松葉城(まつばじょう)
松葉城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県海部郡大治町西條字城前田
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 織田伊賀守
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
前田城(愛知県名古屋市)[4.0km]
日比津城(愛知県名古屋市)[4.2km]
蟹江城(愛知県海部郡)[4.6km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[5.3km]
清洲城(愛知県清須市)[5.6km]
荒子城(愛知県名古屋市)[5.8km]
大野城(愛知県愛西市)[6.1km]
北島城(愛知県稲沢市)[6.4km]
小田井城(愛知県清須市)[6.6km]
勝幡城(愛知県稲沢市)[7.0km]
松葉城の口コミ情報
2022年04月13日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁
深田城[松葉城 周辺城郭]
築城主、築城時期は不明。
天文二十一年(1552)八月十五日、清洲城 織田彦五郎の家老、坂井大膳は、深田城・松葉城を攻めて、城主 織田右衛門尉(深田城)、織田伊賀守(松葉城)を人質に占領したとされる。
翌日、早朝に知らせを聞いた信長は、那古野城から出陣し、これを、きっかけに萱津合戦に発展しました。
信長は、合戦に勝利し、深田・松葉城の両城を奪回した。
深田城の位置は、よく分かっていない。
あま市にも、深田城があったとされている推定地があり、大治町内の地名にも、深田・西深田、大堀、堀之内等、城跡の名残りと思われる地名が残されている。
2022年04月13日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁
松葉城
築城時期は、不明だが、戦国時代、この地域の豪族の安井氏の居城として築城され、その後、織田伊賀守の居城となったと思われる。
松葉城・深田城の城跡の位置は、特定されていない為、複数の推定地が存在する。
松葉城の位置には、深田城があり、少し北側の南屋敷の光暁寺・法城寺の周辺に、松葉城があったとされている説も有り、詳細は不明となっている。
近所の和菓子屋さんの和菓子の自販機の側面に、松葉城の文字が!?
大治歴史銘菓、松葉城。
和菓子になるくらいなので、近所の人はこの辺りに、城跡があったと認識はあると思うが、城址碑や説明板が、無いのが残念です。
2022年03月11日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁
南大門[松葉城 寺社・史跡]
甚目寺南大門は、境内正面に建つ三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造、こけら葺。下層中央を通路とし、その両脇後方に金剛力士像を安置する、柱は全て円柱で下層の柱上には手先が三つ前に出る、三手先斗栱を組んで上層の縁を受け、縁の四周には先端の刎ね上がった手摺状の刎高欄を廻らす。
上層は下層よりも柱間間隔を狭くして、円柱を立て正面と背面の中央間に両開きの板戸を設け、他の柱間は板壁とする、柱上には斜め下前方へ突き出る尾垂木を用いた、三手先斗栱を載せて屋根の深い軒先を支える。
この南大門は、あま市に現存する最も古い木造の建築物で、伝説によると建久年間に源頼朝の命により、梶原景時が奉行をつとめて建立したとされ、明治三十五年(1902)の解体修理の際に「建久七年造立」と書かれた墨書が見つかっている。
また、南大門に安置された仁王像は、鎌倉時代を思わせる作風から、伝承では鎌倉時代の仏師 運慶と云われていたが、平成二十年(2008)の調査により、慶長二年(1597)に福島正則によって、奉納されたことが確認された。
源頼朝・梶原景時と大河につられて、口コミ投稿です。
2021年12月04日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁
桂城[松葉城 周辺城郭]
築城時期は不明。織田氏の一族、織田弥十郎の居城とされ、城の規模は、東西約90㍍、南北約72㍍と伝わる。
城跡の正確な位置は、特定されていないが、旧あま市役所七宝庁舎辺りの『城之堀』辺りか?、七宝庁舎南側を、東〜南へ流れる、小切戸川南側にある『月桂山 法光寺』辺りにあったとされている。
2021年06月17日 北風
松葉城
R302からすぐなので大治町というよりも中川区から北へ来た感じです。県道がカーブしている所がリア攻めマップにあります。保育所の東、元商店の角(鋭角)から北へ伸びる車1台がやっとと言う道も県道で、古の信長街道とのこと。甚目寺や蟹江ではそこそこ案内されていて意識させられますが、この道も集落が続き微妙に曲がっています。遺構はありません。津島への県道は交通量が多く、停車もままならない状況です。
2020年08月15日 kazzy
松葉城
ここが城跡と知らないと通り過ぎてしまいます。城跡の形跡も見つかりませんでした💦