下社城(しもやしろじょう)
下社城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県名古屋市名東区陸前町(明徳寺)
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 柴田氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 柴田氏
廃城年
- 天正3年(1575)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板(柴田勝家出生地)
周辺の城
-
岩崎城(愛知県日進市)[3.7km]
末森城(愛知県名古屋市)[4.4km]
新居城(愛知県尾張旭市)[6.5km]
守山城(愛知県名古屋市)[6.5km]
竜泉寺城(愛知県名古屋市)[7.0km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[8.5km]
上条城(愛知県春日井市)[8.7km]
古渡城(愛知県名古屋市)[9.7km]
田幡城(愛知県名古屋市)[10.0km]
名古屋城(愛知県名古屋市)[10.2km]
下社城の口コミ情報
2025年06月30日 尾張守たまきち
上社城[下社城 周辺城郭]
築城年代は不明。加藤勘三郎信祥が文明元年(1469年)に高針城へ移るまでの居城。高針城へ移った経緯は不明であるが、その後の上社城には一色城の柴田勝重(柴田勝家の祖父)が入っているため、一帯を支配していた柴田氏によって移されたと考えられる。上社城も天正年間(1573~92年)頃まで存在していた。城主は代々「勘三郎」を名乗り、何代か後の加藤勘三郎は織田信忠に仕えており、天正10年(1582年)の本能寺の変の際には、主君の安否が心配になり京に上ったまま行方が分からなくなったという。
現地を訪問したところ、城は丘陵地の上に築かれており、遺構は残されていないが、堀切の様な道路など、名残りが所々にみられました。城跡碑や解説板などはありません。
2025年06月29日 尾張守たまきち
一色城[下社城 周辺城郭]
築城年不明。尾張守護斯波氏の命により、尾張国進出を目論む、遠江の今川氏の備えとして、柴田源六勝重が築いた。天正十二年(1584年)、小牧長久手の合戦の際に、豊臣方の先鋒軍に焼き払われて落城した。
現地には、神蔵寺と貴船神社だけが高台になっており、神蔵寺の本堂横に「一色
城主柴田源六源勝重公の墓」が在りました。
2025年04月24日 尾張守マクシミリアン
下社城
名二環沿いの高台にある明徳寺というお寺になってますが、昔はこの辺りを睥睨してたんだろうな、と推測できます。今は名二環のシェルターが長い鉄壁を作ってますが。
2024年12月18日 尾張守たまきち
藤森城[下社城 周辺城郭]
天正12年(1584年)の小牧長久手合戦で、徳川軍に敗れた池田方の残党:小関三五郎がこの地に土着して、配下の死を弔い、再起を図るべく、後に藤森城主になった。
現状は藤森神明社となっており、かなり高台にあり、見晴らしがいいです。城館を構えるには良い立地だと感じました。
城跡碑や解説板などはありません。
2024年12月08日 noble権大納言弥勒菩薩
下社城
下社城です。
柴田勝家生誕の地とのことです。
尾張の平野部には“城館跡”でも、開発の波に揉まれて跡形もないところが多いですが、ここもご多分に漏れず往時の遺構は何もありません。
城跡は周囲よりも明らかに高台、かつてここに小砦があったであろうことは、良く分かります。
明徳寺本堂へ登る階段途中に、
“勝家生誕の地”碑
“説明板”
があり、
『ここがあの権六の…!』
の感慨が湧いてきます。
(合戦で勝って“鬼柴田”貰ったからではありません。念の為😁)
なまじ遺構が残っていない方が遠い過去が蘇る気がする、そんな城跡です😌
周囲の道は狭く、住宅密集地なので駐車は苦労します。北側に公園があり、自分はその脇に停めて、南側山門(寺域周回道路を半周)まで往復ダッシュ🏃、5分で戻ってきました😵💫
2024年11月26日 尾張守たまきち
高針城[下社城 周辺城郭]
この地に勢力を持っていた土豪:加藤勘三郎信祥が、1469年の上社城主時に築城。
大正十二年(1923年)創刊の【愛知郡誌】によると、東西72m、南北63mで、東部から東南部にかけて幅5m、深さ5mの大きな堀があったとの記述。後の一族は、織田信忠に仕えていた。
現地は、この周辺では最も高い場所で、畑地の東側に堀の一部が残っているそうですが、分かりませんでした。城跡碑や解説板もありません。
2022年07月18日 虹ノ松能登守
下社城
地下鉄上社駅の南、周辺は閑静な住宅地で、少し小高い場所にありました。現在は明徳寺というお寺になっていて、遺構は見当たりません。
南側にある寺への入口階段を少し上ると、左手に柴田勝家出生地の碑があり、右手に下社城趾の碑が建っています。
なお私が訪問した時は、北側にある駐車場はゲートが閉まっていて入れませんでした。
2022年01月16日 Yana右衛門督
下社城
城の石碑と説明看板は正面階段の中段にあります。
2021年12月19日 脇本中務少輔龍
下社城
国道302側から攻略する際に、登城する坂道には「勝家坂」の案内板があります。周辺の家々の表札にも「柴田」が多く、勝家の生誕地にふさわしいですね。
2021年04月10日 曲輪衆三河守名古屋のリラン
下社城
今はお寺の境内になってますが
上がってみると四方見渡せます
2021年02月06日 子龍のパパ
下社城
駐車場は裏にあり。地下鉄上社駅より、徒歩約10分
2020年12月04日 尾張伊東家@和祐
下社城
築城時期は不明。柴田勝家が享禄3年(1530年)にこの城で生まれているのでそれ以前に築城と考えられている。天正三年(1575年)に勝家が越前に移ったときに廃城となったと伝わる。現在は明徳寺の境内。周辺は柴田姓の表札のお宅が沢山ある。
2020年11月22日 尾張伊東家@和祐
高針城[下社城 周辺城郭]
室町時代中頃、加藤信祥(加藤勘三郎)により築城。東西72m南北63mの平山城。上社城主の加藤勘三郎が居城。
2020年08月14日 武田半兵衛大膳大夫晴輝
下社城
柴田勝家出生地と言われています。