知立城(ちりゅうじょう)
知立城の基本情報
通称・別名
- 知立古城
所在地
- 愛知県知立市西町西
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 永見貞春
築城年
- 平安時代
主な改修者
- -
主な城主
- 永見氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- 市史跡(知立古城跡)
再建造物
- 石碑(知立古城址)
周辺の城
-
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桜井城(愛知県安城市)[11.0km]
知立城の口コミ情報
2024年09月08日 ふーげつ志摩守
知立城
知立神社の神主を代々つとめる永見氏の居城だったようです。現在は児童公園になっており当時の遺構は残っていない。公園入り口に看板と石碑があります。駐車場は無いので近くのコインパーキングを利用しましょう。
2024年07月08日 3人のパパ右衛門督は単身赴任
知立城
駐車場無し 綺麗な公園になっており、東海道の案内文も掲示されてます。
2024年01月25日 民部大輔与助
知立城
名古屋鉄道名古屋本線知立駅からほぼ真北に徒歩数分、「西町児童公園」の一角にあります。遺構はなく、城址と御殿趾の碑があるのみでした。写真のとおり立派な楠がシンボリックです。
2023年02月20日 RED副将軍
知立城
結城秀康の母、お万の方の実家である永見氏の城跡🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
平安時代に永見貞春により築かれたと伝わります。永見貞春は知立神社の神主であり、その居館が知立城の始まりとされます。尾張と三河の国境であり、戦国時代には知多の水野氏との関係を深めながら、台頭してきた松平清康とも友好関係を築き、今川義元に仕えました。今川義元が桶狭間の戦いで討ち取られると敗走した今川軍を追った織田軍により落城しました。
天正年間(1573年~1593年)に刈谷城主の水野忠重によって御殿が建てられ、将軍家の上洛時の宿泊施設となりました。江戸時代は東海道の池鯉鮒宿として宿場町として栄えます。池鯉鮒も「ちりゅう」と読みます。寛永年間(1624年~1644年)に増築もされましたが、1699年に大地震により倒壊しました。
徳川家康の側室で結城秀康の母でもあるお万の方は知立神社の神官であった永見氏の出身です。
見所
現在は、市街化により消失しています。西町児童公園に石碑と案内板が設置されています。城跡より池鯉鮒宿としての街並みを楽しむべきと思います。
2021年11月14日 右近衛大将あってん
知立城
12月28日までの期間限定で御城印が配布されてます。詳細は「てくてく愛知の史跡」でご確認ください。
2021年10月25日 特にありません
知立城
駅からほど近く、小さな公園になっています。駐車場ないので近くのコインパーキング利用で攻城してください。
2019年01月22日 みかわのひで
知立城
今川義元が沓掛城に入る前日、宿泊したという説がある城です。当日の城主は知立神社の神官、永見氏。この人の娘である、於萬の方が結城秀康の母なので、秀康から見ると知立神社は、じいちゃんの城になります。
また近くの総持寺には、【於萬の方生誕地】の石碑があります。
2018年08月28日 青コアラ美濃守
知立城
知立駅の北方400mほどの所にある、西町児童公園が城跡です。遺構は無く、城跡と御殿跡の石碑、案内板があるのみです。
駐車場はありません。石碑を撮るだけなら路駐でもいいですが、心配なら知立神社に停めて歩くといいかと思われます。