長久手城
長久手城([岩崎城 周辺城郭])
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長久手城の口コミ情報
2024年04月14日 尾張守たまきち
城跡碑と解説板があります。住宅街の中に佇む観音堂の一画です。長久手の戦いの後に廃城。現在は、宅地化されて遺構はありません。
2023年11月04日 RED副将軍
長久手の戦いの舞台となった加藤忠景の居城🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
弘治年間(1555年〜1558年)に加藤氏により築かれたとされます。
加藤氏は、瀬戸の土豪で馬ヶ城を居城としていましたが長久手に来て旧領主の斎藤氏の居城を拡張しと長久手城を築いたとされます。
1584年の長久手の戦いの際には前哨戦である岩崎城の戦いの舞台となります。城主の加藤忠景は、織田信雄に仕え、岩崎城の丹羽氏次の姉を妻としていました。岩崎城主の丹羽氏次は徳川家康が布いた小牧の本陣に参陣したため、岩崎城には城代の丹羽氏重が残り、その補佐として加藤忠景も籠城をして奮戦します。しかし、羽柴秀吉勢の池田恒興、森長可に攻められて落城。
長久手城も焼討ちに遭い、廃城となりました。
その後、池田恒興、森長可は退路を断たれ、徳川家康、井伊直政、織田信雄の本軍と激突して討死しています。
見所
現在は宅地化により消失。住宅街の中に広場となり観音堂が建てられおり、城跡碑と加藤忠景宅趾の碑が立っています。
調査により、堀切を挟んで東城と西城が並立する連郭構造であったことが判明しています。