淀江台場

淀江台場([鳥取藩台場  周辺城郭])

鳥取藩台場 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「淀江台場」の地図・口コミがご覧頂けます。

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淀江台場の口コミ情報

2024年08月08日 RED副将軍


鳥取藩が沿岸防備のために江戸時代末期に8カ所築いた鳥取藩台場跡で現存する6カ所のひとつ。

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1863年に因幡鳥取藩主である池田慶徳の命により築かれた砲台跡です。地元の大庄屋である松波宏年が土地を提供し、長崎で蘭学や築城法を学んで帰郷した長男の松波宏元が設計をしました。
守備をした兵士も地元の人たちだったとされます。

見所
長さ約65m、高さ約5mの土塁が残り、かつては土塁の両端がさらに翼のように延びていたとされます。
大山町の晩田山から運ばれた赤土が使用され、築造当初は国産の大砲3門が備えられ、後に大砲8門が増設されたと云われます。

2020年07月24日 【城郭道】たっきー


淀江駅より日本海側へ向かうと公園となっている淀江台場跡があります。
1863年に外国船の来襲に備えて全国各地に造られたもののひとつで鳥取県内には8ヶ所あるそうです。アプリ内だと鳥取藩台場がさらにあたります。
鳥取藩は、お台場の警備を、因幡地方については藩士に、伯耆地方については郷士や大庄屋に分担させました。淀江台場に関しては、松波宏年(徹翁)[まつなみひろとし(てつおう)]が所有の田畑を砲台の敷地として無償提供し、砲台の築造は、長崎で蘭学や築城法を学んで帰郷した松波宏年(徹翁)の長男・宏元の設計によるものでした。淀江台場跡の特徴は、土地を提供した人、設計した人、守備する兵隊などすべてが、松波宏年(徹翁)をはじめとする地元の人たちだったということです。こののち、松波宏年(徹翁)は、第2次長州征伐後、戊辰戦争などで活躍しました。
1898年以降、養良(ようりょう)高等小学校(旧淀江産業技術高等学校の前身)の建設に伴って、土塁の一部が削られました。その後、何度かの変遷がありながらも、養良高等小学校は1970年に県立西部農業高等学校となって移転し、「お台場公園」として整備されました。
米子城から車で15分、米子城へ行った際は、是非行ってみてください。




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