだけでなく、この方向から見ると四重櫓台が風景をどっしりと引き締め、迫力満点。

2019月01日17 丹波守せんとくん
米子城

続日本百名城スタンプは、米子城跡天守東屋と米子市立山陰歴史館にあります。
歴史館はスタンプを押したいと職員に申し出れば出してくれます。大事に保管されているので絵柄がきれいに押せます。
米子城跡の東屋は常時置いてますが、屋根があるとはいえ野外に置いているからか、あまりきれいに押せません。
きれいに押したいなら歴史館、どうしても現地で押したいなら米子城跡の東屋がいいでしょう。
東屋は24時間好きな時に押せますが、誰も監視していないから盗難が心配ですし、夜中は怖いと思います。

2018月10日08 まるぶち弾正忠めがね
米子城

登城してきました。先日の豪雨のため表側の登城口側は通行止めになっています。裏側の展望台の方より登城出来ます。


2017月04日18 ソバッソMG77.4
米子城

駐車場無料です
我々は「米子がいな祭資料館」の横にあるスペースに停車、青年会事務所に断りを入れたら快く受け入れて下さいました。

そこから10m歩くと、なんと立派な石垣で囲われた桝形に出くわします。
そこを通過すると野球グラウンドが出現、そのライトスタンド側にこれまた立派な石垣がそびえてます。
そしてさらに、スゲー規模の石垣が山頂付近にゴロゴロしてます。中には自然岩盤を利用した石垣もありました。
もっと言えば小規模な曲輪群に、あまり石垣造成技術が高くない頃の積み方のような、いわゆる石積み的なモノも簡単に見つけられます。
散策はサイコーに楽しいです。


でもでも
そんなもん後で見たらいいですよ。散策なんか後回し、写真撮影も後回し後回し。
とりあえず、とりあえず天守まで登って。

天守からの眺望をみて、ひとまず言葉を失って下さい。
大山高原と中海や美保湾の自然を味わって下さい。

20分くらいボーっとしてから、ハイ、遺構散策して下さい。


ステキな城跡に出会えました。
また行きます。

2017月03日13 権大納言織田晃司
米子城

往年の米子城は五層の天守と四層の副天守からなる壮麗な城。
本丸の石垣は四重に重なり威圧感がある。

米子道路の米子東IC側にあるお菓子の壽城 は米子城の天守を模したと言われる。
お土産の買い物に寄ってみるのも一興かと。

米子市には山陰屈指の温泉・皆生温泉があります。

そして中海に浮かぶ大根島にはCMで有名になった江島大橋(ベタ踏み坂)があります。

2015月08日28 ❇️りゅうちゃん❇️備後守
米子城

米子城に行かれた際には 時間がありましたら お菓子の壽城へ。

お土産物 たくさん 売ってます。

米子城の模造ですし、石垣の一部は旧米子城からの移築です。
一見の価値はあると思います。

2013月12日27 左衛門督ピロシキ
米子城

前回は積雪のなか登城。
中の海の素晴らしい風景を堪能するも、雪のない暑くない日の再訪を誓う。
そして、今日。積雪はなし!
しかし、日の出前に行ってしまい長屋門を過ぎてから、暗闇の恐怖に負けてそこから先はいけませんでした。

2011月07日13 右大臣M三郎
米子城

米子城は、山上山下に機能分離された平山城です。山下は、開発が進み内桝形の虎口が残る程度ですが、林間の登城路を登ると、幾つかの箱を段々と積み重ねたような特異な形状の山上の城が出現します。この付近からの、精緻な石垣とよく管理された平面部の緑が幾重にも重なった景観は感動ものです。本丸には往時、転封された吉川氏製の天守と封襲した中村氏の上げた天守が並び建っていたのだそうです。天守は、すでにありませんが、天守石垣が今もそのすばらしさと規模を競っています。山上からの眺望も秀逸でお勧めしたい城のひとつです

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