月山富田城(がっさんとだじょう)

月山富田城の基本情報

通称・別名

月山城、富田月山城、富田城

所在地

島根県安来市広瀬町富田

旧国名

出雲国

分類・構造

複郭式山城

天守構造

築城主

佐々木義清?

築城年

文治元年(1185)頃

主な改修者

尼子経久、堀尾吉晴

主な城主

尼子氏、吉川氏、堀尾氏

廃城年

慶長16年(1611)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、虎口、井戸

指定文化財

国史跡(富田城跡)

再建造物

石垣、侍所、石碑、説明板

周辺の城

新宮党館(島根県安来市)[1.1km]
勝山城(島根県安来市)[2.6km]
布部城(島根県安来市)[7.3km]
春日城(島根県松江市)[9.7km]
十神山城(島根県安来市)[10.6km]
法勝寺城(鳥取県西伯郡)[13.0km]
牛尾城(島根県雲南市)[14.3km]
米子城(鳥取県米子市)[14.5km]
玉造要害山城(島根県松江市)[16.8km]
松江城(島根県松江市)[17.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

65 月山富田城

設置場所

安来市立歴史資料館[地図

月山富田城の解説文



月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在した日本の城。月山(標高183.9m[1][2][3])に営まれる。戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。城郭跡は国の史跡に指定されている。

概要 

歴代の出雲国守護職の居城で1396年から1566年(戦国時代)には大名尼子氏の本拠地となり以後尼子氏とともに山陰の要衝の地となった。尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれていた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われたが最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった。

1600年(慶長5年)以降、堀尾氏が城主となるも1611年(慶長16年)に堀尾忠晴が松江城へ移ると月山富田城も廃城となった。それまでは、山陰の首城たる地位を失わなかった。1934年(昭和9年)、国の史跡に指定された。日本五大山城の一つとされることもある。

歴史・沿革 

平安時代

  • 保元・平治頃、「平景清が富田荘に来た時、八幡社を移して、築城した」との伝承あり。

鎌倉時代

1221年(承久3年)の承久の乱の功により、佐々木義清が出雲・隠岐2国の守護となり[4]、彼国に下向し、承久の乱宮方の歿官領である月山富田城に入る。

南北朝時代

  • 1341年(南朝:興国2年、北朝:暦応4年) 出雲源氏の惣領塩冶高貞が幕府の追討を受ける。
  • 1343年(南朝:興国4年、北朝:康永2年) 佐々木高氏(京極氏、道誉)が守護となり、吉田厳覚を守護代とする。
  • 吉田厳覚、山名時氏と戦って破れ、当城は山名氏領となる。
  • 1364年(南朝:正平19年、北朝:貞治3年) 山名時氏、出雲国守護となる。代々歴任。
  • 1391年(南朝:元中8年、北朝:明徳2年) 山名満幸、明徳の乱で敗れ、再び京極氏が守護となる。

室町時代

  • 1392年(明徳3年) 京極高詮は、甥の尼子持久を守護代とする。代々歴任。
  • 1484年(文明16年) 守護代尼子経久所領横領により追放され、塩冶掃部介が守護代となる。
  • 1486年(文明18年) 尼子経久、不意をついて当城を奪回。(その後、尼子経久は月山富田城を拠点に勢力を拡大し、出雲の実質的守護権力となる。城域を拡大・整備する)
  • 1537年(天文6年) 尼子経久、孫詮久(晴久)に家督を譲る。
  • 1541年(天文10年) 尼子経久没す。
  • 1543年(天文12年) 大内・毛利連合軍に攻められるが、新宮党尼子国久らの奮戦により撃退。
  • 1552年(天文21年) 尼子晴久、足利義輝及び朝廷より山陰山陽八ヶ国守護、従五位下修理大夫に任命される。
  • 1554年(天文23年) 尼子晴久、新宮党を粛清する。
  • 1560年(永禄3年) 尼子晴久急死し、義久が家督を継ぐ。
  • 1565年(永禄8年) 毛利氏の包囲を受け、籠城。
  • 1566年(永禄9年) 兵糧が尽き、開城。義久捕らえられ、安芸国へ送致される。城代として毛利家臣、福原貞俊、口羽通良が居城。

安土桃山時代

  • 1567年(永禄10年) 城代として天野隆重が居城。
  • 1569年(永禄12年) 尼子氏旧臣山中幸盛ら尼子再興軍を催して当城を攻めるも、落ちず。
  • 1570年(元亀元年) 毛利勢本隊の来援により、尼子再興軍は敗退する。
  • (この間は、下記「歴代城主」参照)

江戸時代以降

  • 1611年(慶長16年) 堀尾忠晴が松江城に移り廃城となる。
  • 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(65番)に選定された。

近現代

  • 平成に入り、樹木の伐採、石垣の修理など史跡公園としての整備が進められる[5][6]
  • 2014年(平成26年)12月、発掘調査と現地説明会が行われた[7]

歴代城主 

  • 佐々木義清:出雲・隠岐の守護。1221年(承久3年)-。
  • 佐々木泰清:出雲・隠岐の守護。
  • 富田義泰
  • 富田師泰
  • 富田秀貞
  • 吉田厳覚:佐々木高氏の守護代。1343年(南朝:興国4年、北朝:康永2年)-。
  • 富田秀貞:山名時氏の目代。1364年(南朝:正平19年、北朝:貞治3年)-。
  • 山名師義
  • 山名時義
  • 山名満幸
  • 塩冶師高:山名満幸の目代。
  • 京極高詮:出雲国守護。1392年(明徳3年)-。
  • 尼子持久:京極高詮の守護代。1395年(応永2年)-。
  • 尼子清定:出雲国守護代。1467年(応仁元年)頃-。
  • 尼子経久:出雲国守護代であったが、1484年(文明16年)追放される。1486年(文明18年)富田城を占拠。-1537年(天文6年)家督を譲る。
  • (塩冶掃部介):出雲国守護代。1484年(文明16年)-1486年(文明18年)戦死。
  • 尼子晴久:1537年(天文6年)-1560年(永禄3年)尼子氏最盛期を創出するもその最中に急死。
  • 尼子義久:1560年(永禄3年)-1566年(永禄9年)元就率いる毛利軍に攻められ、落城。
  • 福原貞俊:毛利氏の城代。
  • 口羽通良:毛利氏の城代。
  • 天野隆重:毛利氏の城代。1567年(永禄10年)-1569年(永禄12年)。
  • 毛利元秋:城督。1569年(永禄12年)-1585年(天正13年)病没。
  • 末次元康:城督。1585年(天正13年)-1591年(天正19年)
  • 吉川元春:山陰諸国を総管。
  • 吉川広家:豊臣秀吉から東出雲、隠岐、西伯耆12万石を与えられる。1591年(天正19年)-1600年(慶長5年)岩国転封。
  • 堀尾吉晴:出雲・隠岐23万5千石領主となり松江城を築く。1600年(慶長5年)-1611年(慶長16年)病没。
  • 堀尾忠晴:1611年(慶長16年)廃城とし、松江城に移る。

構造 

富田城は靴のような形の月山(吐月峰、標高191.5m)山上に本丸をおく典型的な山城である。

南東以外の三方は急峻な斜面であり、北側を正面とし、山麓部から山頂部へ郭を連ねる。進入路は、北麓の菅谷口(すがたにぐち)からの大手道(おおてみち)、富田橋を渡った正面の御子守口(おこもりぐち)からの搦手道(からめてみち)、南麓の塩谷口(しおだにぐち)からの裏手道(うらてみち)の3か所がある。これらの全ての登り口には城門を構え、門の外には深い堀がめぐらされ、そこから飯梨川(現在の西2~400mを流れていた)までが城の外郭となっていた。すべての進入路は山腹の山中御殿に通じ、急峻な一本道「七曲り」で、詰の城である山頂部と結ぶ。

現存する古絵図では石垣や瓦葺きの櫓などが描かれているが、これらの古絵図が描かれたのは江戸時代である(後述の城安寺が所蔵している堀江友声作の「月山古城絵図」など)、発掘されている石垣が作られたのは関ヶ原の戦い後の堀尾氏による改築と推定される。尼子氏・毛利氏が城主であった時代の姿は、定かではないが、尼子氏の館(平素の住居)は里屋敷とよばれ菅谷口にありまわりに侍屋敷を設けたとされる。

山頂部の郭

本丸
月山最高所(吐月峰)に位置し、別称は"甲の丸"とも言われる。二の丸とは深さ7~8mの堀切で仕切られる。ここに所在する勝日高守神社は城の守護神社で、築城以前から所在したと伝えられる。
二の丸
三の丸に続き、遠くに中海、さらに日本海を望むことができる。双児井戸跡が残る。また、発掘調査の結果、建物跡や柱穴の跡、備前焼の瓶等も発見され、破城の際に崩された石垣も発見されている。
三の丸
袖ヶ平の石垣を隔てた一段上に位置する。また、発掘調査の結果、破城の際に崩された石垣が発見されている。
袖ヶ平(そでがなり)
「七曲り」を登りきったところにあり、西方を監視する櫓があったと伝わる。石垣が残る。
鉢屋ヶ成(はちやがなり)
山頂部、本丸の北東側に位置し、尼子経久の富田城奪回に協力した鉢屋氏ゆかりの地とも伝わる。
七曲り
山中御殿平から山頂部へ続く道。かなり急峻で、現在は石畳で舗装されている。途中に堀尾河内守・掃部父子を供養する親子観音、山吹井戸がある。

山麓部の郭と門

山中御殿平(さんちゅうごてんなり)
御殿が所在したところで、麓の里御殿に対して山中御殿と呼ばれたものと考えられている。上下2段に分かれており、南側上段に城主の館、北側下段に付属の館があったと伝わる。発掘調査によって建物の基礎とみられる石列が確認されたが、時代は特定されていない。
大手門跡(おおてもんあと)
大手道、搦手道、裏手道が合流する山中御殿平の入口に位置する。高さ5m、幅15mの大手門は、押し寄せる敵を押し返したと伝わるが、崩落して現存しない。この大石垣の下には径2m、深さ3mの軍用大井戸があり、現在でも水が湧いている。
花ノ壇(宗松寺平(そうじょうじなり))
大手道と搦手道の間、山中御殿平の正面、一段下に位置する。かつて、多くの花が植えられていたことからこの名がついたといわれる。発掘調査をもとに主屋と侍所が復元されている。
奥書院平(おくしょいんなり)
大手道と搦手道の間、太鼓壇と山中御殿平の間に位置する。奥書院があったと伝えられ、現在は戦没者慰霊碑が建っている。
太鼓壇(たいこだん)
千畳平に続く南側の郭で、時と戦を知らせる大太鼓が置かれていたと伝わる。現在、山中幸盛の銅像と尼子氏の碑が建っている。
千畳平(せんじょうなり)
太鼓壇に続く北側の郭で、御子守口の正面に位置し、城兵集合の場として使われたといわれる。北端には尼子神社と櫓跡があり、周囲に石垣が残る。
馬場跡(ばばあと)
太鼓壇・千畳平の北側に位置する。
能楽平(のうがくなり)
御子守口からの搦手道と塩谷口からの裏手道の間に位置する。西端に幸盛井戸がある。
御茶庫台(おちゃこだい)
巌倉寺の奥、西側最下段に位置し、飯梨川に面する。堀尾吉晴の墓と伝わる巨大な五輪塔と、堀尾吉晴の妻の建てた山中幸盛の慰霊碑がある。
台東成(だいとうなり)
裏手道の正面に位置する。石垣が残る。
搦手門(からめてもん)
南側の塩谷口から山中御殿平に続く門で、御殿平の南側に位置する。石垣が残り、尼子経久が塩冶掃部介を襲撃した際には、ここから侵入したと伝えられる。
菅谷虎門(すがたにとらもん)
北側の菅谷口から山中御殿平に続く門で、石垣が残る。

その他の施設

城安寺(じょうあんじ)
菅谷口にある臨済宗の寺院。雲竜寺と号し、聖観音をまつる。寺伝によると正和年間、源翁和尚の開山という。堀尾忠晴と共に一時、松江に移ったが、のち広瀬に戻り、さらに広瀬藩陣屋の予定地とになったため、現在地に移された。この付近に里御殿があったという。寺にある木造広目天立像(像高97.6cm)は1902年(明治35年)、木造多聞天立像(像高95.7cm)は、1903年(明治36年)に重要文化財に指定されている。2体ともヒノキの寄木造りで、鎌倉時代の作、本尊の脇侍である。境内には広瀬藩9代藩主松平直諒の墓、また寺宝に直諒の御抱絵師であった堀江友声の描いた富田城絵図や尼子十勇士の絵巻物が伝わる。
巌倉寺(いわくらでら)
御子守口にある真言宗の寺院。睡虎山と号し、聖観音をまつる。縁起では726年(神亀3年)、聖武天皇の命により行基が建立したと伝える。もと月山の南にある高木山を佐々木義清が御子守神社とともに、城内に移したものと伝えられる。本尊の木造聖観音像は高さ1.8m、ヒノキの一木造りで、脇侍の帝釈天立像とともに重要文化財に指定されている。また、1592年(文禄元年)銘の鉄燈籠は、市指定文化財となっている。
御子守神社(おこもりじんじゃ)
御子守口にある鬼子母神を祀る神社。巌倉寺と同じく、もと高木山にあったものを佐々木義清が、城内に移したものと伝えられる。
塩冶興久の墓(えんやおきひさのはか)
御子守口、道の駅駐車場の裏手に建っている。
新宮党館跡(しんぐうとうやかたあと)
北麓の新宮谷に位置し、尼子氏新宮党の館が置かれた。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」
  • 【書籍】「毛利戦記 : 大内、尼子を屠った元就の権謀」
  • 【書籍】「状況判断」(第6部4 富田城攻防戦)

補註 

月山富田城の口コミ情報

2022年06月27日 ゆかりん
月山富田城

七曲がりは、かなりきついので水分は、必須!足元は整備されているし、本丸後の眺めは、圧巻でっす!尼子見張り番の気分で四方を見渡しました。

2022年05月03日 橙百姓
月山富田城

安来市立歴史資料館前の駐車場を利用しました。駐車場自体は広いのですが、一台ずつの区画が狭いので注意が必要かと思いました。トイレは上記駐車場以外にも登城途中の尼子神社付近、山中御殿付近にありました。

100名城スタンプは安来市立歴史資料館入り口に設置されていました。(一階は無料、2階有料)御城印、武将印?も購入できます。

2022年05月01日 竹中和泉守じゅん兵衛
月山富田城



「七曲り」は超推奨です、当時の最強防御を整備された歩きやすい階段を登って堪能できる企画は素晴らしいです。二ノ丸建屋では山中鹿介デザイン登頂記念スタンプが押せます。

2022年04月01日 但馬守猿将軍
大土塁と空堀[月山富田城  遺構・復元物]

大土塁とその裏に竹林になってますが大規模な空堀があります。

2021年05月04日 野良犬しろチロ丸
月山富田城



資料館からは本丸まで約45分くらいで登頂できました。

2021年05月02日 八幡川右京大夫猿猴
月山富田城



御城印をいただく為に安来市立歴史資料館を訪れたら、受付の方が、もし富田城に登られるのならと、親切に案内地図をくれて、登り方を教えて頂きました。また登山用ストックも沢山用意されており、貸して頂けました。

城は登山道が整備されており、石垣の壮大さや、一部の建物が中世の面影をよく復元されており、見応えがありました。本丸の標高は190mと、軽い登山をしますが、山頂は中海まで見渡せる絶景が広がります。登る価値は、多いにありますよ。

2020年11月20日 かねたん弾正大弼
月山富田城



人気第1位の山城と言われている通りの城ですっかり気に入りました。本丸の奥の神社も二ノ丸、三ノ丸の佇まいも最高です。山中鹿介にちなんで山中御殿というのかと思ったら「さんちゅうごてん」でした。尼子氏の城ですからそんなわけないですよね笑

2020年10月21日 天河水宮内卿
月山富田城

安来駅に千田先生がリア攻めされた際に鉄砲隊に銃撃された写真等掲示ありwww(和解の写真もあり) 道は整備されているので小さい子でも攻城可能。麓の安来歴史史料館に杖貸し出しあり。手荷物は300円で預けられます。安来駅コインロッカーは400円。 建物遺構はないが、石垣や壇などから往時の規模が十分偲ばれる。訪れて良し、見上げて良しの名城。
尼子の武将様方は麓でも登用できますが、経久様だけは本丸で浪人されていました。

2020年10月18日 カズ@大高の信長
月山富田城

麓の資料館のガイド?さんに見どころ、写真スポットを聞いて、地図など資料をゲットしてから登城することをお勧めします。

2020年02月22日 KAZ中務卿正勝
堀尾吉晴公墓所[月山富田城  寺社・史跡]



堀尾吉晴公と次女の小那姫のお墓があります。
吉晴公の左側奥には、吉晴公の奥方が建てられた山中鹿介公の供養塔もありました。
周りには、梅の木や桜の木が植えてあるので
春は綺麗でしょうねー(^-^)

2020年01月17日 霜村加賀守聡慶
月山富田城



やっと念願の登城!
中世と近世どちらの造りも満喫できました!三の丸からの景色で、この場所になぜ造られたか、よくわかりました。歴史資料館のそばやさんで車を停め、登城。往復約一時間半で全部見れます

2019年09月05日 KAZ中務卿正勝
尼子経久公 像[月山富田城  碑・説明板]



三日月公園の中にあります。
銅像と共に、山中鹿介が祈った三笠山や毛利が陣取った勝山などの写真付き説明があります。

2019年09月05日 KAZ中務卿正勝
品川大膳のお墓[月山富田城  碑・説明板]



車は駐車場も無く、入る事が出来ません
石碑写真の右側にお墓がありました

2019年09月05日 KAZ中務卿正勝
一騎討ちの石碑[月山富田城  碑・説明板]



永禄八年、尼子側の山中鹿介と毛利側の品川大膳がこの辺りで一騎討ちしたらしいっす(=゚ω゚)ノ
病院のジャリの駐車場じゃ無くて、アスファルトの駐車場の奥にありました。

2019年06月05日 あきおこ
月山富田城



三ノ郭の石垣。三ノ郭前方の石垣は階段状に積み上げられ山麓からもはっきり見える。山中御殿に高石垣がある事から技術不足で階段状にしたというより見せる為に築かれた石垣にも思える

2019年06月04日 あきおこ
月山富田城



三ノ郭から城下を見る。山頂の曲輪は樹木が刈り払われ四方の素晴らしい景色を見渡せる。感動の景色!。眼下に江戸時代の広瀬藩城下町が広がる

2019年06月03日 あきおこ
月山富田城



主郭と二ノ郭間の大堀切。石垣はニノ郭側に築かれているが主郭側には石垣が無い。主郭は尼子時代の遺構を留めている様で削平が甘い所もある。ニノ郭、三ノ郭は削平が丁寧で総石垣となり尼子以降の改修で主郭が捨てられた様に感じた

2019年06月03日 戦争反対!大膳大夫城弾正
三ノ丸虎口[月山富田城  遺構・復元物]



山中御殿からつづら折れの登城道を登り、石垣の左手から三ノ丸虎口に至る。三ノ丸虎口には礎石が確認できる(写真)。虎口幅は現状で約3.6mを測り、間口約2間の門が建っていたと思われる。
通路は右にクランク状に折れ、門の背後の石垣は外側に折れており、背後射撃を加えられる防禦上の工夫が見られる(写真)。

2019年05月23日 沼田上野介
月山富田城



本丸より見下ろす米子方面の日本海と三の丸から見る御殿と城下。
現地の説明の通り戦時に街道を見張り城を守るには強いですが、平穏になると街道、海岸は遠く城下は水害の危険と不便。

2019年05月03日 陸奥守たろす
本丸[月山富田城  遺構・復元物]



本丸◆二ノ丸から大堀切越しに本丸を望む。大堀切も含め周囲を険しい崖に守られ天然の要害と呼ぶにふさわしい様相である◆現在、本丸には勝日高守神社、山中鹿介幸盛記念碑が建つ

2019年05月03日 陸奥守たろす
三の丸石垣[月山富田城  遺構・復元物]



三ノ丸石垣◆山上でありながらしっかりと腰巻石垣が巡らされている。城塁には折れも認められ進行ルートを複雑にしている◆この石垣を目にすることで七曲りを登ってきた疲れを癒してくれることであろう

2019年05月03日 陸奥守たろす
菅谷口虎口[月山富田城  遺構・復元物]



菅谷口虎口跡石垣◆菅谷口の虎口は山中御殿の東に位置する。石垣は山中御殿を囲むように延び、往時は櫓が建てられていた

2019年05月03日 陸奥守たろす
塩谷口虎口[月山富田城  遺構・復元物]



塩谷口虎口跡石垣◆塩谷口の虎口は山中御殿の南西に位置する。間口は非常に狭く、かつ高さもあり、ここを抜くのは至難の業◆ここから右側には大手側に続く高石垣があり、是非上下からその高さを実感して頂きたい

2019年05月03日 陸奥守たろす
大手口[月山富田城  遺構・復元物]



山中御殿・大手虎口跡◆山中御殿北西部には大手口があり、虎口内部は内枡形となっており、虎口外の両側の石垣は斜めに張り出し大手の防御を固めていた◆山中御殿は3000m2の広さがあり、周囲を全て石垣で囲んだ堅固な曲輪であった◆山中御殿南側塩谷口虎口付近から北方を望む、画像左奥に花ノ壇、右奥に菅谷口虎口

2019年05月03日 陸奥守たろす
堀切[月山富田城  遺構・復元物]



花ノ壇南側堀切◆画像右側が花ノ壇、かつて花が多数植えられていた曲輪で現在は侍所が復原されている。御子守口からの登城道に目を光らせ、深さ5mほどの堀切もその役目を果たす

2019年05月03日 陸奥守たろす
山中御殿[月山富田城  遺構・復元物]



山中御殿跡◆3000m2の広さを誇る平地に山中御殿と呼ばれた建物があった、上下二段にわかれており、周囲を全て石垣で囲んだ堅固な曲輪であり、もっとも重要な心臓部であった◆山中御殿南東付近から上段・大手口方向を望む

2019年04月25日 愛甲太閤相模の狂人
大堀切[月山富田城  遺構・復元物]



大堀切の手前、二の丸の突端からは本丸の全貌をよく見渡せます。足元の斜面は急で、ドンづまりは石垣になっていますが、本丸側はだいぶ緩やかです。

2019年04月24日 陸奥守たろす
大堀切[月山富田城  遺構・復元物]



大堀切◆二の丸(奥)と本丸(手前)との間には幅20m深さ7mほどの大堀切があり、見事な石垣が積まれている

2018年10月10日 石畳治部少輔三成
月山富田城

尼子氏や月山富田城のマニアックな本が買えると噂の道の駅ですが、水曜日は定休日です。資料館の方に確認してみましたが、ほかに扱ってる施設分からないとのことでした。書籍も目当ての方は水曜日は避けましょう(泣)

2018年05月03日 あーす
月山富田城

からだの丸い黒いクマンバチがたくさん飛んでいますが、温厚なので危害を与えなければ襲ってきません。
階段の高さは緩やかで子どもでも登れるようになっていますが、結構長いので、ヒールや重い靴はやめたほうが無難でしょう。
飲み物持参をオススメします。

2018年03月23日 筑前守よっちゃん
月山富田城

本丸に行く前に、近くの富田八幡宮に参拝しました。
宮司さんが、とても親切な方で月山富田城についてもいろいろ説明してくださいました。
実際に城攻めする前に立ち寄るのもオススメです。

2017年11月25日 【感謝】☆あんず
月山富田城

スタンプがある歴史資料館は、月山富田城跡整備事業に伴う施設改修工事のため、平成29年10月1日(火)~平成30年3月31日(土)(←予定)まで休館です。
スタンプは、その資料館隣りの道の駅「月山富田城」の中か、広瀬絣(かすり)センターの渡り廊下のところに置いてあります。
そこで、ガイドブックに載っているマップより詳しい月山全体の地図も無料でもらえましたよ。

2017年05月20日 征夷大将軍慶誾尼☆寧
月山富田城

百名城スタンプは歴史資料館入口右の机の引き出しの中に入ってます。
勝手に押して帰っていいそうです。
(案内所の方の話

2017年05月08日 小早川安芸守ケンケン
月山富田城

百名城の中で、歴史研究家が選ぶベスト2の城とパンフレットに記述されている。
駐車場完備。山頂近くの本丸跡まで徒歩で15分程度。

2017年05月08日 jump
月山富田城

観光協会のお姉さんに教えてもらった情報です。下から上がる自信がなければ、途中に駐車場があるので、そこまで車で行ってみてください。ただ、トイレの数が少ないのと自販機はないので、準備してから登城してください。春以降は、UV対策のできる羽織もの、帽子をオススメします。たまに、ヒールで上ろうとする方もおられますが、それはおすすめできません。とのことでした。

2017年05月03日 左衛門尉しのぞー
月山富田城

山中(さんちゅう)御殿の近くまで車で行けます(砂利駐車場、容量10台程度)。山中御殿までそこから10分弱。山中御殿から七曲りを上る(急勾配だけど最近整備されたので登りやすい)のに10分弱。上りきってから本丸跡付近まで5分程度。
合計すると、往復1時間程度でした。
歩き慣れてる人なら30分で往復も出来るかも。
慣れてない人(私)は七曲りでバテるので、タオルと水分あった方が良いです。
駐車場の位置は歴史資料館の方に聞いたら分かりやすく教えていただきました。

2017年03月13日 織田上総介晃司
月山富田城

今回訪ねて驚いたのは(前回2015/05/03)
山中御殿から三の丸に続く七曲りの木が伐採されて、七曲りが手すりのあるコンクリの階段になっていた事。
麓の山中御殿から三の丸の石垣が確認できるが、どことなく殺風景な感じは否めない。私は植樹することを望む。
本丸まで登るのであれば水分は必需品です。

月山富田城から北へ進むと足立美術館と鷺の湯温泉があります。登城の疲れを落とすのもいいですよ。

発掘調査で新たな土塁が発見されました。

初めて来られる方に
月山富田城の向かいの山に櫓が見えますが、それは月山富田城ではありません。
富田山荘という宿泊兼温泉施設です。
ご注意を(笑)

2016年08月07日 みやび姫
月山富田城

山中御殿まで行けます。ここはやぶ蚊は出ないようで虫除けスプレーの心配は要りませんでした。案内板通りに進めば各所見られるのでひとり歩きでも問題無いです。

2016年05月24日 駿河守武蔵守
月山富田城

平成28年10月まで工事中の為、本丸
には登れませんのでご注意を。

山中鹿介と尼子経久の銅像や、新宮党
の跡、尼子経久、晴久の墓などなど、
見どころは沢山あるので、尼子好き、
鹿介好きの方々は楽しめるかと。
今回で3回目でしたが、本丸に行けず
とも楽しめました。

全部じっくり回ると1日がかりですが、
歩き回って、城の隣の富田山荘で、
城を眺めながら入る露天風呂は最高です。




2015年11月28日 あも図書頭
月山富田城

電車で行きましたが、駅で大荷物を持ってオロオロしていたら安来駅の駅員さん飛んできて運んでくれ、観光案内の人もバスの発車から、寒いからギリギリまで中で待っててくださいと、当たり前の様に優しくしてもらい…
イエローバスの運転手さんに道すがら色々とお話もしてもらい、楽しかったです。
是非安来駅利用してください。
ただ、外回りの循環バス乗っちゃうと1時間かかります
内回りでどうぞ!
口コミ通り、歴史博物館は微妙でしたが…

2015年11月17日 カーネル
月山富田城

米子駅から始発の広瀬行きのイエローバスに乗るため、始発が発車する前に米子城へ
下山後に急いで米子駅に戻ってからバスに乗ったら、バスが米子城の前を通過するので愕然としました
米子城前にバス停もあるので、この2つのお城に行かれるかたは参考にしてください

広瀬行きのイエローバスでは安来市立病院前で下車して歩きます。月山冨田城の麓の歴史資料館は、飯梨川を挟んだ反対側にあります
スマホがない時代に初めて来た時に、お城の場所がわからなくて病院の看護婦さんに聞いたら、周囲を巻き込んで凄い調べてくれた
いい人だぁ、と思いつつお城が地元に認知されてない悲しさも味わいました

今回は2回目だったこともあり、病院から本丸まで迷うことなく、むしろ寄り道しつつも45分くらいで着きました

なお、資料館前には月山入口というバス停もあり、米子駅と発着してます


2015年10月29日 アマビエ土佐守
月山富田城

月山冨田城★★★★
安来市は来年より二ノ丸・山中御殿付近の大規模山林伐採計画があり、遠方より二ノ丸・山中御殿の石垣を見渡せる景観重視の伐採に入ります!!
個人的には天空の城○○城等の観光地化は望まず、今後の安来市伐採状況を注視する必要があります。

安来市観光案内所★
JR安来駅内にありますが、月山冨田城がある広瀬町の知識が乏しく、話しになりませでした!まさに、市町村合併の影響でしょうか?話しになりません。

道の駅広瀬・冨田城★★★
広瀬町のガイドさんが常駐されています。広瀬町月山冨田城、月山冨田城図面、山中鹿介所縁の地巡り、期間限定の尼子十勇士スタンプラリー等のパンフレットを頂けます。
また、道の駅内に広瀬絣センターのお兄さんは尼子氏等の歴史、松江市内への抜け道、松江ののグルメ、温泉等にも詳しく大変御世話になり、この場を御借りし御礼を申しあげたい!!

2015年09月30日 河野治部少輔かぱ通
月山富田城

広瀬絣センター前に車を停め、隣の安来市立歴史資料館を見学し、御子守口から登城しました。山中御殿手前に綺麗なお手洗い有。山中鹿介像や、石垣、七曲など非常に迫力があります。ついでに尼子十勇士スタンプラリーが開催中でしたので応募してきました。地域全体の雰囲気も良く、周辺の史跡も距離が近くて巡りやすいです。また行きたいな〜。

2014年08月18日 kuwat勘解由長官aman
月山富田城

資料館で教えてもらったのですが,資料館/道の駅から飯梨川の上流方向にちょっと行って左に折れて細い道を登って行くと山中御殿の少し手前に駐車場があります。出来たばかりのようで,まだ看板もなく資料にも書いてありません。10台停められますが,駐車は1台のみでした。ちょっと歩くと七曲りなので,ここまで車で上がると随分と楽です。

2014年07月03日 若江河内守國助93.8%
月山富田城

資料館の駐車場は、雨の日に水溜まりができます。降車の際は足元にご注意下さい。
私はドボンでした。
(;^_^A
雨の日は道の駅の駐車場に停めるといいでしょう。
(^^)

2013年12月27日 蔵人頭ピロシキ
月山富田城

100名城スタンプの置き場所の資料館は、内容が脆弱です。スタンプだけで退散が良いでしょう。
本日は、登城開始と同時に雨。三ノ丸からみぞれに(ーー;)
しかし、こんな日でも訪問しに来る同志が三人も!
初めて他人に会いましたw

2012年09月17日 やま三河守すけ
月山富田城

山中鹿之助の像と山中御殿までは、車で簡単に行くことができますが、それ以外は、結構野生動物(昆虫含む)と格闘があります

2010年06月09日 ムッシュ荒木ムラ村重
月山富田城

追記です

尼子盛衰記に想いを馳せるなら、川中島一騎討之処(山中鹿之助品川大膳)や品川大膳のお墓、また谷を一つ隔てた新宮党館跡も枯れたカンジがオススメです

2010年06月09日 ムッシュ荒木ムラ村重
月山富田城

綺羅星の如く見所満載、「これぞ100名城!」と誉め称えたくなります
太鼓壇の山中鹿之助銅像に始まり、ワールドカップの試合会場になりそうに広い山中御殿平、山城部分への期待感高まる七曲り・・・
妙にマッチした復元兵舎(?)を堪能し、三の丸、二の丸を経て、本丸から大内軍本陣の京羅木山を眺めれば、気分は尼子経久なり

月山富田城の周辺観光情報

安来市立歴史資料館

月山富田城の城主だった尼子・毛利・堀尾3氏の遺物や、1666年の富田川の氾濫で水没した月山富田城下町の遺構・富田川河床遺跡からの出土品など、安来市の歴史や文化を総合的に紹介しています。

詳細はこちら

足立美術館

横山大観を中心とした近代から現代の日本画の名作約1500点を収蔵。5万坪の日本庭園は、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、12年連続日本一に選ばれました。

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広瀬絣センター

月山富田城の麓に位置する広瀬絣センター。広瀬絣伝習所、物産コーナー、喫茶室で構成され、広瀬絣の伝統を知ることができます。

情報提供:安来市商工観光課

詳細はこちら

月山富田城の周辺スポット情報

 大堀切(遺構・復元物)

 山中御殿(遺構・復元物)

 花ノ壇(遺構・復元物)

 三の丸石垣(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 大手口(遺構・復元物)

 塩谷口虎口(遺構・復元物)

 菅谷口虎口(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 三ノ丸虎口(遺構・復元物)

 大土塁と空堀(遺構・復元物)

 大手口(碑・説明板)

 一騎討ちの石碑(碑・説明板)

 品川大膳のお墓(碑・説明板)

 尼子経久公 像(碑・説明板)

 堀尾吉晴公墓所(寺社・史跡)

 安来市立歴史資料館(スタンプ)

 駐車場(駐車場)

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