松葉城(まつばじょう)

松葉城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県海部郡大治町西條字城前田

旧国名

尾張国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

織田伊賀守

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

前田城(愛知県名古屋市)[4.0km]
日比津城(愛知県名古屋市)[4.2km]
蟹江城(愛知県海部郡)[4.6km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[5.3km]
清洲城(愛知県清須市)[5.6km]
荒子城(愛知県名古屋市)[5.8km]
大野城(愛知県愛西市)[6.1km]
北島城(愛知県稲沢市)[6.4km]
小田井城(愛知県清須市)[6.6km]
勝幡城(愛知県稲沢市)[7.0km]

松葉城の口コミ情報

2023年11月05日 尾張守たまきち
松葉城



名古屋市営バス❲西条❳下車にてリア攻め。バス停からすぐですが、遺構は分からず。民家。この場所から❲信長街道❳を北上し、甚目寺観音に至りました。

2023年08月24日 RED副将軍
松葉城



織田信長と清洲織田氏家老である坂井大膳との戦いである萱津の戦 の舞台⚔

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。元々は在地土豪の安井氏の居城でありましたが、戦国時代には織田伊賀守の居城であったとされます。
1552年、織田信友と織田信長の跡目相続争いである萱津の戦いが勃発します。
松葉城は織田信長の支配下にありましたが、清洲織田氏の家老である坂井大膳が松葉城と深田城を急襲。松葉城の織田伊賀守と深田城の織田信次は清洲織田氏の人質となり、松葉城と深田城は占拠されました。すると織田信長は那古野城から出陣し、織田信光と共に松葉城と深田城を奪還。織田伊賀守は城主に復帰しました。
1584年の蟹江合戦の際には、徳川勢は松葉城ではなく、周辺の円長寺に本陣を置いたことからこの頃には廃城になっていたものと考えられています。

見所
宅地化により遺構は消失。
西條城前田の県道124号沿いの三叉路付近が比定地とされますが、そこは深田城の跡地てあり200mほど北の西條南屋敷が松葉城の跡地との説もありはっきりとは分かっていません。
南屋敷にある光暁寺の山号に松葉山が残っています。

信長公記にも記載がある城跡ですが、城跡碑や案内板も無い超マニアック城です。

写真
①②西條字城前田の三叉路付近
③西條南屋敷の光暁寺
④光暁寺の山号に松葉山が残る
⑤西條南屋敷の八劔社

2023年02月26日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
お松の方生誕地[松葉城  寺社・史跡]



芳春院お松の方は、当時沖之島村の郷主として、二千石を所領し、善政を施し、地域住民より慕われた林氏日開常信の息女として、天文十六年七月九日誕生されました。
林氏日開常信は、後の滝川一益家の外祖にも当る血筋にあって、当時、沖之島地域の外にも所領し、力と名を伴った郷主であったが、清洲の織田家よりも睨まれ、織田家が次第に力をつけて、沖之島地方にまで手を延ばし始めるに及んで
、地域住民までも争の渦中に引き込むことになってはと憂い、この地域を頼りになる後継者に引継ぎ、自らは、静かな伊勢の国の神戸に隠遁、移住をと考えて居た模様であります。
その頃、偶々荒子のされました郷主 前田利春公(前田利家公の父君)が来沖し、見目麗しく利発な四才の幼子"お松"(後の芳春院)に気つき、之の娘を常信より貰い受け、利春公自身の手にて荒子に連れて行かれた様であります。
利春公は"お松"を織田家の手前、林氏日開常信の息女とは言えず、常信の娘であることは伏せ、荒子の近くに住む篠原主計の養女として育てることと致しましたが、篠原主計が早逝されたので、お松の方は、その養母と共に、前田家に連なる高畑家に籍を移して養われ、利家公21才、お松の方13才のときに結婚せられた模様であります。
大連左大臣 犬養有義の後裔として、信州松本の西北地域の"城山"の廣大な地域に居城し、武田信玄・武田勝頼両公の重臣として仕えた犬養義久が武田家の没落と致しに、縁類を頼って、天正十五年に尾張の国に移って参りました。
林氏日開常信は、犬養義久が武田家にあって武功があった先祖代々の武門の末葉と知って、犬養義久を常信の次女"おたか"(お松の方の妹)の婿として迎えることとし、林氏日開常信の祖先が、平安朝時代より天文永禄を経て天正の時代まで、尾張国海東郡の東北部地方にあって、この地方の領袖として所領して居た数千石の中の二千石を、犬養義久に譲り、義久を沖之島の郷主となし、自らは、その家族と共に伊勢の国の神戸に移り住むことと致しましたのであります。
前田家では古くから、尾張国沖之島村の犬養家が"芳春院お松の里"であると伝えられて居た模様。
説明板より一部抜粋というより、文字数制限…。
近代的な建物のお寺の片隅に説明板があります。

2023年01月22日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
釈迦堂[松葉城  寺社・史跡]



釈迦堂(本尊 釈迦如来)
右に薬師如来、左に御狙様(おそそさま)を奉り、特に御狙様は女性の肌荒れ、赤ちゃんの痣の平癒に御利益があります。
説明板より。

2023年01月22日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
東門[松葉城  寺社・史跡]



東門は、寛永十一年(1634)の建立とされ、二本の主柱の前後に四本の控柱が付く、四脚門で切妻造、銅板葺、主柱、控柱とも円柱の大型で雄大な門で、桃山時代の様式を残している。
昭和二十八年(1953)国重要文化財に指定されている。

2023年01月12日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
十王堂[松葉城  寺社・史跡]



十王堂(本尊 閻魔大王)
人間の死後、生前の行いにより裁判を受ける十人の王を奉り、往生安楽の御利益があります。又、三途の川で衣服を剥ぎとる脱衣姿も奉られている。
説明板より。

説明板『奪衣婆』が『脱衣姿』になっているが、大丈夫なのだろうか?

2023年01月12日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
六角堂[松葉城  寺社・史跡]



六角堂(本尊 地蔵菩薩)
千体の地蔵様が奉られ、特に子供の育成を加護し、学業成就、身体健康に御利益があります。
説明板より。

2023年01月12日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
不動堂[松葉城  寺社・史跡]



不動堂(本尊 不動明王)
東海三十六不動霊場の第五番札所(当山には、日本三不動の一つ 国指定重要文化財の青不動の掛軸があります。)特に青不動様は、災難除け、及び、交通安全の御利益があります。
説明板より。

2023年01月11日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
法花院[松葉城  寺社・史跡]



法花院(本尊 聖観世音菩薩)
古来より、出生法印の由緒地と称され、出世幸福の御利益が得られます。他に、塔頭 成就院の国重文 聖観音を奉っています。
説明板より。

法花院は、2001年火災によって焼失、2005年に再建されましたが、この時の火災で、木造聖観世音菩薩立像も焼失してしまったという。

2022年04月13日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
深田城[松葉城  周辺城郭]



築城主、築城時期は不明。

天文二十一年(1552)八月十五日、清洲城 織田彦五郎の家老、坂井大膳は、深田城・松葉城を攻めて、城主 織田右衛門尉(深田城)、織田伊賀守(松葉城)を人質に占領したとされる。

翌日、早朝に知らせを聞いた信長は、那古野城から出陣し、これを、きっかけに萱津合戦に発展しました。
信長は、合戦に勝利し、深田・松葉城の両城を奪回した。

深田城の位置は、よく分かっていない。
あま市にも、深田城があったとされている推定地があり、大治町内の地名にも、深田・西深田、大堀、堀之内等、城跡の名残りと思われる地名が残されている。

2022年04月13日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
松葉城



築城時期は、不明だが、戦国時代、この地域の豪族の安井氏の居城として築城され、その後、織田伊賀守の居城となったと思われる。

松葉城・深田城の城跡の位置は、特定されていない為、複数の推定地が存在する。

松葉城の位置には、深田城があり、少し北側の南屋敷の光暁寺・法城寺の周辺に、松葉城があったとされている説も有り、詳細は不明となっている。

近所の和菓子屋さんの和菓子の自販機の側面に、松葉城の文字が!?
大治歴史銘菓、松葉城。

和菓子になるくらいなので、近所の人はこの辺りに、城跡があったと認識はあると思うが、城址碑や説明板が、無いのが残念です。

2022年03月11日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
南大門[松葉城  寺社・史跡]



甚目寺南大門は、境内正面に建つ三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造、こけら葺。下層中央を通路とし、その両脇後方に金剛力士像を安置する、柱は全て円柱で下層の柱上には手先が三つ前に出る、三手先斗栱を組んで上層の縁を受け、縁の四周には先端の刎ね上がった手摺状の刎高欄を廻らす。
上層は下層よりも柱間間隔を狭くして、円柱を立て正面と背面の中央間に両開きの板戸を設け、他の柱間は板壁とする、柱上には斜め下前方へ突き出る尾垂木を用いた、三手先斗栱を載せて屋根の深い軒先を支える。
この南大門は、あま市に現存する最も古い木造の建築物で、伝説によると建久年間に源頼朝の命により、梶原景時が奉行をつとめて建立したとされ、明治三十五年(1902)の解体修理の際に「建久七年造立」と書かれた墨書が見つかっている。
また、南大門に安置された仁王像は、鎌倉時代を思わせる作風から、伝承では鎌倉時代の仏師 運慶と云われていたが、平成二十年(2008)の調査により、慶長二年(1597)に福島正則によって、奉納されたことが確認された。

源頼朝・梶原景時と大河につられて、口コミ投稿です。

2021年12月04日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁
桂城[松葉城  周辺城郭]



築城時期は不明。織田氏の一族、織田弥十郎の居城とされ、城の規模は、東西約90㍍、南北約72㍍と伝わる。

城跡の正確な位置は、特定されていないが、旧あま市役所七宝庁舎辺りの『城之堀』辺りか?、七宝庁舎南側を、東〜南へ流れる、小切戸川南側にある『月桂山 法光寺』辺りにあったとされている。

2021年06月17日 北風
松葉城



R302からすぐなので大治町というよりも中川区から北へ来た感じです。県道がカーブしている所がリア攻めマップにあります。保育所の東、元商店の角(鋭角)から北へ伸びる車1台がやっとと言う道も県道で、古の信長街道とのこと。甚目寺や蟹江ではそこそこ案内されていて意識させられますが、この道も集落が続き微妙に曲がっています。遺構はありません。津島への県道は交通量が多く、停車もままならない状況です。

2020年08月15日 kazzy
松葉城

ここが城跡と知らないと通り過ぎてしまいます。城跡の形跡も見つかりませんでした💦

松葉城の周辺スポット情報

 桂城(周辺城郭)

 深田城(周辺城郭)

 深田城(周辺城郭)

 南大門(寺社・史跡)

 三重塔(寺社・史跡)

 お松の方生誕地(寺社・史跡)

 不動堂(寺社・史跡)

 十王堂(寺社・史跡)

 六角堂(寺社・史跡)

 東門(寺社・史跡)

 釈迦堂(寺社・史跡)

 法花院(寺社・史跡)

 秋葉堂(寺社・史跡)

 鳳凰山 甚目寺(寺社・史跡)

 千音寺遺跡(寺社・史跡)

 あま市甚目寺歴史民俗資料館(3F)(関連施設)

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