前田城(まえだじょう)
前田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県名古屋市中川区前田西町1(前田速念寺)
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 前田氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 前田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
荒子城(愛知県名古屋市)[2.4km]
蟹江城(愛知県海部郡)[3.7km]
松葉城(愛知県海部郡)[4.0km]
日比津城(愛知県名古屋市)[5.1km]
大野城(愛知県愛西市)[5.5km]
古渡城(愛知県名古屋市)[6.6km]
名古屋城(愛知県名古屋市)[8.0km]
小田井城(愛知県清須市)[8.3km]
清洲城(愛知県清須市)[8.6km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[9.1km]
前田城の解説文
前田城の口コミ情報
2024年05月24日 尾張守たまきち
秋田屋敷[前田城 周辺城郭]
岩塚城城主:吉田九郎左衛門の従弟秋田左内の屋敷。秋田左内についての記述は【尾張志】に『岩塚村、八幡社辰巳(南東)の方にあり。左内は吉田九郎左衛門の従弟にて、のち福島正則に討たれた』 とあるのみで詳細不明な人物。現地には、光明寺と八幡社があり、遺構や碑はありません。岩塚城やその後の岩塚宿から近く、佐屋街道沿いであることから、当時の賑わいが想像されます。
2024年05月22日 尾張守たまきち
岩塚城[前田城 周辺城郭]
岩塚城趾の石碑が遍慶寺山門脇にあります。解説板があったので、写真添付しておきますのでご参考に。東海道佐屋街道で知られた街道筋にあり、「岩塚宿」は交通の重要な場所であったと思われます。ちなみにここの地名は「郷中」で、その東側が「城前」。
2024年05月22日 尾張守たまきち
吉田屋敷[前田城 周辺城郭]
最後の岩塚城主である吉田九郎左衛門の屋敷跡。1568年 当時の城主:父親の吉田元氏が、仕えていた織田信長の伊勢進攻で戦死して、岩塚城は廃城となる。その子吉田九郎左衛門は織田信雄に仕え、1591年に旧領の岩塚を領してこの辺に城屋敷を整備して居住した。現在は住宅地に変わり、遺構や碑は無く、名古屋布袋 薬師寺がありました。
2024年05月14日 尾張守たまきち
戸田城[前田城 周辺城郭]
康和年間(1099~1104年)、平季政が富田荘の荘司として居を構えた城屋敷。当地は戸田氏発祥の地であり、森信義が戸田氏を称したことに始まる。その後、1469年戸田宗光の代で上野上村城〔愛知県豊田市〕を築いて移り、最終的には家康に仕え、江戸時代には後世に田原城を中心として三河湾一帯を支配した田原藩主の三河戸田氏発祥の地となった。場所は八幡神社の西側辺りとされ、現在は住宅地に変わり、遺構は無く、碑や解説板もありません。
2024年05月11日 尾張守たまきち
助光城[前田城 周辺城郭]
織田信長の家臣の福留左近将監の居城。前田城のすぐ近くで、この場所には神社があります。遺構は残っていませんが、昭和五十年代に神社北の竹藪の中から、小さな「福留将監古城跡」と刻まれた石碑が発見され、現在の土之宮神明社の片隅に移設されています。
2024年05月11日 尾張守たまきち
榎津城[前田城 周辺城郭]
康正年間(1455~1457)において、武田兵庫右衛門の居城とされているが、詳細は不明です。この場所には三輪社・津島社がありましたが、遺構は見当たらず。碑や解説板もありません。室町期の城館ですので、戦国時代の前田家がこの辺を領有していた頃には存在していなかったかもしれません。新川沿いに有り、周辺は平坦。
2024年05月03日 尾張守たまきち
下之一色城[前田城 周辺城郭]
天正年間(1573年~1592年)に前田種利が築き、息子の前田長種、前田定利とともに蟹江城主:佐久間正勝に属していた。小牧・長久手の戦い際は、最初は織田信雄に属しており、長島と清洲間の連絡役を務めていたが、滝川一益の説得で豊臣秀吉方へ寝返った。そのため徳川、織田軍に攻められて廃城した。下之一色城址も、尾張徳川藩の新川切削によって川底に沈みました。下之一色城の場所は、現在の国道1号線三日月橋のやや下流あたりとされ、城跡は尾張藩の新川切削によって破壊されて消失。当時は港町として賑わっていた下之一色集落の北西の外れで、北側と西側を旧庄内川が流れていたようですから、川を自然の堀とした城だったと思われます。城址碑は正色小学校の南門横に在ります。
2024年05月03日 尾張守たまきち
江松城[前田城 周辺城郭]
織田信長に仕えた土方治兵衛の居城。城の規模は東西約54m、南北約63m程と伝わる。新川と戸田川に挟まれた場所にあり、周辺は平地で、現在は江松神明社が鎮座。天正10年(1582年)に美濃での戦いで土方治兵衛は討死をしており、天正12年(1584年)の蟹江合戦の時点で江松城の記載はないため、廃城になったと思われる。江松神明社は、宝永元年(1704年)に現在地にて移転建立。江松城の碑や解説板は無く、遺構も確認できず。 河川に挟まれたこの地を散策しましたが、おそらく川より低い土地だと思われますので、頻繁に起きる洪水などで遺構も流されてしまっていそう。
2022年06月05日 右近衛中将かじくん
前田城
前田氏発祥の地といわれる前田城跡🏯遺構もほとんどありませんが梅鉢紋の瓦や兜のような形の速念寺本堂が見れます。
2022年01月08日 ばらく~だ
前田城
速念寺さんには参詣者用駐車場あり。車でリア攻め可。
2021年02月23日 はっさく姫中納言
前田城
遠くからでも目印になるほどわかりやすい、お寺の建物の屋根が前田家の兜の形になっています。
2012年10月02日 尾張主膳正謙信
前田城
速念寺の本堂は前田利家の兜の形をしています。立ち寄った際には是非確認を!
2010年11月06日 美少年☆右近衛中将☆喜三太
前田城
前田城は、近鉄伏屋駅下車、徒歩五分程度にあり、速念寺山門前に城趾石碑があります。
現在、城跡は利家が寄進した阿弥陀如来を本尊とする速念寺となっており、城址碑はあるものの、遺構などを確認することは出来ない。