安田城(やすだじょう)
安田城の基本情報
通称・別名
- 安田館
所在地
- 新潟県阿賀野市保田字城の内
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 安田氏
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 大見(安田)氏、吉武氏(村上氏家臣)
廃城年
- 正保元年(1644)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- 県史跡(安田城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
沢海城(新潟県新潟市)[9.2km]
東島城(新潟県新潟市)[9.2km]
村松城(新潟県五泉市)[10.8km]
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長場館(新潟県新潟市)[11.7km]
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赤谷城(新潟県新発田市)[16.9km]
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新発田城(新潟県新発田市)[21.6km]
安田城の解説文
[引用元:Wikipedia「安田城」の項目]
安田城(やすだじょう)は、越後国蒲原郡(現在の新潟県阿賀野市)にあった日本の城。
白河庄(現在の新潟市北区の一部を含む阿賀野市周辺)の地頭に任ぜられた伊豆の大見氏が、鎌倉時代の初頭に入封し築城されたと言われている。また、築城された頃は周囲の沼地を天然の堀とした主郭のみの館であったが、他の鎌倉期から存在する城と同様に戦国期に外郭や堀を増設し、本格的な城郭となったと考えられている。
越後大見氏は地名の安田を名乗り、その分家は分地先の水原を名乗っている。安田氏は戦国時代には、揚北衆と呼ばれる北越後の国人衆として上杉謙信を始めとする上杉家の家臣として活躍。城主安田長秀は謙信より血染めの感状をうけており、この書状は現存している。
慶長3年(1598年)に上杉氏が会津に移封となると、その後に本庄城に入った村上頼勝の配下である吉武右近が入城。さらに村上氏の改易により元和4年(1618年)に堀直寄が村上城(本庄城から改名)に入り、次男である堀直時の番城となる[1]。1644年(正保元年)に直時の子、堀直吉は幕府の許可を得て安田城を廃城し、村松城へ移った[2]。
現在は主郭部分が児童公園(交通公園)となっており、また周囲には体育館などの公共施設が整備されて外郭部分などの一部は破損しているものの、主郭周辺を中心に内堀や土塁などが比較的良好な状態で現存している。
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安田城の口コミ情報
2023年11月05日 noble権中納言弥勒菩薩
安田城
小規模ですがきれいな水堀が残っています。訪問しやすいお城。
2023年06月26日 源山城守@ポンコ2…
安田城
本丸は大部分が電源切れた信号機や線路が設置された交通公園と西側に櫓台と言われる土塁があり、規模は東西約65㍍☓南北約90㍍、周囲は水堀が残ってます。水堀端には紫陽花、水堀に蓮が見えました。本丸の周囲にニノ丸が東西約250㍍☓南北約200㍍であったそうですが、野球場や官公庁施設になり、南に土塁があるそうですが発見できませんでした。野球場そばにトイレが設置されていました。
市街地化された中の本丸水堀などの遺構があり、ちょい散策の上でも貴重な城趾かと。
2022年03月13日 ゴロエモン越後守B
安田城
お堀の浚渫工事中で城内は立入禁止でした。近くにトイレも整備されてました。
2021年04月12日 樋ノ口映劇
安田城
城址は荘園として名残りをとどめておりますが、周囲には公共の施設があり、説明がないと、なかなか分かりづらくなってます♪
2019年10月06日 まー刑部卿
安田城
安田体育館をナビに設定し体育館の広い無料駐車場に駐車。安田城の小さい説明板が有り橋を渡ると交通公園がありましたがだいぶ古びた印象。トイレが工事中で使用出来ませんが空撮した城内の写真があったので撮影。本丸・二の丸を10分くらいで見終わってしまいました。学童クラブの子供さん達の遊び場でした。
2013年03月31日 色部修理亮
安田城
周囲の街中の所々に『火事土手』の一部が残ってます。
万一、火事が起きた際に延焼を防ぐ為に作られた石で補強された土塁。
街中を散策してみるのも楽しいですよ。
ちょっと足を伸ばして
安田八幡宮、日帰り温泉施設やすらぎ(宿泊も可)、瓦ロード、庵地小路、旧安田橋跡、観音寺…
お土産は龍宝堂の『安田城最中』なんていかがですか?(*´∀`*)
2012年02月19日 傾奇揚げ仙兵衛
安田城
安田ヨーグルトは濃厚で旨い。この地でしか手に入らない安田ヨーグルトアイスは超うま