新潟城(にいがたじょう)

新潟城の基本情報

通称・別名

舟岡城

所在地

新潟県新潟市中央区一番堀通町(推定地)

旧国名

越後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

新発田重家

築城年

天正9年(1581)

主な改修者

主な城主

新発田綱之

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

蒲原津城(新潟県新潟市)[1.4km]
木場城(新潟県新潟市)[9.6km]
沢海城(新潟県新潟市)[14.2km]
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新津城(新潟県新潟市)[14.9km]

新潟城の解説文

新潟城(にいがたじょう)は、戦国時代の一時期に存在したとされる城。現在の新潟県新潟市中央区にあったと比定される。

歴史・沿革
「ニイガタ」の地名は永禄年間の史料に見られ、この当時すでに町があったことが伺える。上杉謙信は信濃川と阿賀野川の合流地点である沼垂湊・蒲原津・新潟津の三か津に代官を置いて物流と軍事を掌握したといわれている。

謙信が春日山城で死去(1578年)した後に始まった御館の乱での論功行賞の不満から、新発田重家の乱が勃発(1581年)。新発田軍勢は新潟津を奪取、このとき砂州を改修して同年に築城したといわれている。

重家の乱を鎮圧するためとして天正11年(1583年)に出陣した上杉景勝の軍勢は火矢により城を炎上させるも落城せず持ちこたえた。しかし天正13年(1585年)11月20日、上杉景勝家臣の宮島三河守の計略によって落城した。

現在遺構は見つかっていないものの、岡山大学の『池田家文庫』に絵図が残されている。それに従えば、河川に接した縄張りを城壁で囲み、3層の楼閣2棟・平屋の屋敷2棟・水辺の3層の櫓1棟を備えていたことになる。舟岡城ともいう、その所在は白山神社および白山公園にあったと比定されているが確かではない。

新潟城の口コミ情報

影武者様[2012年07月01日]
今の白山公園(白山神社)が新潟城と言われています。

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