下社城(しもやしろじょう)
下社城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県名古屋市名東区陸前町(明徳寺)
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 柴田氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 柴田氏
廃城年
- 天正3年(1575)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板(柴田勝家出生地)
周辺の城
-
岩崎城(愛知県日進市)[3.7km]
末森城(愛知県名古屋市)[4.4km]
新居城(愛知県尾張旭市)[6.5km]
守山城(愛知県名古屋市)[6.5km]
竜泉寺城(愛知県名古屋市)[7.0km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[8.5km]
上条城(愛知県春日井市)[8.7km]
古渡城(愛知県名古屋市)[9.7km]
田幡城(愛知県名古屋市)[10.0km]
名古屋城(愛知県名古屋市)[10.2km]
下社城の口コミ情報
2024年12月18日 尾張守たまきち
藤森城[下社城 周辺城郭]
天正12年(1584年)の小牧長久手合戦で、徳川軍に敗れた池田方の残党:小関三五郎がこの地に土着して、配下の死を弔い、再起を図るべく、後に藤森城主になった。
現状は藤森神明社となっており、かなり高台にあり、見晴らしがいいです。城館を構えるには良い立地だと感じました。
城跡碑や解説板などはありません。
2024年12月08日 noble中納言弥勒菩薩
下社城
下社城です。
柴田勝家生誕の地とのことです。
尾張の平野部には“城館跡”でも、開発の波に揉まれて跡形もないところが多いですが、ここもご多分に漏れず往時の遺構は何もありません。
城跡は周囲よりも明らかに高台、かつてここに小砦があったであろうことは、良く分かります。
明徳寺本堂へ登る階段途中に、
“勝家生誕の地”碑
“説明板”
があり、
『ここがあの権六の…!』
の感慨が湧いてきます。
(合戦で勝って“鬼柴田”貰ったからではありません。念の為😁)
なまじ遺構が残っていない方が遠い過去が蘇る気がする、そんな城跡です😌
周囲の道は狭く、住宅密集地なので駐車は苦労します。北側に公園があり、自分はその脇に停めて、南側山門(寺域周回道路を半周)まで往復ダッシュ🏃、5分で戻ってきました😵💫
2024年11月26日 尾張守たまきち
高針城[下社城 周辺城郭]
この地に勢力を持っていた土豪:加藤勘三郎信祥が、1469年の上社城主時に築城。
大正十二年(1923年)創刊の【愛知郡誌】によると、東西72m、南北63mで、東部から東南部にかけて幅5m、深さ5mの大きな堀があったとの記述。後の一族は、織田信忠に仕えていた。
現地は、この周辺では最も高い場所で、畑地の東側に堀の一部が残っているそうですが、分かりませんでした。城跡碑や解説板もありません。
2022年07月18日 虹ノ松能登守
下社城
地下鉄上社駅の南、周辺は閑静な住宅地で、少し小高い場所にありました。現在は明徳寺というお寺になっていて、遺構は見当たりません。
南側にある寺への入口階段を少し上ると、左手に柴田勝家出生地の碑があり、右手に下社城趾の碑が建っています。
なお私が訪問した時は、北側にある駐車場はゲートが閉まっていて入れませんでした。
2022年01月16日 Yana右衛門督
下社城
城の石碑と説明看板は正面階段の中段にあります。
2021年12月19日 脇本中務少輔龍
下社城
国道302側から攻略する際に、登城する坂道には「勝家坂」の案内板があります。周辺の家々の表札にも「柴田」が多く、勝家の生誕地にふさわしいですね。
2021年04月10日 曲輪衆三河守名古屋のリラン
下社城
今はお寺の境内になってますが
上がってみると四方見渡せます
2021年02月06日 子龍のパパ
下社城
駐車場は裏にあり。地下鉄上社駅より、徒歩約10分
2020年12月04日 尾張伊東家@和祐
下社城
築城時期は不明。柴田勝家が享禄3年(1530年)にこの城で生まれているのでそれ以前に築城と考えられている。天正三年(1575年)に勝家が越前に移ったときに廃城となったと伝わる。現在は明徳寺の境内。周辺は柴田姓の表札のお宅が沢山ある。
2020年11月22日 尾張伊東家@和祐
高針城[下社城 周辺城郭]
室町時代中頃、加藤信祥(加藤勘三郎)により築城。東西72m南北63mの平山城。上社城主の加藤勘三郎が居城。
2020年08月14日 武田半兵衛大膳大夫晴輝
下社城
柴田勝家出生地と言われています。