井田城(いだじょう)

井田城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県岡崎市井田町字城山(城山公園)

旧国名

三河国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

酒井氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

酒井氏

廃城年

不明

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

岡崎城(愛知県岡崎市)[2.4km]
箱柳城(愛知県岡崎市)[3.9km]
上野上村城(愛知県豊田市)[4.5km]
奥殿陣屋(愛知県岡崎市)[6.4km]
安祥城(愛知県安城市)[6.9km]
桜井城(愛知県安城市)[9.1km]
古瀬間城(愛知県豊田市)[10.6km]
山中城(愛知県岡崎市)[10.8km]
本證寺(愛知県安城市)[11.2km]
堤本地城(愛知県豊田市)[11.4km]

井田城の解説文



井田城(いだじょう)は、愛知県岡崎市井田町にあった日本の城。徳川家康家臣で徳川四天王の酒井忠次出生の城である。

概要 

矢作川沖積平野をのぞむ台地縁辺に立地している。岡崎城の北方2kmの地点にありその防衛拠点のひとつ。

現在は城山公園となり公園内に城山稲荷と城山集会所がある。城跡が高台になっている。「井田城址」碑が立っている。平城である。

歴史 

松平氏・徳川氏の始祖とされている松平親氏の子とされる酒井広親の子の氏忠から忠勝・康忠・忠親さらに忠次までの酒井氏五代の居城となった。築城年や廃城年は不明である。

酒井忠次は大永7年(1527年)井田城内で出生。

天文4年(1535年)の森山崩れの後、尾張の織田信秀が攻め込んだ井田野の戦い時には、酒井忠次は井田城から尾張勢を迎え討つため出陣した。

遺構 

遺構は主郭跡と思われる平場のみでほとんどない。井田野の図(『家山樵談』)、井田城絵図(『三河聰視録』)でかつての姿をうかがうことができる。主要部は空堀と土塁に囲まれた方形で屋敷の形態を残す。しかし東方に二の丸、南方に城下集落があったようで、戦国期の城郭として整えられたと考えられる。近くの居屋敷など周辺にも酒井一族がいたと思われる。

所在地 

愛知県岡崎市井田町字城山

岡崎市が管理する井田公園運動場のある井田公園の東に位置する。

交通 

  • 愛知環状鉄道・愛知環状鉄道線「北岡崎駅」から徒歩で約10分。
  • 名鉄バス「井田」バス停から 徒歩で約10分。

参考文献 

  • 【書籍】「 新編 岡崎市史 総集編 20」

井田城の口コミ情報

2025年09月04日 征夷大将軍たろす
岩津城[井田城  周辺城郭]



【岩津城】

【所在地】
◆愛知県岡崎市岩津町字東山

【概要】
◆応永28年(1421年)、松平宗家2代泰親が松平郷から岩津に進出、子の信光(宗家3代)とともに、円福寺裏に居城があったとも考えられる中根大膳(岩津大膳とも)を滅ぼして城を築いたと伝わる。
◆松平氏は岩津進出以降西三河の平野部に勢力を拡大し、各地に諸子を分封して十八松平と称される多数の分家を創設した。
◆永正5年(1508年)、今川氏親名代の伊勢宗瑞率いる今川軍の侵攻(永正三河の乱)を受けたが、救援に現れた松平長親(安城松平2代、後の宗家5代)は田原城主戸田憲光を寝返らせ、今川軍を駿府に撤退させた。
しかし、この今川軍による侵攻を受け岩津松平宗家は衰退、庶流の安城松平家が三河各地を略取し惣領化、信光三男の安城松平初代親忠が松平宗家4代となった。
◆安城松平家に宗家が移った後も松平宗家7代清康(徳川家康祖父)が岡崎城へ移るまで、松平氏の重要支城として機能した。
◆天正12,13年(1584,85年)、小牧・長久手の戦いなど豊臣秀吉との対立に備え、徳川家康は西三河防衛線の一環として、土塁・空堀・枡形虎口など戦国時代末期の構造で改修した。

【縄張り・遺構】
◆城域は東西150m×南北200mで、以下の主要遺構が現存
・主郭 - 直径50mの円形区画〈写真①〉
・南郭 - 高さ7mの土塁と馬出状構造〈写真②③〉
・土橋 - 主郭と南郭を結ぶ全長20mの通路〈写真④〉
・空堀 - 最大深さ5mの防御施設〈写真⑤〉
・枡形虎口 - 主郭西側の食い違い虎口〈写真⑥〉

【アクセス】
◆公共交通:名鉄バス岩津天神口停留所より徒歩15分
◆駐車場:信光明寺駐車場(10台)を利用
※おいらは岩津天満宮の駐車場を利用させて頂きました。〈写真⑦〉
当然、お城散策後には岩津天満宮をお詣りさせて頂きました。〈写真⑧〉

【散策所要時間】
◆土のお城ではありますが山登りはなく駐車場から1,2分程で直ぐ城域となり、散策は約40分程度。サクッと見れば30分もかからないかと。
岩津天満宮お詣りを含めても1時間あれば良いと思います。

【総評】
◆家康が天正期に改修した縄張りが良く残っており、また、城内も良く整備されて夏でも下草を気にせず散策できました。ただし、主要部を外れると竹藪です…w
概要でも記しておりますが、松平氏が西三河進出の足掛かりとした拠点の城であり、後の神君徳川家康に繋がる重要なお城です。
にも関わらずアプリ登録3,000城にカウントされていないのは不思議でなりません。
投稿されたお写真も8枚とさみしい限り…。
岡崎市を訪れた際は、岡崎城だけでなく伊賀八幡宮や大樹寺などとともに、岩津城まで足を運び、松平・徳川のルーツを覗いて見てはいかがでしょうか♪
さらに足を運ぶと松平郷ですがw

【諸元】
◆Wikipediaより

2025年01月16日 でぇすけ左近衛少将
井田城



住宅街にあり、城山公園になってます。石碑と説明板があります。城址とされる場所にはお稲荷さんがあります。狭く急な坂道を登ると、車2台くらい停められるスペースがありますが、道路を隔てた井田公園の駐車場に停めた方が楽かと思います。

2024年12月25日 彦千代
井田城

北岡崎駅より徒歩約10分、住宅地よりやや高台、城址が有りそうな雰囲気、石碑有り、やや離れた所に井田野合戦関係の千人塚、大衆塚(西光寺)有り、高台にて展望がいいです、歴史に想いを巡らせられます。

2024年07月07日 美濃守mdmtmo
井田城



駐車場への道は大変狭いのでご注意を。   

2023年07月09日 友乃足軽隊
井田城



徳川四天王のひとり酒井忠次生誕地である井田城。井田城跡の石碑が建っており、静かな公園です。

2022年08月07日 三河守ぱーる
井田城



大樹寺の北あたりから南に向かって岡崎城まで3キロ程度段差になっています。その真ん中あたり、東側の高いところに井田城があります。今は神社になっています。西側はかなり低いので矢作川に向けて昔は湿地だったのかなと。写真は北から南に向かって撮っています。(左側の木のところが井田城)ちょうど花火が岡崎城辺りで上がっていました。(2ヶ所であげてますがマンション横の左側の花火の方が岡崎城前であげているものです。)酒井忠次の生まれた場所です。

2022年06月26日 コナン遠江守
井田城趾の石碑[井田城  碑・説明板]



井田城趾の立派な石碑が建てられています。

2022年05月31日 参議スーさん
井田城



酒井氏5代の居城で忠次はこの城で生まれました。現在は土塁に囲まれた城山公園になっていて、稲荷神社があります。愛知環状鉄道の北岡崎駅から10分ほどです。駐車場はないです。

2022年02月07日 6777ヘッズ
井田城



公園と社がある場所に井田城跡の碑があります。酒井忠次出生地としては、他には何も見つけれませんでした

2020年08月17日 ばらく~だ
井田城



城山公園内の稲荷社うらに車2台ほど止めれそうなスペースありました。
ただ、そこへ行く道はせまいので要注意。

2020年07月22日 大隅守
岩津城[井田城  周辺城郭]



駐車場が無いので岩津天満宮の駐車場借りて歩きます。
小規模ながら遺構は良好に残ってます。

2017年05月09日 山手乃不二
井田城

井田城まで、リア攻めされたのなら、ぜひ近くの大樹寺まで足を伸ばしてみてください。岡崎城を真っ直ぐ望む事ができます。桜の季節がオススメです。

2017年03月23日 音みく勘解由長官闇サガン
井田城

石鳥居(朱鳥居が連なっていない方)奥にある神社横に石碑あり!
井田城の事も少し書いてあります。

井田城の周辺スポット情報

 説明板(碑・説明板)

 岩津城登城口(碑・説明板)

 岩津城登城口(碑・説明板)

 井田城趾の石碑(碑・説明板)

 本多忠勝生誕地(碑・説明板)

 岩津城(周辺城郭)

 伊賀城(周辺城郭)

 仁木城(周辺城郭)

 細川城(周辺城郭)

 井ノ口城(周辺城郭)

 岩津天満宮(寺社・史跡)

 井田八幡宮(寺社・史跡)

 井田野古戦場(寺社・史跡)

 徳川家康渡船之所(寺社・史跡)

 公衆トイレ(トイレ)

 井田公園駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 城山公園(関連施設)

 井田公園(関連施設)

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