鳥取藩台場(とっとりはんだいば)
鳥取藩台場の基本情報
通称・別名
- 鳥取藩台場跡[境台場・由良台場・淀江台場・橋津台場・浦富台場・赤崎台場]
所在地
- 鳥取県境港市花町他(地図は境台場を示す)
旧国名
- 伯耆国
分類・構造
- 台場遺跡群
天守構造
- なし
築城主
- 鳥取藩[すべて]
築城年
- 江戸時代後期[すべて]
主な改修者
- -
主な城主
- 鳥取藩[すべて]
廃城年
- -
遺構
- 土塁[淀江台場]
指定文化財
- 国史跡(鳥取藩台場跡)
再建造物
- 説明板[境台場]
周辺の城
-
十神山城(島根県安来市)[12.7km]
米子城(鳥取県米子市)[15.5km]
加賀城(島根県松江市)[15.9km]
真山城(島根県松江市)[17.5km]
春日城(島根県松江市)[17.8km]
白鹿城(島根県松江市)[17.9km]
松江城(島根県松江市)[19.1km]
勝山城(島根県安来市)[19.1km]
淀江城(鳥取県米子市)[19.6km]
新宮党館(島根県安来市)[20.4km]
鳥取藩台場の解説文
[引用元:Wikipedia「鳥取藩台場」の項目]
鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)は、鳥取藩が江戸時代の幕末期に領内8か所に築いた台場跡の総称。1988年7月27日うち5か所が国によって史跡に指定、2016年3月1日赤崎台場跡が追加指定されている。
概要
- 浦富台場跡(岩美町浦富) - 史跡。
- 浜坂台場跡(鳥取市浜坂)
- 賀露台場跡(鳥取市賀露)
- 橋津台場跡(湯梨浜町橋津) - 史跡。
- 由良台場跡(北栄町由良) - 史跡。
- 赤碕台場跡(琴浦町赤碕) - 史跡。
- 淀江台場跡(米子市淀江町今津) - 史跡。
- :指定面積2,619m2。1863年(文久3年)に築かれたもので、国産の大砲3門が供えられ、後に8門が増設された。特徴は、土地提供者、設計者、守備する兵士などすべてが、松波徹翁をはじめとする地元の人であったこと。現在も長さ65メートル、高さ5メートルの土塁が残り、公園として整備されている。
- 境台場跡(境港市境) - 史跡。
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鳥取藩台場の口コミ情報
2024年08月08日 RED副将軍
淀江台場[鳥取藩台場 周辺城郭]
鳥取藩が沿岸防備のために江戸時代末期に8カ所築いた鳥取藩台場跡で現存する6カ所のひとつ。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1863年に因幡鳥取藩主である池田慶徳の命により築かれた砲台跡です。地元の大庄屋である松波宏年が土地を提供し、長崎で蘭学や築城法を学んで帰郷した長男の松波宏元が設計をしました。
守備をした兵士も地元の人たちだったとされます。
見所
長さ約65m、高さ約5mの土塁が残り、かつては土塁の両端がさらに翼のように延びていたとされます。
大山町の晩田山から運ばれた赤土が使用され、築造当初は国産の大砲3門が備えられ、後に大砲8門が増設されたと云われます。
2023年11月08日 RED副将軍
赤崎台場[鳥取藩台場 周辺城郭]
鳥取藩が沿岸防備のために江戸時代末期に8カ所築いた鳥取藩台場跡で、現存する6カ所のひとつ。
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1863年に因幡鳥取藩主である池田慶徳の命により、武信潤太郎による設計で築かれた砲台跡です。
鳥取藩の重要な港のひとつである菊港や藩倉の防備を防衛するために築かれました。
見所
全国的に見ても珍しい半円形の台場でありましたが、昭和33年の国道9号の工事による残土処理で台場は埋め立てられてしまい空き地が広がるのみです。
しかし2016年に鳥取藩台場跡に追加指定された国指定の史跡です。
2023年10月12日 yumi出羽守【五七の桐】
鳥取藩台場
無料の駐車場があります(舗装なし)、トイレ完備。
2023年10月01日 RED副将軍
橋津台場[鳥取藩台場 周辺城郭]
鳥取藩が沿岸防備のために江戸時代末期に8カ所築いた鳥取藩台場跡で、現存する6カ所のひとつ。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1863年に因幡鳥取藩主である池田慶徳の命により、武信潤太郎による設計で築かれた砲台跡。
鳥取藩の重要な港ひとつである橋津湊や藩倉を防衛するために築かれました。
見所
西洋式の城塞プランが取り入れられ、斤砲、6斤砲、3斤砲、5寸径砲の計4門を備えたとされます。
但し、本海の荒波による侵食で台場の遺構は北側の大半が削られてしまい、南側の土塁と目隠し用のかざし土塁が残る程度です。
現在は、橋津お台場公園となり防風林の中にあります。駐車場、トイレ完備のロードサイドなので気軽に行けます。
2023年07月19日 則天図書頭無功
鳥取藩台場
海の日に訪れました。ニイニイ蝉の鳴く中、土塁に囲まれた台場と土塁の黒松を堪能しました。台場の中に駐車場があり、土塁上にはベンチも備えられ、ゆっくり時を過ごすことが出来ます。土塁の海側に境港灯台が無料公開していました。近くに水木ロードもあり、楽しめますよ。
2022年07月29日 RED副将軍
鳥取藩台場
登録地である境台場の投稿です。
幕末に鳥取藩によって8カ所に築かれた台場跡のひとつ✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1863年に沿岸防備の為に築かれた台場の一つ。鳥取藩の中では最大規模を誇り、大砲八門を備えていました。
見所
かつては土塁上に18斤砲2門、6斤砲1門、5寸径砲5門を据えていた大土塁。土塁の高さは最大7mと長大なもの。
2022年04月17日 RED副将軍
浦富台場[鳥取藩台場 周辺城郭]
鳥取藩が沿岸防備のために江戸時代末期に8カ所築いた鳥取藩台場跡で、現存する6カ所のひとつ。因幡地区に残るのはここだけです。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1863年に藩執政職にあった鵜殿長道が浦富海岸に築いた砲台跡。東西約100m、土塁の幅は約13m、高さ約3mで2ヶ所に稜をもつ西洋式。12斤砲、6斤砲、5寸径砲等4門の大砲が備えられていました。
見所
現在は、浦富お台場公園として整備。両翼開放型の巨大な土塁が残ります。
浦富海水浴場の駐車場から道を挟んで直ぐです。
2021年08月21日 ビーンズマン左兵衛督
横田山城[鳥取藩台場 周辺城郭]
境水道を見張るための砦であったと思われる。境水道側から登れる。鳥居が目印。主郭には少し、石垣も見られる。
2021年02月20日 ビーンズマン左兵衛督
鳥取藩台場
鳥取県内に現在5箇所が残る。江戸末期にはもっとあったが、破壊などされ残っていない。由良、境、淀江、橋津、浦富。赤崎台場もあるが、完全な形では残っていない。
2020年07月24日 【城郭道】たっきー
淀江台場[鳥取藩台場 周辺城郭]
淀江駅より日本海側へ向かうと公園となっている淀江台場跡があります。
1863年に外国船の来襲に備えて全国各地に造られたもののひとつで鳥取県内には8ヶ所あるそうです。アプリ内だと鳥取藩台場がさらにあたります。
鳥取藩は、お台場の警備を、因幡地方については藩士に、伯耆地方については郷士や大庄屋に分担させました。淀江台場に関しては、松波宏年(徹翁)[まつなみひろとし(てつおう)]が所有の田畑を砲台の敷地として無償提供し、砲台の築造は、長崎で蘭学や築城法を学んで帰郷した松波宏年(徹翁)の長男・宏元の設計によるものでした。淀江台場跡の特徴は、土地を提供した人、設計した人、守備する兵隊などすべてが、松波宏年(徹翁)をはじめとする地元の人たちだったということです。こののち、松波宏年(徹翁)は、第2次長州征伐後、戊辰戦争などで活躍しました。
1898年以降、養良(ようりょう)高等小学校(旧淀江産業技術高等学校の前身)の建設に伴って、土塁の一部が削られました。その後、何度かの変遷がありながらも、養良高等小学校は1970年に県立西部農業高等学校となって移転し、「お台場公園」として整備されました。
米子城から車で15分、米子城へ行った際は、是非行ってみてください。
2019年04月07日 織田上総介晃司
鳥取藩台場
由良台場について
残っている鳥取藩台場のなかでは一番状態良く遺構が残ってます。
由良台場のそばに駐車場もあります。
すぐ近くには道の駅大栄や青山剛昌ふるさと館があります。
また、「コナンロード」もあり、家族連れでも楽しめるはずです。
なお、由良台場ではポチできません。
念のため。
2015年08月07日 帰蝶姫因幡守
鳥取藩台場
鳥取県内各地にある台場跡。指定名称は「鳥取藩台場跡 由良台場跡(ゆらだいばあと) 境台場跡(さかいだいばあと) 淀江台場跡(よどえだいばあと) 橋津台場跡(はしづだいばあと) 浦富台場跡(うらとみだいばあと)」。江戸末期、海防の必要性が高まるなか、鳥取藩によって築造された海岸砲台場8ヵ所のうち、5ヵ所が現存している。由良台場跡、境台場跡、淀江台場跡、橋津台場跡は1988年(昭和63)に国の史跡に指定、1998年(平成10)に浦富台場跡が追加指定されている。農民らが積極的に協力して築造し、西洋式の城塞プランが採用されるなど、藩築造の台場として特徴があり、幕末史を理解するうえで重要な遺構である。由良台場跡は、鳥取県東伯郡北栄町由良にあ
る。是非一度来てみて!
2015年08月07日 真牛織部正@地元イベ不参加
鳥取藩台場
由良台場は史跡指定されている5つの鳥取藩台場のうち、最も遺構が良好に残っています。
駐車場もすぐ近くにあり、隣接するお台場公園や道の駅大栄・青山剛昌ふるさと館などの施設にも近いので、ご家族でのお出かけにもオススメですよ。