岩津城
岩津城([井田城 周辺城郭])
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岩津城の口コミ情報
2025年09月04日 征夷大将軍たろす
【岩津城】
【所在地】
◆愛知県岡崎市岩津町字東山
【概要】
◆応永28年(1421年)、松平宗家2代泰親が松平郷から岩津に進出、子の信光(宗家3代)とともに、円福寺裏に居城があったとも考えられる中根大膳(岩津大膳とも)を滅ぼして城を築いたと伝わる。
◆松平氏は岩津進出以降西三河の平野部に勢力を拡大し、各地に諸子を分封して十八松平と称される多数の分家を創設した。
◆永正5年(1508年)、今川氏親名代の伊勢宗瑞率いる今川軍の侵攻(永正三河の乱)を受けたが、救援に現れた松平長親(安城松平2代、後の宗家5代)は田原城主戸田憲光を寝返らせ、今川軍を駿府に撤退させた。
しかし、この今川軍による侵攻を受け岩津松平宗家は衰退、庶流の安城松平家が三河各地を略取し惣領化、信光三男の安城松平初代親忠が松平宗家4代となった。
◆安城松平家に宗家が移った後も松平宗家7代清康(徳川家康祖父)が岡崎城へ移るまで、松平氏の重要支城として機能した。
◆天正12,13年(1584,85年)、小牧・長久手の戦いなど豊臣秀吉との対立に備え、徳川家康は西三河防衛線の一環として、土塁・空堀・枡形虎口など戦国時代末期の構造で改修した。
【縄張り・遺構】
◆城域は東西150m×南北200mで、以下の主要遺構が現存
・主郭 - 直径50mの円形区画〈写真①〉
・南郭 - 高さ7mの土塁と馬出状構造〈写真②③〉
・土橋 - 主郭と南郭を結ぶ全長20mの通路〈写真④〉
・空堀 - 最大深さ5mの防御施設〈写真⑤〉
・枡形虎口 - 主郭西側の食い違い虎口〈写真⑥〉
【アクセス】
◆公共交通:名鉄バス岩津天神口停留所より徒歩15分
◆駐車場:信光明寺駐車場(10台)を利用
※おいらは岩津天満宮の駐車場を利用させて頂きました。〈写真⑦〉
当然、お城散策後には岩津天満宮をお詣りさせて頂きました。〈写真⑧〉
【散策所要時間】
◆土のお城ではありますが山登りはなく駐車場から1,2分程で直ぐ城域となり、散策は約40分程度。サクッと見れば30分もかからないかと。
岩津天満宮お詣りを含めても1時間あれば良いと思います。
【総評】
◆家康が天正期に改修した縄張りが良く残っており、また、城内も良く整備されて夏でも下草を気にせず散策できました。ただし、主要部を外れると竹藪です…w
概要でも記しておりますが、松平氏が西三河進出の足掛かりとした拠点の城であり、後の神君徳川家康に繋がる重要なお城です。
にも関わらずアプリ登録3,000城にカウントされていないのは不思議でなりません。
投稿されたお写真も8枚とさみしい限り…。
岡崎市を訪れた際は、岡崎城だけでなく伊賀八幡宮や大樹寺などとともに、岩津城まで足を運び、松平・徳川のルーツを覗いて見てはいかがでしょうか♪
さらに足を運ぶと松平郷ですがw
【諸元】
◆Wikipediaより
2020年07月22日 大隅守上
駐車場が無いので岩津天満宮の駐車場借りて歩きます。
小規模ながら遺構は良好に残ってます。