宇和島城(うわじまじょう)

宇和島城の基本情報

通称・別名

鶴島城、板島城、丸串城

所在地

愛媛県宇和島市丸之内1

旧国名

伊予国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

複合式望楼型[3重3階/1601年築/解体(改築)]、独立式層塔型[3重3階/1671年改/現存]

築城主

橘遠保

築城年

天慶4年(941)

主な改修者

藤堂高虎、伊達宗利

主な城主

藤堂氏、伊達氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、天守、石垣、門、横堀

指定文化財

国重要文化財(天守)、国史跡(宇和島城)、宇和島市文化財(上り立ち門)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

石城(愛媛県宇和島市)[7.8km]
法華津本城(愛媛県宇和島市)[11.6km]
天ヶ森城(愛媛県宇和島市)[11.7km]
河後森城(愛媛県北宇和郡)[13.3km]
黒瀬城(愛媛県西予市)[16.5km]
白木城(愛媛県西予市)[20.7km]
飯野山城(愛媛県八幡浜市)[24.6km]
城ケ森城(愛媛県宇和島市)[26.1km]
萩森城(愛媛県八幡浜市)[29.9km]
三滝城(愛媛県西予市)[30.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

83 宇和島城

設置場所

宇和島城天守[地図

宇和島城の解説文



宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった日本の城である。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡に指定されている(1937年〈昭和12年〉指定)。別名は鶴島城。

概要 

宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎の手によって築かれた近世城郭である。標高74メートル(80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸と帯曲輪、その北に藤兵衛丸、西側中腹に代右衛門丸、藤兵衛丸の北側一段低い所に長門丸を配置し、東側の中腹に井戸丸、麓の北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城となっており、各曲輪が山上部に散在している中世的な縄張りを色濃く残しながらも、山麓部には追手門や搦手門のように内枡形や喰違虎口といった近世城郭的な縄張りももつ。東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある[1]

現在、見られる天守などの建築は宇和島伊達家によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。外堀などの外郭ラインが五角形となる縄張りは、幕府の隠密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と誤って記され、この史実から高虎の巧みな設計として「空角の経始(あきかくのなわ)」の伝説が生まれたとされる。

高虎の発想は、城を攻める側は当然方形の縄張を予想して攻めてくる。しかし実際は五角形だから、一辺が空角になる。つまり、城を攻める側にとって、完全に死角になってしまい、攻撃は手薄になる。いわば、この一辺の空角は、敵の攻撃を避けられるとともに、敵を攻撃する出撃口ともなり得る。そればかりではない。この秘かな空角は、物資搬入口ともなり、城から落ちのびる場合の抜け道ともなる。これは守城の作戦上、効果は絶大なものといえるだろう。当時の築城術でこのようなからくりを用いた城は他にはなかった。

宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し水軍の基地などに通じていた。宇和島城には、間道、隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事に生かされた城だったのである。

城を囲む五角形の堀は高虎の後の大名にも代々受け継がれ、三大海城の一つと謳われたが現在は堀も海も埋め立てられており、その面影は大きく失われている。明治以降は大半の建物が撤去され、城郭は戦後「城山公園」として整備された。建物は、天守、追手門などが残されたが太平洋戦争中の空襲により追手門を焼失し、現在は天守(重要文化財)と上り立ち門(市指定文化財)、石垣と山里倉庫(城山郷土館)が現存する。

歴史・沿革 

平安時代から安土桃山時代

  • 天慶4年(941年) - 警固使・橘遠保が藤原純友の乱鎮定の際、この地に砦を構えたとされる。その後、この砦が板島丸串城と呼ばれるようになる。
  • 建仁3年(1203年) - 西園寺公経が伊予国の知行国主となる。
  • 室町時代中期 - 松葉城(https://seiyojikan.jp/spot/%E6%9D%BE%E8%91%89%E5%9F%8E/)の西園寺家支流である西園寺公広が宇和莊の代官に補任され当地の開発にあたる。この西園寺家支流の家が来村殿と称される。
  • 室町時代末期 - 豊後の大友氏による侵攻が相次いだため、橘遠保が砦を築いた跡地に板島丸串城が築かれる。史書には来村殿西園寺家家臣の道免城主家藤監物が城代であったことが記される。
  • 永禄3年(1560年)- 大友氏の軍勢が宇和郡を侵攻。一時的に大友氏に降る。その後、度々大友氏や土佐一条氏の侵攻を受けるが撃退する。
  • 天正3年(1575年) - 黒瀬城主の西園寺公広が来村坂下津の亀ヶ渕城に居城していた弟である西園寺宣久を入城させ、家藤監物は持城の道免城へ戻る。
  • 天正13年(1585年) - 豊臣秀吉の四国討伐により、伊予国は小早川隆景の所領となる。隆景家臣の持田右京が城代を務めた。
  • 天正15年(1587年) - 隆景が筑前国に転封となり、代わって伊予大洲十万石を拝領した戸田勝隆が大洲城に入城。戸田与左衛門が城代となった。
  • 同年11月頃 - 一揆勢が板島丸串城を包囲した。戸田勝隆は三間の土居清良に鎮圧を命じる。
  • 天正16年(1588年) - 2月、戸田勝隆が板島丸串城に入城し一揆勢を完全鎮圧
  • 文禄4年(1595年) - 藤堂高虎が宇和郡7万石を拝領し入城。板島を宇和島と改める。
  • 慶長元年(1596年) - 藤堂高虎が板島丸串城の地に本格的な築城工事城の建造を開始。
  • 慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦功により藤堂高虎は伊予半国二十万石を加増され、今治に転出。従弟の藤堂良勝を板島丸串城の城代に置く。
  • 慶長6年(1601年) - 板島丸串城の築城工事がなる。

江戸時代

  • 慶長9年(1604年) - 藤堂高虎が河後森城の天守を宇和島城へ移築し月見櫓とする。
  • 慶長13年(1608年) - 伊勢安濃津五万石城主の富田信高が宇和郡十万石を拝領し板島丸串城主となる。
  • 慶長18年(1613年) - 富田信高が改易となり、幕府直轄領となった宇和郡の代官として藤堂良勝が再び城代として板島丸串城に入城する。
  • 慶長19年(1614年) - 伊達政宗の長男(庶子)伊達秀宗が10万石で入封。以後、仙台伊達家の別家として宇和島伊達家が9代に渡り幕末まで城主となる。
  • 元和元年(1615年) - 秀宗入城。
  • 元和3年(1617年) - 徳川秀忠より伏見城の千畳敷御殿が贈られ、三の丸に移築する。この頃から宇和島城と呼ばれるようになる。
  • 慶安2年(1649年) - 大地震により石垣116間、長屏780間破損
  • 慶安3年(1650年) - 本丸他石垣の修理にとりかかる
  • 寛文2年(1662年) - 2代藩主宗利が天守をはじめ、城郭全体の改修に着手。
  • 寛文5年(1665年) – 天守鯱、大坂鋳物師に注文
  • 寛文6年頃(1666年) - 天守の建築完了。現存12天守の一つにかぞえられる天守は宗利によるもので、幕府への届出は修理とされていたが、土台は岩盤から石垣へ、構造は望楼型から層塔型へ、外観は下見板張から白漆喰総塗込へとまったく異なる天守が建築(https://www.city.uwajima.ehime.jp/site/uwajima-jo/aramasi.html)された。
  • 寛文11年(1671年) - 改修竣工。
  • 弘化2年(1845年) - 三の丸に武器庫(山里倉庫)を建設。
  • 安政元年(1854年) - 安政の大地震により、城内多く破損。天守破損、矢倉24棟破損、同4棟倒、本丸石垣3か所孕(間数25間)
  • 安政4年(1857年) - 地震による破損箇所の修復願届出
  • 万延元年(1860年) - 万延の大改修。天守の大規模な修復工事が行われ、その際に10分の1サイズの精巧な模型がつくられた。なお、その模型は天守1階に展示されている。

近現代

  • 明治4年(1871年) - 明治政府により城は兵部省に帰属。大阪鎮台の所管となる。
  • 明治33年 - 大正2年(1900年 - 1913年) - 宇和島港の改修工事により、堀が埋め立てられる。三の丸の石垣や搦手門、黒門、櫓などが解体される。
  • 昭和9年(1934年) - 天守・追手門(大手門)が国宝保存法に基づき、当時の国宝(現行法の「重要文化財」に相当)に指定される。
  • 昭和12年(1937年)12月21日 - 国により史跡に指定される。管理団体は宇和島市。
  • 昭和20年(1945年)7月12日 - 太平洋戦争末期の宇和島空襲により追手門を焼失。
  • 昭和24年(1949年) - 伊達家が天守と城山の大半を市に寄贈、管理下に置かれる。
  • 昭和25年(1950年) - 文化財保護法の施行により天守が重要文化財に指定される。
  • 昭和27年(1952年) - 藩政時代宇和島藩の家老であった桑折氏の長屋門を移築。
  • 昭和35年 - 37年(1960年 - 1962年) - 天守を解体修理。
  • 昭和38年(1965年) - 上り立ち門と桑折氏の長屋門を市指定有形文化財に指定。
  • 昭和41年(1966年) - 伊達家が武器庫(山里倉庫)を市に譲渡。城山に移築。
  • 平成6年(1994年) - 平成普請が始まり、本丸や二の丸の石垣について修理調査を行う。
  • 平成18年(2006年)4月6日 - 日本100名城(83番)に選定された。
  • 平成28年(2016年)3月1日 - 作事所跡などが国の史跡「宇和島城」に追加指定された[2]

遺構 

天守

当初、高虎による複合式望楼型の三重天守が上がっていたが、寛文2年(1662年)から寛文11年(1671年)に2代目藩主伊達宗利によって行われた改修の際に修築の名目で現在の独立式層塔型3重3階に建て替えられた。

慶長期
高虎の天守は、自然の岩盤の上に地業を施して天守台とし、初重に大入母屋屋根、2重目以上の平面は複雑に突出した外観であったが、初重平面はほぼ歪みのない正方形で、広島大学大学名誉教授・三浦正幸は、この技術が後の歪みのない正方形平面を必要とする層塔型天守に応用されることとなったのであるという。実際にこの後、高虎によって亀山城に層塔型の天守が建てられている[3]。寛文2年(1662年)に幕府に提出した天守改修窺書によると、建築後わずか半世紀でほぼ全体が腐朽していたとみられ、腐朽箇所は1階の土台と各重の屋根、3重目の廻縁。1階の柱8本、梁10本。2階の柱3本、梁7本である。改修窺書の付図によると柱の半数に根継がされていたが、築61年間で大規模修理工事が実施された記録がない。これは建築時に高虎赴任以前の城主による建築物や近隣の寺院建築を取り壊した古材木を使用したと思われ、その際に長さが足りず根継を行ったものと考えられている。そのため、構造上不安定なものとなり、早くから歪みが生じ、雨漏りをきたし、腐朽してしまったと考えられている。[4]
寛文期
現在に伝わる天守である。寛文2年の天守改修窺書には「もとのように天守を立て直したい」と記していたが、三重であることと初重平面が6間四方であることが一致するだけで構造や外観が全く異なる天守が修復という名目で新築された。廊下の内側に障子戸が残る形式は現存唯一とされ、また畳敷きの名残である「高い敷居」があり、これらは簡略化されがちとされる江戸時代中期の天守に安土桃山時代から江戸時代初期にかけての古い意匠が用いられたとされる。壁には狭間や石落としなど戦いの備えが一切なく、窓には縦格子があるものの、五角形にして外を眺めやすくしている。使い勝手や装飾が重視されていることから無防備な太平の世の建築であるといわれるが[5]、実際はすべての窓の下の腰壁には鉄砲掛けがあり、腰程の高さにあけられた窓から直接射撃を行う設計であったと考えられている[6]

外観は長押形で飾られた白漆喰総塗籠の外壁仕上げの各重に千鳥破風、唐破風を配置した外観である。天守の入り口には唐破風屋根で開放的な造りの玄関が用いられている。妻飾りには伊達家の家紋が付けられ、上から「九曜」、「宇和島笹」、「竪三つ引」の紋が見られ、また屋根瓦にも「九曜」が用いられている。

上り立ち門

武家の正門とされる薬医門形式であり、城山南側の搦手道口に位置している。、国内に現存する薬医門としては最大クラスの規模を誇る。創建年代の特定には至っていないものの、鏡柱・冠木は五平とし、内冠木には瓜剥丸太を使用している。そして二段の貫を有するといった古形式の特徴が見られる。また、控柱の科学的年代分析により永享2年 - 享禄3年(1430年 - 1530年)以後に伐採された栂であることが判明しており、創建が慶長元年 - 6年(1596年 - 1601年)の藤堂修築期まで遡る現存最古クラスの可能性を秘めている。市指定有形文化財。

山里倉庫(城山郷土館)

弘化2年(1845年)、三の丸に建てられた武器庫。昭和41年に伊達家より譲渡され、城山内に移築し、城山郷土館として一般公開している。

藩老桑折氏武家長屋門

藩政時代宇和島藩の家老、桑折氏の長屋門を城山北登城口に移築。その際に向かって左方の大部分を切り取ったので原形は失われている。建造時期は江戸中期と推定。市指定有形文化財

構造 

正徳1年(1711年)幕府に提出した絵図の控え「伊予国宇和島城絵図」にみる建物配置

本丸

天守がおかれ、塁上に二重櫓の御弓櫓・轆轤櫓・櫛形門南角櫓と平櫓の御休息所櫓・御鉄砲櫓・右髪櫓・櫛形門北角櫓がおかれた。本丸への唯一の門として櫛形門があった。櫓門の形状であるが櫛形窓をもっていたため櫛形門とよばれていた。

二の丸

二重櫓の御算用櫓。平櫓の御書物櫓・太鼓櫓

帯曲輪

二の丸から本丸を取り囲む曲輪

代右衛門丸

藤堂高虎の家臣矢倉代右衛門が造成または管理した曲輪と考えられている。平櫓2基。

式部丸

虎口や城門がなく、山上の曲輪であるものの櫓も認められないため、宇和島伊達家により造成された曲輪と考えられている。

井戸丸

平櫓1基

藤兵衛丸

藤堂高虎によるものとされる高さ13mの野面積の石垣が残る。築城当時は国内最高クラスの高さであったと伝わる。伊達家より譲渡された三の丸に建てられた武器庫を移築し、城山郷土館として一般公開している。

長門丸

二重櫓2基・平櫓2基・多門櫓1基。現在は児童公園として整備されている。昭和60年代までは猿を飼育していた。

三の丸

山麓の北東部にあり藩主の御殿がおかれていた。二重櫓の潮見櫓・月見櫓、平櫓1基

外郭塁線上

二重櫓2基と平櫓7基をおいていた。

場外への門

追手門・搦手門・黒門・矢筈門。黒門と矢筈門は直接海に面しており、大規模な舟入はもたないが、海を利用した枡形を設けていた。

現地情報 

交通

  • JR予讃線宇和島駅から徒歩約15分で登り口、登り口から天守まで徒歩約20分

料金

  • 大人:200円

利用情報

  • 日本100名城スタンプラリー スタンプ設置場所:宇和島城天守
  • 藤兵衛丸には城山郷土館がある。建物は山里倉庫(武器庫)を移築したもの。
  • 上り立ち門の前には宇和島出身の児島惟謙の銅像がある。

ロケ地として 

  • 『南海の狼火』(1960年、日活) 小林旭主演[7]

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」
  • 【書籍】「日本の城の秘密 : 戦国武将の知略と攻防のドラマ」
  • 『宇和島城』 宇和島市教育委員会文化・スポーツ課作成パンフレット
  • 『日本の城 中国・四国 宇和島城』DeAGOSTINI
  • 『中世における伊予の領主』須田武男 愛媛文化双書
  • 『シリーズ藩物語 宇和島藩』宇神幸男 現代書館

宇和島城の口コミ情報

2022年07月18日 特にありません
宇和島城



現存天守に言葉は要らないです。登山ルートは近道を勧めます。10分位時短出来ますし、石垣見学はこちらの方がいいです。
個人的には登山後にふもとの一心さんで鯛めし食べるのが宇和島城の一連の流れになります。

2022年06月27日 トミー
宇和島城



北側の武家屋敷から登山口を登りました。石段なんで雨が降ると登りづらく、麓では杖の貸し出しもあります。水洗便所は麓にはありますが、天守にはなく天守の裏にバイオ便所があります。

2022年04月26日 伝助左兵衛尉
宇和島城



登りの石段は高さがあるので、なだらかな道から頂上を目指すのがオススメです。

2022年01月28日 laut安房守
宇和島城



三泊四日の四国城攻めは宇和島城でラスト、ふもとで杖を借りて登城してきました。石垣も天守も期待通りで満足でした。

2021年08月02日 そらそら伊勢守
宇和島城



お城の入口に一番近い駐車場は7月31日現在閉鎖していましたが、きれいに整備されて、8月初めに開場されるようです。文化会館の駐車場も近くて便利でした。

木陰の石段を10分ほど上ると天守のある本丸に着きました。

2021年06月27日 みこ丹後守⛄️
宇和島城



天守までは急な階段の近道と、その倍くらいの時間がかかる緩やかな坂道のふた通りがあります。私は後者を選びましたが、森林浴をしながら10分位で到着しました。
入口で100名城スタンプを押して、いざ中へ。
国内現存12天守のひとつと言われるだけに、おごそかな雰囲気の素晴らしいお城でした。

2021年05月04日 尾張守力麿呂
宇和島城



天守までの登り坂は、石段が多少高く足腰、ひざに結構きますが、そんなにきつくないです。

2021年04月18日 yasu
宇和島城



桑折長屋門からの登城でしたが、石段に難儀しました。当然高さがバラバラでタイミングが掴めず、辛かったです。お城の前は公園になってて桜を見る方で賑わってました。お城と桜のコントラストは最高ですね。天守は思いの外広く涼しい風で汗が引きました。帰りも同じルートで石段を下りヒヤヒヤせめて手すりつけて欲しいです。なので時間は長めに取って来城した方がいいです。

2020年11月29日 ねばーる兵部卿
宇和島城

肩の力が抜けた可愛い天守の表情は彦根城の弟的な感じ。お近くの天赦園もオススメです!

2020年11月28日 ともりん雅楽助♬☻
バイオトイレ[宇和島城  トイレ]

山小屋にあるような、環境に優しいバイオトイレが、天守後方に設置されてます。臭いもしませんし、きれいです。

2020年11月28日 ともりん雅楽助♬☻
長門丸石垣[宇和島城  遺構・復元物]



伊達家二代藩主宗利による17世紀後半の大改修のもの。城内で一番長い石垣だそうです。(約50m)


2020年11月28日 ともりん雅楽助♬☻
藤兵衛丸石垣[宇和島城  遺構・復元物]



藤堂高虎の創建時期の古い石垣の特徴をとどめる。城内では2番目の高さとなる13mの高石垣。高虎の石垣らしく、反りをもたない直線的な勾配。(市役所HP石垣指南より)

2020年10月20日 武田宮内卿信清
宇和島城

現存12天守ですが、こじんまりとした可愛らしい天守です。麓に無料の杖を貸していただけるので、登城しましょう。

2020年09月21日 宇陀雅楽頭うっほほ〜い
宇和島城

様々なタイプの石垣が見られます。井戸丸への石段は急勾配ですが、良い写真スポットです。

2020年03月21日 こー主殿頭ちゃん
宇和島城



3月20日に30年振りに訪れました🎵
桜はまだでしたが天守からの宇和海綺麗でした🎵

2020年01月29日 黒田中納言パン吉又兵衛隊
宇和島城

月曜日の突風で、現在登城出来ません。今月末くらいまで、無理だろうとの事でしたので、今週予定されてる方は一度確認して下さい。
かなりの倒木があり、天守閣も被害が出てるみたいです。100名城のスタンプは市役所で押せるそうです。

2019年06月09日 しおうまる 美作守
現存天守[宇和島城  遺構・復元物]



藤堂高虎による望楼型天守を、宇和島伊達家2代藩主伊達宗利が寛文年間(1661〜73)の城郭全体の大改修にあわせて、当時の最新式の層塔型天守に新造したものが現在の天守です。各階の装飾性の高い飾り破風や懸魚(げぎょ)、いずれの面も左右対称となるよう配置された武者窓、またその上下に廻されている長押(なげし)などから太平の世を象徴するものとして評されるとともに、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りとなっています。(説明板より)

2019年05月26日 うつんこ大学頭
駐車場[宇和島城  駐車場]

一時間100円

2019年04月30日 六文銭左衛門佐フェデラー
宇和島城



昭和から始めた城巡り。平成最後の日に現存十二天守コンプリート出来ました。令和の時代も城好きな皆さんが平和に城巡りが出来るように願うばかりであります。

2017年08月16日 青き巨星弾正少弼かみ
宇和島城

宇和島城にお城メダルはありません。天守では100名城カードを1枚200円で売っていました。
売店もありません。

2017年06月12日 織田上総介晃司
宇和島城

白漆喰の層塔型天守で、破風・窓がシンメトリーな美しい配置となっている。

藤堂高虎の築城(現存天守は後年伊達氏の築城)で不等辺五角形の縄張りだったが、幕府の隠密が調べても四角形に見えたという。

宇和島市内「富屋」で鯛めしを食べました。美味。
卵の入っただし汁に鯛の刺身を入れ、ご飯にかけて食べる南予の料理で中予の鯛めしとは異なります。

2017年05月12日 小山 飛騨守 政光
宇和島城

天守への近道は石段の方で、急ではありますが、苔むした石垣や、森林のなかに佇む様はまさに幽玄という言葉がぴったりです。特に早朝に行かれると清々しい気分になれます。
天守は9時開城ですが、私の行ったGWの日は朝から人が多かったのもあり8時半過ぎには開いて入らせてもらえました。

2017年05月08日 プー
宇和島城

宇和島駅を目指していると、「宇和島城」の看板を見つけましたので、矢印どおりに進むと、門があり、その手前に時間貸しの駐車場があります。これは、ラッキーと思いましたが、天守までは、大変きつい坂でしたので、腰痛もちの私には苦労しました。行きも登りで大変ですが、帰りの下りはまたこたえました。スタンプは、手前に置いて欲しいです。

2016年07月29日 征夷大将軍慶誾尼☆寧
宇和島城

天守閣に登る時、右の緩やかな道と左の急な石段に分かれてます。
左の急な石段は体力持っていかれます。右がオススメです…
帰りに、かどや駅前本店で郷土料理ギッシリの伊達御膳オススメ♪

2016年07月08日 中務卿一之介
宇和島城

登城口は桑折長屋門と上り立ち門の2ヶ所で、駅に近いのは桑折長屋門です。私は桑折長屋門から入りました。ここには大小コインロッカーがあります。利用料は100円で、お金は返ってきます。
途中、急な道で天守に近い道と、遠回りで緩やかな道に分かれます。どちらにも苔むした石垣があり、それが廃城の雰囲気を見せていてなかなか見ごたえがあります。
上り立ち門は、現存する薬医門としては最大級だそうです。

宇和島駅前の商店街は昭和の雰囲気たっぷりに感じました(造られた昭和ではない)。

2015年10月14日 河野治部少輔かぱ通
宇和島城

宇和島駅から歩いて10分程で登城口に着きます。宇和島城近くに宇和島藩主の庭園で名勝の天赦園、宇和島伊達博物館などもありますので、そちらも合わせて見学することをおすすめします。

2014年09月12日 志賀左衛門尉親次
宇和島城

9/10PM登城。
桑折屋敷口から登りましたがかなり急な坂道です。
天守閣は小ぶりですが最上階で気持ちいい風が宇和島湾より吹いてきました(^^)
やはり天守閣内の階段がキツい…

2013年10月09日 強襲ほうらい祭揚陸波
宇和島城

現存天守の中でも、障子、建具の現存するお城は宇和島城だけだそうです。
宇和島城を見る際にはそちらも意識して確認してみてください。

2012年10月09日 まるさん上総介小町時間割
宇和島城

どなたも書かれていないので書かせていただきますが…


本日、初めて宇和島城に登城してみましたが…


天守までの本来の登城路が崩落した部分があるとかで通行止めになっていまして、
仮設の階段が設置されていました。


登り降りはますます安全に注意が必要だと感じました。

2011年09月16日 春風十勝守世遊
宇和島城

登城口は2つあります。駅から近い復元された門(よく案内に書かれるのはこちら)からと上り立ち門からです。どちらから入っても天守閣まで行けますが、復元門の方の石段は急です。雨の日は滑りますのでご注意を
百名城スタンプは天守閣受付・状態良好

2011年08月31日 加藤豊後守清正
宇和島城

天守は小さいながら、周りに幾つもの飾りを付け豪華に見せています。初期のものではなく2代目ですが、それでも築400年近く経っています。内部は少し狭く、当時のままで、階段は急です。最上階は廻り縁はなく、格子で覆われていますが市内を一望できます。場所はちょっと分かりにくい所にあります。ちょっと小高い山と思えばいいです。

2011年04月30日 ブイシカ伊勢守
宇和島城

城山に鎮座する三重層塔式天守、天下の伊達の支藩としては小さなイメージだが再建時の時代背景を考えると、適当なサイズだったのかもしれない…最上階から宇和島港方面を眺めると、海方面からの侵攻にも意識した縄張りである事が伺える。高い建物が無かった当時海上から眺めた宇和島城の威容は周囲を圧するものだったに違いない

2010年09月13日 tomm加賀守
宇和島城

時間があれば伊達博物館・天赦園も見学したいですね
また天守閣内のチケット売り場に掲示してある「配置御案内略図」は尋ねれば頂けるますよ。

ひゅうが飯(鯛めし)・じゃこ天は絶品です!

宇和島城の周辺観光情報

伊達博物館

宇和島を治めた伊達家の古文書類や武具甲冑、婚礼調度品などを展示しています。貴重な文化遺産を展示している常設展示のほかに、特別展示企画なども催されており、宇和島伊達藩の大名文化を感じることができます。

天赦園

宇和島藩第7 代藩主である伊達宗紀が、隠居場所として建造した池泉廻遊式庭園です。伊達家の家紋に因み様々な種類の竹をはじめ、藤や花菖蒲などの四季折々の花が植栽されており、園内各所に落ち着きのある趣を演出しています。

遊子水荷浦の段畑

「耕して天に至る」と形容される段々畑は、急な山の斜面に石垣を積み上げて造られた階段状の畑地です。雄大な景色は、国の重要文化的景観や日本農村百景に選定されているほどで、下から見上げると、まるで天に上る階段のようにも見えます。

情報提供:宇和島市商工観光課

宇和島城の周辺スポット情報

 現存天守(遺構・復元物)

 桑折長屋門(遺構・復元物)

 上り立ち門(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 藤兵衛丸石垣(遺構・復元物)

 長門丸石垣(遺構・復元物)

 御台所跡(遺構・復元物)

 二の門(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 藤兵衛丸(遺構・復元物)

 西隅櫓跡(遺構・復元物)

 北隅櫓跡(遺構・復元物)

 移築武器庫(遺構・復元物)

 櫛形門(遺構・復元物)

 長門丸(遺構・復元物)

 三の門(遺構・復元物)

 櫛形門櫓(遺構・復元物)

 本丸北隅櫓(遺構・復元物)

 本丸南隅櫓(遺構・復元物)

 御鉄砲櫓(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 御休息櫓(遺構・復元物)

 御弓櫓(遺構・復元物)

 御算用櫓(遺構・復元物)

 天赦園-大名庭園(遺構・復元物)

 旧潜淵館付属茶室(遺構・復元物)

 春雨亭(遺構・復元物)

 城番屋敷跡(遺構・復元物)

 長櫓跡(遺構・復元物)

 追手門跡石碑(碑・説明板)

 遠見場(宇和島藩狼煙場)(碑・説明板)

 樺崎砲台(周辺城郭)

 天守(御城印)

 宇和島城天守(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 バイオトイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 城山公園(関連施設)

 伊達博物館(関連施設)

 宇和島市立歴史資料館(関連施設)

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