守山城(もりやまじょう)

守山城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県名古屋市守山区大字守山字市場、字大門

旧国名

尾張国

分類・構造

平山城

天守構造

なし

築城主

松平信定

築城年

大永元年(1521)

主な改修者

主な城主

松平氏、織田氏

廃城年

天正2年(1574)?

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

末森城(愛知県名古屋市)[3.5km]
田幡城(愛知県名古屋市)[4.0km]
竜泉寺城(愛知県名古屋市)[4.3km]
名古屋城(愛知県名古屋市)[4.8km]
上条城(愛知県春日井市)[5.7km]
下社城(愛知県名古屋市)[6.5km]
溝口城(愛知県西春日井郡)[6.6km]
古渡城(愛知県名古屋市)[6.6km]
小田井城(愛知県清須市)[7.0km]
新居城(愛知県尾張旭市)[7.6km]

守山城の解説文



守山城(もりやまじょう)は、尾張国守山(現愛知県名古屋市守山区市場)にあった日本の城。

概要 

1526年(大永6年)、連歌師宗長が館で松平信定新知行祝の千句連歌会を催し、「花にけふ風を関守山路哉」と守山を詠んだ発句が宗長手記・下巻に記されておりこれが「もりやま」が「守山」と記された初見である。

『徳川実紀』や『三河物語』などによると、1535年(天文4年)には織田信秀の弟信光(松平信定の娘婿)の居城となっていたが、松平清康が尾張侵略を企てた結果、世に言う「守山崩れ」が起こる(詳細は「森山崩れ」を参照のこと)。

『信長公記』によると、1555年(弘治元年)、信長・信光により清洲織田氏(織田大和守家)の織田信友が滅ぼされた後、信光が清洲城に入った信長より譲られた那古野城に移ると、代わりに信光の弟の信次が入った。しかし早々に家臣洲賀才蔵が信長の弟秀孝を誤殺するという事件を起こしたために出奔。城下は、信長の弟で秀孝の兄である信行(信勝)の報復により焼き払われた。城には信次の重臣角田新五らが立てこもり続けていたが、佐久間信盛の働きにより信長の異母弟信時を城主とすることで決着した。しかし、信時は他の家臣を重用したため角田新五により切腹させられ、城には再び新五一派が立てこもった。その後、帰参を許された信次が城主に復帰。信次は天正2年(1574年)、長島一向一揆戦において戦没した。

天正元年(1573年)、浅井長政がお市の方の兄である織田信長と対立し、小谷城が攻め落とされ、長政らは自害し浅井氏は滅亡する。國學院大學の宮本義己の研究により、お市の方と茶々、初、江の三姉妹は信次に預けられ、守山城に一年間程滞在していたことが明らかとなった(『渓心院文』)。

廃城の時期は、桶狭間の戦いの後とも、後に城主に返り咲いたという信次の死後とも、長久手の戦いの後とも言われる。

守山城の略年表 

築城年、築城者ともに詳細は不明であるが、大永年間(1521年)には今川・松平方の城として存在していたとされる[1]

和暦 西暦 主な出来事
大永6年 1526年 3月27日連歌師の柴屋軒宗長がこの城を訪れ連歌の会を開催(『宗長手記』)。守山の初見。
天文2年 1533年 11月には仁和寺の尊海僧正が美濃の井口からやな・でんがくくぼを通って「守山といへる所に泊まりて」との記録。
天文4年 1535年 12月、守山の陣中において清康が家臣阿部弥七朗に斬殺される(「守山崩れ」)。
弘治元年 1555年 城主は、その後信次(信長の弟秀孝を誤殺し逃亡※)信行が守山城下に放火、織田信長が清州から駆け付ける。
天正元年 1573年 お市の方と三人の娘(茶々、初、江)が信次に保護され、守山城に1年間程滞在することとなる(『溪心院文』)。
天正2年 1574年 信次が長島の合戦で戦死、廃城となる。
明和4年 1767年 矢田川氾濫により瀬替え。陸続きであった長母寺が守山台地から切り離される。

遺構 

平山城で、『尾州古城志』によると、規模は東西に約58メートル、南北に約51メートル、四方には堀がめぐらせてあったと言われる。

河村秀根本では一重堀、奥村徳義本では二重堀とされている。

城跡とされる丘には、後に清康のために建立された寺院(「宝勝寺」)が存在するほか、城址碑が建てられている。遺構は寺院の裏手の竹薮にある空堀をはじめ、本丸があったとされる土壇の一部などが残されている。

交通アクセス 

  • 名鉄瀬戸線 矢田駅より北へ徒歩で約10分。

参考文献 

  • 【書籍】「守山市史」
  • 【書籍】「誰も知らなかった江」
  • 【書籍】「守山区誌」

守山城の口コミ情報

2024年10月30日 ともさお
守山城



江戸時代中旬までは、矢田川を挟んだ木ケ崎まで小幡台地が続いていたとの事であり、木ケ崎の先端の社までは高地が続いていたことになる。今は矢田川で要害感が増しているが、矢田川がないとなると、イメージは近くの小幡城と似た感じに思う。また、台地の先端だった木ケ崎の先端にも、何らかの施設があったのでは?

2024年08月24日 木工助ろくすけ
守山城



現在は宝勝寺というお寺ですが、入城の雰囲気があります。

2024年06月01日 尾張守たまきち
小幡城[守山城  周辺城郭]



織田氏配下の岡田重篤によって築かれた城。1584年(天正12年)に起きた「小牧長久手合戦」の前哨戦である「白山林の戦い」で、徳川家康は三河との連絡路を保つため、この城を修築し本多広孝に守備させた。また長久手に出兵した家康は池田恒興・森長可率いる豊臣方の別働隊を破った後、小幡城に入城している。 その後、別働隊の救援のために豊臣秀吉の本隊が龍泉寺城に駆けつけたが、その時、家康は小牧山城の本陣に戻った後だった為、豊臣方は小幡城を徹底的に焼き払ったといわれている。その後は役割を終え廃城。

現在は、宅地造成されていて当時の面影はないが、高低差約10mある丘の上にあり小牧方面がよく望める。城址は現在は宅地化され、遺構はありませんが、西城小学校や阿弥陀寺のあたりが城域。眼下を見下ろし存在感抜群の崖の上に立っている老人ホームの正面に案内板があります。蓬州旧勝という古書に 東西南は二重堀、北は断崖、と書かれていますが、北側はまだその通りです。
なお、その阿弥陀寺の山号は「城址山」、付近の地名に「西城」「城前」「城下」「城山」「城南」「大屋敷」「北屋敷」があります。

2024年04月17日 ともさお
守山城



城郭の一部であったであろう宝勝寺の斜面を覆っていた木々が伐採されて、地形が一部わかりやすくなりました。往時には流れが異なっていた矢田川ですが、高台からの眺めは良好です。

2023年01月27日 長谷川兵部丞平蔵
守山城

駐車場はありません。本丸に登ると見晴らしは抜群です。碑が立つのみです。

2022年07月18日 在来線男右京進
守山城



宝勝寺につけば、駐車場は広いです。城跡の入口に看板があり階段を上れば、石碑があります。頑張って竹藪に入りたいところですが、草が多いのでやめました。

2022年04月29日 民部大輔与助
守山城



城址碑までの登り道に新しい階段が整備されていました。ありがとうございました!

2022年04月17日 ばらく~だ
守山城



城址碑のある本丸跡へは、隣接するアパートの敷地を通らなければなりません。守山区役所が設置した案内板にも、そのように記載されているので、所有者の了解はとれていると思われますが、通り抜けは速やかしたほうがよいでしょう。

2021年03月07日 松平治部少輔清康
守山城



前に行った時は森のようになってましたが、木や草が綺麗に切られていました。見晴らしはある程度いいですが、石垣などはありません。石碑のみあります。

2021年01月07日 民部大輔与助
守山城



名古屋市営地下鉄「ナゴヤドーム前矢田」駅から北へ徒歩15分、名鉄瀬戸線「矢田」駅から北へ徒歩10分です。矢田川橋を渡って最初の信号を左折、宝勝寺手前を右折して約100m先の左側にあります。私有地を通りますのでご注意下さい。

2020年10月30日 左兵衛督おこごろう
守山城

住宅街に囲まれていますが、かつて天然の要害だったことを今でも見ることが出来ます。矢田川に面した丘からは、四方を見渡すことができます。北側も庄内川に向かって坂が続いており、水流次第では庄内川が近くまで迫って来ることもあったのかもしれません。

2020年08月22日 大納言Z周防守369
小幡城[守山城  周辺城郭]



西城小学校の東側の丘陵地にあった城。丘の上にあるので眺めはいいが、宅地化されているので遺構はほぼ消滅していて、案内板が建っているのみである。

2019年04月24日 尾張守三城
名古屋市立守山図書館[守山城  関連施設]



守山図書館2階の一部が守山城の資料館となっており、復元模型、縄張図などが展示してあります。

2019年04月24日 尾張守三城
宝勝寺[守山城  寺社・史跡]



守山崩れにより倒れた松平清康のため建立された寺

守山城の周辺スポット情報

 本丸跡(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 武家屋敷跡(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 小幡城(周辺城郭)

 宝勝寺(寺社・史跡)

 守山白山古墳(寺社・史跡)

 守山白山神社(寺社・史跡)

 大幸町遺跡(寺社・史跡)

 名古屋市立守山図書館(関連施設)

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