大高城(おおたかじょう)

大高城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県名古屋市緑区大高町字城山他

旧国名

尾張国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

花井備中守

築城年

永正年間(1504〜1521)

主な改修者

主な城主

花井備中守、水野氏、今川氏、織田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀跡

指定文化財

国史跡(大高城跡 附丸根砦跡、鷲津砦跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鷲津砦(愛知県名古屋市)[0.8km]
丸根砦(愛知県名古屋市)[0.9km]
鳴海城(愛知県名古屋市)[2.3km]
星崎城(愛知県名古屋市)[2.9km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[5.0km]
吉川城(愛知県大府市)[6.7km]
沓掛城(愛知県豊明市)[7.8km]
刈谷城(愛知県刈谷市)[9.5km]
緒川城(愛知県知多郡)[10.0km]
古渡城(愛知県名古屋市)[10.2km]

大高城の解説文



大高城(おおだかじょう)は、尾張国知多郡大高村(現在の名古屋市緑区大高町)にあった日本の城。

概要 

桶狭間の戦いの前哨戦として、当時今川義元の配下であった松平元康(後の徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで名高い。現在は国の史跡に指定され[1]、公園として整備されている。

歴史 

築城年代ははっきりしないが、土岐頼康が尾張守であった南北朝期には池田頼忠が城主を務め、永正年代には花井備中守や、水野為善とその息子の忠守が居城したことが伝えられている(為善については異説もある。また忠守は水野忠政の息子の水野忠守とは別人)。

天文年間も引き続き水野氏が治めたが、織田信秀の支配下にあった。天文17年(1548年)、今川義元の命で野々山政兼がこの城を攻めたが、落とすことができず政兼は戦死する。

しかし信秀の死後、息子の織田信長から離反した鳴海城主の山口教継の調略で、大高城は沓掛城とともに今川方の手に落ちる。この脅威に対して信長は「丸根砦」と「鷲津砦」を築き、大高城に圧力を加える。永禄2年(1559年)、朝比奈輝勝が義元の命をうけ大高城の守りに入る。

翌永禄3年(1560年)には、大高城の包囲を破りそのまま鵜殿長照が守備についた。5月18日(6月11日)夜には、大高城に松平元康が兵糧を届け、長照に代わり元康が城の守備についた。やがて信長の攻撃による義元の死(桶狭間の戦い)を確認した元康は岡崎城に引き下がったため、大高城は再び織田家の領土となった(ただしもっと早く、永禄元年(1558年)に元康の「兵糧入れ」が行われたと記す史書もある。また、永禄2年(1559年)とする史書もある。その史書の記述が間違いである可能性もあるが、大高城が今川方に落ちた直後にも元康が兵糧入れを行ったのではないか、と考える研究者もいる)。

まもなく廃城となったが、尾張藩家老の志水家が、元和2年(1616年)にここに館を設けてから代々住むようになった。この館も明治3年(1870年)に売却された。

現在 

昭和13年(1938年)に国の史跡に指定され、現在は「大高城址公園」として整備されている。かつては二重の堀が張り巡らせてあったというが、現存する主な遺構は、本丸及び二の丸の曲輪跡、それらの間に存在する土橋と空堀などである。また本丸隅の一段高くなった区画には城山八幡社と、明治40年(1907年)に建てられた城址碑がある。近辺には、弘治2年(1556年)に大高城主水野大膳が父の水野忠氏(和泉守、籐九郎近守)を弔うために建てた曹洞宗寺院、春江院がある。

遺構 

  • 「史跡 大高城跡」石碑 - 城跡入口に設置。後ろは林で特に遺構はない。
  • 登り口 - 左手に土塁が残る。
  • 二の丸跡 - 鷲津砦丸根砦が遠望できる。
  • 本丸跡 - 緑林公園となっている。地面は芝・草・落葉に覆われ土塁のような痕跡はない。春は桜が咲く。
  • 曲輪 - 二の丸から降りた所にある。

支城・近隣施設 

  • 丸根砦跡 - 石碑と案内板。桶狭間の戦いの前哨戦が行なわれた。
  • 鷲津砦跡 - 同上。

交通 

  • JR東海道本線 大高駅より南西へ徒歩で約10分。
  • 駐車場がなく、道が細いので注意。

大高城の口コミ情報

2024年07月28日 尾張守たまきち
向山砦[大高城  周辺城郭]



永禄三年(1560年)の桶狭間合戦の時、今川方だった大高城を包囲する為に築かれた織田軍の砦の一つ。

現地には、大高山春江院があります。創建は桶狭間合戦以前の弘治二年(1556年)で、当時大高城城主だった水野大膳が父・水野和泉守の菩提を弔うために創建した寺。とても雰囲気の良い素晴らしい寺院でした。が、大高城からは200メートル程と近接してます。この位置に敵方の砦があったのか、といろんな妄想が浮かび、訪問した甲斐のある場所でした。

2024年07月28日 尾張守たまきち
氷上砦[大高城  周辺城郭]



永禄三年(1560年)の桶狭間合戦の時、今川方だった大高城を包囲する為に築かれた織田軍の砦の一つ。砦が築かれる以前から、この地には氷上姉子神社が鎮座されています。熱田神宮に草薙神剣が祀られる前に、日本武尊がこの神社に草薙神剣を留め置かれていた歴史もあり、由緒のある場所です。砦の推定地は、境内地の「火上山」中腹あるいは火上山西方の字取手山付近ではないかとされています。

2024年07月28日 尾張守たまきち
正光寺砦[大高城  周辺城郭]



永禄三年(1560年)の桶狭間合戦の時、今川方だった大高城を包囲する為に築かれた織田軍の砦の一つ。推定地とされる場所を散策したのですが、高台になっており、大高城を南西側から監視出来る位置にありました。城跡碑や解説板などはありません。

2024年07月22日 血圧高い系男子RED副将軍
氷上砦[大高城  周辺城郭]



織田信長が築いたと伝わる砦跡🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

永禄年間(1558年〜1570年)初頭に織田信長が築いたと云われる砦跡。
「尾州知多郡大高古城図」や「張州雑志」に記録が残りますが、「信長公記」等には記されておらず詳細不詳。
丸根砦や鷲津砦と同じ様に大高城を包囲するために築かれた砦跡とも云われます。

見所
氷上姉子神社の境内ならびに西側一帯が比定地とされます。
遺構は残っていないとされますが、そもそも砦なので土塁と頂部を削平しただけであったかもしれません。

2023年08月28日 伊豆坊伊豆守
大高城

本丸と二の丸の間の内堀がきれいに残っててよかったです。大高城を起点に、鷲津砦、丸根砦、鳴海城と歩いてみましたが、それぞれの距離感を実感することができて、さらに地形もよくわかるので、桶狭間前哨戦をとてもリアルに感じることができました。また、住宅間の細街路から登城するので、車は不可です。

2023年02月07日 6777ヘッズ
大高城



車では行けない。軽自動車ならギリギリ通れる道。近くに駐車場が無かった。

2022年08月23日 血圧高い系男子RED副将軍
大高城



桶狭間の戦いの前哨戦の城⚔

オススメ度 ★★★★⭐︎

永正年間(1504年〜1521年)に尾張国守護の土岐氏家臣である花井備中守により築城。
その後、天文、弘治年間(1532年〜1558年)には
緒川城の水野忠氏が勢力を拡大し城主となっていた様です。
織田信秀が尾張で勢力を拡大してくると水野氏や周辺の国人領主は織田氏に属します。
1551年に織田信秀が没し、織田信長が家督を継ぐも、「うつけもの」の評判と実力に疑問を持つ国人衆に織田離反の動きが出ました。
鳴海城主の山口教継も織田氏から離反し、大高城の水野氏を攻め落とし、今川義元への手土産として今川氏に属します。
山口教継は織田信長に対抗するために、今川氏の駿河衆を大高城に駐留することを要請。大高城には今川家臣の朝比奈輝勝が入城し、織田氏と今川氏の最前線となりました。
1559年、織田信長は大高城に対する付城として鷲津砦と丸根砦を築き、大高城は孤立し物資が届かず兵糧攻めに陥ります。
1560年、今川義元は25,000の大軍で沓掛城に着陣し、桶狭間の戦いの勃発です。
まず大高城へ兵糧補給を行い、丸根砦と鷲津砦の制圧のため松平元康と松平勢、鵜殿長照らの主力を向かわせます。丸根砦、鷲津砦は壮絶な戦いとなり織田軍は全員討死し陥落します。
しかし、同時に手薄となった今川義元を織田軍本隊が急襲。今川義元は討ち取られてしまいました。
その後、大高城は元の城主であった水野氏が入城するも、しばらくして廃城となった様です。

見所
現在は、丸根砦、鷲津砦とともに国史跡に指定されています。
往時は二重の大規模な空堀が巡っていましたが、本丸と二ノ丸の間の空堀が今も残っています。
市街化による消失や改変で残存度は低いですが、名古屋市内で残存している点と歴史的背景より★4としました。

行き方は、周囲に駐車場はありませんでしたので大高緑地公園に駐車して丸根砦、鷲津砦、大高城と歩きました。

2022年03月21日 ばらく~だ
大高城



大高城は、曲輪や空堀、土橋がよく残っています。JR東海道線の向こう側に鷲津、丸根砦も臨めます。両砦は、至近距離といってもいいほど近いので、3ヶ所まとめてリア攻めも可能です。

2022年03月21日 尼崎城駿河守一口城主
大高城



にっぽん城まつりに行って、ついついテンションが、高くなってしまったためセントレアから名古屋駅に行こうと思っていたのを変更して名和駅で途中下車して登城することとした。名和駅から大高城まではナビで2.7キロと出ていた。名和から東の方に進み三本木の交差点を右(南方面)に曲がりたどり着きました。最後は民家の間の狭い路地を抜け説明板に到着しました。説明板のところからさらに上に進むと広大な広場があり、丘になっていることもあり辺りが良く見渡せました。家康公の天下人へのスタートとなった場所だと思われるので現場に足を運べて感慨深いものがありました。暗くなりはじめる時間帯に訪れたので次回はもっと明るい時間に散策したいと思います😅

2021年11月14日 民部大輔与助
大高城



JR東海道本線大高駅前の大高駅西交差点を南西へ約500m進み、突き当たりを左折して直ぐの秋葉神社を右折、二つ目の路地角に大高城址の看板があり、左折すると数10mで城山の登り口です。そこから城址の碑までは5分位です。

2021年03月20日 たっくん
大高城



大高城の御城印は 喫茶はな華 で販売しています。丸根砦と鷲津砦の御城印とセットで1000円でした。

2020年08月22日 海老フ尾張守ライ之助
大高城

丸根砦から向かって行く場合等、大高城の南側に回り込むと辿り着けません。北側の細い路地からアクセスします。周辺は住宅街で、道はとても狭いです。仮設トイレ近くまで、自転車で行けます。丸根砦よりも坂は緩くて短いけど、しんどいです…

2020年07月05日 【城郭道】たっきー
大高城

大高駅から徒歩でおよそ15分。森林で覆われた場所が大高城です。大高城付近には説明板がいくつかあるのでそれを参考に行くと良いです。その説明板をもとに歩いて狭い路地に入って坂を登ると土塁や石碑、説明板が最初に現れ、右に行ってまた坂を登ると曲輪や別の土塁が見えてきて、その近くには土橋があり、大高城には多くの遺構が残ってます。仮設トイレの近くから鷲津砦を望むことができます。神社があるところはおそらく本丸です。大高城に行った後は大高駅の近くにある丸根、鷲津砦にいたのも良いですよ!
ちなみに大高駅から鳴海城まで行こうとすると結構歩くので歩く方は覚悟を。

2019年03月05日 作兵衛三河守
大高城

大高城の周りは細くて狭い道の住宅地となってます。車で行く場合、軽自動車なら入る事は出来ますが駐車場がありません。なので近くのJR大高駅近くのコインパーキングに停めました。そこから徒歩で15分ほどです。
現在は公園として整備されていて簡易トイレも有ります。曲輪や土橋、深い横堀など立派な遺構も残っていて楽しめましたよ。
駅の反対側に鷲巣砦、丸根砦も有るので一緒に楽しまれてはどうでしょうか。

2012年11月04日 クノール尾張守
大高城

名古屋市内では大高城址と末森城址が何と言っても、よく遺構が残る立派な城跡です。深い堀と土橋は見応えあり。

2012年09月23日 尾張守ひろっちぃ
大高城

午後からリアル攻城。公園として整備されており見ごたえある

2011年10月09日 三日左馬助落人
大高城

住宅地の狭い道を入り込んだ所に案内看板あり。
草木に埋もれ見逃しそうですが、かなり深い堀や土塁など、しっかり遺構が確認できます。
曲輪跡からは鷲津砦が望めました

2010年08月29日 三河守コーキしゃん
大高城

堀切が深いです

お城までの道が狭いので注意です

大高城の周辺スポット情報

 石碑・説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 氷上砦(周辺城郭)

 正光寺砦(周辺城郭)

 向山砦(周辺城郭)

 城山八幡社(寺社・史跡)

 大高観光案内所(御城印)

 喫茶店 はな華(御城印)

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