知立城(ちりゅうじょう)
知立城の基本情報
通称・別名
- 知立古城
所在地
- 愛知県知立市西町西
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 永見貞春
築城年
- 平安時代
主な改修者
- -
主な城主
- 永見氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- 市史跡(知立古城跡)
再建造物
- 石碑(知立古城址)
周辺の城
-
刈谷城(愛知県刈谷市)[5.6km]
堤本地城(愛知県豊田市)[6.1km]
沓掛城(愛知県豊明市)[6.8km]
緒川城(愛知県知多郡)[7.6km]
上野上村城(愛知県豊田市)[8.8km]
安祥城(愛知県安城市)[8.9km]
吉川城(愛知県大府市)[10.3km]
丸根砦(愛知県名古屋市)[10.6km]
桜井城(愛知県安城市)[11.0km]
鷲津砦(愛知県名古屋市)[11.2km]
知立城の解説文
知立城の口コミ情報
2026年03月13日 山田左京大夫元久
知立城
名鉄知立の駅を北西に歩く事7〜8分😆小さな公園になってます🛝大きな楠木でしょうか?立派ですー
2025年09月06日 松平長七郎若狭守長頼
知立市歴史民俗資料館[知立城 その他]
ここでは、知立市内にある城跡や遺跡の事等を詳しく知ることが出来ます。重原城のみですがパネル展示ありました。
2025年03月16日 新時代一撃三河守犬塚兄弟
知立城
お万の方の実家でなお旧東海道に接して歴史ある城です。
2024年12月01日 中務少輔RedKing
重原陣屋[知立城 周辺城郭]
猿渡川が逢妻川に合流する台地の尾の先です、河岸段丘かもしれません。刈谷から東海道池鯉鮒宿に向かう古の集落道沿いで見晴らし良好です。
「是より福島領」と言う石柱から島のような田畑が、全体が三河刈谷藩の内に他の藩領と言う徳川幕府得意の周辺近隣で差別的な治水策を行い、互いに消耗させ緊張関係に置く支配方法でしょうか。
尚、福島県のHPには、刈谷藩と福島藩の領地の一部交換の経緯が記載されています。一揆対応の不始末で改易転封の時代もあった割には、互いに不便不自由不平等がこの時代の常でしょうか。
又、芭蕉さんの奥の細道や高須藩松平四兄弟という東海地方と福島県との関わりについても説明されています。ご一読あれ。
2024年11月30日 中務少輔RedKing
知立城
東海道池鯉鮒宿と言えば、名所旧跡で名高い知立神社とその例祭はユネスコ無形文化遺産です。この神社とはR1とR155によって分断されていますが、東海道がちゃんとつながっています。かの桶狭間古戦場の向こう笠寺鳴海有松程ではありませんが往時を偲ぶ風情が有ります。
この地域で甘党なら名鉄の売店どこにもある知立名物の「あんまき」の元祖が今尚、すぐそばでやっていらっしゃる。鯛焼きなら天然物です。とまあ城の遺構がないので近世の街並みと庶民の生活でした。ただ明治大帝のご休息所でしたから、当時も由緒あって地域の人々が集える場所である公園に間違いありません。
加えて例祭の豪華な山車が揃ってからくり人形の奉芸するのは城がなくても宿場町の若衆のエネルギー爆発です。
2024年09月08日 ふーげつ志摩守
知立城
知立神社の神主を代々つとめる永見氏の居城だったようです。現在は児童公園になっており当時の遺構は残っていない。公園入り口に看板と石碑があります。駐車場は無いので近くのコインパーキングを利用しましょう。
2024年07月08日 3人のパパ右衛門督は単身赴任
知立城
駐車場無し 綺麗な公園になっており、東海道の案内文も掲示されてます。
2024年01月25日 大膳大夫与助
知立城
名古屋鉄道名古屋本線知立駅からほぼ真北に徒歩数分、「西町児童公園」の一角にあります。遺構はなく、城址と御殿趾の碑があるのみでした。写真のとおり立派な楠がシンボリックです。
2023年02月20日 ᴿᴱᴰ副将軍
知立城
結城秀康の母、お万の方の実家である永見氏の城跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
平安時代に永見貞春により築かれたと伝わります。永見貞春は知立神社の神主であり、その居館が知立城の始まりとされます。尾張と三河の国境であり、戦国時代には知多の水野氏との関係を深めながら、台頭してきた松平清康とも友好関係を築き、今川義元に仕えました。今川義元が桶狭間の戦いで討ち取られると敗走した今川軍を追った織田軍により落城しました。
天正年間(1573年~1593年)に刈谷城主の水野忠重によって御殿が建てられ、将軍家の上洛時の宿泊施設となりました。江戸時代は東海道の池鯉鮒宿として宿場町として栄えます。池鯉鮒も「ちりゅう」と読みます。寛永年間(1624年~1644年)に増築もされましたが、1699年に大地震により倒壊しました。
徳川家康の側室で結城秀康の母でもあるお万の方は知立神社の神官であった永見氏の出身です。
見所
現在は、市街化により消失しています。西町児童公園に石碑と案内板が設置されています。城跡より池鯉鮒宿としての街並みを楽しむべきと思います。
2021年11月14日 大納言あってん
知立城
12月28日までの期間限定で御城印が配布されてます。詳細は「てくてく愛知の史跡」でご確認ください。
2021年10月25日 特にありません
知立城
駅からほど近く、小さな公園になっています。駐車場ないので近くのコインパーキング利用で攻城してください。
2021年02月25日 VIFAM 【7】刑部大輔
重原陣屋[知立城 周辺城郭]
重原陣屋跡で、物足りない方は、近くに、半城土古城城址があります。近くの野田史料館にも、水野勝成、の兜が残っています。
2019年01月22日 みかわのひで
知立城
今川義元が沓掛城に入る前日、宿泊したという説がある城です。当日の城主は知立神社の神官、永見氏。この人の娘である、於萬の方が結城秀康の母なので、秀康から見ると知立神社は、じいちゃんの城になります。
また近くの総持寺には、【於萬の方生誕地】の石碑があります。
2018年08月28日 青コアラ美濃守
知立城
知立駅の北方400mほどの所にある、西町児童公園が城跡です。遺構は無く、城跡と御殿跡の石碑、案内板があるのみです。
駐車場はありません。石碑を撮るだけなら路駐でもいいですが、心配なら知立神社に停めて歩くといいかと思われます。
2018年07月16日 青コアラ美濃守
重原陣屋[知立城 周辺城郭]
移築物がある願行寺と十応寺は隣り合っているので、一緒に見学されるといいでしょう。願行寺に駐車場がありますが、周辺の道は狭いので注意して下さい。
2011年09月28日 三河守コーキしゃん
重原陣屋[知立城 周辺城郭]
浄福寺に駐車スペースがあります。










桶狭間の戦いでは今川方の城として機能し、のちに水野忠重の居城となりました。
天正10年(1582)には甲斐武田攻めの凱旋途上に織田信長が宿泊し、専用に新しく建てられた「御屋形」で忠重の饗応を受けています。徳川政権下になると、将軍家の御殿(御茶屋)として維持・管理され、秀忠や家光が上洛の際に滞在しました。
規模は、約100×100m(1町四方)で、横堀や切岸といった城郭遺構の痕跡を確認できます。
また、当城の立地により規制され、屈曲してつくられた東海道は、現在も明瞭であり、見どころのひとつです。
参考文献
・『学芸員が教えるちょっとディープな家康スポットガイド』令和5年(2023)。