鳥栖城(とりすじょう)

鳥栖城の基本情報

通称・別名

新屋敷鳥栖城、取隅城

所在地

愛知県名古屋市南区鳥栖2(成道寺)

旧国名

尾張国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

成田時重

築城年

応仁年間(1467〜1468)

主な改修者

主な城主

成田氏

廃城年

永禄2年(1559)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

星崎城(愛知県名古屋市)[2.2km]
鳴海城(愛知県名古屋市)[3.2km]
鷲津砦(愛知県名古屋市)[4.4km]
大高城(愛知県名古屋市)[5.0km]
丸根砦(愛知県名古屋市)[5.0km]
古渡城(愛知県名古屋市)[6.0km]
末森城(愛知県名古屋市)[6.6km]
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下社城(愛知県名古屋市)[8.5km]
沓掛城(愛知県豊明市)[8.5km]

鳥栖城の解説文

鳥栖城は、近隣を支配した山口氏の重臣である成田氏の居城である。

現在、成道寺となっている付近が城跡とされるが遺構などは特に残っていない。

鳥栖城の口コミ情報

2019年12月20日 磯野呼吸仕様是近江守湖青
中根中ノ城[鳥栖城  周辺城郭]



写真中央、活魚料理店さんのあたりを中心に城郭が在ったと伝わります。南城の北側に位置し、北城と共に鎌倉往還を挟む配置となっていたそうですが、後世の改変があったのかどうか、井戸のあるあたりのほうが主郭として良い(高い)位置にあるのに、という印象を受けます。不思議。宅地化されていますが、この辺りで「村上」さんの表札を見かけると、後裔の方のお宅かと、少し心躍ります。

2019年12月20日 磯野呼吸仕様是近江守湖青
中根南城[鳥栖城  周辺城郭]



信長公記にも京で馬揃えを行う際に御連枝衆として登場する織田信照が配された、中根城(北城、中ノ城、南城をあわせてそう呼ぶらしいです)の主となるお城です。現在はお寺さんと幼稚園となっていますが城域の高低差は分かりやすく残っています。八事山からの丘陵が天白川の近くまで延びている先端に位置し、南部方面の見通し良好です。赤塚合戦(信長公記)の際も、織田信長は中根経由で鳴海城方面(三王山)へ向かっています。

2019年12月07日 磯野呼吸仕様是近江守湖青
山崎城[鳥栖城  周辺城郭]



歴代城主やお城の歴史はネットサーフィン(死語)していただくとして、このアプリで山崎城を攻める利点というか、ぜひぜひ赤色立体地図でご覧になられることをおすすめしたいです。「三方断崖で南側大手だけなだらか」という説明をよく目にしますが、現地で主郭(現安泰寺さん)を見る限り南側もそれなりに高低差があるように見えるんです(私の主観であり感じ方には個人差があります)。が、赤色立体地図で見ると、主郭域は三方(但し南側ではなく西側の現法泉寺域方面以外)が切れており、西側を堀切って(南側の名鉄線、と説明されるあたり)その向こう岸にある法泉寺さん側の丘(連郭と見立て妄想)部分が南側以外三方切れている…っていう、その辺の砦より大きめなお城の全体像が見えてくる気がするのです(妄想)。追放されるのはまだまだ先の時の佐久間さんが拠点に使うくらいだからそれくらいの規模があっても不思議でないし(妄想)。
城人ならぬ素人の戯言なので学術的な裏付けは全くありませんが、楽しみいっぱいのお城と感じるのでした。いや間違ってるよって詳しい方がみえましたら、ご指摘ご教授いただけたら嬉しいなって今後の楽しみがまたできたり。

2019年11月21日 磯野呼吸仕様是近江守湖青
山崎砦[鳥栖城  周辺城郭]



織田信秀死後離反した山口氏の拠点、桜中村城に対しての備えとして佐久間信盛により築かれた砦で、元亀二年(叡山焼き討ちの頃)には城跡に白毫寺さんが開基されているのでその頃には用を為さなくなったのでしょうか。
年魚市潟勝景地に選ばれるくらいなので、往時は海岸と街道に面した立地だったのでしょう。個人的には、高低差や境内の削平地からの急な崖具合がよく遺る、佐久間さんがちゃんと仕事してる具合が伝わってくる、楽しいお城だと…。

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