新発田城(しばたじょう)
新発田城の基本情報
通称・別名
- 菖蒲(あやめ)城、舟形城、浮舟城
所在地
- 新潟県新発田市大手町6-4
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- 複合式層塔型御三階櫓[3重3階/1654年築/焼失(火災)]、複合式層塔型御三階櫓[3重3階/1679年再/破却(廃城令)]、複合式層塔型御三階櫓[3重3階/2004年再/木造復元]
築城主
- 新発田氏
築城年
- 室町時代
主な改修者
- 溝口秀勝
主な城主
- 新発田氏、溝口氏
廃城年
- 明治6年(1873)
遺構
- 曲輪、櫓門、櫓、長屋、石垣、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- 国重要文化財(表門、二の丸隅櫓)
再建造物
- 三階櫓、辰巳櫓、石碑、説明板
周辺の城
-
五十公野城(新潟県新発田市)[4.0km]
加地城(新潟県新発田市)[5.3km]
城山館(新潟県新潟市)[9.2km]
長場館(新潟県新潟市)[13.0km]
奥山荘城館(新潟県胎内市)[13.1km]
赤谷城(新潟県新発田市)[15.0km]
沢海城(新潟県新潟市)[20.7km]
安田城(新潟県阿賀野市)[21.7km]
平林城(新潟県村上市)[23.9km]
新潟城(新潟県新潟市)[25.5km]
新発田城の解説文
[引用元:Wikipedia「新発田城」の項目]新発田城(しばたじょう)は、現在の新潟県新発田市(越後国蒲原郡)にあった日本の城。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。
【概要】
城の北部を流れる加治川を外堀に利用した平城であり、本丸を中心に北の古丸と南の二の丸で囲い、その南側に三の丸を配する構造であった。現在は本丸の一部を除く全域と古丸全域、二の丸の一部が自衛隊駐屯地として利用され、本丸南側の石垣と堀、櫓門の本丸表門と二重櫓の二の丸隅櫓が現存。三階櫓や二重櫓の復元建築がある。現存建築がある城跡としては新潟県内では唯一である。また、石垣は本丸の表門側のみに前面乱積みの石垣がもちいられ、他は腰巻石垣や土居であったと考えられている。しかし寛文9(1669)年の大地震により、石垣が崩落しその復旧工事で、切込接布積に改められたとされる。
【歴史・沿革】
~近代以前~
最初に城が築かれた時期は不明だが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏による築城と考えられている。代々新発田氏の居城となっていたが、天正9年(1581年)、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。天正15年(1587年)、景勝により新発田城は落城。新発田氏は滅亡した。
その後上杉氏の会津転封に伴い、慶長2年(1597年)、溝口秀勝が6万石の所領を得て新発田に入封。新発田藩領内を治めるための拠点として新発田重家の旧城の地を選び、新発田城の築城を行っていった。城が完全な形となったのは承応3年(1654年)頃、3代宣直の時代といわれる。その後寛文8年(1668年)、享保4年(1719年)に火災によって城内建築に大きな被害を受けるが、その度に再建されている。
~近現代~
・1873年(明治6年)に明治政府より発布された廃城令により、表門・二の丸隅櫓と石垣のみを残し、城内の建物は三階櫓など大半が破却され、明治政府に接収された城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれた。
・長年に渡って城郭の復元を住民等に望まれ、近年より、明治初頭に撮影された古写真などを資料として考証・設計された在来の伝統的手法による復元の計画が進められ、2004年(平成16年)に三階櫓と辰巳櫓が復元され、辰巳櫓のみ、同年7月から一般公開されている。
・2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(31番)に選定された。
【建築】
櫓の外壁には冬季の積雪への対策の意味もあり、海鼠壁(なまこかべ)が用いられていた。その他の塀や一部の櫓門には、下見板が張られていた。
~三階櫓~
天守はなく、本丸の北西隅に三重櫓を上げて「三階櫓」と呼んでいた。幕府に遠慮し天守を公称しなかったが、三階櫓は新発田城における実質的な天守であった。承応3年(1654年)に創建されたものは、寛文8年(1668年)の火災により焼失し、現在復元されている姿のものは延宝7年(1679年)に再建されたものである。...[続きを見る]
新発田城の口コミ情報
2020年11月09日 でんろく左衛門督パルキー
新発田城
朝9時開門。
敷地内のお隣は自衛隊駐屯地であり、空砲が鳴り響いていた。
荘厳な表門が印象的でした。
2020年08月24日 源筑後守@ポンコ2㉕〜
新発田城
コロナ渦の影響か周辺駐車場数カ所はわりと駐車しやすい台数でした(2020.8.22は無料でした)。
先人の方々が記載されてるように、城域の広い範囲が駐屯地ですが、堀端を散策したり、本丸の入れる部分で表門や旧二ノ丸隅櫓など遺構見学を楽しめました。
忠実に復元された三重櫓や辰巳櫓も、古写真と見較べても、よくできてて風格あると思われます。
表門でもらえるパンフに描かれた縄張を見て、往時の姿を思い浮かべながら散策できるかと。
辰巳櫓入口前に立ち三重櫓のほうを見ると、駐屯地が丸見えですが、国防を思うとその部分の撮影は控えました。
2020年08月19日 弾正少弼マックイーン
新発田城
自衛隊駐屯地があり、本丸の一部を散策する形。「そういうもの」として訪問した方がいいと思います。二ノ丸は城址公園や駐屯地、民間施設が建っている等なので過分な期待せずに、割り切れば堀の外からの景色も含めまあまあよかったです。
表門でスタンプ押していたらより詳しいパンフレットをいただきました。古地図と現在の地図を重ねた「城郭図」で位置関係がはっきりとわかります。
2020年01月25日 柿の種 越後守hayato
新発田城
冬期間は「100名城スタンプ」は、白壁兵舎資料館入口受付前にあります。
(本丸表門が閉まってます)
2019年05月24日 慈路安房守
新発田城表門[新発田城 スタンプ]
新発田城表門!
スタンプは向かって右側の門入ったすぐの所に置いてあります!
2019年04月30日 まつもとぐらし。
百名城の碑[新発田城 碑・説明板]
再建三階櫓をバックに、百名城の碑と写真が撮れます。記念撮影スポットとしてお勧めです。
2018年10月10日 内大臣織田晃司
新発田城
御三階櫓に一番近い駐車場に停めましたが、台数的には多くは停めることはできません。
御三階櫓は史実に基づき木造で復元されてますが自衛隊の敷地内の為、内部の見学はできません。残念…
2017年05月09日 五瓜ニ唐花紋左大臣や~きみ
新発田城
自衛隊の基地があり見てはいけない角度があるお城ですね。
お城自体は小さいですが、中から見てもお堀の外の公園側から見てもいいですね。
駐車場はありました。
2017年05月08日 摂津守いくpika
新発田城
昨年の情報なので多少の相違点は悪しからず。
今年は5月14日(日)にお隣の陸上自衛隊新発田駐屯地記念行事があり、駐屯地内に潜入する事が出来ます。
三階櫓には入れませんが普段と違った角度から三階櫓&三匹鯱を堪能出来ますので、この機会をお見逃しなく!
ちなみに櫓にかぶりついていたのは自分だけでしたw
また駐屯地内にある白壁兵舎広報資料館の二階に新発田城の展示コーナーが少しだけ有ります。
そこの売店で売っていた「ヤグラ」と言うポスターが垂涎物なので、今年も売られていたら是非とも。
ブラックホークと三階櫓がコラボしてます。
尚、昨年は新発田駅から無料送迎バスが出ていました。
帰りもバスで送ってもらえます。
2016年10月21日 武田胆振守信玄餅
新発田城
100名城スタンプは本丸表門をくぐって直ぐの場所で押してもらいました。100名城巡りの人にだけ配っているというパンフレット貰いました
2016年10月09日 一刻館
新発田城
現地の方のお話
三階櫓・辰巳櫓復元の際に3つほど規定があったそうです。
(国からの補助金等々の関係と思われます。)
・木造での復元であること
・当時と同じ外観・構造に基づいていること
・同じ場所に再建すること
新発田城の実質的天守である三階櫓が自衛隊敷地内に再建されたのはその為である。
辰巳櫓の復元にあたり現在の法律への適応のために免震構造を取り入れる必要があり、櫓はその分だけ嵩上げされているらしいです。
外から櫓の下の石垣をよく見ると上3段分が少し違う事がわかります。この分だけ嵩上げされているようです。
櫓内部の床の一部がガラス張りになっており、そこから床下が見学できるようになっています。
2016年06月25日 千ノ坂修理亮
新発田城
以前の駐車場は城址公園の数台分のみだったが、現在は正門前側(県立病院跡地)に100台分の駐車スペースができたので車でも安心。
新発田駐屯地敷地内である「白壁兵舎広報資料館」は無料で入れる。
自衛隊、旧軍、藩政時代の展示がある。終戦の玉音放送全部が意訳付で聞けた。
そちらにも駐車場があり直接車で乗り入れ可能。
新発田駐屯地記念イベントデーは駐屯地敷地内の一部が解放される。
当日は城をバックに実演風景がみられます。
もちろん普段見られない裏側角度からの三階櫓が楽しめる!
2016年03月20日 タバスコ
新発田城
本丸には、溝口公の像があり、一部自衛隊の方々の駐屯地となっており、はいれませんが、隣にある陸自の資料館は、新発田城や陸軍の資料があり、説明も丁寧で、面白かった。
2015年08月31日 千ノ坂修理亮
新発田城
新発田城公園の駐車場にあるトイレ。
もし立ち寄ったら、見上げてみて欲しい。
建造物好きな方なら「お(°▽°)」です。
「トイレごときにあんなに立派な梁を使うなんて!」って思いましたもん。ぜひ(*・∀・*)ノ
2015年08月08日 永眠武蔵守釋 葱進
新発田城
現在、移転した県立新発田病院の跡地で二の丸大手中ノ門付近復元工事が進められています。
2015年05月05日 まー刑部卿
新発田城
相変わらず駐車場はいっぱい。もう少し広いとこを提供してほしい。
今回で4回目の登城で100名城は2週目のため2回目。以前はなかった陸自新発田駐屯地の資料館もオススメです。無料だし。
2015年03月08日 伊豆守やっし
新発田城
100名城スタンプですが、冬期閉鎖中は、市役所に設置されています。守衛さんがいるので曜日に関係なく押せるようです。
2015年02月08日 中務卿一之介
新発田城
新発田駅から近くまで「あやめコミュニティバス」という、運賃100円(2015年2月現在)のバスがありますが、本数はかなり少ないので注意してください。時刻表と路線図は新発田市ホームページにあります。
新発田藩下屋敷だった清水園と足軽長屋が新発田駅から徒歩5分ほどのところにあります。お城だけでなく、こちらにも立ち寄ってみるといいと思います。
2013年09月01日 真田安房守昌幸
新発田城
本日新発田城に行ってきましたが、強めの雨が降る日の見学は足元に要注意です!
2012年08月09日 はせちゃん弾正忠
新発田城
新発田城跡二の丸跡の発掘調査で、石垣が出土したようですね
現地説明会を実施しないかなぁ
2012年01月21日 鷹樹副将軍慶隆
新発田城
冬季は見学出来ません
2011年08月21日 大龍左兵衛佐諒紀
新発田城
堀部安兵衛は新発田藩主の孫で間違いないと思います。赤穂藩に欲しいと言われ、養子に出されたとか…
2010年08月15日 丸に片手蔓柏だんな
新発田城
本丸表門でガイドが堀部安兵衛は藩主の孫だといっていたが本当だろうか?三階櫓へむかう扉はあるが自衛隊敷地内とのことで立ち入れず。
2010年07月26日 徳川内大臣源朝臣康武
新発田城
[武将像]溝口秀勝像
本丸表門内に鎮座。
因みに、門前の小公園には赤穂浪士の一人、堀部安兵衛像がある。安兵衛は、実父が新発田藩士。
2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
新発田城
[武将像]新発田重家像
清水園や足軽長屋に近い福勝寺山門前に鎮座。
2010年06月11日 徳川内大臣源朝臣康武
新発田城
隣が駐屯地ていうか、主郭を潰して駐屯している状況。
本丸正面付近を除いて、城の遺構は残っていませんが、門、櫓全ての跡に説明板が設置されているので、廻ってみては
2010年06月08日 傾奇揚げ仙兵衛
新発田城
隣は新発田駐屯地