木場城(きばじょう)
木場城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 新潟県新潟市西区木場新田1872他
旧国名
- 越後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 山吉景長
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 山吉氏、堀氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 城郭風建築物、説明板
周辺の城
-
大関城(新潟県新潟市)[5.9km]
蒲原津城(新潟県新潟市)[8.2km]
新潟城(新潟県新潟市)[9.6km]
新津城(新潟県新潟市)[11.0km]
東島城(新潟県新潟市)[13.5km]
沢海城(新潟県新潟市)[13.8km]
護摩堂城(新潟県南蒲原郡)[15.8km]
松ヶ岳城(新潟県新潟市)[18.4km]
天神山城(新潟県新潟市)[19.1km]
長場館(新潟県新潟市)[19.6km]
木場城の解説文
[引用元:Wikipedia「木場城」の項目]
木場城(きばじょう)は、新潟県新潟市西区木場にあった日本の城。
歴史
集落としての木場は永禄4年(1561年)に信州からの入植者により開墾されたと伝わる。
1581年(天正9年)に勃発した新発田重家の乱において、新発田側が物流の拠点として確保した信濃川河口地域を守る新潟城・沼垂城と対峙する最前線基地として上杉景勝によって築城され、城主には蓼沼藤七が置かれた[1]。新発田側の城は河口地帯の湿地帯及び砂地だったために攻略は難しかったが、木場城も付近に中ノ口川や多くの沼が天然の防御帯となっていたために新発田勢も攻略に苦慮した。最終的には新発田勢を討ち、信濃川河口の利権を景勝勢が確保した事が新発田氏滅亡への足がかりとなった。
1598年(慶長3年)の上杉家の会津移封に蓼沼氏が同行したため廃城となった。
その後、堀氏が越後に入封し新潟港の本格改修した際には城跡に館を置いた。
現在跡地は『宮のもり・木場城公園』として整備されている[2]。
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木場城の口コミ情報
2022年06月26日 ミーです越後守
木場城
城郭遺構は残っていませんが、櫓を模した遊具があります。お宮があり、お堀を模した池もあり、トンボ取りの子どもたちなどで楽しいスポットになっています。ちなみに、我が家の嫡男は遠足に行って池に落ちて討ち死にしたと思ったら生還しました(笑)
2020年06月20日 +かず
的場遺跡[木場城 寺社・史跡]
的場遺跡は新潟市西区的場流通地内にある遺跡です。
地元では「的場山」と呼ばれ以前から土器の欠片がよく見つかっていました。昭和45年度に部分的な調査を行い遺跡の存在を確認。昭和61年度に区画整理事業の対象になったため工事に先立ち平成元年から発掘。
調査の結果、奈良・平安時代に漁業に関わった官衙的な施設があったことがわかり古代越後における産業や流通に関わる重要な遺跡として新潟県の史跡として指定されました。(遺跡解説板参照)
写真は…
・的場史跡公園案内板
・柱跡位置を示す丸太
・高床式倉庫を模した東屋
現在は的場史跡公園として整備されてます。復元エリアには発見された掘立柱跡の位置に高床式倉庫を模した東屋が建ててあり内部は出土した遺物などの資料が展示されていて勉強になりました。
位置登録は木場城から3kmちょいな為 微妙に路上になってしまいました。古代越後に興味がある方は是非お寄りください。
木場城の周辺スポット情報
木場城址推定地(碑・説明板)
吉江館(周辺城郭)
的場遺跡(寺社・史跡)
宮のもり・木場城公園 駐車場(駐車場)