堤本地城(つつみほんじじょう)
堤本地城の基本情報
通称・別名
- 堤城、本地城
所在地
- 愛知県豊田市堤本町根岸
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 畠山六郎
築城年
- 応永9年(1402)?
主な改修者
- -
主な城主
- 畠山氏、本田氏
廃城年
- 応仁元年(1467)頃
遺構
- 曲輪、土塁?
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
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堤本地城の解説文
堤本地城の口コミ情報
2020年08月14日 ばらく~だ
堤本地城
ここは車駐車できる所なさそうです。自分は鳥居と隣の写真屋さんの間に止めましたが、長居は出来ませんでした。
2017年01月22日 じゃりんこみらい
堤本地城
本丸裏手には、古墳、大椎の木、民家の間から登る小口らしき所が見られました!車で通りすぎてしまった為裏手から登城し見つけられたのです。
【遺構】
豊田市堤本町東側に広がる台地南先端部に位置する丘城である。周辺には自動車工場などが建ち並ぶ。
『愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ(西三河地区)』によると集落のすぐ上に位置することから在地小領主の居館と考えられるとあり、規模はそれほど大きくなかったであろう。現在城跡は応神天皇と祭神とする八幡社の境内となっており、明瞭な遺構は確認することはできない。
ただし、南側から境内へ上る階段脇には「本地城址」の石碑が建てられており、そこに記された解説によると周囲に土塁の遺構が残るとされる。また、八幡社の由緒書きによると天正7年(1579)に当地に遷座したとあることから、現在の境内は堤本地城の郭跡をそのまま利用したとも考えられる。
なお、同地には城塚古墳という円墳が残されているが発掘調査により7世紀後半のものと判明し、城との直接的な関係はないと見られている。
【歴史】
『高岡町誌』によると、南北朝期に尾張守護であった畠山氏の一族畠山六郎が応永9年(1402)頃に築いたとされ、その後は安祥(安城市)の本田氏の領するところとなったが、室町時代中期に廃城となったという。
【交通】
・高岡ふれあいバス堤上町バス停から徒歩で約3分
【参考文献】
・『愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ(西三河地区)』愛知県教育委員会、1994年3月。
・『日本城郭大系 第9巻』新人物往来社、1980年。