岩崎城(いわさきじょう)

岩崎城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県日進市岩崎町市場67

旧国名

尾張国

分類・構造

平山城

天守構造

複合式望楼型[3重4階/1987年築/RC造模擬]

築城主

織田信秀

築城年

享禄年間(1528〜1531)

主な改修者

丹羽氏清

主な城主

織田氏、松平氏、丹羽氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋、井戸跡

指定文化財

再建造物

模擬天守(展望塔)、石碑、説明板

周辺の城

下社城(愛知県名古屋市)[3.7km]
広見城(愛知県豊田市)[7.7km]
末森城(愛知県名古屋市)[7.9km]
新居城(愛知県尾張旭市)[8.4km]
沓掛城(愛知県豊明市)[8.7km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[10.0km]
竜泉寺城(愛知県名古屋市)[10.2km]
守山城(愛知県名古屋市)[10.3km]
堤本地城(愛知県豊田市)[10.8km]
鳴海城(愛知県名古屋市)[11.0km]

岩崎城の解説文



岩崎城(いわさきじょう)は、尾張国山田郡(のち愛知郡)岩崎(現愛知県日進市岩崎町)にあった戦国時代の日本の城(平山城)。

概要 

室町時代末期(15世紀末から16世紀前葉ころ)に築城され慶長5年(1600年)に廃城となった[1]。もっとも古い記録によると尾張国勝幡城(現在の愛知県愛西市)主・織田信秀(織田信長の父)の支城だった。

享禄(岩崎)の戦い 

享禄2年(1529年)、三河国岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)が、織田信秀の属将・荒川頼宗の守備する岩崎城を尾張国攻略の足がかりとして兵7000を率い攻め落とした。しかし天文4年(1535年)「森山崩れ」により清康が死去すると松平氏の勢力は岩崎城から後退し、松平氏の案内人として行動していた本郷城(現在の日進市本郷町)主・丹羽氏清が移り住み、4代続けて岩崎城主として戦国時代を生き抜くこととなる[2]

横山の戦い 

天文20年(1551年)、岩崎城主丹羽氏清・氏識(うじさと)親子に対して、一族の藤島城(現在の日進市藤島町)主・丹羽氏秀親子が起こしたと伝えられる内部紛争。

氏秀は当時17歳であった織田信長に援軍を求め、信長軍が横山(現在の日進市岩崎町北高上付近)に差し掛かったところ、信長軍の進軍を聞きつけ待ちかまえていた岩崎丹羽軍が急襲し信長軍は敗退、氏秀親子は三河へ逃げ延びた。

この戦いは、寛政2年(1790年)3月丹羽氏福が丹羽氏の事績を著した「丹羽氏軍功録」のみに出てくる記述であり、真偽のほどは定かではない。

小牧・長久手の戦いと岩崎城の戦い 

天正12年(1584年)に起きた岩崎城の戦いとは、小牧・長久手の戦いのうち長久手の戦いの緒戦となった戦いである。両軍の膠着状態を打ち破るため、秀吉方によって実行された「三河中入(なかいり)」作戦を阻止し、池田軍の進軍を止めたという点で大きな功績を残した戦いであった。この時の当主・丹羽氏次はこの戦いで弟の氏重を失ったが、家康からの信頼を得てその後の戦いにも多くの功績を挙げることとなる。

落城後の岩崎城 

長久手の戦いの後、落城した岩崎城が再建されたかは確かではないが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで丹羽氏次は徳川方として参戦、その功績を認められ三河国伊保(現在の愛知県豊田市)1万石の大名として栄転し、岩崎城はここで廃城となる。

現在の岩崎城 

廃城後は300年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていた。明治43年(1910年)に旧尾張藩士らの手により、岩崎城の戦いで戦死した丹羽軍将兵を慰めるため、「表忠義」の題を持つ記念碑が本丸の櫓台に建てられた。現在でも毎年4月9日には慰霊祭が行われている。

また昭和62年(1987年)には、展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)が築城、「岩崎城址公園」として整備され、併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されている。ただし、史実を無視した模擬天守を建築する一方で、一部の遺構を破壊したため、城郭研究者の千田嘉博に批判されている[3]

また整備中に偶然発見された古墳(6世紀に建てられたとされる)を再現したものが公園内に展示されている。その他、二の丸には水琴窟を持った日本庭園が造られている。

城郭の構造 

台地の先端部を堀切で分断して平山城を形成している。周囲を土塁・空堀・帯曲輪で囲まれた本丸には、東南部に建造物・西北に人工的に土を盛り上げて作った櫓台(標高・約66メートル)が備わっていた。また本丸の馬出とも言える二の丸など、いくつかの曲輪が本丸の周囲を固めていた。空堀は当初は薬研堀であったが、後に一部は箱堀に作り変えられていたことが調査で判明している。

遺構 

  • 曲輪・空堀・土塁など。

関連施設ほか 

  • 模擬天守 - 望楼型3層4階の展望塔。本記事の「現在の岩崎城」項も参照。
  • 模擬二層櫓 - 模擬天守に併設の「岩崎城歴史記念館」。一色丹羽氏の家紋「丹羽扇」入り「登城記念証」などが販売。

交通 

  • 名古屋市営地下鉄鶴舞線・名鉄豊田線 赤池駅下車、くるりんばすで約15分、「御岳口(おんたけぐち)」バス停下車。
  • 名鉄豊田線 日進駅下車、くるりんばすで約10分、「岩崎」バス停下車。

岩崎城の口コミ情報

2024年04月14日 尾張守たまきち
長久手城[岩崎城  周辺城郭]



城跡碑と解説板があります。住宅街の中に佇む観音堂の一画です。長久手の戦いの後に廃城。現在は、宅地化されて遺構はありません。

2024年04月14日 尾張守たまきち
郷土資料室[岩崎城  関連施設]



長久手城跡・大草城跡の御城印と、長久手古戦場の古戦場印が販売されています。

2024年04月14日 尾張守たまきち
首塚[岩崎城  寺社・史跡]



長久手の戦いでの戦死者の屍を集めて埋葬し、塚を造って供養した場所です。国の指定史跡となっています。

2024年04月14日 尾張守たまきち
大草城[岩崎城  周辺城郭]



土地はほぼ台地形で、現在は熊野社になっています。主郭を取り囲むようにして東郭や多数の中小の郭、帯郭、土塁などが配置されている。神社が鎮座されていたからなのか、遺構は良く残っていると感じました。1221年の承久の乱で廃城となった大草城を、長久手の戦いで秀吉の家臣で「鬼武蔵」として名を轟かせた森長可が、砦として使えるように改築した。解説板などは無く、頂上に城跡碑がありました。

2024年04月14日 尾張守たまきち
色金山城[岩崎城  周辺城郭]



長久手の戦いにおける、家康軍の陣跡地で、展望テラスが設置された国指定史跡公園です。小牧山城から小幡城を経て色金山へ家康軍が着陣。軍議評定の後、御旗山(富士ケ根)に前進して決戦の地へ!
散策には良い場所で、麓の茶室庭園では、抹茶と和菓子が250円でいただけます。

2024年04月14日 尾張守たまきち
岩作城[岩崎城  周辺城郭]



現在は長久手市役所の所在地。現在も「城の内」の地名が残る。昭和60年及び平成10年の発掘調査で城館に伴う堀・土塁・虎口などが、それ以前に築かれた中世集落の遺構を破壊する形で構築されていることが判明。城の建築・廃城年代は正確には不明ですが、出土遺物相の変化から、15世紀後半から16世紀後半が城館期だと想定されている。古瀬戸品を多量に含む多彩で豊富な陶磁器が出土しており、特に茶道具である天目茶碗は、武家の居住空間ならではの遺物!

2024年04月14日 尾張守たまきち
岩作西城[岩崎城  周辺城郭]



『尾張志』に記された岩作村内の2つの古城跡のうち「西ノ城」にあたる。明治時代の地籍図上で畑地と宅地からなる区画らしき部分が城跡と推定されるが、詳細は不明。
現地には、碑や案内板は無く、水田があるのみで、遺構はありません。

2024年04月14日 尾張守たまきち
堀久太郎秀政陣地[岩崎城  周辺城郭]



小牧長久手の戦いにおける堀秀政の陣跡地。白山林の戦いでの敗報を受け、三好秀次を救援する為、金萩原から引返した堀秀政軍3000が、三好隊の残兵1000を吸収して布陣した場所で、桧ケ根の戦いの古戦場。現在は長久手市の図書館が建っていますが、丘陵上にあり、眺めが良い高台。特に北側の犬山小牧方面の眺望が開けていると感じました。白山林の戦いで勝った勢いで攻め登って来る、徳川別動隊を引き付け一斉に鉄砲や矢を放ち、怯んだ所に突撃して徳川軍を蹴散らし、小牧長久手の戦いでは唯一の秀吉方の勝戦でしたが、御旗山(富士ケ根)に家康の金扇の馬印を望見して、尾張旭方面に退却した。

2024年03月23日 尾張守たまきち
岩崎城歴史記念館[岩崎城  関連施設]



令和6年度版の御城印は、ひらがな表記になりました。 あと、限定品の御城印もありました。小牧山城と犬山城の3城でコラボしています。

2024年03月12日 RED副将軍
岩崎城



小牧長久手の戦いにおいて激戦の舞台となった丹羽氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。享禄年間(1528年〜1531年)に織田信秀(織田信長の父)により勝幡城の支城として築かれたと云われます。
1529年、享禄の戦いにて岡崎城の松平清康(徳川家康の祖父)により落城。尾張国攻略の橋頭堡としました。
1535年には森山崩れにより松平清康が死去し、松平氏は岩崎城から後退。以降は本郷城の丹羽氏清が居城とし改修がされました。
1584年、小牧長久手の戦いでは、丹羽氏は徳川家康、織田信雄連合軍に属し、緒戦となった岩崎城の戦いで羽柴秀吉方の池田恒興により落城。丹羽氏は多大な損失を被ったが池田軍の進軍を止めたという点で大きな功績を残したとされ、徳川家康からの信頼を得ました。
1600年、関ヶ原の戦いで丹羽氏次は東軍として参戦。その功績により三河国伊保の大名として転封し、岩崎城は廃城となりました。

見所
現在は岩崎城址公園として整備されています。
主郭と二の郭を隔てる横堀は深い箱堀でキレイに残っています。
本丸の土塁からは岩崎城古墳も発見されています。
⁡模擬天守がありますが、史実を無視した建物であり建築のため一部の遺構が破壊されたのは残念。模擬天守が注目されがちですが良い空堀が残っています。

2023年11月25日 RED副将軍
赤池城[岩崎城  周辺城郭]



岩崎丹羽氏一族の居城跡🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

天文年間(1532年~1555年)に丹羽氏により築かれたと伝わります。
岩崎丹羽氏一族の代々の居城であり、城主に丹羽十郎右衛門、丹羽七右衛門、丹羽帯刀秀信の名が残っています。
1573年に城主の丹羽帯刀秀信は龍渕寺を創建し、1574年に没っすると、その後、赤池城は廃城となった様です。

見所
現在は、土地改良により遺構は消失。昭和48年頃まで土塁が残っていた様です。
中部電力日進変電所の南側道路沿いに城址碑が立つのみです。

2023年11月04日 RED副将軍
長久手城[岩崎城  周辺城郭]



長久手の戦いの舞台となった加藤忠景の居城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

弘治年間(1555年〜1558年)に加藤氏により築かれたとされます。
加藤氏は、瀬戸の土豪で馬ヶ城を居城としていましたが長久手に来て旧領主の斎藤氏の居城を拡張しと長久手城を築いたとされます。
1584年の長久手の戦いの際には前哨戦である岩崎城の戦いの舞台となります。城主の加藤忠景は、織田信雄に仕え、岩崎城の丹羽氏次の姉を妻としていました。岩崎城主の丹羽氏次は徳川家康が布いた小牧の本陣に参陣したため、岩崎城には城代の丹羽氏重が残り、その補佐として加藤忠景も籠城をして奮戦します。しかし、羽柴秀吉勢の池田恒興、森長可に攻められて落城。
長久手城も焼討ちに遭い、廃城となりました。
その後、池田恒興、森長可は退路を断たれ、徳川家康、井伊直政、織田信雄の本軍と激突して討死しています。

見所
現在は宅地化により消失。住宅街の中に広場となり観音堂が建てられおり、城跡碑と加藤忠景宅趾の碑が立っています。
調査により、堀切を挟んで東城と西城が並立する連郭構造であったことが判明しています。

2023年11月02日 西倉右馬助汝愚
岩崎城歴史記念館[岩崎城  関連施設]



岩崎城と言ったら小牧・長久手の戦いくらいしかイメージなかったがそれ以外の合戦の事など思ったより勉強になる展示がしてありましたスペースの関係か展示自体は少なめです

あと入口にトイレがあります

2023年10月22日 マー坊左兵衛督
岩崎城



イベントで訪れて今まで知らなかったが、空堀が深く土塁め高く感動した。

2023年10月18日 コナン遠江守
鎧掛けの松[岩崎城  寺社・史跡]



以前、近くに池があり、長久手合戦の時、諸軍勢が手で水をすくって飲んだといわれています。また、血に染まった刀や槍を洗ったとも伝わっています。
昔から4月9日(合戦の日)になると池の水が赤く変わり、「血の池」と称されていました。現在、池はありません。
この池で刀や槍を洗った際に、武将が鎧を掛けたと伝わる松です。

2023年08月02日 左京大夫まおたろー
岩崎城



夏の城攻めはヤブ蚊対策が必要。日陰に入るとヤられます。

2023年07月30日 ペスカトーレ
岩崎城



小牧・長久手の戦いでは、家康側についた城主の丹羽氏が、方面から岡崎を目指した羽柴方の行軍を阻止ししようし、300名で7000人と戦い落城。しかしこの時間稼ぎで、家康本隊が追い付き、その後の戦闘に影響を与えた城です。

天守閣は模擬天守ですが、なかなか見応えが有ります。

本丸跡、土塁、空堀、櫓跡×2、馬出(二ノ丸)等の遺構が、綺麗に整備され、見ることが出来ます。

2023年07月24日 やまぴぃ
岩崎城



岩崎城からの景色が好きで、気が向いたら立ち寄ります。昨日は天気が良くて見渡しがよく、気持ちよかったです。大河「どうする家康」で、小牧長久手の戦いのタイミングで、岩崎城は鍵を握る位置付けなので、楽しみです。

2023年04月16日 弾正尹龍之輔
岩崎城



幹線道路から数メートルで駐車場もあり、そこから徒歩5分で着きます。綺麗に整備されていて良いところでした。

2023年03月12日 もいち
岩崎城



小牧長久手の戦いで豊臣軍を食い止めた丹波氏重のお城。堀、土塁と馬出がしっかり残っていてとても見応えがあります。昨日,土塁清掃に参加して土塁と堀を堪能してきました。

2022年12月12日 いかにも信玄
岩崎城

イルミは常設で17:00から点灯です。5~6分のものをリピートしています。

2022年07月17日 【城郭道】たっきー
勝入塚[岩崎城  寺社・史跡]



古戦場公園にある長久手市郷土資料館の近くにある塚です。
小牧・長久手の戦いにおける羽柴方の武将、池田勝入(恒興)の塚でこの地が戦死した場所といわれています。
国指定史跡、石碑や説明板があります。

2022年07月17日 【城郭道】たっきー
庄九郎塚[岩崎城  寺社・史跡]



古戦場公園の片隅にある塚で庄九郎塚と呼ばれます。
小牧・長久手の戦いでの羽柴方・池田恒興の長男である之助(幼名庄九郎)の戦死の地と言われています。
国指定史跡。立派な碑や説明板があります。

2022年05月29日 八咫烏紀伊守鉄龍
岩崎城



見えるからと言って、駅から歩いて行ってはいけません。片道約4キロ、死にます。赤池駅からバスがあるけど、本数がすくないので、時間は確認してください。

2022年05月06日 くにひこ大膳大夫
岩崎城



近くを何度も通っていたけど、存在に気づかず。同僚に教えてもらい、リア攻めしてきました。岩崎城と、城主の丹羽から名付けられたゆるキャラにわさきくんがお出迎え。訪れた人と記念撮影してました。自分も後ほどと思って先に散策。

お城は入城無料。天気も良く眺めが良かったです。古墳やら、堀の跡、水を流すとその下にある壺のようなもので綺麗な音色が、聞こえてくる。京都の妙心寺を思い出しました。

御城印ゲットして、記念撮影と思ったら、休暇でしょうか……姿なかったので、見つけたらすぐに、記念撮影お勧めします。鎧姿になれたり、色々工夫してて、楽しく過ごせました。

2022年02月11日 ばらく~だ
龍淵寺[岩崎城  寺社・史跡]

赤池城の御城印が頂けます。1枚200円です。

2021年03月23日 ポール駿河守マッカートニー
岩崎城



雨の中、初めての訪問。小ぶりな城趾公園ですが、立派な空堀が見事。古墳も古代からこの地が大事な場所だったことが感じられます。桜が咲いたら、気持ちよさそうでした。

2021年03月07日 文無し大赤字右馬頭
岩崎城

堀などの跡が残っていました。また、天守もかっこよかったです。

2021年01月02日 大納言Z武蔵守369
色金山城[岩崎城  周辺城郭]



小牧・長久手の合戦で、徳川家康が陣をしいて軍議を開いた場所。ここで秀吉軍が一気に三河を攻めると睨んだ家康は、秀吉軍の池田恒興・元助親子、森長可らが岩崎城を攻撃する背後から攻撃を仕掛け、長久手にてこの3人を討ち取りました。

現在は歴史公園として整備されており、戦国期の砦を彷彿させる木製の展望テラス、家康が軍議を開いた時に腰掛けたといわれる「床机石」、犬山市の国宝茶室「如庵」を模した「胡牀庵(こしょうあん)」などがあります。

2020年12月16日 尾張伊東家@和祐
岩崎城

愛知郡の土豪丹羽氏清が天文7年に築いて本郷城から移ったとされている。東西150m南北180mの規模で二重の空堀に囲まれ高さ40mの丘上に本丸があった。丹羽氏識(氏清の子)・氏勝父子は三河の松平氏の尾張の織田氏との間にあり双方から従属を強いられたが家康が信長と同盟を結んだのちに信長ぬ従い、信長な死後は家康に属した。

2020年11月25日 半月三河守虎陵
梅森城[岩崎城  周辺城郭]



現在は眺景寺になっています。山門脇に石碑が建っています

2020年11月25日 半月三河守虎陵
吹上城[岩崎城  周辺城郭]



現在は折戸八幡社になっています。日進市内の城跡フォトラリーに参加すると折戸城の御城印が貰えます。

2020年09月19日 ときDon兵衛
岩崎城

「岩崎城北」の交差点を南に向かって通過するとすぐに昭和シェルのガソリンスタンドがあり、その手前を東に入るとすぐに岩崎城公園の駐車場があります。

2020年09月07日 ばらく~だ
岩崎城



模擬天守(展望台)に目がいきがちですが、本丸と二の丸の間の空堀がしっかり残っていて、往時に思いを馳せることができると思います。

2020年07月24日 織田上総介晃司
岩崎城

岩崎城址公園として遺構を有効に活用した公園となっており、駐車場とトイレもあります。
城内には珍しく古墳があります。

模擬天守と資料館は入場無料です。

2019年09月29日 saizo
岩崎城

御城印販売してます。

2019年05月12日 国崎城一郎✨平常運転
岩崎城



本丸東南張出し部の隅櫓跡。
四間X四間の建物であった。

2018年10月10日 カーネル
岩崎城

リニモ 杁ヶ池駅から直線距離で3km南下

駅から南に向かう大通りを進むと、道は東名高速に平行に南東に下ります。1.5km程で、正面には愛知学院大 右に名古屋外国語大の竹の山北交差点にでるので、右折して県道57号線を南下して、駅から40分で岩崎城址公園に着きました

公園の北西から入る。まずは二ノ丸庭園に向かうと、たしかに庭園でしたが、周囲を囲う土塁は確認できました

南下して通路になっている空堀跡を通過。櫓台を経て古墳に出ます

広場にでると天守閣風の展望台があります。なかなかカッコいいです
北に土橋を渡り公園をでて、長久手古戦場駅へ向かいました

道中はすべて歩道があり快適でした。全行程で100分でした

2016年12月06日 ぱんだ左近衛少将ぱんぞう
岩崎城

今、城攻めしました。模擬天守閣ですが遺構は、よく残っています。車なら駐車場有ります。資料館も無料でした。

2015年02月08日 
岩崎城

よく手入れ、整備された城址公園です。
二ノ丸にある「勘助の井」の水琴窟に至る苔も美しいです。
しかも模擬天守、資料館とも無料でお値打ち、日進市の懐の深さを感じます。

2014年01月19日 宮内卿ピロシキ
岩崎城

地下鉄東山線・星ヶ丘駅から名鉄バスで330円。(私は市バスと思っていて、しばらく駅まわりをウロウロしてしまいました)
遺構は、空堀、櫓台、井戸跡くらいですが、城内に古墳があるのは愛知県内ではかなりレアなケースです。

2013年08月25日 クノール尾張守
岩崎城

特別展「丹羽家の歴史」やってますよ。

2012年05月30日 首藤左兵衛督督刀斎
岩崎城

土塁も割りと良い状態ですし、敷地内(資料館の横)には古墳もあります。
ゆっくり時間を掛けて、資料館で頂ける発掘時などの立派なパンフを見ながら歩くと良いかと思います。

2011年05月05日 三河守コーキしゃん
岩崎城

本丸と二ノ丸の間の空堀が深くて広いです

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
岩崎城

[武将像]丹羽氏重像
本丸に建つ資料館内に鎮座。

岩崎城の周辺スポット情報

 井戸跡(遺構・復元物)

 隅櫓跡(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 東の曲輪(遺構・復元物)

 西の曲輪(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 岩崎城址公園案内図(碑・説明板)

 丹羽勘助・古城之城趾(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 櫓台(碑・説明板)

 概要説明板(碑・説明板)

 吹上城(周辺城郭)

 米野木城(周辺城郭)

 藤島城(周辺城郭)

 梅森城(周辺城郭)

 色金山城(周辺城郭)

 岩作城(周辺城郭)

 赤池城(周辺城郭)

 大草城(周辺城郭)

 長久手城(周辺城郭)

 堀久太郎秀政陣地(周辺城郭)

 梅森東城(周辺城郭)

 野方西城(周辺城郭)

 野方東城(周辺城郭)

 矢野城(周辺城郭)

 平針第一古城(周辺城郭)

 平針第二古城(周辺城郭)

 折戸城(周辺城郭)

 本郷城(周辺城郭)

 藤枝城(周辺城郭)

 諸輪北城(周辺城郭)

 諸輪中城(周辺城郭)

 諸輪下城(周辺城郭)

 諸輪南城(周辺城郭)

 岩作西城(周辺城郭)

 龍淵寺(寺社・史跡)

 首塚(寺社・史跡)

 安昌寺(寺社・史跡)

 勝入塚(寺社・史跡)

 庄九郎塚(寺社・史跡)

 武蔵塚(寺社・史跡)

 血の池公園(寺社・史跡)

 景行天皇社(寺社・史跡)

 木下勘解由塚(寺社・史跡)

 岩崎城古墳(寺社・史跡)

 長久手古戦場跡(寺社・史跡)

 鎧掛けの松(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場スペース(駐車場)

 岩崎城歴史記念館(関連施設)

 二の丸庭園(関連施設)

 郷土資料室(関連施設)

 模擬天守(関連施設)

 勘助の井(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore