星崎城(ほしざきじょう)
星崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県名古屋市南区本星崎町本城、本城町1、本星崎町堀割
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 山田重忠
築城年
- 治承年間(1177〜1181)
主な改修者
- -
主な城主
- 山田氏、花井氏、岡田氏、山口氏
廃城年
- 天正16年(1588)
遺構
- 井戸
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
鳴海城(愛知県名古屋市)[1.8km]
鳥栖城(愛知県名古屋市)[2.2km]
鷲津砦(愛知県名古屋市)[2.5km]
大高城(愛知県名古屋市)[2.9km]
丸根砦(愛知県名古屋市)[3.1km]
古渡城(愛知県名古屋市)[7.4km]
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荒子城(愛知県名古屋市)[8.6km]
末森城(愛知県名古屋市)[8.8km]
吉川城(愛知県大府市)[9.6km]
星崎城の解説文
[引用元:Wikipedia「星崎城」の項目]
星崎城(ほしざきじょう)は、愛知県名古屋市南区にあった日本の城(平城)。
歴史
鎌倉時代
治承年間(1177年-1181年)に山田重忠が築城した。山田氏が居城していたが、他の地域に移りすんだので廃城になった。
戦国時代
鳴海の豪族だった花井右衛門兵衛がここを居城にした。山口教継の謀反により、花井右衛門兵衛の領地が織田信長に没収され、岡田直教が城主になった。天正12年(1584年)岡田直教の家臣である山口重勝が城主になった。山口重勝の娘が豊臣秀次の側室となったが、文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が秀次に謀反の疑いにより自刃に追い込んだ後、親族も共に処刑され、山口重勝も自刃した。
その後、山田氏の支族である織田氏の家臣の岡田重善、岡田重孝が城主になった。織田信雄の伊勢国移封に伴い、後の牛久藩初代藩主山口重政が城主になったが、茂福城と領地を換える事になったため、廃城になった。
現代
現在は名古屋市立笠寺小学校、宅地になっており井戸以外のものは残っていない。名古屋市立笠寺小学校と近くにある秋葉神社に石碑がある。
規模
東西約47メートル、南北約61メートル[1]。
所在地
- 愛知県名古屋市南区本星崎町本城765
参考文献
- 『尾張名所図会』 第五巻 星崎古城、1844年
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星崎城の口コミ情報
2024年09月01日 RED副将軍
星崎城
名古屋台地南部を押さえる重要拠点
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。治承年間(1177年〜1181年)に山田重忠により築かれたとその居城と云われます。
山田重忠は、源満政を祖とする尾張源氏の系譜である鎌倉御家人。平家追討戦の功により尾張国山田荘の地頭となったとされます。承久の乱では朝廷との繋がりも深かったため後鳥羽上皇に付き、官軍の武将として活躍するも京の戦場で壮烈な最期を遂げたと伝わります。その後、星崎城は山田氏が他に移ったので廃城になったとされます。
戦国時代には、鳴海の豪族である花井右衛門兵衛が星崎城を居城としていたとされます。
しかし、鳴海城の山口教継が織田信長に謀反を起こし、花井右衛門兵衛の領地は没収。代わって岡田直教が入城。
1584年には岡田直教の家臣である山田重勝が居城とし、1586年には養子の山田重政が継ぎましたが、1588年に伊勢国茂福に移封となり星崎城は廃城となりました。
見所
笠寺台地の南端に築かれており、往時は南から北に向かって三の丸、二の丸、本丸が連なる連郭式で周囲を二重堀が巡っていたとされますが、現在は小学校の敷地となり宅地化により遺構は消失。
小学校に城跡碑が立ち、高低差が城跡を偲ばせる程度です。
2022年06月15日 兵部卿スーさん
星崎城
城址は笠寺小学校が建っています。校内に碑と説明板があり、そこの校門は開いているので、ちょっと入って写真撮れます。
2021年07月18日 【城郭道】たっきー
三の丸[星崎城 遺構・復元物]
笠寺小学校から道路を挟んだところが三の丸と思われる。
2021年07月18日 【城郭道】たっきー
二の丸[星崎城 遺構・復元物]
笠寺小学校校舎の辺りが二の丸だと思われる。
2021年07月18日 【城郭道】たっきー
本丸[星崎城 遺構・復元物]
現在、笠寺小学校運動場一帯が本丸跡と思われる。
2021年06月06日 北風
星崎城
ホシザキと言えば、業務用冷凍冷蔵庫のダントツメーカー。件のコロナワクチン冷凍庫は、医薬用特定分野で製氷機位が特需だったようです。星崎は笠寺台地にあって、名古屋城の熱田台地同様に縄文時代からの遺跡多数、というよりも日本列島の曙以来の歴史が今に息づいています。ホシザキさんは同じ台地の北側の御器所が発祥とのこと。昔から立地条件の良い城址は例によって、学校と神社になってします。石碑等はそちらです。近くに星宮神社もありますが、内の近所の同名の神社とは関係や由緒等は不明です。名鉄本星崎(もとほしざき)から台地沿いに刈谷、安城、岡崎へと向かいます。R1は、谷間の低平地をビル群を縫って走ります。ゲリラ豪雨の昨今、先人の知恵には脱帽します。陣城のような近辺の砦とは違い東海道は元より海路も見渡せ、戦時中は、近所の見晴台には高射砲陣地が設営され、コンクリ製台座が残っています。笠寺観音は名古屋の四観音として賑わっています。
2020年11月23日 ゆーみん
星崎城
遺構などは残っていません。名古屋市南区本星崎町にある、秋葉神社に星崎城址の石碑があります。周辺は、車が一台通れるかどうかの細い路地のようになっています。
星崎城の周辺スポット情報
本丸(遺構・復元物)
二の丸(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
石碑・説明板(碑・説明板)
松平竹千代織田信広人質交換の地(碑・説明板)
見晴台遺跡(寺社・史跡)
笠寺高射砲陣地 砲台(寺社・史跡)