古渡城(ふるわたりじょう)
古渡城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県名古屋市中区橘2
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 織田信秀
築城年
- 天文3年(1534)
主な改修者
- -
主な城主
- 織田信秀
廃城年
- 天文17年(1548)
遺構
- 堀跡
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
名古屋城(愛知県名古屋市)[3.7km]
荒子城(愛知県名古屋市)[4.6km]
田幡城(愛知県名古屋市)[5.0km]
日比津城(愛知県名古屋市)[5.1km]
末森城(愛知県名古屋市)[5.5km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[6.0km]
小田井城(愛知県清須市)[6.6km]
守山城(愛知県名古屋市)[6.6km]
前田城(愛知県名古屋市)[6.6km]
星崎城(愛知県名古屋市)[7.4km]
古渡城の解説文
[引用元:Wikipedia「古渡城」の項目]
古渡城(ふるわたりじょう)は、愛知県名古屋市中区(尾張国愛知郡)にあった日本の城(平城)。1534年(天文3年)に織田信秀により築城され、1548年(天文17年)に廃城となった。織田信長が元服した城として知られる[1]。
歴史
天文3年(1534年)、織田信秀が東南方に備えるために築城した城。信秀は今川氏豊から奪った那古野城を、嫡男吉法師(織田信長)に譲り、この城を拠点とした。
東西140メートル、南北100メートルの平城で、四方を二重の堀で囲まれていた[2]。天文15年(1546年)、信長は古渡城にて13歳で元服する。天文17年(1548年)、美濃に侵攻した信秀の留守を狙い、清洲の守護代織田信友の家臣坂井大膳らが城下に攻め寄せ、この際に町は焼かれたが、落城はしなかった。同年、信秀は末森城を築いて移ったため、古渡城はわずか14年で廃城となった。遺構として、真宗大谷派名古屋別院敷地内にある古渡城跡碑と、古渡城の堀跡を利用した下茶屋公園(真宗大谷派名古屋別院に隣接)がある。
所在地
- 愛知県名古屋市中区橘2-8
交通アクセス
- 名古屋市営地下鉄名城線 東別院駅下車 4番出口より徒歩で約5分。
[続きを見る]
古渡城の口コミ情報
2024年09月06日 遠州男児さっつん
古渡城
無料駐車場あり助かりました。遺構はないと思います。門から入って左側に石碑が隠れてます。でっかい寺がありますので、駐車代でお賽銭入れていきましょう!
2024年08月19日 カッツ左馬頭
古渡城
城跡は東本願寺別院です。周辺に史跡が幾分か残ってますが江戸時代に手が入っています。
2024年08月04日 尾張守たまきち
日置城[古渡城 周辺城郭]
平安時代に開かれた荘園の拠点があった地と言われているが、不詳。築城年なども不明だが、築城主は織田寛定と織田忠寛の2説が存在する。
明治以降、この地にある大楠を御神体として雲龍神社が置かれ、地元では「くすのきさん」と呼ばれて信仰されてきた。
2002年(平成14年)秋、名古屋市が樹を伐採して土地を売却することを地元に通達したが、市民からの反対の声が挙がった事から、神社は廃されたものの「松原緑地」として大楠は残されている。
訪問時は、フェンスに囲まれて近づけ無い様になっていました。
2024年08月04日 尾張守たまきち
尾頭城[古渡城 周辺城郭]
平安時代の頃の尾頭義次の居城。尾頭義次は源為朝の次男で、平安時代末期、保元の乱に敗れた源為朝が亡くなった後に母ゆかりの地の熱田大宮司の庇護のもとに育てられて成人した。尾頭城は、義次の居館と伝わるが、義次以降の尾頭氏や尾頭城については、不明。
現地には、住吉神社がありますが、城跡碑や解説板などはありません。江戸時代に西側に堀川が掘削され、そこに架かる「尾頭橋」は名古屋では有名な地名です。
2024年07月28日 尾張守たまきち
熱田村砦[古渡城 周辺城郭]
平治の乱の後、源行家が、養和元年(1181年)に平知盛軍に美濃で敗退し、ここ熱田で平家の軍をを防ぐべく戦ったが敗れている。その戦いの際に急造りしたのが、熱田村砦。砦のあった場所は特定されていないが、この地点には小さな神社がありました。城跡碑や解説板はありません。
2024年07月27日 尾張守たまきち
源行家館[古渡城 周辺城郭]
日本初の武家政権:鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の生家です。ここに源行家の館はありません。源義朝の正室である由良御前は、熱田神宮大宮司:藤原季範の娘であり、この場所にあった藤原季範別邸で頼朝を産み育てた。その後の1529年(享禄2年)に、この藤原氏別邸跡に日秀妙光尼が織田信秀の援助を得て、玉林山誓願寺創建し、現在に至っている。この妙光尼は、織田家の人質だった松平竹千代(徳川家康)の養育係だった人物。
現在は、誓願寺の立派な山門の脇に『右大将頼朝公誕生當地』の碑と解説板がありますが、あまり目立たず、もっと注目されても良いのにと思いました。
2024年07月14日 尾張守たまきち
羽城[古渡城 周辺城郭]
加藤図書助順盛の居城で、徳川家康が竹千代と呼ばれていた幼少時代に幽閉されていた場所。「桶狭間の戦い」では順盛の子の弥三郎が織田信長の小姓として参戦している。現在城址は宅地化により遺構は残っていませんが、「徳川家康幼時幽居地」の案内板が「羽城公園」内にあります。なお、付近の旧地名は図書助から命名された「図書町」(ずしょまち)です。
2024年06月24日 あだち西市正
古渡城
古渡城址は東別院の門をくぐった左手にあります。見所は無いですが、お寺参拝には良いです。心が休まります。
2024年06月15日 尾張守たまきち
広井城[古渡城 周辺城郭]
天文年間(1532〜1554年)に築かれた中村氏の城館と伝わる。那古野今川氏配下の氏族の一つ、中村郷中村氏の城館。
現地には、貞観年間(859~877)から洲崎神社が鎮座されています。かつては広大な敷地があったそうですが、名古屋城築城時に、多くの武家屋敷群に割譲されたそうです。当時は海岸線が目前まで迫っており、天王崎港として良好な地形があったとされる。
名古屋の街中に突如出現する厳かな空間でした。添付した写真が、奥に向かって登り坂になっているのがわかりますか?
2024年06月15日 尾張守たまきち
小林城[古渡城 周辺城郭]
現在は、清浄寺の矢場地蔵堂があります。来歴については、現地に解説板と城跡碑がありましたので、添付しておきます。遺構はありませんでした。
2023年10月13日 左京大夫まおたろー
古渡城
名古屋別院さんの中にあるので広い駐車場が使えます。大きな城だったんだなと広さを実感できました。
2023年08月18日 平右近衛少将大和次郎武政
古渡城
東別院というお寺の境内にある神聖な場所です。
2023年06月07日 RED副将軍
古渡城
織田信長の父である織田信秀の居城🏯
織田信長が元服した城としても知られます
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1534年、織田信長の父である織田信秀により築城。
織田信秀は今川氏豊から那古野城を奪い、東方に備える為に新たに古渡城を築いて居城とし、那古野城は織田信長に譲りました。
1546年、織田信長は13歳で古渡城で元服。
1548年、織田信秀は末森城を築いて移った為、廃城となりました。
見所
現在は真宗大谷派名古屋別院の境内となっており、遺構はほぼ消失しています。
隣接する下茶屋公園は堀跡を利用したもので城跡の痕跡が残っています。
2023年04月09日 kohei
古渡城
東別院の近くに石碑があります。下茶屋公園も雰囲気がいいです。
2023年02月08日 きむねこ
古渡城
東別院駅から徒歩10分位で到着します。正門?をくぐって左側(幼稚園が近くにあります)にひっそりと石碑が立ってます
2022年11月11日 松平長七郎大学頭長頼
加藤図書屋敷跡[古渡城 寺社・史跡]
神君家康公が幼き頃、幽閉されていた場所です。
住所・愛知県名古屋市熱田区伝馬2丁目13-4
2022年08月29日 はちもく
古渡城
古渡城はメーテレ横の東別院内にあります。東別院参拝者用駐車場は大きな敷地です。門をくぐったら左に折れたらすぐ見つかりますよ。大きなお寺です。年末はプロジェクションマッピングもきれいです。近くに有名なかき氷あります。おすすめです。
2022年08月15日 ゆき丸兵部大輔
古渡城
東別院にあります。駐車場もありますが、地下鉄でいくなら名城線 東別院駅から徒歩で行けます。
2022年06月10日 尾張守九兵衛
古渡城
毎月8.18.28日には市が東別院境内で出ています(日中)
2021年11月28日 三河守ぱーる
古渡城
今は東別院というお寺になっています。通りかかったのでポチしようとふらりと寄ったらちょうど閉門時間。が、中から手招きをされ「まだ大丈夫だからどうぞ。」と仰っていただきお参り出来ました。
栄から金山に向かい歩きましたが左側(東側)はずっと下っていてここが台地(熱田台地)なんだなというのがよくわかりました。
2021年11月15日 民部大輔与助
古渡城
名古屋市営地下鉄名城線の東別院駅で4番出口から西へ約200m進むと、浄土真宗大谷派の東別院があり、その敷地の南西部に古渡城址の碑があります。
2021年09月25日 山城守信長
古渡城
古渡城らしきものは見当たらなかった。今は東本願寺です。
2021年09月19日 【城郭道】たっきー
熱田村砦[古渡城 周辺城郭]
1181年に源行家が平家に対抗するために築いた砦。別名は熱田城。金山駅より南に存在する。現在遺構は無く、小さな神社が建つのみである。
2021年07月18日 【城郭道】たっきー
御器所西城[古渡城 周辺城郭]
御器所西城/ごきそにしじょう(名古屋市昭和区)
佐久間氏中興の祖となったといわれる家勝が嘉吉年間(1441〜44)に築いた城。佐久間氏代々の居城となった。御器所佐久間氏は盛政の頃に、織田家重臣・柴田勝家に従事して転戦した。
尾陽神社周辺が城跡と思われ、一段高くなっているため、段丘上にある城だったことがわかる。四方に土塁と堀を巡らしていた城だった。現在、わずかに土塁が残り、切岸がうかがえるところもある。なお、尾陽神社と刻まれている石碑の別面には御器所西城と刻まれている。
2021年03月06日 【城郭道】たっきー
広井城[古渡城 周辺城郭]
名古屋市中区にある天文年間(1532〜1555)に当地を治めた中村氏が居住していた城。平城で詳しい歴史はわかりません。現在は洲崎神社と化し、神社の看板に廣井城と書かれています。
2020年11月17日 【城郭道】たっきー
太閤出世稲荷社[古渡城 寺社・史跡]
金山総合駅から徒歩15分ほどのところに太閤出世稲荷社があります。なかなか立派な神社でした。隣の公園には高蔵遺跡というものがありそうです。
神社に行ったのは夕方で結構暗かったのでリア攻めの際は気を付けてください。むしろ暗い時には行かない方がいいと思います。
結構怖かったです…。
2020年11月15日 【城郭道】たっきー
尾頭城[古渡城 周辺城郭]
金山総合駅から歩いて10分くらいのところにあります。現在は住吉神社となっており、参拝することができます。遺構はありません。パンフレットもあるのでもらっていくといいです。駐車場は近くにコインパーキングがあります。
2020年11月03日 koma治部卿
古渡城
東別院の中です。面影はありませんが想像を楽しめますあ
2020年10月31日 こそっと名古屋城じゃ
古渡城
東別院として形を変えて残っています。庭には名古屋城の石垣の残りが、印を刻まれたまま残っています。
2020年08月29日 きいろいとり
古渡城
駐車場の入口、出口、一方通行お気をつけくださいね👍️
2017年05月11日 くろちゃん右大臣
古渡城
下茶屋公園も併せて訪れてください
もちろん入場料は、無料です。
2012年02月07日 鳳雛SASlov優彩
古渡城
本堂を正面に見て左側に城跡碑があります
2011年07月08日 くろちゃん右大臣
古渡城
古渡城から北西方向に尾張藩の刑場とされていた場所 清涼山栄国寺があります キリシタンに関する資料も展示されています。
2011年05月28日 うさチ左衛門尉
古渡城
今年に入ってから、古渡城のすぐ近くの大日本印章に判子の歴史館がオープンしました。
入場無料で中には様々な判子の他に、三英傑の書状が展示してありますよお城攻めの際に立ち寄ると楽しいです。ただ土日祝は休館なので気をつけて下さいね。
古渡城の周辺スポット情報
石碑(碑・説明板)
広井城(周辺城郭)
日置城(周辺城郭)
小林城(周辺城郭)
尾頭城(周辺城郭)
熱田村砦(周辺城郭)
源行家館(周辺城郭)
御器所西城(周辺城郭)
高田城(周辺城郭)
御器所東城(周辺城郭)
吉野城(周辺城郭)
羽城(周辺城郭)
御所屋敷(周辺城郭)
太閤出世稲荷社(寺社・史跡)
東別院(寺社・史跡)
八幡山古墳(寺社・史跡)
那古野山古墳(寺社・史跡)
一本松古墳(寺社・史跡)
信長塀(寺社・史跡)
熱田神宮(寺社・史跡)
西別院(寺社・史跡)
加藤図書屋敷跡(寺社・史跡)
信長塀(寺社・史跡)
岡部又右衛門家跡地(寺社・史跡)
富士浅間神社(富士浅間神社古墳)(寺社・史跡)
八高古墳(寺社・史跡)
剣ヶ森(八高古墳陪塚)(寺社・史跡)
高蔵遺跡(寺社・史跡)
瑞穂遺跡(寺社・史跡)
西脇町遺跡(寺社・史跡)
源頼朝出生地(寺社・史跡)
下茶屋公園(関連施設)