古瀬間城(こせまじょう)
古瀬間城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県豊田市志賀町城山
旧国名
- 三河国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 松平宗忠
築城年
- 永正3年(1506)
主な改修者
- -
主な城主
- 松平氏、鈴木氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、櫓跡
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬見張り櫓(展望台)、石碑、説明板
周辺の城
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古瀬間城の解説文
古瀬間城の口コミ情報
2024年03月04日 竪堀ころりん
古瀬間城
主郭が梅林になっており、梅の花が綻び始めていました🌸景色もいいです✨
2023年05月05日 亀せぶん三河守
古瀬間城
お寺の本堂前から上がります。動物避けのフェンスを開けて上がって行くと櫓っぽく作ってある展望台があります。
2023年02月28日 三宅三河守康貞
古瀬間城
豊田市内から浜居場市営住宅街を目指し浄願寺の山門を抜けると整備された城址公園がありました。ただ入口にイノシシの侵入防止鉄柵がありますので出入り時はご注意下さい。
2022年08月04日 RED副将軍
古瀬間城
徳川家の祖、松平氏の西方の要の城郭🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1506年に松平家三代、信光より分かれた長沢松平家の#松平宗忠 によって築城。
以降、新城街道を見下ろす要所で織田、今川、武田方と対峙する松平一族の西方の要として機能していました。
1590年、徳川家康の関東転封に伴い江戸へ従っていき廃城となりました。
見所
主郭北側の腰曲輪。北、西、南側に腰曲輪を巡らせ、東側は堀切で防御を固める縄張りでした。
城域東尾根の堀切は公園化により消失した様です。
2022年02月26日 左近衛少将桜姫
古瀬間城
切通しを抜け、城址下の浄願寺へ。寺より登り口あり。散策できる路が、山を巡っていて楽しめます。
大平門が朽ちて倒れていました。城址まで登る途中に、松平宗忠のお墓あり。登る石段横の石垣に、矢穴跡の石あり。
途中、猪の柵を開けて進みます。ドキドキしましたが獣とは遭遇せず。
城址に模擬見張り櫓が建てられており、そこからの眺めがよく、上がっておにぎりを食べました。梅が咲いていて、空気も綺麗で最高でした。
1時間くらい居ましたが誰とも会わず。帰りの寺門で1人会ったのみで、コロナ禍としてはありがたかったです。穏やかな良い所でした。
2021年06月24日 北風
古瀬間城
国道からすぐ、いかにもの切り通し右手の民家裏が山城、地区のウォーキングコース案内看板が親切です。立派で静粛、手入れの行き届いたお寺さんの佇まいが、地区の皆さんの松平一族への崇敬の現れでしょう。
2021年04月10日 Yana右兵衛督
古瀬間城
城址へは石碑の隣のお寺を通って登れます。展望台からの眺めは最高です。
2020年12月04日 尾張伊東家@和祐
古瀬間城
永正三年(1506年)松平宗忠が居城としたという。近くに宗忠の墓が存在する。城は平地より35mの高さに位置する山城で山腹に城門、馬埒及び堀と思われるところがあり、その地名が残っている。「日本城郭全集」より。
2019年05月13日 えるパパ左京大夫
古瀬間城
ふもとの浄願寺から上がっていきます。天主跡には物見櫓があります。
2019年05月05日 しげぽん
古瀬間城
城址には浄願寺から上がっていきます。浄願寺の入り口に案内板があります
2013年04月07日 s.a.y.近江守
古瀬間城
山城ですが、お寺から3分ぐらい。
展望台?からの見晴らしは綺麗ですよ。
城跡には城主であった松平宗忠の墓や、主郭には見張櫓を模した展望台などがある。