鷲津砦(わしづとりで)

鷲津砦の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山

旧国名

尾張国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

織田信長

築城年

永禄2年(1559)

主な改修者

主な城主

織田秀敏・飯尾定宗・飯尾尚清(織田氏家臣)

廃城年

永禄3年(1560)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(大高城跡 附丸根砦跡、鷲津砦跡)

再建造物

石碑

周辺の城

丸根砦(愛知県名古屋市)[0.7km]
大高城(愛知県名古屋市)[0.8km]
鳴海城(愛知県名古屋市)[1.5km]
星崎城(愛知県名古屋市)[2.5km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[4.4km]

鷲津砦の解説文

鷲津砦(わしづとりで)は、名古屋市緑区にあった砦。織田信長によって築かれ、桶狭間の戦いの前哨戦が行われた。

歴史・沿革
大高城の北東約 700メートルの丘陵上に築かれ、東西 25メートル、南北 27メートルの規模だったという。
尾張で勢力を伸ばしていた織田信秀の死後、子の信長が跡を継ぐと、信秀に従っていた鳴海城主山口教継が駿河の今川義元に寝返り、義元は大高城を手中にした。そこで信長は、大高城に対して丹下砦・善照寺砦・中島砦を築き、さらに大高城鳴海城の間を遮断するために、丸根砦と鷲津砦を築いた。鷲津砦には、守将として織田秀敏と飯尾定宗・尚清父子が置かれた。
永禄3年5月19日(西暦1560年6月12日)早朝、尾張に侵攻した今川軍は鷲津砦と丸根砦に攻撃を開始した。その報せを受けた信長は清洲城から出陣したが、熱田神宮に差し掛かったときには、すでに両砦は落城したらしく、煙が上がっていたという。このとき鷲津砦を攻撃した今川方の武将は『武徳編年集成』等の後世の史料では朝比奈泰能とされているが、泰能は弘治3年(1557年)に死去しているため実際は子の泰朝で、親子を誤ったものと見られている。
その日の桶狭間の戦いで義元は討ち死にして今川軍は尾張から撤退し、今川氏から独立した三河の松平元康との間に清洲同盟が成立したため、鷲津砦が再び使われることはなかった。

現況
大高城丸根砦と共に1938年(昭和13年)に国の史跡に指定されており、史跡鷲津砦址の碑が立つ。周辺は鷲津砦公園として整備されている。砦址のある丘陵の麓には長寿寺という寺があり、この寺はもと真言宗長祐寺と称していたが、鷲津砦の兵火により焼失したという。

交通アクセス
JR大高駅より東へ徒歩約5分。

鷲津砦の口コミ情報

ソバッソ店長様[2016年03月01日]
鷲巣山を使った砦って言うか山城っす。
公園化され、歩きやすいように整備されてます。スニーカーやったけどそない気にせずに歩けました。
城郭内に入ってすぐに切岸と曲輪群のセットが見えます。

特筆すべきはこの山の急峻さでしょう。車で周辺の散策が出来ますが、軽自動車やとエンジンはヒーヒーでしょう。
公園に山の全体図がありましたが、等高線の狭い事多い事。よくぞこんな所に建てたなと。急峻過ぎて守る側も移動しにくかったやろうなーと。

しかしこの砦、今川の侵攻に備えて急造したもの。戦略的にも大高と鳴海の間の狭い範囲に作らなければならず、選択肢は少なかったんでは‥と、考えてまーす。

訪れた方々、そのまま丸根砦も見ちゃいなよ。
僕のオススメは麓を一周、登り坂を四駆で一気掛け。でも周りは高級住宅地、駐車場見つけられず、路駐とかはくれぐれも自己責任で。

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