米子城(よなごじょう)

米子城の基本情報

通称・別名

久米城、湊山金城、湊山城

所在地

鳥取県米子市久米町

旧国名

伯耆国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

独立式望楼型[3重4階/1596年築/破却]、独立式望楼型[4重5階/1601年増/破却]

築城主

山名宗之

築城年

応仁・文明年間(1467〜1487)

主な改修者

吉川広家、中村一忠

主な城主

山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、横堀、井戸

指定文化財

国史跡(米子城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

十神山城(島根県安来市)[5.8km]
尾高城(鳥取県米子市)[7.9km]
法勝寺城(鳥取県西伯郡)[10.1km]
淀江城(鳥取県米子市)[10.2km]
新宮党館(島根県安来市)[13.4km]
勝山城(島根県安来市)[14.0km]
月山富田城(島根県安来市)[14.5km]
鳥取藩台場(鳥取県境港市)[15.5km]
富長城(鳥取県西伯郡)[16.0km]
春日城(島根県松江市)[19.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)169 米子城

設置場所

米子市立山陰歴史館[地図

米子城の解説文



米子城(よなごじょう)は、鳥取県米子市久米町にあった日本の城。久米城、湊山城ともいう。江戸時代初期は米子藩(伯耆藩)の藩庁であった。城跡は国の史跡に指定されている。

戦国時代の飯山にあった米子城(飯山城)についても併記する。

概要 

米子城には、戦国時代の飯山(いいのやま:国道9号線南側)に営まれた砦と、湊山(みなとやま:国道9号北側)を中心に営まれた近世城郭がある。江戸時代初期には伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後鳥取藩の支城となった。

戦国期には飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構え、東と北に野面積みで高さ2メートル前後の石垣を各2段設けていた。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物の痕跡があったという。

江戸期には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に米子城の主郭であった飯山は出丸として利用された。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていた。

昭和26年に都市計画法により湊山公園の一部となった。

平成18年(2006年)1月26日、国の史跡に指定された。

ただし、飯山と湊山が別の山と認識されたのは後世の話で、中世には1つの山に付けられた別名が「飯山」「湊山」であったとする考えもある[1]

江戸期の米子城の構造 

標高90mの湊山と峰続きの丸山、湊山と隣接する飯山のそれぞれ山頂部と山麓部に曲輪が設けられた。

本丸

  • 湊山山頂に位置し、西伯耆から出雲の平野部や日本海、中海、島根半島、隠岐、中国山地が一望できる[2]。大天守や四重櫓、二重櫓、多聞櫓、鉄御門(くろがねごもん)などが置かれた。なお、本丸までに番所跡や遠見櫓(とおみやぐら)跡などが残る。

天守

  • 慶長5年(1600年)に城主となった中村一忠が吉川広家の四重天守の横に建てた独立式望楼型4重5階の天守で、明治11年(1878年)に撮影された古写真が残っている[3]
  • 初重平面は10間×8間、2重目も同じ規模で、3重目は7間×6間、4重目と5重目は3間×2間半を測る[4]。外観は2重目を大入母屋破風と千鳥破風・軒唐破風、3重目には入母屋破風と千鳥破風、最上重には軒唐破風があった。5階には望楼部の外廻り縁高欄を覆ったと見られている板庇があり、特異な外観となっていた。
  • 高さは21メートルはあったと考えられており、本城である鳥取城の天守(2重2階)や三階櫓をもしのいでいた。

四重櫓

  • 天正19年(1591年)に城主となった吉川広家が建てた初代の天守であるといわれ、中村一忠が新たに5重の天守を建てた後に「四重櫓」と呼んで存続させたという伝承がある。規模を考慮して古天守や副天守とも呼ばれる。独立式望楼型3重4階の大型櫓で初重平面形は不整形で、石落としや出張がある。天守と同じく、最上層の外廻り縁高欄を板庇で覆ったことが分かっている。
  • 古写真は残っていないが、幕末に櫓台と小天守の修築工事をしているため、外観および内部各階の詳細な絵図面が残っている。また米子市にある山陰歴史館、米子市立義方小学校、及び鹿島家分家に四重櫓の鯱一つずつ保存されている。

二の丸

  • 城主の御殿や、その台所、藩の役所が置かれていた。慶長8年(1603年)に横田村詮は二の丸の建物内で暗殺された。
  • 二の丸入口は、東西25.4メートル・南北22.7メートルの桝形がある。
  • 現在、裏門にあたる太鼓御門跡や御殿御用井戸が残るほか、昭和28年(1953年)に移築された小原家の表門長屋が置かれ、テニスコートとなっている部分もある。

三の丸

  • 作事小屋、厩舎、資材小屋、米蔵、番人詰所などか建ち並んでいた。外周には内堀を廻らせ、大手門、搦手門、鈴の門(すんずのもん)で守られていた。
  • 現在、鳥取大学医学部付属病院や米子市営湊山球場の敷地となっている。

内膳丸

  • 本丸に登る途中右手に分かれて登ったところにある。丸山と呼ばれ、標高52メートル。中村一忠の家老である横田内膳正村詮が担当して構築したため「内膳丸」と呼ばれる[5]。二重櫓数棟と武器庫が設置された。横田村詮が暗殺された時、その一族が立て籠もったという記録もある。

登り石垣

  • 内膳丸と湊山山頂部の本丸遠見櫓を結ぶ尾根の上に築かれていた。江戸期の米子城絵図には登り石垣らしき構造物が描かれていたが、明治期以降、その存在は確認されていなかった。しかし、平成28年(2016年)度の発掘調査によってその存在が明らかとなった。中海側の岩盤をL字状に削り石垣を構築し、反対側の石垣の東側には土塁を構築して防御ラインを構成している。石垣の高さは3m以上で、長さは40m以上存在したと推定されている。

  • 登り石垣に連なる内膳丸も、元々はこの登り石垣の一部と推測され、総延長は230m、築城主の吉川広家によって造られた可能性が高い[6][7]。吉川広家が文禄・慶長の役に出兵しており、倭城に用いられた先進技術を取り込んだと推測される。 

深浦

  • 城の西方・中海に面しており、当初は毛利水軍の軍港が設けられていたと考えられている。

飯山

  • 戦国期の砦跡が出丸として改修され、「東の丸」あるいは「采女丸(うねめまる)」と呼ばれたと伝わる。横田村詮の暗殺により、一族が立て籠もったのは、飯山との見方が強い。

歴史 

中世

  • 応仁の乱時、西軍の山名氏が支配する伯耆と、東軍京極氏が支配する出雲の国境は緊張した。『出雲私伝』によると、文明2年(1470年)尼子清定と戦った伯耆方が敗れて米子城に入るとあり、この頃の築城と考えられる。
  • 大永4年(1524年)大永の五月崩れによって落城、尼子氏の支配となる。
  • 永禄5年頃(1562年頃)毛利氏の尼子氏攻略に伴い、山名氏の支配に復す。
  • 永禄12年(1569年)尼子氏再興の旗揚げをした山中幸盛らは、米子城主山名之玄と結ぶ。しかし、毛利方の吉川元春に攻められ落城、城主・山名之玄は自害した。
  • 吉川元春は配下の福頼元秀、天正5年(1577年)から古曳吉種を城主にしたと推定されている。
  • 天正19年(1591年)東出雲・隠岐・西伯耆を領した吉川広家が城主となり、古曳吉種に命じ、湊山に築城を始める。しかし古曳吉種は文禄の役で戦死し、吉川広家は関ヶ原の戦いの結果、岩国へ転封される。

江戸時代

  • 慶長5年(1600年)豊臣秀吉の三中老であった中村一氏は駿府城下内膳屋敷で徳川家康と会談し、東軍徳川方に加わった。この論功により、一氏の嫡子中村一忠は伯耆一国17万5000石を領し米子城に拠り、初代米子藩主となる。一忠は執政家老の横田村詮と共に、米子城を完成させ、さらに新たに米子城下町を建設し、現在の商都米子の礎を築いた。
  • 慶長8年(1603年)城主側近の安井清一郎、天野宗杷等の陰謀に惑わされた城主中村一忠は横田村詮を謀殺した。徳川幕府は、首謀者、安井、天野両名を容赦なく切腹に処した。
  • 慶長14年(1609年)中村一忠が急死、惜しくも中村氏は家系断絶のため改易され、翌年、替わって加藤貞泰が伯耆の内で2郡6万石を領して藩主となる(中村氏旧領の残り11万5000石は、八橋藩市橋氏・黒坂藩関氏・天領などに分割統治される)。
  • 元和3年(1617年)加藤貞泰が大洲藩に移され、米子藩は廃藩となる。伯耆・因幡が全て鳥取藩池田光政の所領となったことにより、米子城には家老の池田由成が城代として駐在した。池田光政が鳥取に入封した際、鳥取城が32万5千石の居城としては手狭であったため、新城が検討されたことがあった。その際に候補に挙がったのが、布勢天神山城・倉吉打吹城・久米郡の茶臼山・米子城だった。いずれの城・地域とも一長一短ある中、米子城は「藩侯の居城としてふさわしい城」として最後まで新城の候補地とされ、激論が交わされた。結局、鳥取城を改築する運びとなり、米子城が鳥取の首府になることはなかった。
  • 寛永9年(1632年)池田光政の岡山国替により、池田光仲が藩主となり、明治維新に至るまで米子城は家老の荒尾但馬家が城代として駐在した。

明治以降

  • 明治3年(1872年)米子城山が米子駐在の大四大隊の士族らに無償で払い下げられる。
  • 明治8年(1875年)士族ら、土地と建物の買い取りを米子町に要請したが、不成立となり、切り売りされる。
  • 明治12年(1879年:一説に明治9年・明治13年)当時の金30円で古物商山本新助に売られ、石垣を残して取り壊された。その後、城跡一帯は坂口氏の手に渡る。
  • 明治35年(1902年)天守跡の雑草を一掃して休憩所を設置し、ここを弘楽園と号した。また天気予報の警標柱も設置されていた。
  • 昭和8年(1933年)坂口清太郎から米子市に寄付され、湊山公園と称される。現在の湊山公園とは範囲が異なり、湊山と飯山を合わせて湊山公園と称していた。
  • 昭和26年(1951年)都市計画法に基づいて錦公園と称される米子公園に湊山を合わせて現在の湊山公園となる。
  • 昭和41年(1966年)飯山に英霊塔が建てられる。
  • 昭和57年(1982年)から昭和59年(1984年)にかけて石垣の修理を実施。
  • 昭和63年(1988年)から平成元年(1989年)にかけて発掘調査を実施。
  • 平成3年(1991年)から翌年にかけて発掘調査を行い、船入り石垣の遺構を発見する。
  • 平成18年(2006年)国の史跡に指定される。
  • 平成27年度(2015年度)八幡台郭・水手御門下郭の確認調査が行われる[8]
  • 平成28年度(2016年度)登り石垣の確認・発掘調査が行われる。
  • 平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(169番)に選定される。
  • 平成29年度(2017年度)本丸北西側の竪堀の確認・発掘調査が行われる[9]。また、本丸より南西の山腹で、石垣用の石材を切り出したとみられる石切丁場が確認される。
  • 令和2年 (2020年)11月20日に国の文化審議会が三ノ丸(旧湊山球場跡地 約2万3993平方メートル)を追加指定するよう文部科学相に答申された。

歴代城主 

藩主

中村家
  • 中村一忠
加藤家
  • 加藤貞泰

城預り

池田家
  • 池田由之
  • 池田由成
荒尾家
  • 初代荒尾成利
  • 2代目荒尾成直
  • 3代目荒尾成重
  • 4代目荒尾成倫
  • 5代目荒尾成昭
  • 6代目荒尾成昌
  • 7代目荒尾成煕
  • 8代目荒尾成尚
  • 9代目荒尾成緒
  • 10代目荒尾成裕
  • 11代目荒尾成富

伝説 

人柱
吉川広家が天守台を建造中、何度も石垣が崩れて工事が難航した。そこで人柱を立てることとなり、城下に住む美人の評判が高かった「お久米(おくめ)」という娘が密かに選ばれた。祭りの最中におくめは盆踊りの輪の中から突然さらわれて埋められ人柱にされた。その後、工事は順調に進んだが、米子城下ではしばらく盆踊りが行われなくなり、米子城は別名「久米城」と呼ばれるようになったという伝説がある。

米子城の口コミ情報

2022年05月03日 橙百姓
米子城

駐車場は比較的新しく、舗装されており簡易トイレも設置されています。

2022年04月24日 みその三河守
米子城



三ノ丸枡形木口の発掘現場は、必見です。中村時代の石垣は壮観です。本丸は、吉川、中村、江戸後期と石垣がバラエティーですばらしい!三浦正幸先生の話通り小天守の天守台は方形でわありませんでした!

2021年10月17日 右大臣 大神信貫
米子城



現在、スタンプは天守東屋に設置されておらず。心無い者の行為により破壊されたとのこと。(2021年10月16日)

2021年05月30日 ゆきょう兵庫頭
米子城



石垣が本当に立派でした。あと升形小口、竪堀も良かったです。石垣は積んだ時代が違ったり積み直したりしてるみたいなので、予習して行けば良かったと思いました。頂上からの景観は素晴らしかったです。中海が綺麗でした。

2021年05月02日 真田駿河守三代
米子城



お城のふもとに無料駐車場があります。
そこから徒歩15分程度で本丸まで登れますが、登り口がちょっとわかりにくかったです。
駐車場から進むと「米子城跡」の碑があるので、その手前の入り口から登って下さい。
下からはちょっと見えませんでしたが、登って行くと立派な石垣が現れ、見応え充分でした。
本丸あとからは市内が一望でき、登った疲れを癒やしてくれました。
皆さんも是非チャレンジしてみて下さい。

2021年05月01日 暗黒Master
米子城



無料の三の丸、駐車場に車を停め、そこから本丸跡に登りました。途中、林の中を抜けて、雰囲気のある階段を登ると、巨大な石垣が見えて来ました。駐車場からは、見えませんでしたが、かなり立派な石垣で、その上から米子市が一望出来ました。駐車場から15分くらいですので、おすすめです。

2020年10月21日 天河水宮内卿
米子城

前泊の皆生温泉よりタクシーで2千円。運転手さんには米子城より湊山公園の方が話が通じた。
街中にある城で下からでも見所はあるが、やはり眺望を楽しむために本丸跡へ登るのが良いでしょう。

2020年10月18日 KAZ大宰帥正勝
飯山城[米子城  周辺城郭]



北側に、かすかに帯曲輪っぽく見えたので降り口を探してみました(^_^;)多分…写真の石積みは当時のものでは?と思うのですが…どーでしょう(・・?)出来れば鬼門側の隅無し部分を確認したかったのですが、矢竹の群生に跳ね返されました(≧∇≦)

2020年10月18日 KAZ大宰帥正勝
水手御門下郭[米子城  遺構・復元物]



かなり崩れて、裏込石が見えちゃってますが出入り口と周りに石垣が残ってます(^-^)南西方向には切岸も確認出来ました。

2020年10月18日 KAZ大宰帥正勝
水手御門腰郭石垣[米子城  遺構・復元物]



ただいま、発掘中!手前の石が黒いので、この石だけ露出してたんすね。今後の発掘に期待です(^O^)/

2020年10月18日 カズ@大高の信長
米子城

駐車場に迷います。
候補として ①湊山公園駐車場と②市役所駐車場がありますが、距離は遠いものの市役所駐車場を押します。
①距離は近いが、見どころの一つの枡形門が山の裏側になる
②距離は10分程度かかるが、歴史館で100名城スタンプと豊富な資料、施設利用で駐車場2時間無料となる。
資料館の方のお勧めも②でした。

2020年10月05日 ゴン太左近衛大将
米子城

テニスコートわきの駐車場に停めて登城口から本丸に向かいました。10分程度で着きました。そこからの眺めは格段でした。

2020年09月30日 小太郎修理大夫南海道15國守
米子城



米子城は、標高約90メートルの湊山山頂に築かれ、天守閣はないものの、現在は、湊川公園として整備され、何段にも重なって整然である石垣、貴重な登り石垣など遺跡も多い。駐車場は、奥で分かりにくいが、鳥取大学医学部附属病院南側に公園駐車場がある。登城口は、他にもあるようですが、同駐車場側から、徒歩で登ると15~20分で山頂に至ります。本丸跡からは、米子市内や日本海が一望でき、何より、池田公時代、居城にふさわしい城として、最後まで新城候補地となったほどで、品格ある城です。ただ不心得者の仕業か続名城百選のスタンプは、以前の天守東屋にはなく、米子市立山陰歴史館しか設置がないと思われますので、スタンプ希望の方は、登城前に要確認です。尚登城は令和2年9月28日で、この日の情報です。


2020年09月23日 松永伊予守だんじょー
米子城



米子城は街中にあり、平野部に突き出す山上にあります。天守や櫓こそ有りませんが、見応えのある段々に積み上げられた見事な石垣が今も城下を守るような威厳を示していました。
戦国後期に本格的に造られたお城らしい、見事な算木積みもきれいに現存しています。石垣の上から街をきれいに見渡せ、ゆっくりと想いを馳せれます。

2020年09月19日 JC大宰大弐VD
飯山城[米子城  周辺城郭]



中世には伯耆・出雲の国境の境目の城として機能。近世に入ると米子城の一部として、采女丸と呼ばれた

2019年08月16日 十河讃岐守一存
米子城

内膳丸が草ぼうぼうで虫大量発生。特に熊蜂が多いので気をつけて下さい。

2019年05月13日 御山惣領家大膳大夫城弾正
水の手御門[米子城  遺構・復元物]



水の手御門。虎口の向かって左手の石垣は幕末の修築、右手は中村期の石垣である(写真)。

2019年05月13日 御山惣領家大膳大夫城弾正
遠見郭・遠見櫓[米子城  遺構・復元物]



本丸の北に遠見郭(写真)がある。ここには遠見櫓が建っていた。櫓の規模は、本丸側から見て右手に二重櫓(2間×3間)があり、接続して左手に続多聞櫓(遠見櫓・4間×5間)で平櫓より二重櫓の方が小さいという特異な櫓だったらしい。この曲輪に面する本丸石垣には露呈岩盤の上に石垣が積まれている(写真)。石垣は平成の積み直しである。
岩盤が石垣を載せられてシブい顔をするオッサンの顔に見えてしまうのは自分だけ?(笑)

2019年05月09日 風来のノブ兄
スタンプ場所[米子城  スタンプ]



スタンプ野晒しで大丈夫かなと思いました。
下の扉を開けるとパンフレットが大量に入ってます。虫除けスプレーもサービスで入ってます(笑)
写真の左端に竹の棒2本見えますが山城には杖が必須ですね。
城の入口周辺に無造作に置いてあります。

2019年05月09日 御山惣領家大膳大夫城弾正
鉄門[米子城  遺構・復元物]



番所郭を経て表冠木門の道と合流し、四重櫓台下を通ると鉄門(写真)に至る。鉄門は四重櫓台に接続し西側は多聞櫓に接続する櫓門で「米子城建築物の記」(「米子城建築物の記」は「米子城旧記及図面」に依っている)によると規模は6間である(虎口幅は約12.88m)。虎口には門の礎石が残る(写真)。また、門の内側には露呈した岩盤があり矢穴が残っている(写真)。これは築城の際、岩盤を切り取りながら曲輪を造成し、切り取った石材で石垣を積み上げた。その痕跡であり、四重櫓台の東北隅にも露呈しており本丸が岩盤の上に建っている事がわかる。また、西側石垣にはもともと一つの大石を二つに割って積んだ石が隣合って存在する(写真の石垣の台形の石)。

2019年05月08日 御山惣領家大膳大夫城弾正
番所郭[米子城  遺構・復元物]



二ノ丸から登り、内膳丸に向かう道と逆に進むと虎口に突き当たる。ここは裏冠木門跡(写真)で幅3間あった。この門を入ると番所郭で、上段(標柱が建つ場所・写真)には番所が存在し、下段には当初、煙硝蔵が建っていた(写真)。この曲輪は吉川時代に整備されたと考えられるが、現在の石垣は平成の積み直しである。

2019年05月08日 御山惣領家大膳大夫城弾正
四重櫓台石垣・忘れ石[米子城  遺構・復元物]



小天守(四重櫓)は吉川時代の旧天守といわれる。切込み接の石垣は幕末に積み直されたものである。
小天守台(四重櫓台)には有名な忘れ石がある。石垣の角に無造作に置かれており、付近の石垣には欠けた部分は無く石垣の石ではない。この石はいつから置いてあったのか?明治20年頃の絵葉書写真に既に写っている事から、少なくとも100年以上置かれている事になる。この謎の石は、実は礎石であり、小天守台の中央にひとまわり大きな礎石が4つあるが、南側の礎石が欠けており、この礎石が石垣の隅に移動した事が判明する。しかしこの礎石が何故、隅に移動させられたかは未だに謎であり、小天守の解体時に無意識に置いたのか、儀式的なものなのか?謎は深まる。

2019年05月07日 御山惣領家大膳大夫城弾正
平櫓台・鏡石[米子城  遺構・復元物]



小天守(四重櫓台)下には平櫓台がある。この石垣は吉川時代の古い石垣で中央に鏡石が2つ意識的に積まれている(写真)。もうひとつは上部から望んだもの(写真)。この櫓台の一段下にも平櫓台(江戸期は二重櫓、写真)があり、共に吉川時代の石垣である。中央に礎石が見える。この櫓台に隣接して表冠木門が存在した。

2019年05月07日 みずたま
米子城跡天守東屋[米子城  スタンプ]

天守台からの景色は大山や中海が一望でき、半端ないです。

2019年05月04日 陸奥守たろす
四重櫓台石垣・忘れ石[米子城  遺構・復元物]



四重櫓台石垣◆幕末に補修された切込接の石垣がそびえる。角には明治時代以後いつの頃からか置かれた「忘れ石」がある

2019年05月04日 陸奥守たろす
登り石垣[米子城  遺構・復元物]



登り石垣◆米子城絵図には本丸遠見櫓から内膳丸にかけて登り石垣と思われる石垣が描かれていたものの実態はよくわかっていなかったが、平定28年の発掘調査により登り石垣と確認できた。米子城の築城を開始した吉川広家は朝鮮出兵に参加しており、米子城築城に際して、豊臣秀吉軍が朝鮮半島南岸に築いた倭城に多用された「登り石垣」をとり入れた可能性が考えられる

2019年05月04日 陸奥守たろす
築城初期の石垣[米子城  遺構・復元物]



築城初期の石垣◆平成27年度の調査の結果、「八幡台(はちまんたい)」と推定される地区では、石垣を加工した際に割った石の破片や、大型の切石などが散乱した。ともに出土した瓦片に刻まれた年号や古文書の記録から、この場所は江戸時代末期に行なわれた四重櫓補修の作業場であったと考えられる。
また、この盛土の下部からは新たな石垣が発見された。この石垣は、自然石に近い石材を使用していることから、築城初期に築かれたものであると考えられる。(米子市発掘調査結果より)
PS*自分一人だったら観ることはなかった。城友さん、中国オフ会に改めて感謝!

2019年05月03日 ピラいち左大臣
有料駐車場[米子城  駐車場]



米子城の御朱印が300円で販売しております。

2019年05月01日 石工集団穴太衆【兒】
米子城



米子城がある湊山の山体の大部分は風化の著しい米子流紋岩で形成されており、石材としてはあまり適してないですが、内膳丸を取り囲んでいる石垣は流紋岩が使用されてます、内膳丸北側は露出した流紋岩上に石垣が築かれており近代の鑿岩機で開けられた跡まで見ることが出来る

2019年04月30日 りょう権大納言
米子城跡天守東屋[米子城  スタンプ]



平成最後の日、登ってきました。駐車場から15分程度ですが、登りはキツイです!

2019年04月26日 愛甲太閤【相模の狂人】
水の手御門[米子城  遺構・復元物]



本丸と水の手御門との間にある門らしき跡。本丸の外縁にあって水の手側からの侵入を防いでいたか。

2019年04月26日 愛甲太閤【相模の狂人】
犬走[米子城  遺構・復元物]



犬走りを支える石垣の高さが実感出来る場所。顔を乗り出すと震え上がりそうな高度感が襲ってきます。無理に体重かけると崩れてしまいそうな怖さも…

2019年04月25日 陸奥守たろす
本丸北側石垣[米子城  遺構・復元物]



本丸北側石垣◆番所跡から登り遠見櫓方面を望む。斜面に沿い幾重にも折り重なる石垣、横矢の掛かる石垣が織り成す景観は観る者の心踊らすこと間違いなし!

2019年04月25日 愛甲太閤【相模の狂人】
水の手御門[米子城  遺構・復元物]



本丸から南東に進むと現れます。東側の石垣が切込み接ぎ、西側が野面積みと異なっているところが興味を引きます☆春には八重桜が咲き誇って華やぎます。

2019年04月24日 陸奥守たろす
犬走[米子城  遺構・復元物]



本丸石垣・犬走◆本丸北西に面し犬走は遠見櫓跡と水手御門のある曲輪を結ぶ

2019年01月17日 能登守せんとくん
米子城

続日本百名城スタンプは、米子城跡天守東屋と米子市立山陰歴史館にあります。
歴史館はスタンプを押したいと職員に申し出れば出してくれます。大事に保管されているので絵柄がきれいに押せます。
米子城跡の東屋は常時置いてますが、屋根があるとはいえ野外に置いているからか、あまりきれいに押せません。
きれいに押したいなら歴史館、どうしても現地で押したいなら米子城跡の東屋がいいでしょう。
東屋は24時間好きな時に押せますが、誰も監視していないから盗難が心配ですし、夜中は怖いと思います。

2018年10月08日 まるぶち佐渡守めがね
米子城

登城してきました。先日の豪雨のため表側の登城口側は通行止めになっています。裏側の展望台の方より登城出来ます。


2017年04月18日 ソバッソ80.0
米子城

駐車場無料です
我々は「米子がいな祭資料館」の横にあるスペースに停車、青年会事務所に断りを入れたら快く受け入れて下さいました。

そこから10m歩くと、なんと立派な石垣で囲われた桝形に出くわします。
そこを通過すると野球グラウンドが出現、そのライトスタンド側にこれまた立派な石垣がそびえてます。
そしてさらに、スゲー規模の石垣が山頂付近にゴロゴロしてます。中には自然岩盤を利用した石垣もありました。
もっと言えば小規模な曲輪群に、あまり石垣造成技術が高くない頃の積み方のような、いわゆる石積み的なモノも簡単に見つけられます。
散策はサイコーに楽しいです。


でもでも
そんなもん後で見たらいいですよ。散策なんか後回し、写真撮影も後回し後回し。
とりあえず、とりあえず天守まで登って。

天守からの眺望をみて、ひとまず言葉を失って下さい。
大山高原と中海や美保湾の自然を味わって下さい。

20分くらいボーっとしてから、ハイ、遺構散策して下さい。


ステキな城跡に出会えました。
また行きます。

2017年03月13日 織田上総介晃司
米子城

往年の米子城は五層の天守と四層の副天守からなる壮麗な城。
本丸の石垣は四重に重なり威圧感がある。

米子道路の米子東IC側にあるお菓子の壽城 は米子城の天守を模したと言われる。
お土産の買い物に寄ってみるのも一興かと。

米子市には山陰屈指の温泉・皆生温泉があります。

そして中海に浮かぶ大根島にはCMで有名になった江島大橋(ベタ踏み坂)があります。

2015年08月28日 ❇️りゅうちゃん❇️備後守
米子城

米子城に行かれた際には 時間がありましたら お菓子の壽城へ。

お土産物 たくさん 売ってます。

米子城の模造ですし、石垣の一部は旧米子城からの移築です。
一見の価値はあると思います。

2013年12月27日 蔵人頭ピロシキ
米子城

前回は積雪のなか登城。
中の海の素晴らしい風景を堪能するも、雪のない暑くない日の再訪を誓う。
そして、今日。積雪はなし!
しかし、日の出前に行ってしまい長屋門を過ぎてから、暗闇の恐怖に負けてそこから先はいけませんでした。

2011年07月13日 太政大臣M三郎
米子城

米子城は、山上山下に機能分離された平山城です。山下は、開発が進み内桝形の虎口が残る程度ですが、林間の登城路を登ると、幾つかの箱を段々と積み重ねたような特異な形状の山上の城が出現します。この付近からの、精緻な石垣とよく管理された平面部の緑が幾重にも重なった景観は感動ものです。本丸には往時、転封された吉川氏製の天守と封襲した中村氏の上げた天守が並び建っていたのだそうです。天守は、すでにありませんが、天守石垣が今もそのすばらしさと規模を競っています。山上からの眺望も秀逸でお勧めしたい城のひとつです

米子城の周辺スポット情報

 犬走(遺構・復元物)

 水の手御門(遺構・復元物)

 本丸北側石垣(遺構・復元物)

 登り石垣(遺構・復元物)

 枡形(遺構・復元物)

 四重櫓台石垣・忘れ石(遺構・復元物)

 築城初期の石垣(遺構・復元物)

 内膳丸石垣継足し痕(遺構・復元物)

 平櫓台・鏡石(遺構・復元物)

 番所郭(遺構・復元物)

 鉄門(遺構・復元物)

 遠見郭・遠見櫓(遺構・復元物)

 旧小原家長屋門(遺構・復元物)

 内膳丸北西隅石垣(遺構・復元物)

 水手御門腰郭石垣(遺構・復元物)

 水手御門下郭(遺構・復元物)

 八幡台郭(遺構・復元物)

 五重天守跡(遺構・復元物)

 四重天守跡(遺構・復元物)

 三の丸跡(遺構・復元物)

 内膳丸(遺構・復元物)

 本丸中仕切門跡(遺構・復元物)

 頂上、内膳丸跡登り口(碑・説明板)

 飯山城(周辺城郭)

 米子城跡天守東屋(スタンプ)

 米子市立山陰歴史館(スタンプ)

 スタンプ場所(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 有料駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 三の丸駐車場(駐車場)

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